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音楽とお酒と歴史探索が趣味です。色々書きなぐってます。
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  プロフィール
HN:
赤澤 舞
性別:
女性
職業:
飲食店店員
趣味:
お菓子作ったりピアノ弾いたり本読んだり絵描いたり
自己紹介:
東京・神奈川・埼玉あたりでちょこまか歌 を歌っております。

一応声種はソプラノらしいですが、自分は あんまりこだわってません(笑) 要望があればメッツォもアルトもやりま すヽ(^。^)丿

音楽とお酒と猫を愛してます(*´▽`*) 美味しいものには目がありません。

レトロゲームや特撮も好物です。

ヴァイオリンは好きだけど弾けませんorz
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2024/05/19 (Sun)
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2021/02/28 (Sun)
※キリスト教徒でもユダヤ教徒でもイスラム教徒でもプロの考古学者でもないただの一般日本人(無宗教者)が、聖書を読んで楽しんでいるだけです。
気になったことは本を読んだりネットで情報を拾ったりしていますが、あくまで一般人が手に入れられる範囲です。
多大なる妄想を含んでいます。本気にしないでください。


○第二十一章

主は、約束されたとおりサラを顧みて、仰せられたとおりになさいました。
サラはみごもり、神がアブラハムに言われた時期に、年老いたアブラハムに男の子を産みました。
アブラハムは、自分に生まれた子、サラが自分に産んだ子をイサクと名付けました。
そしてアブラハムは、神が彼に命じたとおり、八日目にイサクに割礼を施しました。
アブラハムは、イサクが生まれたとき百歳でした。
サラは言いました。「神は私を笑われました。聞く者は皆、私に向かって笑うでしょう。」
「だれがアブラハムに『サラが子どもに乳を飲ませる』と告げたでしょう。ところが私は、あの年寄りに子を産みました。」
その子は育って乳離れしました。アブラハムはイサクの乳離れの日に、盛大な宴会を催しました。
そのときサラは、エジプト女のハガルがアブラハムに産んだ子が、自分の子イサクをからかっているのを見ました。
それでアブラハムに言いました。「このはしためを、その子と一緒に追い出してください。このはしための子は、私の子イサクと一緒に跡取りになるべきではありません。」
このことは、自分の子に関することなのでアブラハムは非常に悩みました。
すると神はアブラハムに仰せられました。「その少年とあなたのはしためのことで、悩んではならない。サラがあなたに言うことはみな、言うとおりに聞き入れなさい。イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるからだ。
しかしはしための子も、わたしは一つの国民としよう。彼もあなたの子だから。」
翌朝早く、アブラハムはパンと水の皮袋をハガルに与え、それを彼女の肩に載せて、その子と共に彼女を送り出しました。それで彼女はベエル・シェバの荒野をさまよい歩きました。
皮袋の水が尽きたとき、彼女はその子を一本の灌木の下に投げ出し、自分は矢の届くほど離れた向こうに行って座りました。彼女が「子どもの死ぬのを見たくない」と思ったからです。そして彼女は声をあげて泣きました。
神は少年の声を聞かれ、神の使いは天からハガルを呼んで言いました。
「ハガルよ、どうしたのです。恐れてはいけません。神があそこにいる少年の声を聞かれたからです。行ってあの少年を起こし、彼を力づけなさい。わたしはあの子を大いなる国民とするからです。」
神がハガルの目を開かれたので、彼女は井戸を見つけました。それで行って皮袋に水を満たし、少年に飲ませました。
神が少年と共におられたので、彼は成長し、荒野に住んで、弓を射る者となりました。
こうして彼はパランの荒野に住みつきました。彼の母はエジプトの国から彼のために妻を迎えました。
その頃、アビメレクとその将軍ピコルがアブラハムに言いました。
「あなたが何をしても、神はあなたと共におられます。
それで今、ここで神によって私に誓ってください。私も、私の親類縁者たちも裏切らないと。そして私があなたに尽くした真実にふさわしく、あなたは私にも、あなたが滞在しているこの土地にも真実を尽くしてください。」
するとアブラハムは「私は誓います。」と言いました。
また、アブラハムはアビメレクのしもべどもが奪い取った井戸のことでアビメレクに抗議しました。
アビメレクは答えました。
「誰がそのようなことをしたのか知りませんでした。それにあなたもまた、私に告げなかったし、私もまた今日まで聞いたことがなかったのです。」
そこでアブラハムは羊と牛を取って、アビメレクに与え、ふたりは契約を結びました。アブラハムは羊の群れから、七頭の雌の子羊をより分けました。
するとアビメレクは「今あなたがより分けたこの七頭の雌の子羊は、いったいどういうわけですか」とアブラハムに尋ねました。
アブラハムは「私がこの井戸を掘ったという証拠となるために、七頭の雌の子羊を私の手から受け取ってください」と答えました。
それゆえ、その場所はベエル・シェバと呼ばれました。その所で彼らふたりが誓ったからです。
彼らがベエル・シェバで契約を結んでから、アビメレクとその将軍ピコルとは立って、ペリシテ人の地に帰りました。
アブラハムはベエル・シェバに一本の柳の木を植え、その所で永遠の神、主の御名によって祈りました。
アブラハムは長い間ペリシテ人の地に滞在しました。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

