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  プロフィール
HN:
赤澤 舞
性別:
女性
職業:
飲食店店員
趣味:
お菓子作ったりピアノ弾いたり本読んだり絵描いたり
自己紹介:
東京・神奈川・埼玉あたりでちょこまか歌 を歌っております。

一応声種はソプラノらしいですが、自分は あんまりこだわってません(笑) 要望があればメッツォもアルトもやりま すヽ(^。^)丿

音楽とお酒と猫を愛してます(*´▽`*) 美味しいものには目がありません。

レトロゲームや特撮も好物です。

ヴァイオリンは好きだけど弾けませんorz
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2024/05/19 (Sun)
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2021/07/10 (Sat)
※キリスト教徒でもユダヤ教徒でもイスラム教徒でもプロの考古学者でもないただの一般日本人(無宗教者)が、聖書を読んで楽しんでいるだけです。
気になったことは本を読んだりネットで情報を拾ったりしていますが、あくまで一般人が手に入れられる範囲です。
多大なる妄想を含んでいます。本気にしないでください。


○第二十二章

これらの出来事の後、神はアブラハムを試練にあわせました。「アブラハムよ」彼は言いました。「ここにおります」
神は言われました。「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山の上で彼を全焼のいけにえとしてわたしにささげなさい」
翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、ふたりの若者とイサクを連れ、燔祭用のたきぎを持って神の示された場所に出かけました。
三日目に、アブラハムが目をあげると、遥かかなたにその場所が見えました。そこでアブラハムは若者たちに言いました。
「あなたがたは、ろばと一緒にここに残って居なさい。わたしと子どもは向こうへ行って礼拝してから、あなたがたの所に帰ってきます」
アブラハムは全焼のいけにえのためのたきぎをイサクに背負わせ、手に火と刃物を手に取って、ふたり一緒に進んで行きました。
やがてイサクは父アブラハムに言いました。「お父さん」
彼は答えました。「我が子よ、わたしはここにいるよ。」
イサクは言いました。「火と薪はありますが、全焼のいけにえのための小羊はどこにあるのですか。」
アブラハムは言いました。「我が子よ、神みずから全焼のいけにえの羊を備えてくださるだろう。」
彼らが神の示された場所に来たとき、アブラハムはそこに祭壇を築き、たきぎを並べ、イサクを縛って祭壇のたきぎの上に載せました。
そしてアブラハムが手を差し伸べ、刃物を取ってその子を殺そうとしたとき、主の使いが天から彼を呼んで言いました。「アブラハムよ、アブラハムよ」彼は答えました。「はい、ここにおります。」
御使いが言いました。「わらべに手をかけてはならない。また何もその子にしてはならない。あなたの子、あなたのひとり子をさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った。」
この時アブラハムが目をあげて見ると、うしろに角をやぶに掛けている一頭の雄羊がいました。アブラハムは行ってその雄羊を捕らえ、それをその子のかわりに全焼のいけにえとしてささげました。
それでアブラハムはその場所をアドナイ・イルエと名付けました。これにより、人々は今日もなお「主の山の上には備えあり」と言います。
主の使いは再び天からアブラハムを呼んで言いました。
「主は言われた、『わたしは自分にかけて誓う。あなたがこの事をし、あなたの子、あなたのひとり子をも惜しまなかったので、わたしは大いにあなたを祝福し、大いにあなたの子孫を増やして天の星のように、浜辺の砂のように増し加えよう。
あなたの子孫は敵の門を勝ち取り、また地のすべての国々はあなたの子孫によって祝福を得るであろう。あなたがわたしの言葉に従ったからである。』」
アブラハムは若者たちの所に帰り、みな立って共にベエル・シェバへ行きました。そしてアブラハムはベエル・シェバに住みました。
これらの事の後、ある人がアブラハムに告げて言いました。「ミルカもまたあなたの兄弟ナホルに子どもを産みました。
長男はウツ、弟はブズ、それにアラムの父ケムエル、次にケセデ、ハゾ、ピルダシュ、イデラフ、ベトエルです。」
ベトエルの子はリベカであって、これら八人はミルカがアブラハムの兄弟ナホルに産んだのです。
レウマというナホルのそばめもまたテバフ、ガハム、タハシュ、マアカを産みました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今回もまた有名なお話です。
お話の流れは非常にシンプル。神が「息子を生け贄にしろ」と仰ったのでその通りにしようとしたアブラハムを、天使がすんでのところで止めるという話になります。
私が読んでる聖書(日本聖書刊行会出版  新改訳 中型聖書 第3版)で「全焼のいけにえ」と書かれている部分は、他の版では「燔祭」となっていました。燔祭というのは「神さまに動物を焼いて捧げる儀式」を指します。
「イサクの燔祭」というと旧約ではノアの方舟、バベルの塔と同じくらい有名ではないでしょうか。

十五章で調べましたが、《全焼のいけにえ》とは神さまに「完全な献身と服従」を示すために行われる儀式です。
生け贄は本来人間を切り裂いて火をつけるところを、動物に代わってもらっています。
男性社会・家族単位で民を扱う古代イスラエルの慣習に倣い、捧げる動物は本来「若い雄牛」「雄の子羊」「雄山羊」「鳥(「山鳩」か「家鳩の雛」)」に限られます。
しかし、今回は神さまが「息子のイサクを捧げよ」と指定してきました。
普通に考えて外道な要求です。言うとおりにしちゃうアブラハムも相当サイコパスです。

一応、信者の方々が伝統的に解釈している動機としては、

①アブラハムの信仰心・精神の強さを試すため
②場所指定された「モリヤの山」の神聖性を示すため
③イスラエル人から人身御供の習慣を無くすため

などがあるそうです。
①はまあ分かりやすいとして、②「モリヤの山の神聖性を示す」は、完全に神さま側の都合だと思うのですが。
ちなみに「モリヤ」はヘブライ語で「ヤフア(ヤハウェ)が見る」という意味だそう。
今のエルサレム付近にあったとか、ユダヤ教の伝承ですと現イスラエルの「神殿の丘」だとか、色々言われています。
アブラハムたちはベエル・シェバから3日歩いてたどり着きましたが、ベエル・シェバから神殿の丘でGoogleマップで見てみると現在は道路も電車もあって約1時間半~2時間半で行けるようです。文明の力すごい。
③の人身御供はこの時代の他の宗教(カナン地方ではモレクやバアル信仰)ではごく一般的に行われていたものです。これらの宗教からの差別化を図ろうとしたのでしょうか?
歴史的事件の記載ではなく、聖書の編纂が始まってからも残っていた遊牧民時代の生け贄のしきたりを廃止させるために、後から挿入した物語という説もあります。個人的にはそっちの方がしっくりきますね。

生け贄に息子を要求されたアブラハムの葛藤は想像するしかありませんが、これまでの彼の性格を考えますと恐らく行動に移すのに時間はかからなかったでしょう。どんなに大事な物だろうと、人だろうと、神さまのためなら捨てられるのがアブラハムというキャラクターです。そもそも一番最初に、アブラハムは自分の年老いたお父さんをハランの町に置いてきぼりにしてきています。ちなみにこの時点で父テラは170歳で、まだハランの町でご存命です。

恐らくアブラハムの家に仕える召し使いであろう若者ふたりを従えてモリヤの山にやってきたアブラハムですが、麓まできたところで若者たちを置き去りにして、イサクと二人きりで山を登ります。
イサクの年齢も諸説ありますが、いくつになっていようが自分を殺すつもりでいる父親と一緒に歩くなんて怖すぎます。なんとなく感づいているのか、
「生け贄の羊はどこにいるの?」
と鎌をかけているあたり、ホラー映画にでも出てきそうなシチュエーションです。
あとの展開は本文の通りで、結果的にイサクは死なずに済みました。アブラハムは目にいれても痛くないほど可愛がっていた息子すら手にかける(寸前まで行った)ことで、神さまへの忠誠を示したというオチです。信者でない私は恐怖しか感じませんが、アブラハムはきっと模範的な信徒の行動を取ったんでしょう。
イサクの代わりに生け贄用として雄羊が用意されていたことから、アブラハムはその山のてっぺんを『アドナイ・エレ(神は見ておられる、主はいらっしゃる)』と名付け、人々は「主の山には備えあり」と言い伝えたということです。
どういう意味かなと調べたところ、《人が本気で神に仕え従うなら、神は必ず備えをしてくださる。》ということだそうな。

さて、無事に儀式を終えたアブラハム。そこにイサク殺害を阻止した天使が再び神さまの伝言を伝えます。曰く、
『あなたを大いに祝福し、子孫を星や浜辺の砂くらい増やしてあげて、諸々の国民があなたの子孫から祝福を得られるようにしてあげる』
とのことです。
この契約内容、事あるごとに神さまが引き合いに出しますけれども、いまだに実行されてなかったんですね…。聖書自体が「神との契約書のまとめ」なので仕方ないことですが、契約が多すぎてごっちゃになってきました。なのでちょっとまとめてみましょう。

○12章
【条件】
指し示す土地へ行く
【報酬】
アブラム(アブラハム)を大いなる国民にする

○15章
【条件】
三歳の雌牛と、三歳の雌山羊と、三歳の雄羊と、山鳩とその雛を捧げる
【報酬】
アブラハムの子孫を星の数ほどにする

○17章
【条件】
一族全員割礼をする
息子が生まれたらイサクと名付ける
【報酬】
カナンの土地を与える
アブラムの子孫を増やす

途中でソドムとゴモラの話やらハガルの話やらを挟んでおりましたので随分前のことのように感じますが、件の契約が登場したのは15章の儀式でした。
あの成功したんだか失敗したんだか良く分からん儀式ですね。今回改めて儀式を行ったところをみると、やっぱりあの時は失敗だったんでしょうか。
とりあえず、今回でようやく『子孫を星の数ほど増やす』という神さまの契約は施行されることになったようです。儀式を終えたアブラハムたちは、ベエル・シェバへ帰っていきました。

