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音楽とお酒と歴史探索が趣味です。色々書きなぐってます。
カテゴリー
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  プロフィール
HN:
赤澤 舞
性別:
女性
職業:
飲食店店員
趣味:
お菓子作ったりピアノ弾いたり本読んだり絵描いたり
自己紹介:
東京・神奈川・埼玉あたりでちょこまか歌 を歌っております。

一応声種はソプラノらしいですが、自分は あんまりこだわってません(笑) 要望があればメッツォもアルトもやりま すヽ(^。^)丿

音楽とお酒と猫を愛してます(*´▽`*) 美味しいものには目がありません。

レトロゲームや特撮も好物です。

ヴァイオリンは好きだけど弾けませんorz
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2025/05/14 (Wed)
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2020/04/17 (Fri)
こんにちは。

新型肺炎ウイルスの影響が凄まじい今日この頃です。
様々な社会問題や流行り病はいつの時代も無くなることはありませんが、せめて一平民として、過去の文献に学び、最新の情報を常に取り入れ、可能なかぎり最善な行動を取っていたいと個人的に考えています。
過去の文献は、失敗例も成功例もためになるものです。

さて、今回は旧約聖書の中でも指折りの大スペクタクルテーマ『ソドムとゴモラ』のお話です。


※キリスト教徒でもユダヤ教徒でもイスラム教徒でもプロの考古学者でもないただの一般日本人(無宗教者)が、聖書を読んで楽しんでいるだけです。
気になったことは本を読んだりネットで情報を拾ったりしていますが、あくまで一般人が手に入れられる範囲です。
多大なる妄想を含んでいます。本気にしないでください。