前章でゲネブ地方のゲラルに定住を許されてから、少し時間が経ちました。
18章で神本人がわざわざ告知しにきたとおり、サラはアブラハムの子供を出産しました。子供は予言通り男の子で、アブラハムは17章で神に指定されたとおりに「イサク(彼は笑う)」という名前を付け、生後8日目に割礼を施します。
…ここの原文ですが、アブラハムの年寄りアピールが半端無いですね。『100歳の老人に子どもが出来たよ!これぞ神の御技だ!』と言いたいのかもしれません。
書き出しの「サラを顧みて」という一文は、直訳すると「訪れる」という意味だそうです。日本でも「幸運が訪れますように」とか言いますね。
このお話の民たちにとっては「幸せなこと」=「主の訪れ」なのでしょう。

念願叶って族長の子どもを、それも妾の子ではなく自分の子どもを持つことが出来たサラは有頂天です。めっちゃはしゃいで口走ったセリフですが、些か意味が分かりにくいですね…。
原文は
「神は私を笑われました。聞く者は皆、私に向かって笑うでしょう。」
「だれがアブラハムに『サラが子どもに乳を飲ませる』と告げたでしょう。ところが私は、あの年寄りに子を産みました。」
となります。
「神は私を笑われました」の一文、これだけ見ると18章でサラが主の予言に対し自嘲して笑ったことが記憶に新しいので「笑ったのは神じゃなくてサラでしょ」と思うところです。
ただ、他の版では
・「神はわたしを笑わせてくださった」(口語訳)
・「神はわたしに笑いをお与えになった」(共同訳)
という表現になっているそうで、その訳を踏まえると解釈が変わってきます。

「神さまが私を笑わせる出来事をもたらしてくださいました。これを聞いたら皆さんも思わず笑ってしまうことでしょう。
私みたいな年寄りが子供に乳を飲ませるなんて、だれが予想したでしょうか。それなのに私は本当に子供を産みました。しかも私よりも年寄りであるアブラハムの子供をです。」

こんな意味ですかね?
異例の高齢出産という気恥ずかしさからの照れ笑いもあるかもしれませんが、主に喜び・優越感が強く感じられます。

さて、待望の正妻の子・イサクが生まれてからしばらく経ちました。人間のお子様は大体平均で1~2歳が乳離れの時期らしいので、それくらいでしょうか。
乳離れの日、アブラハムはイサクのためにパーティーを開きます。日本で言う、お食い初めみたいなものですかね?裕福とは言い難いアブラハムが「盛大な」宴会を催すとは、よほど息子が可愛いのでしょう。