さて、《イサクの燔祭》の話はこれで終わりなのですが、まだ章には続きがあります。この儀式のあと、(どれくらい後かは知りませんけど)とある人物がアブラハムに、身内の近況を伝えてくれたそうです。
それによりますと、ハランの街に残ったアブラハムの兄弟ナホルとその妻ミルカの間にも子供ができ、それだけでなく妾ルマとの間にも子供が生まれた、とのことです。
ミルカの子供たちは

①ウヅ(「光」の意)
②ブズ
③ケムエル(「援助者、神の集会、神を見る者」の意)
④ケセデ
⑤ハゾ
⑥ピルダシ
⑦エデラフ
⑧ベトエル(「神の家」の意)

の八人。
長男のウヅはウツと表記している版もありますが、アラム人の部族に与えられた名前らしいです。そういえば10章でノアの一族について調べたとき、ノアの曾孫にあたる人物として「ウツ」の名前がありました。
セムの息子アラムの、そのまた息子です。そのときは

アラム=アラム人(シリア/紀元前11世紀頃までに移住)
ウツ=アラム人の一部・古代エドム王国(現パレスチナ/紀元前1200年頃~紀元前6世紀)

と出てきました。
今回も民族そのものの擬人化表現なのか、はたまた民族の名前を付けたのかはわかりません。

次男のブズは、よくわからんかった。

三男ケムエルにはわざわざ「アラムの父」と形容詞が付けられています。また出てきました「アラム」。もしかしてよくある名前だったとか?民族名を子供に付けるのがトレンドだったとか?とにかくケムエルにはアラムという名前の息子がいた、ということです。
ちなみにケムエルという名前ですが、同じ名前の天使がいるそうです。シャムエル、カマエル、イゼホエル、セラフィエルとも呼ばれるそうですが、セラフィム(熾天使)の指揮官のひとりであり、1万2000人の天使を従えている破壊の天使と言われています。
ケムエルという名前が天使に昇格したのか、それともケムエルという天使の名前を付けたのかはわかりません。もしかしたら他の天使のように、信仰を広げるために当時信じられていた地方神、ないしとある地方神を信じる部族を吸収し、更にアダムの血族に加えたのかもしれません。

宗教を強固なものにするために、当時信じられていた他の神話の神を取り込んだり、敵にしたりするのはよくあることです。
ギリシャ神話でゼウスがあんなに浮気性なのも男女問わずイケるのも、地方神の神や女神をギリシャ神話の系譜に加えるためです。元々ゼウスは、バルカン半島北方からやってきたインド・ヨーロッパ語族の征服者たちが信仰していた天空神でした。
Dyēu-pəter (ディェーウ=パテル)、《父なるディェーウス〔天空神〕》という名前で、気象現象、とくに雷を司る神だったそうです。
ゼウスの他にも、ローマのユーピテル(古ラテン語の呼格 Jon と pater 「父」の合成語)、インド神話のディヤウス、北欧神話のテュール、そしてラテン諸語で『神』を表す普通名詞 Deus の語源となりました。
その正妻ヘラは、元来アルゴス、ミュケーナイ、スパルタなどのペロポネーソス半島一帯で篤く信仰されていた地母神です。ヘラを信仰していたアカイア人たちと征服者たちが和解し、融合したのがゼウスとヘラの結婚というわけです。夫婦仲があんまり良くないのは、両者の崇拝者が敵対関係にあった名残だとも言われています。
またギリシャ神話の場合、
「うちの地方の女神もゼウスと関係をもったよ!それで生まれたのがうちの王様の祖先だよ!」
と自分たちで主張しているところもあります。自分たちが強い神さまの血筋であってほしいという古代ギリシャ人たちの願望から、ゼウスの浮気癖が生まれてしまったんですね。
一方、旧約聖書に描かれる宗教は一神教という性質上、他の神の存在を認めるわけにはいきません。なので敵として淘汰するか、神側の下級天使に落としこむしかないわけです。

話がだいぶ長くなりました。先へ進みます。

続くケセデ、ハゾ、ピルダシ、エデラフについてはさっぱりわかりませんでした。

末っ子のベトエルは「神の家」という意味を持ちます。やはりアラム人とのことです。
そして彼の子供として生まれるのが「リベカ」という娘です。リベカについては本人が登場してから掘り下げようと思いますが、彼女こそ後にアブラハムの息子イサクの妻になる女性です。いとこ同士で結婚したというわけです。
そもそもこの二人は異母兄妹(アブラハムとサラ)と伯父姪(ナホルとミルカ)という関係の間に生まれた人物です。エジプトファラオやスペイン・ハプスブルク家みたいな近親結婚ですね。相当血が濃くなってます。

一方、ナホルには側室もおりました。ルマという名前の女性です。私の手持ちの版ではルマでしたが、レウマと表記する版もあるようです。
彼女は

テバ(テバハ)
ガハム
タハシ(タハシュ)
マアカ(マアハ)

の4人を生みました。
ルマ及びレウマという人物についてはネットで調べても何も出てこなかったのですが、ルマという名前の地名は出てきました。関係ないかもしれませんが、一応記載しておきましょう。

列王記に出てくるルマ(Rumah)という町で正確な場所は不明ですが、似た名前のキルベト・エ・ルメ(ホルバト・ルマ)だとされているそうです。(ナザレから北10kmくらい、シェケムから東南8kmくらい)
士師記に出てくるアルマ(Arumah)という町と同一ではないかという説もあるそうです。
ナホルの住んでいるハラン(現在のトルコ南東部のシャンルウルファ県)からは徒歩で6、7日ほどかかる距離、アブラハムの住んでいるベエル・シェバとは徒歩2日くらいの距離です。

ルマ(Rumah)もアルマ(Arumah)も「高み、高められた所」という意味だそうです。レウマ(Reumah)と綴りも似てますし、彼女が名前の元になった可能性もあるのではないでしょうか。あるいはこの地域出身の女性だったとか。
他にもセルビアのルマという町もありましたが、めちゃくちゃ遠いので多分関係ないでしょう。

彼女の息子は4人ですが、そのうち二人が一国(村?)の長になった可能性があります。

テバ(テバハ)にちなんで名付けられた説があるのは、サムエル記にある「ベタハ(Betah)」という町。訳によっては「テバハ」と呼ばれていて、ナホルの息子のテバハにちなんで付けられた説があります。
歴代誌には「ティブハト(Tibhath)」と記載されているそうです。綴り的にはこっちの方が近いですね。
ティブハトは「殺戮」という意味があるそうで、そうだとしたらまぁ物騒な名前を付けたもんです。
この町がどこにあったのかは分かっていませんが、ダマスカスの北にあったアラム人の国ツォバの一部だと仮定してレバノン山脈とアンチ・レバノン山脈の間の谷にあったのではないかと考える人もいるようです。

ガハムとタハシはよく分からないので飛ばして、マアカ(マアハ)に移ります。
マアカという名前は以後も出てくる人物名ですが、女性の名前が多いです。(もちろん男性もいます)男女どちらにつけても違和感がないお名前なんでしょう。「絞り出す」という意味の言葉が由来と考えられているそうです。
マアカという国は、テバハと同じくサムエル記に出てきます。ただしテバハと違って場所のヒントになる記述がなんにもありません。とりあえずマアカという国があって、王さまがいたということは書いてありました。ただし、そんなに大きな国ではなかったと思われます。サムエル記のお話でアンモン人に兵を要請された際、他の町が1万人以上人を送ったのに対しマアカは1000人で、更に王が直々に出陣したからです。

Maacahという綴りを見ていると、イスラム教のメッカ(Makkah)に似てるなぁと思ったりしたんですが考えすぎですね。

とりあえず、22章の本文はここで終わります。ずいぶん前にアブラハムが袂を分かった兄弟の近況報告を、何でわざわざ後半に入れたのか。こうしてみると納得です。アブラハムの兄弟の子孫がアラム人になったと言いたいわけです。

では続きはまた次回ということで。

本日の曲はイーゴリ・ストラヴィンスキー作曲、バリトンと室内オーケストラのための宗教的バラード《アブラハムとイサク》です。

https://youtu.be/jfDsVi1RM5Y

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2021/02/28 (Sun)
※キリスト教徒でもユダヤ教徒でもイスラム教徒でもプロの考古学者でもないただの一般日本人(無宗教者)が、聖書を読んで楽しんでいるだけです。
気になったことは本を読んだりネットで情報を拾ったりしていますが、あくまで一般人が手に入れられる範囲です。
多大なる妄想を含んでいます。本気にしないでください。