○第十九章

そのふたりの御使いは夕暮れにソドムに着きました。ロトはソドムの門のところに座っていました。ロトは彼らを見るなり、立ち上がって彼らを迎え、顔を地につけて伏し拝んで言いました。
「さあご主人、どうかあなたがたのしもべの家に立ち寄って足を洗い、泊まっていってください。そして朝早く旅を続けてください。」すると彼らは「いや、わたしたちは広場に泊まろう。」と言いました。
しかしロトがしきりに勧めるので彼らはロトの家に行きました。ロトは彼らのためにごちそうを作り、パン種を入れないパンを焼きました。彼らはそれを食べました。
彼らが床につかないうちに、ソドムの町の人たちが若者から年寄りまで全員やってきて、家を取り囲みました。
彼らはロトに向かって叫びました。「今夜おまえのところにやってきた男たちはどこにいるんだ。ここに連れ出せ。彼らをよく知りたい。」
ロトは戸口にいる彼らのところに出て、うしろの扉を閉めて言いました。
「兄弟たちよ、どうか悪いことはしないでください。
お願いします。私にはまだ男を知らない娘が二人おります。娘たちを連れてきますので、あなたがたの好きなようにしてください。そのかわりあの人たちには何もしないでください。あの人たちは私の屋根に身を寄せたのですから。」
しかし彼らは「引っ込んでいろ」「こいつは他所から来たくせに、さばきつかさのように振る舞ってる。さあ、おまえをあいつらよりもひどい目に会わせてやろう。」と言ってロトの体をはげしく押しつけ、戸を破ろうと近付いてきました。
するとあの人たちが手を差しのべて、ロトを自分たちのいる家の中に連れ込んで、戸を閉めました。
家の戸口にいた者たちは、大きい者も小さい者も目つぶしを食らったので、彼らは戸口を見つけるのに疲れはてました。
二人はロトに言いました。
「他にあなたの身内はここにいますか。婿や息子や娘、この町にいる身内の者はみんな、この場所から連れ出しなさい。
わたしたちは、この町を滅ぼそうとしているからです。彼らに対する叫びが主の前で大きくなったので、主はこの町を滅ぼすためにわたしたちを遣わされたのです。」
そこでロトは出ていって、娘たちをめとった婿に言いました。「立ってこの場所から出て行きなさい。主がこの場所を滅ぼそうとしているから。」
しかし彼の婿たちには冗談のように思われました。
夜が明けるころ、御使いたちはロトをうながして言いました。
「さあ立って、あなたの妻と、ここにいるふたりの娘たちを連れて行きなさい。さもないと、あなたはこの町の咎のために滅ぼし尽くされてしまうでしょう。」
しかし彼はためらっていました。するとその人たちは彼の手と彼の妻の手と、ふたりの娘の手をつかみました。
ー主の彼に対するあわれみによります。そして彼らを連れ出し、町の外に置きました。
ひとりが言いました。「命がけで逃げなさい。うしろを振り返ってはいけません。この低地のどこでも立ち止まってはなりません。山に逃げなさい。さもないと滅ぼし尽くされてしまいます。」
ロトは彼らに言いました。「主よ、そんなことになりませんように。
ご覧ください。このしもべはあなたの心にかない、あなたは私の命を救って大きな恵みを与えてくださいました。しかし、私は山に逃げることができません。わざわいが追い付いて、たぶん私は死ぬでしょう。
ご覧ください。あそこの町は逃れるのに近くて、しかもあんなに小さいのです。どうかあそこに逃げさせてください。あんなに小さいではありませんか。私の命を生かしてください。」
その人は言いました。「よろしい。わたしはそのことでもあなたの願いを聞き入れ、その町を滅ぼすまい。いそいでそこへ逃れなさい。あなたがあそこに入るまでは、わたしはなにもできないから。」そのため、その町はツォアルと呼ばれました。
太陽が地に昇ったあと、ロトはツォアルに着きました。
そのとき、主はソドムとゴモラの上に硫黄の火を天の主のところから降らせ、これらの町々と低地全体と、その町々の住民と、その地の植物をみな滅ぼされました。
ロトの後ろにいた彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまいました。
翌朝早く、アブラハムはかつて主の前に立ったあの場所へ行きました。
彼がソドムとゴモラの方と、低地の全地方をみおろすと、見よ、まるでかまどの煙のようにその地の煙が立ち上っていました。
こうして、神が低地の町々を滅ぼされたとき、神はアブラハムのことを覚えておられました。それで、ロトの住んでいた町々を滅ぼされたとき、神はロトをその破壊の中から逃れさせました。
その夜、ロトはツォアルを出て、ふたりの娘と一緒に山に住みました。彼はツォアルに住むのを恐れたからです。彼はふたりの娘と一緒にほら穴の中に住みました。
そうこうしているうちに、姉は妹に言いました。「お父さんは年をとっています。この地には、この世のならわしのように、わたしたちのところに来る男の人などいません。
さあ、お父さんに酒を飲ませ、一緒に寝て、お父さんによって子孫を残しましょう。」
その夜、彼女たちはロトに酒を飲ませ、姉が入っていき、父と寝ました。ロトは彼女が寝たのも、起きたのも知りませんでした。