ちなみに現在キリスト教には、似たような風習で赤ちゃんに銀のスプーンを贈るというものがあるそうですが、これはヨーロッパの古い風習(当時の主食が粥やスープな為、食べ物に困らないように)が由来なようですのでアブラハムは関係ありませんね。
盛大な宴会が行われているさなか、サラは息子のイサクが子供にからかわれているのを目撃します。
その子供は「エジプト女のハガルがアブラハムに産んだ子」「あの子」「少年」とこの章では表記されていて個人名が出てきませんが、イシュマエルのことです。
16章でアブラハム86歳のときに生まれた子で、17章で新たな契約により割礼を施されたのが13歳ですからイサクが生まれたときは14歳、更に1~2年経って乳離れのお祝い中なので少なくとも15歳は超えているはずです。
中学生、高校生にもなるお兄ちゃんが赤ん坊からかうってどうなの…とも思いますが、唐突に出来た腹違いの弟の存在は思春期の男子には複雑だったのかもしれません。

メソポタミアの法律上、イシュマエルの母親は実母ハガルの主人であるサラです。しかしイサクを弄っているイシュマエルを目撃したサラの
「この女(ハガル)とその子供を追い出してほしい」
という発言からして、イシュマエルを自分の子供と思っていないことは明らかです。
寧ろ自分の子供が出来たのだから、跡取り問題の邪魔になると考えました。
いやー、相変わらず性格悪いっすね!昼ドラのテンプレ的展開です。いや寧ろこっちが元祖なのでしょうか?

文面が非常にシンプルなため、あれこれ想像ができますから一概にどちらが悪いとは言えないのがまた面白いところです。
どちらかに片寄って映像化することも容易いでしょう。
サラ側に立ってみたら
「長年不妊に悩み、そのことで家臣たちからは陰口を叩かれ、自分の奴隷である筈のハガルには妻としてマウントを取られた。母親との関係が最悪なのでその子供であるイシュマエルも心から可愛がることは出来ず、結果懐かれなかった。
でもやっと自分の子供が生まれ、幸せの絶頂にいる。さて今日は息子の晴れの日で、家臣や周辺住人を集めてのパーティー。そんな中で養子が実子をバカにして恥をかかせていた。許せん。今までの私の苦しみもみんなこいつらのせいなのに、イサクにまで害を与えるつもりなのか?もう一緒に暮らしていくのは無理だ。」
という心持ちでしょうか。ハガルと夫をくっつけてイシュマエルを生ませたのは他ならぬ自分であることは棚にあげています。

イシュマエルにしてみたら、
「法律上の母親には愛されず、実母と義母の折り合いも悪い。父親は可愛がってくれるけど、いつも守ってくれるわけじゃない。そんな家庭環境で育ってきて、いきなり正妻の実母に実子ができた。父親も弟ばかり構っている。俺はもう用済みってわけ?」
という心理だと思うので、嫌味のひとつも言いたくなりそうなものです。

さて、サラに「あいつら追い出して」と頼まれたアブラハム。一応イシュマエルも実の息子として可愛がっていたため、非常に困ったことになりました。
この話の舞台は中東の荒れ地です。つまり、集落から人間を追い出すということはそのまま死を意味します。サラはハガルとイシュマエルを殺してほしいと言ったようなものです。
個人的には、ここで悩んでくれたからアブラハムはまだ人間的に救いがあるなと思っています。

すると神の声がアブラハムにこう言いました。
「つべこべ悩まずにサラの言う通りにしなさい。イサクが君の正式な子孫なんですから。でもまあ、あの妾の子も別の国の民族にしてあげるから安心してよ。あの子も君の子供だからね。」
それを聞いたアブラハムは、神さまが守ってくれるんなら安心だ、それじゃあ神さまにお任せしましょう、と二人を追い出すことに決めてしまいました。
良くも悪くも、神さまの言うことには素直なのがアブラハムというキャラクターです。

翌朝、早朝からたたき起こされたハガルは、パンと水を入れた皮袋を持たされ、イシュマエルを連れて集落を追い出されました。
ハガルとイシュマエル親子は、あてもなく「ベエル・シェバの荒地」をさまよい歩きます。
ベエル・シェバは今でこそ総面13,000km²の砂漠のうち約9%、117.5km²の面積を占めるゲネブ砂漠最大の都市ですが、当然このとき街はありません。
そして、この章の話が元でここは「ベエル・シェバ」という名前が付きましたよという後の文章から、まだこのときはベエル・シェバという名前ですらなかったと思われます。
アブラハムたちが住んでいた「カデシュとシュルの間」が正確にはどこだかわかりませんが、カデシュがレバノンの北、シリアの西側にあることを考えますと結構な距離をさまよい歩いたのではないでしょうか。