○第二十一章

主は、約束されたとおりサラを顧みて、仰せられたとおりになさいました。
サラはみごもり、神がアブラハムに言われた時期に、年老いたアブラハムに男の子を産みました。
アブラハムは、自分に生まれた子、サラが自分に産んだ子をイサクと名付けました。
そしてアブラハムは、神が彼に命じたとおり、八日目にイサクに割礼を施しました。
アブラハムは、イサクが生まれたとき百歳でした。
サラは言いました。「神は私を笑われました。聞く者は皆、私に向かって笑うでしょう。」
「だれがアブラハムに『サラが子どもに乳を飲ませる』と告げたでしょう。ところが私は、あの年寄りに子を産みました。」
その子は育って乳離れしました。アブラハムはイサクの乳離れの日に、盛大な宴会を催しました。
そのときサラは、エジプト女のハガルがアブラハムに産んだ子が、自分の子イサクをからかっているのを見ました。
それでアブラハムに言いました。「このはしためを、その子と一緒に追い出してください。このはしための子は、私の子イサクと一緒に跡取りになるべきではありません。」
このことは、自分の子に関することなのでアブラハムは非常に悩みました。
すると神はアブラハムに仰せられました。「その少年とあなたのはしためのことで、悩んではならない。サラがあなたに言うことはみな、言うとおりに聞き入れなさい。イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるからだ。
しかしはしための子も、わたしは一つの国民としよう。彼もあなたの子だから。」
翌朝早く、アブラハムはパンと水の皮袋をハガルに与え、それを彼女の肩に載せて、その子と共に彼女を送り出しました。それで彼女はベエル・シェバの荒野をさまよい歩きました。
皮袋の水が尽きたとき、彼女はその子を一本の灌木の下に投げ出し、自分は矢の届くほど離れた向こうに行って座りました。彼女が「子どもの死ぬのを見たくない」と思ったからです。そして彼女は声をあげて泣きました。
神は少年の声を聞かれ、神の使いは天からハガルを呼んで言いました。
「ハガルよ、どうしたのです。恐れてはいけません。神があそこにいる少年の声を聞かれたからです。行ってあの少年を起こし、彼を力づけなさい。わたしはあの子を大いなる国民とするからです。」
神がハガルの目を開かれたので、彼女は井戸を見つけました。それで行って皮袋に水を満たし、少年に飲ませました。
神が少年と共におられたので、彼は成長し、荒野に住んで、弓を射る者となりました。
こうして彼はパランの荒野に住みつきました。彼の母はエジプトの国から彼のために妻を迎えました。
その頃、アビメレクとその将軍ピコルがアブラハムに言いました。
「あなたが何をしても、神はあなたと共におられます。
それで今、ここで神によって私に誓ってください。私も、私の親類縁者たちも裏切らないと。そして私があなたに尽くした真実にふさわしく、あなたは私にも、あなたが滞在しているこの土地にも真実を尽くしてください。」
するとアブラハムは「私は誓います。」と言いました。
また、アブラハムはアビメレクのしもべどもが奪い取った井戸のことでアビメレクに抗議しました。
アビメレクは答えました。
「誰がそのようなことをしたのか知りませんでした。それにあなたもまた、私に告げなかったし、私もまた今日まで聞いたことがなかったのです。」
そこでアブラハムは羊と牛を取って、アビメレクに与え、ふたりは契約を結びました。アブラハムは羊の群れから、七頭の雌の子羊をより分けました。
するとアビメレクは「今あなたがより分けたこの七頭の雌の子羊は、いったいどういうわけですか」とアブラハムに尋ねました。
アブラハムは「私がこの井戸を掘ったという証拠となるために、七頭の雌の子羊を私の手から受け取ってください」と答えました。
それゆえ、その場所はベエル・シェバと呼ばれました。その所で彼らふたりが誓ったからです。
彼らがベエル・シェバで契約を結んでから、アビメレクとその将軍ピコルとは立って、ペリシテ人の地に帰りました。
アブラハムはベエル・シェバに一本の柳の木を植え、その所で永遠の神、主の御名によって祈りました。
アブラハムは長い間ペリシテ人の地に滞在しました。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

前章でゲネブ地方のゲラルに定住を許されてから、少し時間が経ちました。
18章で神本人がわざわざ告知しにきたとおり、サラはアブラハムの子供を出産しました。子供は予言通り男の子で、アブラハムは17章で神に指定されたとおりに「イサク(彼は笑う)」という名前を付け、生後8日目に割礼を施します。
…ここの原文ですが、アブラハムの年寄りアピールが半端無いですね。『100歳の老人に子どもが出来たよ!これぞ神の御技だ!』と言いたいのかもしれません。
書き出しの「サラを顧みて」という一文は、直訳すると「訪れる」という意味だそうです。日本でも「幸運が訪れますように」とか言いますね。
このお話の民たちにとっては「幸せなこと」=「主の訪れ」なのでしょう。

念願叶って族長の子どもを、それも妾の子ではなく自分の子どもを持つことが出来たサラは有頂天です。めっちゃはしゃいで口走ったセリフですが、些か意味が分かりにくいですね…。
原文は
「神は私を笑われました。聞く者は皆、私に向かって笑うでしょう。」
「だれがアブラハムに『サラが子どもに乳を飲ませる』と告げたでしょう。ところが私は、あの年寄りに子を産みました。」
となります。
「神は私を笑われました」の一文、これだけ見ると18章でサラが主の予言に対し自嘲して笑ったことが記憶に新しいので「笑ったのは神じゃなくてサラでしょ」と思うところです。
ただ、他の版では
・「神はわたしを笑わせてくださった」(口語訳)
・「神はわたしに笑いをお与えになった」(共同訳)
という表現になっているそうで、その訳を踏まえると解釈が変わってきます。

「神さまが私を笑わせる出来事をもたらしてくださいました。これを聞いたら皆さんも思わず笑ってしまうことでしょう。
私みたいな年寄りが子供に乳を飲ませるなんて、だれが予想したでしょうか。それなのに私は本当に子供を産みました。しかも私よりも年寄りであるアブラハムの子供をです。」

こんな意味ですかね?
異例の高齢出産という気恥ずかしさからの照れ笑いもあるかもしれませんが、主に喜び・優越感が強く感じられます。

さて、待望の正妻の子・イサクが生まれてからしばらく経ちました。人間のお子様は大体平均で1~2歳が乳離れの時期らしいので、それくらいでしょうか。
乳離れの日、アブラハムはイサクのためにパーティーを開きます。日本で言う、お食い初めみたいなものですかね?裕福とは言い難いアブラハムが「盛大な」宴会を催すとは、よほど息子が可愛いのでしょう。

ちなみに現在キリスト教には、似たような風習で赤ちゃんに銀のスプーンを贈るというものがあるそうですが、これはヨーロッパの古い風習(当時の主食が粥やスープな為、食べ物に困らないように)が由来なようですのでアブラハムは関係ありませんね。
盛大な宴会が行われているさなか、サラは息子のイサクが子供にからかわれているのを目撃します。
その子供は「エジプト女のハガルがアブラハムに産んだ子」「あの子」「少年」とこの章では表記されていて個人名が出てきませんが、イシュマエルのことです。
16章でアブラハム86歳のときに生まれた子で、17章で新たな契約により割礼を施されたのが13歳ですからイサクが生まれたときは14歳、更に1~2年経って乳離れのお祝い中なので少なくとも15歳は超えているはずです。
中学生、高校生にもなるお兄ちゃんが赤ん坊からかうってどうなの…とも思いますが、唐突に出来た腹違いの弟の存在は思春期の男子には複雑だったのかもしれません。

メソポタミアの法律上、イシュマエルの母親は実母ハガルの主人であるサラです。しかしイサクを弄っているイシュマエルを目撃したサラの
「この女(ハガル)とその子供を追い出してほしい」
という発言からして、イシュマエルを自分の子供と思っていないことは明らかです。
寧ろ自分の子供が出来たのだから、跡取り問題の邪魔になると考えました。
いやー、相変わらず性格悪いっすね!昼ドラのテンプレ的展開です。いや寧ろこっちが元祖なのでしょうか?

文面が非常にシンプルなため、あれこれ想像ができますから一概にどちらが悪いとは言えないのがまた面白いところです。
どちらかに片寄って映像化することも容易いでしょう。
サラ側に立ってみたら
「長年不妊に悩み、そのことで家臣たちからは陰口を叩かれ、自分の奴隷である筈のハガルには妻としてマウントを取られた。母親との関係が最悪なのでその子供であるイシュマエルも心から可愛がることは出来ず、結果懐かれなかった。
でもやっと自分の子供が生まれ、幸せの絶頂にいる。さて今日は息子の晴れの日で、家臣や周辺住人を集めてのパーティー。そんな中で養子が実子をバカにして恥をかかせていた。許せん。今までの私の苦しみもみんなこいつらのせいなのに、イサクにまで害を与えるつもりなのか?もう一緒に暮らしていくのは無理だ。」
という心持ちでしょうか。ハガルと夫をくっつけてイシュマエルを生ませたのは他ならぬ自分であることは棚にあげています。

イシュマエルにしてみたら、
「法律上の母親には愛されず、実母と義母の折り合いも悪い。父親は可愛がってくれるけど、いつも守ってくれるわけじゃない。そんな家庭環境で育ってきて、いきなり正妻の実母に実子ができた。父親も弟ばかり構っている。俺はもう用済みってわけ?」
という心理だと思うので、嫌味のひとつも言いたくなりそうなものです。

さて、サラに「あいつら追い出して」と頼まれたアブラハム。一応イシュマエルも実の息子として可愛がっていたため、非常に困ったことになりました。
この話の舞台は中東の荒れ地です。つまり、集落から人間を追い出すということはそのまま死を意味します。サラはハガルとイシュマエルを殺してほしいと言ったようなものです。
個人的には、ここで悩んでくれたからアブラハムはまだ人間的に救いがあるなと思っています。

すると神の声がアブラハムにこう言いました。
「つべこべ悩まずにサラの言う通りにしなさい。イサクが君の正式な子孫なんですから。でもまあ、あの妾の子も別の国の民族にしてあげるから安心してよ。あの子も君の子供だからね。」
それを聞いたアブラハムは、神さまが守ってくれるんなら安心だ、それじゃあ神さまにお任せしましょう、と二人を追い出すことに決めてしまいました。
良くも悪くも、神さまの言うことには素直なのがアブラハムというキャラクターです。

翌朝、早朝からたたき起こされたハガルは、パンと水を入れた皮袋を持たされ、イシュマエルを連れて集落を追い出されました。
ハガルとイシュマエル親子は、あてもなく「ベエル・シェバの荒地」をさまよい歩きます。
ベエル・シェバは今でこそ総面13,000km²の砂漠のうち約9%、117.5km²の面積を占めるゲネブ砂漠最大の都市ですが、当然このとき街はありません。
そして、この章の話が元でここは「ベエル・シェバ」という名前が付きましたよという後の文章から、まだこのときはベエル・シェバという名前ですらなかったと思われます。
アブラハムたちが住んでいた「カデシュとシュルの間」が正確にはどこだかわかりませんが、カデシュがレバノンの北、シリアの西側にあることを考えますと結構な距離をさまよい歩いたのではないでしょうか。