その翌日、姉は妹に言いました。「ご覧。私は昨夜お父さんと寝ました。今夜もまた、お父さんに酒を飲ませましょう。そして、あなたが行って一緒に寝なさい。そうして、わたしたちはお父さんによって子孫を残しましょう。」
その夜もまた、彼女たちは父に酒を飲ませ、妹が行って、一緒に寝ました。ロトは彼女が寝たのも、起きたのも知りませんでした。
こうしてロトのふたりの娘たちは、ロトによってみごもりました。
姉は男の子を生んで、モアブと名付けました。彼はのちのモアブ人の子孫です。
妹も男の子を生んで、ベン・アミと名付けました。彼はのちのアモン人の子孫です。


~~~~~~~~~~~~~~~~~

過去にも『ノアの方舟』とか『バベルの塔』とか、既出の有名な話はありますが、このお話はだいぶ描写が細かくなっていますね。表現方法が色々工夫されていて、小説としてもだいぶ進化が見られます。


18章の直接の続きになります。
アブラハムと主が「ソドムに10人良い人がいたら滅ぼすのやめる」と約束して別れたあと、主のお付きの二人はその足でソドムにやってきました。
「そのふたりの御使い」ということは、主は一緒に行かなかったんですね。
前回のお話が昼でしたから(「日の暑い頃」ってたぶん昼よね)アブラハム宅での食事の時間を加味しても、数時間かけて徒歩で来たんでしょう。夕暮れ頃にソドムに着きました。
これまた偶然、町の入り口の門のところに、ちょうどアブラハムの甥っ子のロトが座っていました。
ドラクエとかで町の入り口あたりにいる「ようこそ!ここは〇〇の町です!」とか言うキャラを思い浮かべますけどもそんな扱いなんでしょうか。
ロトはふたりの姿を見るなり「立ち上がって彼らを迎え、顔を地につけて伏し拝み」ました。前章でアブラハムが取った行動と同じですね。
ここも、ロトがこの二人を『人ならざるもの』『神の御使い』と認識していた説と、旅人はおもてなしするべしという風習を守った説で解釈が別れます。私は個人的に、「ご主人」とロトがふたりを呼んでいますので「風習を守った説」を推したいなと思っています。

ロトはふたりの旅人(に見える人)に、自宅に泊まるよう勧めます。彼らが「広場に泊まるからいいです」と言っても退きません。あんまり言うのでふたりは折れて、ロトの家に厄介になることになりました。
客人を自宅に連れていったロトは、ごちそうと「パン種を入れないパン」を焼いてもてなしました。
前回散々パンの歴史について調べましたんで、この時ロトが作ったパンは精製前のライ麦で作られた、クリスピーピザ生地やクラッカーに近い平パンだったことが分かります。
アブラハムのおうちで出した料理はちゃんとメニューも詳細に書いてあったのに、今回はただ「ごちそう」としか書いてありません。
なので勝手な妄想をいたしますと、アブラハムとの生活の差を表したかったのかしらと思います。
第13章でアブラハムと袂を分かってから24年、ロトは豊かなヨルダンの低地を一家の住みかに選び、ソドムの町に身を寄せて暮らしてきました。よそ者として生きづらい面もあったかもしれませんが、とりあえず町の経済の中で暮らしていれば物質面で困ることはありません。

そもそも、ソドムとゴモラは相当栄えた町だったと思われます。
死海のほとりにあったと考えられている二つの町は、牧畜や農耕以外に「アスファルトの輸出」で潤っていたと考えられるからです。
第14章のところで調べた通り、死海は昔は「シディム」という名前の谷で、その谷には瀝青(天然アスファルト)が採掘された後の穴がたくさん空いていました。防水加工に優れた天然アスファルトはバベルの塔のところで触れましたがミイラの加工にも使われており、エジプトへの重要な輸出品でした。
ヨルダン川の恵みのおかげで食料には困らず、先進大国エジプトから外資を稼ぐこともできたわけです。

まとまった財産を持っていたロトたちは、家畜を売ってそれを元手に町の中で商売をしたり、土地を買って自分の家を建てたりして町に溶け込んだのでしょう。遊牧生活を続けるアブラハムの一家よりも、物質的には豊かになったのです。

前章でアブラハムが主たちに出した、子牛肉の料理と凝乳(カッテージチーズ)、搾った牛乳というメニューは、アブラハム家にとっては最大限のおもてなしでしたが、急拵え感が否めないものです。
気温の高いメソポタミアの気候で冷蔵保存など出来ない時代、牛乳は搾りたてでしょうし、カッテージチーズも作ってすぐ食べていたでしょう。
パン菓子も客人たちが来てからサラに命じて焼かせたものですし、仔牛に至っては主たちが訪れてからアブラハム自ら「柔らかくて美味しそうな子牛」を選び出して屠って、料理番の若者に渡して作らせたものです。調理にあまりに時間がかかるものを出せたとは思えませんので、恐らく焼いて出したのではないでしょうか。
つまり『蓄え』としてすぐ出せる保存食料が無かったことになります。

この時代のメソポタミアの台所事情は、果たしていかなものだったんでしょうか?
調べてみますとやはり乳製品は腐りやすいこともあり、貴族など限られた人が口にしていたといいます。 保存食料といえば山羊や羊・牛などの干し肉や塩漬け肉、豆や麦などの穀物でした。野鳥や野うさぎなども食べられていたそうです。
野菜は都市部の富裕層のみが食べられる高級品でしたが、種類自体はかなり色々あったようです。