ハガルが持たされた水とパンですが、当然彼女自身が持って運べる量しか持つことはできません。
食糧と水が尽きる前に他の集落を見つけて助けてもらうか、キャラバンに拾ってもらわない限り、親子が生きる望みは絶たれることになります。

余談になりますが、当時の皮袋がどんなものか少々調べてみました。
紀元前3000年くらいの中東で使われていた水筒は、最初は元々袋状である胃袋や膀胱で作られたものだったそうですが、供給が追い付かないので段々革製が普及してきたそうです。

一般的な作り方は、
①屠った動物の頭と足を切り落とす
②腹部を切り開かないように内臓を抜き出す
③皮をよくなめし、口となる1箇所(首か脚)以外の開口部を全て縫い合わせる

といった流れになります。
使うときは口の部分に栓や紐で蓋をします。
こうして作られた皮袋には水の他にも乳、バター、チーズ、酒、油などあらゆる物が入れられました。
皮袋となる動物の皮には色々種類がありますが、重宝されたのはヤギ皮だったそうです。薄くて軽いだけでなく、キメが細かく繊維の間から水分が気化するため保冷効果があるのだとか。

古代エジプトには雪花石膏や象牙や金銀など、古代アッシリアにはガラス、中東地域では土器の瓶が既に存在しましたが、庶民の間で広く使われたのは皮革製品の入れ物でした。軍事目的で革製品の需要が高まっていた都市部には、すでに鞣し技術は浸透していたようです。初期シュメールやエジプトで栄えた皮革加工技術は古代ギリシャ、そしてローマ帝国へ伝わっていきました。

今でも皮製の水筒は世界各地で使われておりますが、しかしながらハガルが持たされたものはおそらく現代の革製品のような質の良いものでは決して無かったでしょう。
現代の革は主にタンニンエキスとクロムなどの金属を混合して鞣す方法が主になっているそうですが、紀元前3000年頃はやっと「どうやら樹液に浸けると皮が柔らかくなるっぽい」と分かった段階なのです。これがタンニンの効果だと分かるには18世紀まで待たなくてはなりません。
古代の人々は、とりあえず原理は分かりませんが樹液と捌いたばかりの動物の皮を一緒に浸けておいて固くなるのを防いでいたわけです。
ではそれより前はどうしていたかと言うと、油を塗り込んで鞣していました。その更に前は炉端で燻して、更に前は叩いたり揉んだり噛んだり舐めたりして、人間は動物の皮を加工してきました。
鞣し加工が十分でないと、中にいれた水に不快な味が付きます。具体的に言うと腐った動物の肉の味がします。

参考:
https://tsuchiya-kaban.jp/blogs/library/20200611

https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1200000796

https://www.aqua-sphere.net/literacy/k/k02.html#:~:text=%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%81%AF%E3%80%81%E6%B0%B4%E3%81%A8%E7%9D%A1%E7%9C%A0,%E3%81%AA%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%80%81%E4%BD%93%E6%B8%A9%E3%81%8C%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%A9%E3%82%93%E4%B8%8A%E3%81%8C%E3%82%8B%E3%80%82



物を運ぶ入れ物の精度が上がらなくては、流通はままなりません。水が貴重な存在な地域であることを考えますと、水場の近くに集落を構えることがいかに重要か、そして集落を追い出されるということがどれ程絶望的なことかが分かります。