ハガルが持たされた水とパンですが、当然彼女自身が持って運べる量しか持つことはできません。
食糧と水が尽きる前に他の集落を見つけて助けてもらうか、キャラバンに拾ってもらわない限り、親子が生きる望みは絶たれることになります。

余談になりますが、当時の皮袋がどんなものか少々調べてみました。
紀元前3000年くらいの中東で使われていた水筒は、最初は元々袋状である胃袋や膀胱で作られたものだったそうですが、供給が追い付かないので段々革製が普及してきたそうです。

一般的な作り方は、
①屠った動物の頭と足を切り落とす
②腹部を切り開かないように内臓を抜き出す
③皮をよくなめし、口となる1箇所(首か脚)以外の開口部を全て縫い合わせる

といった流れになります。
使うときは口の部分に栓や紐で蓋をします。
こうして作られた皮袋には水の他にも乳、バター、チーズ、酒、油などあらゆる物が入れられました。
皮袋となる動物の皮には色々種類がありますが、重宝されたのはヤギ皮だったそうです。薄くて軽いだけでなく、キメが細かく繊維の間から水分が気化するため保冷効果があるのだとか。

古代エジプトには雪花石膏や象牙や金銀など、古代アッシリアにはガラス、中東地域では土器の瓶が既に存在しましたが、庶民の間で広く使われたのは皮革製品の入れ物でした。軍事目的で革製品の需要が高まっていた都市部には、すでに鞣し技術は浸透していたようです。初期シュメールやエジプトで栄えた皮革加工技術は古代ギリシャ、そしてローマ帝国へ伝わっていきました。

今でも皮製の水筒は世界各地で使われておりますが、しかしながらハガルが持たされたものはおそらく現代の革製品のような質の良いものでは決して無かったでしょう。
現代の革は主にタンニンエキスとクロムなどの金属を混合して鞣す方法が主になっているそうですが、紀元前3000年頃はやっと「どうやら樹液に浸けると皮が柔らかくなるっぽい」と分かった段階なのです。これがタンニンの効果だと分かるには18世紀まで待たなくてはなりません。
古代の人々は、とりあえず原理は分かりませんが樹液と捌いたばかりの動物の皮を一緒に浸けておいて固くなるのを防いでいたわけです。
ではそれより前はどうしていたかと言うと、油を塗り込んで鞣していました。その更に前は炉端で燻して、更に前は叩いたり揉んだり噛んだり舐めたりして、人間は動物の皮を加工してきました。
鞣し加工が十分でないと、中にいれた水に不快な味が付きます。具体的に言うと腐った動物の肉の味がします。

参考:
https://tsuchiya-kaban.jp/blogs/library/20200611

https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1200000796

https://www.aqua-sphere.net/literacy/k/k02.html#:~:text=%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%81%AF%E3%80%81%E6%B0%B4%E3%81%A8%E7%9D%A1%E7%9C%A0,%E3%81%AA%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%80%81%E4%BD%93%E6%B8%A9%E3%81%8C%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%A9%E3%82%93%E4%B8%8A%E3%81%8C%E3%82%8B%E3%80%82



物を運ぶ入れ物の精度が上がらなくては、流通はままなりません。水が貴重な存在な地域であることを考えますと、水場の近くに集落を構えることがいかに重要か、そして集落を追い出されるということがどれ程絶望的なことかが分かります。

現在販売されている皮革製品の水筒をAmazonで見てみましたら、1L入るもので大体の大きさが
縦30 × 横25 × 厚さ3cm前後
でした。
最もよく使われたというヤギの皮で仮定しますと、ヤギの大きさは種類によってだいぶ違いますが体長が1~1.5mなので最大でも縦1mくらいの大きさの水筒になります。
鞣す過程での縮みや、縫い合わせる際に形を整えることを考えたらもっと小さくなると思います。つまりハガルが持っていけた水は最大でも約3Lですかね。ざっくりした予想で申し訳ないですが、それでもこれくらいの量の水と幾ばくかのパン(それもこの時代のふすま入りパサパサのやつ)だけで放り出されたハガルとイシュマエルがどんな心境になるかは想像に難くありません。

ハガル親子がどれくらいの期間砂漠をさ迷ったか表記はありませんが、成長期の子供がいて水も食料もそうそう長くはもたなかったでしょう。人間は食べ物がなくても2~3週間は生きていられますが、水と睡眠が無かったら4~5日で死んでしまいます。
体内の水分が不足してくると脱水症状を起こします。体温を調節する汗が出なくなって体温が上がり、尿によって老廃物を体外に出せなくなり臓器障害が起こって死に至るのです。体内の水分の20%、体重50kgだったら10Lの水が失われたらもうアウトということです。
人間は普通に生活していても、一日の水分排出量と同じだけの約2.5Lの水が必要です。食べ物からもある程度取れたりはしますが、パンしか持ってないこの親子の状況ではそれは望めないと思われます。
二人分で3Lでは、1日分の水にもなりません。大事に大事に、なめるように飲んでもきっと3日ももたなかったでしょう。

水がついに尽きたとき、ハガルが取った行動は『子供の死を直視できないので子供を置いていく』というものでした。
イシュマエルを灌木(2~3m以下の低木)の下に投げ出し、「矢の届くほど離れた向こう」まで距離を取って座り込みます。

話が脱線しまくりですが、「矢の届くほど」とはどれくらいの距離でしょう?

弓の歴史は古く、元々は投げ槍や投げ矢を使っていたところから発展しまして、数万年前から世界各地で使われていたそうです。
地域によってはあんまり根付かなかったところもあるようですが(ケルトや中央アメリカなど)、バビロニアやエジプトやギリシアやローマ帝国は戦によく弓を用いました。(エジプトはヒクソスから技術を取り入れたらしい)
よく使うものは改良されていくもので、メソポタミアでは既に複数の材料を張り合わせた「複合弓」が使われていました。木製の弓幹に動物素材を貼って強化を施すのです。こうすると単一の材料のみで作られた「単弓」よりも小型で高威力を出せる為、馬上や馬車からも撃てます。
短所としては作成に時間がかかることと素材の接着に使う膠(にかわ)が湿度に弱いことですが、乾燥地帯に住んでいたメソポタミア人やエジプト人には無問題です。

ちなみにアラブでは、ヤギの角と腱で強化された弓は精鋭や水のそばに住んでいる人間のみが使用することになっているそうです。なんでそういう決まりになっているかは不明だそうで、Wikipediaには「接着剤が乾燥に弱いからではないか」という研究者さんの説が載ってました。

…いや、さっき膠は湿度に弱いって書いてたやんけ( ゚д゚)

そこで自分を納得させるために考えた結果、「膠職人さんが水場に住んでるからじゃないか」と思いました。
複合弓を作るために使う接着剤、膠(にかわ)というのは所謂ゼラチンです。動物の皮や骨を水で煮てコラーゲンを抽出し、ろ過して精製・濃縮して作ります。つまりお水がたくさん無いと作れません。
必然的に膠職人さんは水のあるところに住まないといけませんし、その膠を使う弓職人さんも近所に住んでないと仕入れがスムーズにできません。
そしてハガルの件で、この地域の水がとてつもなく貴重なことは先程わかりました。
結果的に水場に住んでいる人しか複合弓は作れず、そうして作られた貴重な弓は一部の選りすぐり戦士と製作者しか持てないということになります。

さて、そうして作られた複合弓、果たしてどれくらいの距離を飛ばすことができるのでしょうか。
さすがにこの時代の弓の飛距離は分かりませんでしたが、ユーラシア大陸中央部の騎馬遊牧民たち(スキタイ人とか)が改良したトルコ弓の最大飛距離は
実用矢→400m
遠矢用→600m
だったそうです。

日本で古来から使われている和弓ですと
実用矢→200m
遠矢用→400m
この辺りが最大飛距離のようです。
もちろん動かない的をねらった飛距離なので実際に戦闘で使うとなると変わってくると思いますが、「弓矢の届く範囲」くらいの距離と言われたら600~200mくらい、というところでしょうか。
メソポタミア時代の弓なのでもっと距離が短い可能性もありますが、とりあえずイシュマエルの姿が見えないくらい距離を取った、という表現でしょう。

それくらい離れてから、ハガルは座り込んで泣き叫びました。
ぶっちゃけハガルはアブラハムに…というかサラに巻き込まれてとばっちりを喰った、ごく一般的な人間です。人並みに弱いし、人並みに欲もあります。だからアブラハムの妾になれるチャンスにもホイホイ乗ったんだろうなと思いますし。
そんな彼女がいきなりこんな試練に放り出されても、歴代の預言者たちのように毅然と振る舞えなくて当然と言えます。

そこで行動を起こしたのはイシュマエルでした。明記はされてませんが、神さまに助けを求めたのでしょう。「イシュマエル(主は聞き入れる)」という名前通りの働きです。

泣いているハガルの元に『少年の声』を聞いた神によって遣わされた「神の使い」がやってきます。
「神の使い」は水やら食料をくれたわけではなく、ハガルを励まして消えました。(爆)
13年前、イシュマエルを身籠ったハガルがベエル・ラハイ・ロイで出会った御使いもそうでしたが、基本的には彼らは応援するだけです。試練に打ち勝つのは信徒の個々の強さに委ねられます。

しかしハガルは神によって「目を開かれ」、そのおかげで井戸を見つけた、とあります。
あくまで想像ですが、ハガルに一番必要だったのは味方の存在ではないでしょうか。
イシュマエルを身籠ってから今に至るまで散々いじめられてきた彼女でしたが、一度目はベエル・ラハイ・ロイで、そして二度目は今、御使いの声を聞きました。
それは彼女にとっては救いになったことでしょう。
ひとりでも味方がいる、というのは心の余裕をもたらします。心の余裕ができると、視野が広がります。ハガルはそれまで必死過ぎて、近くにあった井戸に気付かなかったというわけです。
なんだか、いじめ対策や自殺対策の電話相談のようですが…
しかし、恐らくこの宗教が現代まで続いてきたのは、この部分が多くの人に響いたからではないでしょうか。人間社会が複雑になったからこそ生まれた問題かもしれません。

さて、無事皮袋に水を入れることができたハガルは、イシュマエル共々生き延びることができました。イシュマエルは神のご加護もあってすくすく育ち、「野ろばのような」人になるだろうという予言のとおり、たくましい弓使いに成長します。

このイシュマエルの子孫がのちのアラブ人ということになっているそうで、ユダヤ教とイスラム教の分岐はここからと言っても良いかもしれません。
先程調べた弓の歴史で、強力な弓を使うアラブ人は水場に住んでいたとありました。強い弓を作ることができたのも、ハガルが見つけた井戸のおかげでしょうか。

力を付けたイシュマエルは、パランの荒野という所に住み着きます。
パランという町は現在のイスラエル南部、ヨルダンとの国境に程近いところにあります。農業が主な収入源の、人口500人ほどの集落です。1971年にできた新しい町で、聖書の話から名付けられたそうです。
そこから約30km南西にいったところに、キパット・パランという山があります。ゲネヴ砂漠からは75km南下したところです。
海抜265mの、山というよりは丘に近い地形です。このあたりは植物のほとんど生えない砂漠地域ですが、住んでいる人はちらほらいるようです。この砂漠地帯はエジプトのシナイ半島まで広がっています。
おそらく、親子が住んでいたのはこの砂漠でしょう。インターネットで写真を見るだけでも、厳しい土地なんだろうと解ります。

その後、ハガルは自分の故郷であるエジプトから、息子の妻として女性を連れてきました。つまり聖書を信じるとしたら、イスラム教の祖先の血筋はヘブル人とエジプト人のクォーターということになりますね。
とりあえず、この章でのハガル親子のお話はここでおしまいです。
以降はまたアブラハムの話に移ります。

ハガル親子が大変な思いをしている一方その頃、アブラハムは現在住んでいるゲラル(カナンの南側)の王様アビメレクと、その将軍ピコルに謁見中でした。
ピコルさんは新顔ですね。まあ特に何かするわけでもなくアビメレクの側に付いているだけで、聖書でもここにしか出てこないみたいですが…。
彼らはアブラハムに物申したいことがあって、アブラハムを召集したようです。
曰く、
「あなたが何をしても(良くないことでも)、あなたには神が味方についている。
だから、この土地に住む私たち全員を裏切るようなことは絶対しないと神に誓ってくれ。」
アビメレクたちにしてみたら、行きずりの遊牧民の女を側室にしようとしたらいきなり一族全員呪われてしまったわけですので、アブラハムに付いている神さまは脅威です。今は特別待遇で機嫌をとっていますが、危険な人物であることには変わりないでしょう。なのでアブラハムを無力化したかったのでは無いでしょうか。
「神に誓ってください」と頼みつつも、将軍を控えさせているあたりにアビメレク王の警戒心が伺えます。
アブラハムはこれに関してはおとなしく了承しましたが、彼の方にも物申したいことがありましたのでここぞとばかりに抗議しました。
「それはそうと、あなたのしもべが私の井戸を奪い取ったんですけど?」

先程のハガルの話にもあったように、この厳しい土地で水は何よりも貴重なものです。水源の確保は生活のために必須です。
しかし「どこに住んでもいい」とは言われたとは言え、この土地はアビメレク王の領地です。法が整った国で、一民間人が勝手に水道を引くのは、一般的には違反行為です。この時代のこの地域では民法がどうなっていたかは分かりませんが、アビメレクの部下はただ規定通りの仕事をしただけという可能性もあります。所謂、お役所仕事というやつです。
それに対しアビメレクは
「誰がそんなことしたのか知らなかった。あなたも言ってこなかったし、わたしも聞いてなかった。」
と答えます。非常に政治家らしいお答えですね。数千年経っても為政者の弁明は変わらないことに驚きます。
これは妄想ですが、旅行者でありながら領地に定住する許可を得ているアブラハム一族の存在自体がイレギュラーなため、そこで起こったトラブルの解決法が当て嵌められず困ってしまったのではないでしょうか。

そこでアブラハムは、例のごとく自分のやり方に寄せることにしました。アブラハムと神さまの間でやってる契約の方法で、アビメレクとも契約をしようということです。
アブラハムが羊と牛をアビメレクに渡すことで契約を結んだ、とあります。そのなかでも、アブラハムは羊の群れから雌の子羊を7頭選んで、手ずからアビメレクに渡そうとしました。
アブラハム式の契約方法など知らないアビメレクが「どういう意味これ」と訊ねると、アブラハムは「私がこの井戸を掘った証拠となるために、受け取ってください」と答えました。
初めて出てくる契約方法ですが、所有権を示すための代金としてかかる費用が神とアブラハムの間では「雌の子羊7頭」なのでしょうか。

数字にどういう意味があるのかは原典である聖書には全く記載がないのですが、その後の読者たちが考えたカバラ(神秘主義思想)の数秘術などで意味付けがされています。
カバラにおける『7』の数字は
『今あなたの進んでいる道は正しい』
『ものごとの真実を見つめようとする力』
『自己の内面の探求』
などの意味があるようです。象徴する色は紫で、「海底」の自然要素を持つとのことです。真実の証明としての数、と考えれば良いのでしょうか。
また『3』が神の世界、『4』が自然を意味しているので、この2つの数字を合わせた7は『完全』『完成』という意味にもなるそうです。

ちなみに前回アブラハムが神と交わしたの契約は、15章で『アブラハムの子孫が星の数ほど増える』という神の申し出に対して行ったものです。この際は
「三歳の雌牛と、三歳の雌山羊と、三歳の雄羊と、山鳩とその雛」
を使いました。
『3』の数字は
『三位一体』
『拡大、増加、繁栄、成長』
『子供、種子、新しい命』(1が男性、2が女性を表し、この2つから生まれるもの)
などの意味を持つそうです。象徴する色は黄色、性質は「風」だそうです。

数字も調べてみると色々面白いですね。

さて、そんなこんなでアブラハムは定住するのに必須な水源を得るためアビメレクと無事に契約を結びました。彼らが契約した場所は契約内容に基づき『ベエル・シェバ』と名付けられたとのことです。

ベエル(誓い/七つ)
シェバ(井戸)

という意味になります。後付け感はパネェですが、現代でも使われてる地名です。

契約が終わるとアビメレクとピコルは自分の土地に帰っていったとありますが、その帰った先が「ペリシテ人の土地」というのは新情報です。つまりアビメレクはペリシテ人の王だったということですね。
ペリシテ人について、10章のところで結構調べましたけど随分前なので改めてまとめましょう。

ノアの息子ハムの子、呪われたカナンの兄弟であるミツライムの子孫が聖書における『ペリシテ人』です。
エジプトの擬人化であるミツライムの7名の子孫のうち、カスルヒムとカフトルがペリシテ人の可能性がある、と以前調べて分かっています。
両名とも、紀元前12世紀のカタストロフの影響でのミノア文明の崩壊によりクレタ島などから移住してきたフィリスティア人を指すのではないかと予想しています。
紀元前12世紀というと、アブラハムが生きたとされる紀元前17世紀頃とだいぶ時代に開きがありますね。
実はこの時代にペリシテ人が存在したと記載している文献は、旧約聖書だけなのだそうです。なのでここで登場する《ペリシテ人》が本当に後世と同じ民族なのか、あるいは後付で《イスラエルの敵》として名前を出されただけなのかは諸説あるらしいです。
イスラエル人の敵として描くにしては、今の所アビメレクはアブラハムに対してめっちゃ寛大ですけどね。

詳しくはこちら↓↓↓
聖書を楽しむ【8】(1)
http://katzeundgeige.blog.shinobi.jp/mouso/%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%82%92%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%82%80%E3%80%908%E3%80%91%EF%BC%881%EF%BC%89

とりあえず、しばらくペリシテ人の土地に住むことにしたアブラハムは、井戸に『柳の木』を植えて『永遠の神、主の御名によって』お祈りしました。
私の持ってる聖書では『柳の木』という記載ですが、日本で想像されるようなシダレヤナギではなく、ギョリュウ(檉柳、御柳)だそうです。ヘブル語では「アラバ」と呼びます。
ナデシコ目ギョリュウ科ギョリュウ属の落葉小高木で、乾燥と塩分に強く砂漠でも根を張る性質を持ちます。春にピンクや白の小さな花を咲かせます。
ユーラシアやアフリカの乾燥地帯の水辺に多く分布し、日陰や羊の餌などに利用された他、木材としての硬さを生かして古代エジプトではチャリオット(戦闘用馬車)の本体部分に使われたそうです。
大変に強い生存力・繁殖力を持つ木ですが、そのために他の樹木を駆逐してしまうこともあります。19世紀初頭のアメリカでも、グランドキャニオンの川沿いに自生していた樹木を植えられたギョリュウが駆逐してしまった例があるそうです。そのためか、ギョリュウの花言葉は「犯罪」だということです。

現在の宗教・経済・民族の問題を考えると、複雑な気持ちになった反面いろいろ腑に落ちてしまいました。
こんなに古いお話の禍根が、今も続いているんですね………なんとかならないものでしょうか?

ひとまず、今回はここまでです。


今回の楽曲はフランツ・シューベルト作
『ハガルの嘆き』D.5
https://youtu.be/eOt-R5Bmsic

『魔王』D.1と同じくらいの、シューベルト最初期の歌曲です。作品番号は5番ですが、18歳のとき作曲した『魔王』よりも早い14歳の頃の作品だそうです。
歌曲というよりもアリアに近い、演奏時間のめっちゃ長い作品です。

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2021/01/11 (Mon)
演奏活動がなかなか難しい今日この頃ですが、今私は所属している団体の企画でドイツ歌曲の勉強を重点的にしています。
それで、学生のときから憧れだった『ズライカの歌』をレパートリーに入れるべく、只今奮闘しています。シューベルトとメンデルスゾーン、同じ詞に両氏が付けた音楽の違いも楽しいところです。

今回は備忘録として、そのお勉強の断片を記載させていただきます。
…あ、もちろん聖書の研究ものんびり続けてますよ!
そのお話はまた後日…。

さて、本日は『ズライカ』について調べてみます。

さまざまな作曲家が曲にしている『ズライカ』、詩人は言わずとしれた文豪ゲーテです。ゲーテ自体は超有名なんで、説明省きます(爆)今回はズライカのお話なんで!