現在販売されている皮革製品の水筒をAmazonで見てみましたら、1L入るもので大体の大きさが
縦30 × 横25 × 厚さ3cm前後
でした。
最もよく使われたというヤギの皮で仮定しますと、ヤギの大きさは種類によってだいぶ違いますが体長が1~1.5mなので最大でも縦1mくらいの大きさの水筒になります。
鞣す過程での縮みや、縫い合わせる際に形を整えることを考えたらもっと小さくなると思います。つまりハガルが持っていけた水は最大でも約3Lですかね。ざっくりした予想で申し訳ないですが、それでもこれくらいの量の水と幾ばくかのパン(それもこの時代のふすま入りパサパサのやつ)だけで放り出されたハガルとイシュマエルがどんな心境になるかは想像に難くありません。

ハガル親子がどれくらいの期間砂漠をさ迷ったか表記はありませんが、成長期の子供がいて水も食料もそうそう長くはもたなかったでしょう。人間は食べ物がなくても2~3週間は生きていられますが、水と睡眠が無かったら4~5日で死んでしまいます。
体内の水分が不足してくると脱水症状を起こします。体温を調節する汗が出なくなって体温が上がり、尿によって老廃物を体外に出せなくなり臓器障害が起こって死に至るのです。体内の水分の20%、体重50kgだったら10Lの水が失われたらもうアウトということです。
人間は普通に生活していても、一日の水分排出量と同じだけの約2.5Lの水が必要です。食べ物からもある程度取れたりはしますが、パンしか持ってないこの親子の状況ではそれは望めないと思われます。
二人分で3Lでは、1日分の水にもなりません。大事に大事に、なめるように飲んでもきっと3日ももたなかったでしょう。

水がついに尽きたとき、ハガルが取った行動は『子供の死を直視できないので子供を置いていく』というものでした。
イシュマエルを灌木(2~3m以下の低木)の下に投げ出し、「矢の届くほど離れた向こう」まで距離を取って座り込みます。

話が脱線しまくりですが、「矢の届くほど」とはどれくらいの距離でしょう?

弓の歴史は古く、元々は投げ槍や投げ矢を使っていたところから発展しまして、数万年前から世界各地で使われていたそうです。
地域によってはあんまり根付かなかったところもあるようですが(ケルトや中央アメリカなど)、バビロニアやエジプトやギリシアやローマ帝国は戦によく弓を用いました。(エジプトはヒクソスから技術を取り入れたらしい)
よく使うものは改良されていくもので、メソポタミアでは既に複数の材料を張り合わせた「複合弓」が使われていました。木製の弓幹に動物素材を貼って強化を施すのです。こうすると単一の材料のみで作られた「単弓」よりも小型で高威力を出せる為、馬上や馬車からも撃てます。
短所としては作成に時間がかかることと素材の接着に使う膠(にかわ)が湿度に弱いことですが、乾燥地帯に住んでいたメソポタミア人やエジプト人には無問題です。

ちなみにアラブでは、ヤギの角と腱で強化された弓は精鋭や水のそばに住んでいる人間のみが使用することになっているそうです。なんでそういう決まりになっているかは不明だそうで、Wikipediaには「接着剤が乾燥に弱いからではないか」という研究者さんの説が載ってました。

…いや、さっき膠は湿度に弱いって書いてたやんけ( ゚д゚)

そこで自分を納得させるために考えた結果、「膠職人さんが水場に住んでるからじゃないか」と思いました。
複合弓を作るために使う接着剤、膠(にかわ)というのは所謂ゼラチンです。動物の皮や骨を水で煮てコラーゲンを抽出し、ろ過して精製・濃縮して作ります。つまりお水がたくさん無いと作れません。
必然的に膠職人さんは水のあるところに住まないといけませんし、その膠を使う弓職人さんも近所に住んでないと仕入れがスムーズにできません。
そしてハガルの件で、この地域の水がとてつもなく貴重なことは先程わかりました。
結果的に水場に住んでいる人しか複合弓は作れず、そうして作られた貴重な弓は一部の選りすぐり戦士と製作者しか持てないということになります。

さて、そうして作られた複合弓、果たしてどれくらいの距離を飛ばすことができるのでしょうか。
さすがにこの時代の弓の飛距離は分かりませんでしたが、ユーラシア大陸中央部の騎馬遊牧民たち(スキタイ人とか)が改良したトルコ弓の最大飛距離は
実用矢→400m
遠矢用→600m
だったそうです。