そもそも『ズライカ』って何?
と思っていたら、人の名前みたいですね。
それも、イスラム教のコーランに由来する人物のお名前でした。
聖書関連のお勉強でコーランに触れていたのがこんなところで役に立つとは思いませんでした。

彼女が登場するのはペルシャの詩人アマーニーが1083年頃書いた恋愛叙事詩『ユースフとズライハ』。ドイツ語での「ズライカ」さんは、ペルシャ語だと「ズライハ」さんなのですね。
バルヒー、バフティヤーリー、アムアクなどの詩人たちも同じテーマで詩を書いたそうですが、現存はしていないようです。
ヌールッディーン・アブドゥッラフマーン・ジャーミー(1414~1492)という詩人が1483年に書いた長編叙事詩『ユースフとズライハ』は現存していて、日本語訳もありました。

このようにペルシャ文学では有名な題材だった『ユースフとズライハ』、元ネタは先ほど申し上げた通りイスラム教の聖典・コーランです。ただ、元ネタのコーランにはズライハの名前はありません。
ここで元になっているのはユースフさんの方です。キリスト教でいうとヨセフになります。ヨセフっていっぱい居ますけど、旧約聖書で最初に出てくるアブラハムの曾孫のヨセフのことです。

彼の物語が載っているのはコーランの第12スーラ。コーランは全部で114章(スーラ)で構成されていて、その中の12番目の章です。(題名も『ユースフ』)
話の大筋は旧約聖書の創世記とほぼ同じなんですが、細かいところがちょっと違います。

ざっと大まかにお話の内容↓↓↓

ヤアクーブ(ヤコブ)の息子ユースフは、あるとき見た夢を父に話します。それは、「11の星と太陽と月が自分にお辞儀している」という内容でした。
父はこの息子が預言者になるだろうと気付き、ユースフを守るために「兄たちには夢のことを言わないように」と言い含めました。(旧約聖書だとヤコブは兄に喋っちゃう)
ユースフは夢のことを話しませんでしたが、それとは別に父親の寵愛を受ける末弟に兄たちは嫉妬を抱きました。
そこで兄たちはユースフを追い出そうと父親に「野原で一緒に遊んでくる」と言ってユースフを連れ出し、井戸に投げおとします。父には、ユースフは狼に殺されたと嘘をつきました。
井戸に落とされたユースフは商隊に助け出されたあと、とあるエジプト人に売られます。(旧約聖書だとエジプト王宮の侍従長ポティファル)
そのエジプト人はユースフを養子にしようと、大切に育てました。ユースフは賢い青年に育ち、やがて成人しました。
しかし成長したユースフに、義母となるはずだったエジプト人の妻が惚れてしまいます。夫人はユースフを誘惑し、ユースフはそれを拒みました。夫人はユースフに襲われたと偽りますが、主人はユースフの潔白を見破ります。しかしそれでも誘惑してくる妻や女たちから逃れるために、ユースフは自分から牢屋に入ることを望みました。(旧約聖書だと主人は妻の言うことを信じて、怒ってヨセフを牢にぶちこむ)
牢屋に入ったユースフは、二人の囚人の男に出会います。ユースフはこの二人の夢を解釈し、ひとりは釈放されるがひとりは処刑されると予言しました。そして釈放される方の囚人に、このことを主人に話すよう頼みました。しかしその囚人は、助かった後そのことを自分の主人に話すのをすっかり忘れてしまいました。
数年後、エジプト王が見た夢を解釈して欲しいと首長たちに依頼したのですが、誰も解くことができません。そこでやっと例の囚人はユースフのことを思い出し、王に言及しました。ユースフは牢の中で王の夢を解き明かし、7年後に7年間続く飢饉が起こると予言します。
喜んだ王はユースフを連れてくるよう使いを出しますが、ユースフはその使いに「自分を陥れた女たちの心境はどうなっているのか」を自分の主人に尋ねるよう頼みました。
王が「結局のところ事の次第はどうだったのか」と女たちと夫人に尋ねると、女たちはユースフの無実を証言し、夫人は「ユースフを誘惑したのはわたしです」と自白しました。
こうしてユースフの無実は証明され、夢解きの報酬として王の側近&財務大臣に抜擢されました。

めでたし、めでたし。


本当はここから、かつて自分を陥れた兄たちと和解し父親と再会する物語が続くのですが、今回の本題からは逸れてしまいますので割愛します。
さて、上記のお話の中でユースフを誘惑するエジプト人の妻。名前は無いですが、彼女が「ズライハ」つまり「ズライカ」です。アーマニーが名付け、以降の詩人たちはこの名前でユースフの物語に彼女を登場させました。

ということでズライカという名前の出所は分かりました。
次に、何故ゲーテの作品でコーランの話が出てくるのか調べてみます。

そもそもゲーテはプロテスタントです。彼だけでなく、ゲーテが生まれ育ったフランクフルトの人々はほとんどプロテスタントでした。
しかしゲーテは知識のためにあらゆる文学作品や自然科学研究に触れており、『各々が自分の信じるものを持つことこそが真の信仰である』という汎神論的な宗教観を持っていました。
そんなゲーテがこの「ズライカ」を含む作品『西東詩集』を書いたのは、かなり晩年の時期です。1819年に『西東詩集』を書いた当時、ゲーテは70歳でした。
この歳になっても尚ゲーテの知識欲は衰えを見せず、世界的な視野を文学に取り入れるためフランス文学やオリエント文学などを読んでいました。その中で愛読したのがイランの詩人・ハーフェズ(1325/1326年~1389/1390年)の詩集だったそうです。
恋や酒や自然美を詠ったハーフェズの詩は民衆に人気で、イランでは「コーランが無い家でもハーフェズ詩集はある」と言われるといいます。

1814年、65歳のゲーテはハーフェズ詩集のドイツ語訳を初めて手にし、夢中になりました。
ゲーテは「ハーフェズの詩を理解するには 魂まで一汗かく必要がある」と語ったそうです。それくらい読み込んだということでしょう。

同じ年の夏、ゲーテはライン川流域に旅行に出掛けます。その際、立ち寄ったヴィースバーデンに古い知り合いが訪ねてきました。ヨハン・ヤコプ・ヴィレマーという銀行家兼枢密顧問官の男で、フランクフルト劇場の監督も勤めていた人物です。
そのとき、彼が伴っていたヴィレマーの養女マリアンネとも知り合いになります。
このマリアンネに、ゲーテは非常に心惹かれました。

女優エリザベス・ピルングルーバーの娘として生まれたマリアンネは8歳のときから既に舞台に立ち、14歳のときにフランクフルト劇場のバレエ団に入って歌やダンスで才能を発揮していました。
2回結婚しましたが2回とも妻に先立たれていたヴィレマーは、マリアンネを引き取り養女として育てた後で妻として迎えました。
ふたりが訪ねてきたのが8月4日、ヴィレマーとマリアンネが結婚したのが9月27日なので、まだこの時は結婚していない状態でした。

10月12日、今度はゲーテがヴィレマーを訪ねて、彼の別荘があるゲルバーミューレにやって来ます。そこで楽しい時を過ごしたマリアンネも、ゲーテに敬愛を抱くようになりました。

詩作の才能もあったマリアンネは、ゲーテと詩を送り会うようになりました。
詩の交流をするにあたり、作中でゲーテはマリアンネのことを「ズライカ」と呼びました。(美人な人妻という所は合ってると思うけど、誘惑してくる女の名称を付けられるのはマリアンネ的にどうなのか?)
そして既に老人となっていた自分のことを若い美男子ユースフと自称するのは躊躇われ、「ハーテム」と名乗ることにします。(「ハーテム・タイ」はアラビアの伝説的な慈善家。「ハーテム・ツォグライ」はその逆で強欲な人物として伝わっている人物。詩人としているのはハッサン・トグライとの混同と見られる)

『西東詩集』の「ズライカの巻」は、誰あろうマリアンネとゲーテの詩のやりとりから出来ているというわけです。
1815年にハイデルベルクで会ったのを最後に、ふたりは二度と会うことはありませんでしたが、ふたりの中には確かに友愛の感情があったと思われます。

今回私が挑戦しようとしている『東風の歌』と『西風の歌』ですが、『東風』はマリアンネがハイデルベルクに居るゲーテに会いに行く時、そして『西風』はそこから去っていくときに馬車の中で書いた詩だそうです。


この翌年、1816年にゲーテは10年連れ添った妻クリスティアーネを病気で亡くしていました。(20年間籍を入れてなかったので、正確には30年の付き合い)
翌年1817年、30年前イタリアへ旅行したことを回想して『イタリア紀行』を執筆、刊行します。
そこから更に2年後に、『西東詩集』を刊行しました。
そこから更に『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』『ファウスト』の完成と、死の直前まで精力的に執筆を続けたゲーテでしたが、1832年に82歳の生涯を閉じます。

一方のマリアンネは、1860年に亡くなるまで沈黙を守ったといいます。


ズライハとマリアンネ、このふたりの女性を意識しつつ、『ズライカ』の歌は歌うべきなんでしょうなあ。
シューベルトとメンデルスゾーン、ふたりの表現の違いも面白いところです。

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2020/09/20 (Sun)
ゆっくりゆっくりですが、引き続き読み進めております。