日本で古来から使われている和弓ですと
実用矢→200m
遠矢用→400m
この辺りが最大飛距離のようです。
もちろん動かない的をねらった飛距離なので実際に戦闘で使うとなると変わってくると思いますが、「弓矢の届く範囲」くらいの距離と言われたら600~200mくらい、というところでしょうか。
メソポタミア時代の弓なのでもっと距離が短い可能性もありますが、とりあえずイシュマエルの姿が見えないくらい距離を取った、という表現でしょう。

それくらい離れてから、ハガルは座り込んで泣き叫びました。
ぶっちゃけハガルはアブラハムに…というかサラに巻き込まれてとばっちりを喰った、ごく一般的な人間です。人並みに弱いし、人並みに欲もあります。だからアブラハムの妾になれるチャンスにもホイホイ乗ったんだろうなと思いますし。
そんな彼女がいきなりこんな試練に放り出されても、歴代の預言者たちのように毅然と振る舞えなくて当然と言えます。

そこで行動を起こしたのはイシュマエルでした。明記はされてませんが、神さまに助けを求めたのでしょう。「イシュマエル(主は聞き入れる)」という名前通りの働きです。

泣いているハガルの元に『少年の声』を聞いた神によって遣わされた「神の使い」がやってきます。
「神の使い」は水やら食料をくれたわけではなく、ハガルを励まして消えました。(爆)
13年前、イシュマエルを身籠ったハガルがベエル・ラハイ・ロイで出会った御使いもそうでしたが、基本的には彼らは応援するだけです。試練に打ち勝つのは信徒の個々の強さに委ねられます。

しかしハガルは神によって「目を開かれ」、そのおかげで井戸を見つけた、とあります。
あくまで想像ですが、ハガルに一番必要だったのは味方の存在ではないでしょうか。
イシュマエルを身籠ってから今に至るまで散々いじめられてきた彼女でしたが、一度目はベエル・ラハイ・ロイで、そして二度目は今、御使いの声を聞きました。
それは彼女にとっては救いになったことでしょう。
ひとりでも味方がいる、というのは心の余裕をもたらします。心の余裕ができると、視野が広がります。ハガルはそれまで必死過ぎて、近くにあった井戸に気付かなかったというわけです。
なんだか、いじめ対策や自殺対策の電話相談のようですが…
しかし、恐らくこの宗教が現代まで続いてきたのは、この部分が多くの人に響いたからではないでしょうか。人間社会が複雑になったからこそ生まれた問題かもしれません。

さて、無事皮袋に水を入れることができたハガルは、イシュマエル共々生き延びることができました。イシュマエルは神のご加護もあってすくすく育ち、「野ろばのような」人になるだろうという予言のとおり、たくましい弓使いに成長します。

このイシュマエルの子孫がのちのアラブ人ということになっているそうで、ユダヤ教とイスラム教の分岐はここからと言っても良いかもしれません。
先程調べた弓の歴史で、強力な弓を使うアラブ人は水場に住んでいたとありました。強い弓を作ることができたのも、ハガルが見つけた井戸のおかげでしょうか。

力を付けたイシュマエルは、パランの荒野という所に住み着きます。
パランという町は現在のイスラエル南部、ヨルダンとの国境に程近いところにあります。農業が主な収入源の、人口500人ほどの集落です。1971年にできた新しい町で、聖書の話から名付けられたそうです。
そこから約30km南西にいったところに、キパット・パランという山があります。ゲネヴ砂漠からは75km南下したところです。
海抜265mの、山というよりは丘に近い地形です。このあたりは植物のほとんど生えない砂漠地域ですが、住んでいる人はちらほらいるようです。この砂漠地帯はエジプトのシナイ半島まで広がっています。
おそらく、親子が住んでいたのはこの砂漠でしょう。インターネットで写真を見るだけでも、厳しい土地なんだろうと解ります。