※キリスト教徒でもユダヤ教徒でもイスラム教徒でもプロの考古学者でもないただの一般日本人(無宗教者)が、聖書を読んで楽しんでいるだけです。
気になったことは本を読んだりネットで情報を拾ったりしていますが、あくまで一般人が手に入れられる範囲です。
多大なる妄想を含んでいます。本気にしないでください。


○二十章
アブラハムは、そこからゲネブの地方へ移り、カデシュとシュルの間に住み着きました。ゲラルに滞在中、アブラハムは自分の妻サラのことを「これは私の妹です」と言ったので、ゲラルの王アビメレクは使いをやって、サラを召し入れました。
ところが神がアビメレクの夢に出てきて、
「あなたが召し入れた女のために、あなたは死ななければならない。あの女は夫のある身である。」
と言いました。
アビメレクはまだ彼女に近付いていなかったので、
「主よ。あなたは正しい国民も殺されるのですか。彼は私に、『これは私の妹だ』と言ったではありませんか。そして彼女自身も『これは私の兄だ』と言いました。私は正しい心と汚れない手で、このことをしたのです。」
と言いました。
神は夢の中で彼に言いました。
「そうだ。あなたが正しい心でこのことをしたのをわたし自身よく知っていた。それであなたが罪を犯さないよう、彼女に触れることを許さなかったのだ。
今、あの人の妻を返して命を得なさい。あの人は預言者で、あなたのために祈ってくれよう。しかしあなたが返さなければ、あなたも、あなたに属するすべての者も、必ず死ぬことをわきまえなさい。」
翌朝早く、アビメレクは彼のしもべを全部呼び寄せて、これらのことをみな語り聞かせたのて人々は非常に恐れました。
それからアビメレクはアブラハムを呼び寄せてこう言いました。
「あなたは何ということをしてくれたのか。あなたが私と私の王国に、凝んな大きな罪をもたらすとは、いったい私がどんな罪をあなたに犯したのか。あなたはしてはならないことを、私にしたのだ。どういうつもりでこんなことをしたのか。」
アブラハムは答えました。
「この地方には、神を恐れることが全くないので、人々が私の妻のゆえに、私を殺すと思ったからです。
また、本当にあれは私の妹です。あの女は私の父の娘ですが、私の母の娘ではありません。それが私の妻になったのです。
神が私を父の家からさすらいの旅に出されたとき、私は彼女に『こうして、あなたの愛を私のために尽くしておくれ。私たちが行くどこででも、私のことを、この人は私の兄です、と言っておくれ。』と頼んだのです。」
そこでアビメレクは、羊の群れと牛の群れと男女の奴隷たちを取って来て、アブラハムに与え、またアブラハムの妻サラを彼に返しました。
そしてアビメレクは言いました。「見よ。私の領地があなたの前に広がっている。あなたの良いと思う所に住みなさい。」
彼はまたサラに言いました。「銀千枚をあなたの兄に与える。きっと、これはあなたと一緒にいるすべての人の前で、あなたを守るものとなろう。これですべて、正しいとされよう。」
そこでアブラハムは神に祈りました。神はアビメレクとその妻、およびはしためをいやされたので、彼らはまた子を産むようになりました。
主が、アブラハムの妻サラのゆえに、アビメレクの家のすべての胎を堅く閉じておられたからです。


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今回はアブラハムの引っ越し四方山話です。とりあえず先にネタバレておきますと、内容的には12章と殆ど同じです(爆)
アブラハムの本質的な部分は相変わらずクズで(あくまで個人の感想です)、神はアブラハムに甘々です。

さて、アブラハムは24年間住んだへブロンのマムレ(現パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区の南端)からお引っ越しをしました。
お引っ越し先はゲネブ地方(イスラエル南部の砂漠地方)。
第12章でカナンの地に至ってから定住場所を探す放浪生活中に立ち寄ったけれども、当時酷い飢饉だったためにスルーした土地です。
24年経って飢饉は無事脱したようで、アブラハムは「カデシュとシュルの間」に住み着いた、とあります。

カデシュは現シリア西部ホムスから24km南西の古代都市(テル・ネビ・メンド遺跡)です。
だいぶ遡って10章を調べたときに出てきた、カデシュの戦い(紀元前1285年頃)の舞台です。町についての説明は書くのがめんどいので、興味のある方は過去記事を御覧ください(爆)

聖書を楽しむ【8】(前編)
http://katzeundgeige.blog.shinobi.jp/mouso/%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%82%92%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%82%80%E3%80%908%E3%80%91%EF%BC%881%EF%BC%89

聖書を楽しむ【8】(後編)
http://katzeundgeige.blog.shinobi.jp/mouso/%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%82%92%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%82%80%E3%80%908%E3%80%91%EF%BC%882%EF%BC%89

シュルは、16章のところで出てきましたが、都市の境界に設けられた地域を指します。アブラハムの妾ハガルは、シナイ半島北西部にあるエジプトの東側境界に接した地域で御使いと遭遇しました。

ということは、アブラハムが住んだのは現在のレバノンとイスラエルにあたる地域のどこかになるのでしょうか。
とりあえず今回はそこへ引っ越す途中、ゲラルという土地に滞在したときのお話です。

ゲラルは、カナンの南側にあった平原および町の名前とされています。
学者さんたちはテル・アブ・フレイラという遺跡がその跡だと推している…とのことですが、Wikipediaで見てみますとこの町は紀元前5900~紀元前5800年頃に放棄されたと考えられているそうです。
フレイラ遺跡=ゲラルの町だとすると、ちょっと計算が合いませんねえ。もしかしたら町の名前ではなくて平原を指してるのかもしれません。

ちなみにそのテル・アブ・フレイラ遺跡は人類最古の農業の例とされていて、1万3000年以上前から穀物を栽培していた跡があるそうです。
とりあえずその場所にゲラルという町があったという体で話を進めます。

ゲラルに滞在している間、アブラハムはまた妻サラを「妹」として側に置いていました。そこでまた12章でのエジプトと同じことが起こります。即ち、その土地の王さまがサラの美しさに惹かれて王宮に召し入れる、というお約束事件。90歳になってもサラの美しさは健在なようです。ここまでくると美魔女を越えて美妖怪では?サラの外見年齢が気になるところです。
しかしアブラハム、一度やらかしているのにまたも同じこと繰り返すとは本当にクズですね!
というか18章で「1年後に子供を生む」と言われていたサラを他の男の元にやるとか、夫としてもどうかと思う…。1年後ってことは、もうお腹にいるって分かってるじゃん?もしまだ居なかったとしても、もうすぐ出来るってことじゃん?
いくら神さまのご加護があるから大丈夫って言っても、人間としてひどくね?

ゲラルの王さまは「アビメレク」という人でした。「我が父は王である」という意味のお名前だそうです。てことは、この地域の王権は世襲制だったんですかね。
なにも知らないアビメレクさんは、美人の側室をゲットしてホクホクです。その夜のことでした。
夢の中にいきなり神が出てきて
「あなたは夫のある女を召しいれたので、死ななければならない」
と仰ったわけです。理不尽ーーー!!!

しかしエジプトの時はそんな予告もないままファラオと一族に災害を起こしましたので、神も少し譲歩を覚えたのかもしれません。
まだサラにあんなことやこんなことなど何もしていなかったアビメレクは、
「あなたは正しい国民も殺すんですか?」
と主張します。サラもアブラハムのことを兄だと言っていたので、アビメレクは完全に騙されたことになります。
そんなド正論に対しての神のお言葉は
「あなたが正しいのは知っていたので、あなたが罪を犯さないように彼女に触れるのを許さなかったんですよ。」
神さまもアビメレクが正しいって認めちゃってますな。
えーとつまり、
『アビメレクさんは被害者なので、サラに手を出す前に止めてあげました。
今サラをアブラハムに返せば、このまま何事もなく済みます。
ただし返さなかった場合は、あなたは一族もろとも死ぬことになるのでそのつもりで宜しく。』
ということですね。

う、うわーーーアビメレク不憫過ぎる…
こんな予告もないまま災害起こされた12章のファラオは更に不憫過ぎる…

一応神はアブラハムのフォローとして、
「あの人は預言者なので、あなたのために祈ってくれると思うよ。」
とアビメレクに言いましたが、アビメレクの心情的には「だから何だよ」だったでしょう。

ちなみに「預言者」という単語はここで初めて公式で出てきました。
宗教に疎い日本人の私は『予言者』と『預言者』の違いがあんまり良く分かってなかったのですが、

予言=ある物事についてその実現に先立ち「あらかじめ言明すること」

預言者=自己の思想やおもわくによらず、霊感により啓示された神意(託宣)を伝達し、あるいは解釈して神と人とを仲介する者

だそうです。そもそも予言と預言は本来同じ意味ですが、啓示宗教の絡んだものを「預言」、一般的な未来予知などの神秘的現象を「予言」と表記するとのことです。

そんな物騒な夢から目覚めたアビメレクさん、朝早くからすぐにしもべを全員呼び出して、夢の内容を説明しました。報・連・相の出来る良い王さまだ…。
話を聞いた皆さん、恐れ戦きます。
それからアブラハムを呼んで、
「なんてことしてくれたん?私あなたに何か悪いことした?どういうつもりなのよマジで」
と、12章のファラオと全く同じ抗議をします。それに対するアブラハムの返答は以下のとおりです。

・この地方には(自分が信仰する)神は恐れられる存在ではないため、美しい妻を連れていたら殺されると思った

・サラは確かに妻だが、腹違いの妹でもあるので嘘は言ってない

大まかな言い訳は12章のときと同じですが、なんとここで新情報。サラはアブラハムの実の妹でした!!!
11章からここまで主役張ってきて更にここへきて新情報とか、公式の情報開示遅すぎやしませんか。
そして言い訳にさりげなく「神に命じられてさすらいの旅をしている」アピールも欠かさないアブラハム、さすがです(爆)
しかしながら、「この地方では神を恐れることが全くないので」という前回も使ったこの言い訳、今回は苦しいものがあります。
だってアビメレクはちゃんと夢に出てきた神を「主」と呼んで敬ってますし、その家臣たちはアビメレクの話を聞いてちゃんと恐れ戦いてますからねえ…。