その後、ハガルは自分の故郷であるエジプトから、息子の妻として女性を連れてきました。つまり聖書を信じるとしたら、イスラム教の祖先の血筋はヘブル人とエジプト人のクォーターということになりますね。
とりあえず、この章でのハガル親子のお話はここでおしまいです。
以降はまたアブラハムの話に移ります。

ハガル親子が大変な思いをしている一方その頃、アブラハムは現在住んでいるゲラル(カナンの南側)の王様アビメレクと、その将軍ピコルに謁見中でした。
ピコルさんは新顔ですね。まあ特に何かするわけでもなくアビメレクの側に付いているだけで、聖書でもここにしか出てこないみたいですが…。
彼らはアブラハムに物申したいことがあって、アブラハムを召集したようです。
曰く、
「あなたが何をしても(良くないことでも)、あなたには神が味方についている。
だから、この土地に住む私たち全員を裏切るようなことは絶対しないと神に誓ってくれ。」
アビメレクたちにしてみたら、行きずりの遊牧民の女を側室にしようとしたらいきなり一族全員呪われてしまったわけですので、アブラハムに付いている神さまは脅威です。今は特別待遇で機嫌をとっていますが、危険な人物であることには変わりないでしょう。なのでアブラハムを無力化したかったのでは無いでしょうか。
「神に誓ってください」と頼みつつも、将軍を控えさせているあたりにアビメレク王の警戒心が伺えます。
アブラハムはこれに関してはおとなしく了承しましたが、彼の方にも物申したいことがありましたのでここぞとばかりに抗議しました。
「それはそうと、あなたのしもべが私の井戸を奪い取ったんですけど?」

先程のハガルの話にもあったように、この厳しい土地で水は何よりも貴重なものです。水源の確保は生活のために必須です。
しかし「どこに住んでもいい」とは言われたとは言え、この土地はアビメレク王の領地です。法が整った国で、一民間人が勝手に水道を引くのは、一般的には違反行為です。この時代のこの地域では民法がどうなっていたかは分かりませんが、アビメレクの部下はただ規定通りの仕事をしただけという可能性もあります。所謂、お役所仕事というやつです。
それに対しアビメレクは
「誰がそんなことしたのか知らなかった。あなたも言ってこなかったし、わたしも聞いてなかった。」
と答えます。非常に政治家らしいお答えですね。数千年経っても為政者の弁明は変わらないことに驚きます。
これは妄想ですが、旅行者でありながら領地に定住する許可を得ているアブラハム一族の存在自体がイレギュラーなため、そこで起こったトラブルの解決法が当て嵌められず困ってしまったのではないでしょうか。

そこでアブラハムは、例のごとく自分のやり方に寄せることにしました。アブラハムと神さまの間でやってる契約の方法で、アビメレクとも契約をしようということです。
アブラハムが羊と牛をアビメレクに渡すことで契約を結んだ、とあります。そのなかでも、アブラハムは羊の群れから雌の子羊を7頭選んで、手ずからアビメレクに渡そうとしました。
アブラハム式の契約方法など知らないアビメレクが「どういう意味これ」と訊ねると、アブラハムは「私がこの井戸を掘った証拠となるために、受け取ってください」と答えました。
初めて出てくる契約方法ですが、所有権を示すための代金としてかかる費用が神とアブラハムの間では「雌の子羊7頭」なのでしょうか。

数字にどういう意味があるのかは原典である聖書には全く記載がないのですが、その後の読者たちが考えたカバラ(神秘主義思想)の数秘術などで意味付けがされています。
カバラにおける『7』の数字は
『今あなたの進んでいる道は正しい』
『ものごとの真実を見つめようとする力』
『自己の内面の探求』
などの意味があるようです。象徴する色は紫で、「海底」の自然要素を持つとのことです。真実の証明としての数、と考えれば良いのでしょうか。
また『3』が神の世界、『4』が自然を意味しているので、この2つの数字を合わせた7は『完全』『完成』という意味にもなるそうです。