それでもアブラハムの言い分を聞いたアビメレクはサラを返した挙げ句、羊の群れと牛の群れと奴隷たちをくれました。
更に「領地内の好きなところに住んで良いよ」とアブラハムに言って、銀を1000枚くれました。
そしてサラに「これはあなたと一緒にいる全ての人の前で、あなたを守るものになるだろう」と言いました。

つまり、王さまが直々に領地内に住むことを許可してくれたんですね。
お金をくれたのは何故なのかよく分かりませんでしたけど、「あなたを守るものになるだろう」というアビメレクの言葉から色々妄想してみました。
自給自足の遊牧生活をしていたアブラハムたちには、貨幣の持ち合わせが無かった可能性があります。
牧畜を営んでいるから食糧と衣料は自分たちで作れるし、自分たちでは作れない何かが欲しいときはキャラバンの旅人や立ち寄った町の市場で物々交換すればよいのです。
ただし物々交換というものは、個々人でのやり取りに限ります。通貨の存在する国では、生活の全てを物々交換で乗り切ることは相当難しいと思います。(稀にやっていらっしゃる方もいるようですが)
税金や家賃などの支払いや、なにか問題が起きたときの賠償を通貨で行う地域で
「お金持ってないので羊肉でお支払できますか?」
と言っても通らないでしょう。郷に入っては郷に従えというわけです。
そんなとき用に、とりあえず当面の問題が解決できるようアビメレクは自分の地域の通貨を渡したのではないでしょうか。(完全なる妄想です)

ところで、私の持っている聖書では「1000枚」と書いてありましたけれども、「1000シェケル」と書いてある版もあるそうです。
「シェケル」は紀元前3000年頃のメソポタミアから使われはじめた貨幣単位で、元々は重さの単位でした。
語源はアッカド語の「大麦(シェ she)」なので、きっと最初は麦で支払いしていたのでしょう。

そもそも、この時代にまだ「硬貨」はなかったと思います。
以前セムの子ルデについて調べたときに出てきたリュディア王国で、人類最古の硬貨が生まれたということは書きました。

聖書を楽しむ【9】
http://katzeundgeige.blog.shinobi.jp/mouso/%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%82%92%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%82%80%E3%80%909%E3%80%91

リュディア王国でエレクトロン貨が出来たのは紀元前670年頃で、それまでは諸々の支払いには大麦や羊毛が使われていたそうです。やはり物々交換だったわけですね。
金や銀も貨幣として使われることはあったようですが、重さで計って使われたそうです。
ちなみにメソポタミアでは銀は採れないので、わざわざアナトリア半島から輸入していたそうな。

所謂「貨幣」の形ではありませんでしたが、紀元前4300年には最古の銀貨となるリング状(または螺旋状)の銀があって、必要な分だけ切り取って使われていたのだとか。この形状の銀は「ハル」という名前で、アッカドからバビロン第一王朝にかけて使われたとのことです。

紀元前3000年頃に「シェケル」が登場しますが、面白いことにシュメール語ではシェケルのことを「ギン」と呼んでいたようです。ダジャレじゃないよ。
紀元前22世紀の記録によりますと、銀1ギン(約8.3グラム)=大麦1グル(約300リットル)の価値と換算して交易に使っていたそうです。

シェケルの重さは時代や地域によって差異があり、1シェケル9~17グラムくらいだったと言われています。これも時代や地域によりますが、金や銀の重さと額面が等しいこともあったといいます。

ではアブラハムがもらった1000シェケルはいくらくらいなの?
紀元前20~18世紀の1ヶ月の労働賃金が1シェケルだったそうなので、1000ヶ月…83.3年月分のお給金と換算すれば良いのでしょうか。
それがどれくらいの所得者の賃金なのかは分かりませんでしたので、素人考えで自国の平均年収で計算します。
現在2020年の9月19日、3日前に国税庁が出した日本の平均年収は441万円でした。
なので単純計算で4410000円×83年(四捨五入)とすると、3億6603万円になります。

さ…………3億!!!!!!!!

マジで?王さまちょっと気前良すぎない???

まあ、素人計算ですしスゴくザックリ調べただけですし間違いもあるでしょうけど、とりあえずアビメレク王がすごい大金をアブラハムにポイっとくれたことは分かりました。


参考サイト
http://sirakawa.b.la9.jp/Coin/Z013.htm

https://www.glorychrist.com/2015/10/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%83%A0%E3%81%AE%E8%B2%B7%E3%81%84%E7%89%A9%E3%81%AE%E4%BB%95%E6%96%B9/


領地に住むことも正式に許可した。当面の生活費も保証した。『自分たちに馴染みの無い神の信仰を主張する異邦人』に対しては破格の対応ですね。
「これですべて、正しいとされよう。」
というアビメレクの発言に、一読者の私は全力で首を縦に振りたい所存です。
まあこのお話の場合「正しい」と判断するのはあくまで主で、尚且つ主はアブラハムの主観で「この人は良い人ですよ」という定期連絡(お祈り)が無いと、判定すらしてくださらないのですが(爆)
そこでアブラハムが神さまに祈ると、やっと神はOK判定を出してくれました。
なんとアビメレクの夢に出てきて「このままだとあなたは死ぬ」宣言をしただけでなく、神さまは『アビメレクの家のすべての胎を閉じる』というペナルティを与えていたのです。いつのまに…。

ただし、この場合はペナルティというよりは、後宮に入ったサラに万が一のことがあってアブラハム以外の男の子供を妊娠しないように、サラを含む後宮全員の女を不妊にした予防策と見ることもできます。
…しかしね、ピンポイントで処女受胎させることもできる神さまにしては予防策が雑過ぎやしませんかね?

とにかく神さまはアビメレクと、アビメレクの妻や側女たちを癒したので、アビメレク家の女たちはまた子供が産めるようになりましたとさ。

うーん、やっぱり釈然としない…。
まあここでのお話の主人公はどうあがいてもアブラハムなんで、主人公補正は強いってことですかね。

とりあえず今回はここまでです。

今回の楽曲紹介はカール・アマンド・マンゴルト作曲、オラトリオ『アブラハム』
https://youtu.be/OibQ_Dy-hfc

本筋からちょっと戻って、創世記11章から19章までのアブラハムの旅を描いたオラトリオだそうです。1860年に作曲されました。

コンゴルトさん、これまたマイナーな作曲家で私も初めて知りました。どれくらいマイナーかっていうと、日本のWikipediaには彼の記事がなかったのよ!(爆)
楽譜もあんまり日本には無くて、まだまだ研究の余地がありそうな作曲家さんでした。

Carl Amand Mangold(1813〜1889年)

ドイツ・ダルムシュタット生まれの作曲家・ヴァイオリニスト・指揮者です。
パリ音楽院で学び、26歳でダルムシュタットのムジークフェライン(楽友協会)の監督になりました。ちなみにパリ音楽院ではベルリオーズやショパン、リストなどと知り合いになったそうです。
その後ダルムシュタット城の宮廷音楽監督になったマンゴルトは、彼の主要なオラトリオやカンタータ作品のほとんどを1848年(35歳)までに制作しました。
1845年にはオペラ『タンホイザー』を書き上げたマンゴルトでしたが、なんとちょうど同じタイミングでワーグナーも『タンホイザー』を発表してしまいます。意図的な被りではなくて、お互いに知らなくて作ってしまったようです。
リヒャルト・ワーグナーはマンゴルトと同い年でしたが、なにもここまで被らなくても…
マンゴルトがマイナーな作曲家になってしまったのは、どうやらワーグナーの方が有名になってしまったのも一因のようです。

今回ご紹介したオラトリオ『アブラハム』は、彼が47歳の時の作品です。

マンゴルトはオーベルストドルフにて76歳で亡くなるまでに、オペラ8作品、オラトリオ及びカンタータ9作品、合唱曲約260作品、宗教歌曲約375作品を作曲したとのことです。

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2020/09/12 (Sat)
こんにちは!
普段、聖書の研究や音楽の記事を書いているこのブログですが、今日は少し趣向の違う記事です。


今回のコロナ禍で、ピンチになっている友人がいるのでご紹介させてください。
『猫カフェ』という業種に就いている友人です。
外国の方にはあまり馴染みがない方もおられるかもしれませんが、猫カフェというのは読んで字の如く『猫の居るカフェ』です。飲み物や軽食を楽しみつつ店内にいる猫を眺めて和んだり、猫様の気が向いたら撫でたりできるお店です。


私が3歳の頃から現在に至るまで変わらぬ付き合いをしてくれている幼なじみが、この猫カフェで正社員をしています。
日本の東京都・新宿にある『きゃりこ』というお店で、緊急事態宣言前には有名番組で取材されていたくらい人気のお店でした。


しかしただでさえ家賃の高い新宿で、客層の大部分が外国人観光客だったこともあり、お店の経営が非常に厳しいものとなって閉店せざるを得なくなってしまいました。

そこで、新宿から離れて地価の安い新たな土地へ移転する資金をクラウドファンディングで募ることにしたそうです。
詳しくは↓
https://camp-fire.jp/projects/view/313614


ここの猫ちゃんたちは子猫のときにこのお店に来ていて、こまめなケアをされて育ちました。残念なことに悪徳な猫カフェもある中で、猫たちにとても愛情を持ってケアをしている貴重なお店です。
なので、個人的にも友人的にも無くなって欲しくありません。
もしお心に留まりましたら、どうかこの支援を拡散して頂けますでしょうか。
そしてもし、猫がお好きで、『きゃりこ』の猫ちゃんたちに会ってみたいなーという方は、ご協力いただけますと大変にありがたいです。

https://camp-fire.jp/projects/view/313614




私の手にもたれて眠る『きゃりこ』の猫ちゃん


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* ILLUSTRATION BY nyao *