ちなみに前回アブラハムが神と交わしたの契約は、15章で『アブラハムの子孫が星の数ほど増える』という神の申し出に対して行ったものです。この際は
「三歳の雌牛と、三歳の雌山羊と、三歳の雄羊と、山鳩とその雛」
を使いました。
『3』の数字は
『三位一体』
『拡大、増加、繁栄、成長』
『子供、種子、新しい命』(1が男性、2が女性を表し、この2つから生まれるもの)
などの意味を持つそうです。象徴する色は黄色、性質は「風」だそうです。

数字も調べてみると色々面白いですね。

さて、そんなこんなでアブラハムは定住するのに必須な水源を得るためアビメレクと無事に契約を結びました。彼らが契約した場所は契約内容に基づき『ベエル・シェバ』と名付けられたとのことです。

ベエル(誓い/七つ)
シェバ(井戸)

という意味になります。後付け感はパネェですが、現代でも使われてる地名です。

契約が終わるとアビメレクとピコルは自分の土地に帰っていったとありますが、その帰った先が「ペリシテ人の土地」というのは新情報です。つまりアビメレクはペリシテ人の王だったということですね。
ペリシテ人について、10章のところで結構調べましたけど随分前なので改めてまとめましょう。

ノアの息子ハムの子、呪われたカナンの兄弟であるミツライムの子孫が聖書における『ペリシテ人』です。
エジプトの擬人化であるミツライムの7名の子孫のうち、カスルヒムとカフトルがペリシテ人の可能性がある、と以前調べて分かっています。
両名とも、紀元前12世紀のカタストロフの影響でのミノア文明の崩壊によりクレタ島などから移住してきたフィリスティア人を指すのではないかと予想しています。
紀元前12世紀というと、アブラハムが生きたとされる紀元前17世紀頃とだいぶ時代に開きがありますね。
実はこの時代にペリシテ人が存在したと記載している文献は、旧約聖書だけなのだそうです。なのでここで登場する《ペリシテ人》が本当に後世と同じ民族なのか、あるいは後付で《イスラエルの敵》として名前を出されただけなのかは諸説あるらしいです。
イスラエル人の敵として描くにしては、今の所アビメレクはアブラハムに対してめっちゃ寛大ですけどね。

詳しくはこちら↓↓↓
聖書を楽しむ【8】(1)
http://katzeundgeige.blog.shinobi.jp/mouso/%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%82%92%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%82%80%E3%80%908%E3%80%91%EF%BC%881%EF%BC%89

とりあえず、しばらくペリシテ人の土地に住むことにしたアブラハムは、井戸に『柳の木』を植えて『永遠の神、主の御名によって』お祈りしました。
私の持ってる聖書では『柳の木』という記載ですが、日本で想像されるようなシダレヤナギではなく、ギョリュウ(檉柳、御柳)だそうです。ヘブル語では「アラバ」と呼びます。
ナデシコ目ギョリュウ科ギョリュウ属の落葉小高木で、乾燥と塩分に強く砂漠でも根を張る性質を持ちます。春にピンクや白の小さな花を咲かせます。
ユーラシアやアフリカの乾燥地帯の水辺に多く分布し、日陰や羊の餌などに利用された他、木材としての硬さを生かして古代エジプトではチャリオット(戦闘用馬車)の本体部分に使われたそうです。
大変に強い生存力・繁殖力を持つ木ですが、そのために他の樹木を駆逐してしまうこともあります。19世紀初頭のアメリカでも、グランドキャニオンの川沿いに自生していた樹木を植えられたギョリュウが駆逐してしまった例があるそうです。そのためか、ギョリュウの花言葉は「犯罪」だということです。

現在の宗教・経済・民族の問題を考えると、複雑な気持ちになった反面いろいろ腑に落ちてしまいました。
こんなに古いお話の禍根が、今も続いているんですね………なんとかならないものでしょうか?

ひとまず、今回はここまでです。


今回の楽曲はフランツ・シューベルト作
『ハガルの嘆き』D.5
https://youtu.be/eOt-R5Bmsic

『魔王』D.1と同じくらいの、シューベルト最初期の歌曲です。作品番号は5番ですが、18歳のとき作曲した『魔王』よりも早い14歳の頃の作品だそうです。
歌曲というよりもアリアに近い、演奏時間のめっちゃ長い作品です。

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