ネギ、タマネギ、ニンニク、レタス、カブ、カボチャ、きゅうり、テンサイ、チコリーなどの他、レモンやイチジクなどの果物も栽培されていたそうです。
果物は搾って生ジュースとして飲んだり、乾燥させてドライフルーツにしてケーキの材料や甘味料にしたり。こうしてみますと、3000~4000年前とは思えない程料理の文化は確立していたことがわかります。

引用サイト:
https://www.phantaporta.com/2017/07/blog-post22.html?m=1

古代メソポタミアの粘土板の中には、当時のレシピの記録がいくつか残っていたりするそうです。
アメリカのイェール大学が所蔵する粘土板には、約40種類の紀元前1600年頃の『高級料理』のレシピが載っているとのことです。
よく作られていたのは煮込み料理でした。肉や野菜を放り込んで煮るだけではなくて、野菜を煮崩したり、パンでとろみをつけたり、麦粉の団子が入ったり、獣の血を入れたり、コリアンダーやクミンやミントなどのハーブを乾燥させた香辛料を入れたりと、現代と変わらないくらいバリエーションは色々。

こちらの記事では、その粘土板のレシピを再現なさっていました。↓

引用サイト:
https://www.hotpepper.jp/mesitsu/entry/maidon/17-00008

○古代メソポタミア(紀元前3000~紀元前400年頃)の麦とラム肉のシチュー

【材料】(4人分)
ラム肉 200g
エンマー小麦(古代小麦の一種) 50g
セモリナ粉 50g (※パスタ等に使用する小麦粉の一種)
にんじん 80g
クミン粉 大さじ4 (※カレー等に使用するスパイス)
コリアンダー粉 大さじ4 (※パクチーのスパイスで柑橘系の香りが特徴)
ミント 1枝
にんにく 1片
水 600ml

(メソポタミア風だし)
水 1.2リットル
クレソン 50g
きゅうり 100g
フェンネル粉 大さじ1 (※セリ科の多年草のスパイスで甘い香りが特徴)
クミン粉 大さじ1

【作り方】
1. メソポタミア風だしをつくる。鍋に水を入れて、ざく切りにしたクレソン、きゅうり、フェンネル粉、クミン粉を入れて水が半量になるまで弱火で煮込む。

2. ラム肉、にんじんを一口サイズに切る。にんにくをすりつぶす。

3. 鍋に水と1を入れてラム肉、クミン粉、コリアンダー粉、セモリナ粉、エンマー小麦、にんにく、にんじん、ミントを入れて火にかける。

4. 沸騰したらアクをとり、弱火で30分煮込む。適度にとろみが出てたら完成。


○イースト菌のかわりにビールで発酵させたパン「アカル」
【材料】(4人分)
エンマー小麦 200g
セモリナ粉 200g
薄力粉 200g
ハチミツ 適量
塩 適量
ビール 350ml

【作り方】
1. エンマー小麦、セモリナ粉、薄力粉をボウルに入れ、ハチミツ、塩を加える。

2. 1にビールを注ぐ。

3. 木べらで粉っぽさがなくなるまでよくかき混ぜる。

4. 耐熱容器に移し、180℃のオーブンで40~50分焼く。

アカルは、ベーグルのようなしっかりした食感のパンらしいです。

古代メソポタミアのメニューでお食事会をなさっていた方もいらっしゃいました。↓

引用サイト:
https://togetter.com/li/1024149

引用メニュー
○料理
①レンズ豆と炒り麦の粥(リゾット)(イェール大学のタブレットレシピB(7-iv-(46)~(50))
【材料】
レンズ豆、大麦、ポロねぎ、にんにく、玉ねぎ 、鶏肉、赤ワインビネガー、ブイヨン、ミント

②羊肉の塩味の煮込み (イェール大学のタブレットレシピA(20))
【材料】
羊肉、塩、玉ねぎ、クミン、コリアンダー、ポロねぎ、にんにく、ブイヨン

③栽培種の蕪の煮込み (イェール大学のタブレットレシピA(25))
【材料】
玉ねぎ、ルッコラ、コリアンダー、蕪、ポロねぎ、にんにく、ブイヨン

④メルス (マリ王国の宮廷文書 ARM XI,no.13)(古代メソポタミアの焼き菓子)
【材料】
小麦粉、水、牛乳、ビール、植物油、バター、なつめやし、ピスタチオ、干しブドウ、りんご、ハチミツ、クミン、コリアンダー、にんにく

○飲み物
①フレーバーウォーター
【材料】
水、ぶどう、ざくろ

②シェニーナ (清涼乳飲料)
【材料】
牛乳、水、ヨーグルト、塩

③はちみつ入りビール
【材料】
ビール、各種ハーブ、ハチミツ、ワイン

④ハーブ浸けワイン
【材料】
白ワイン、コリアンダー、タイム

創世記第9章のノアのところで調べましたけれども、メソポタミアはふどう栽培には適さない土地で、ワインは少しは生産されていましたが高級品でした。日常的に飲む酒としては、ビールの方が身近なものだったと思われます。

聖書を楽しむ【5】
http://katzeundgeige.blog.shinobi.jp/mouso/%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%82%92%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%82%80%E3%80%905%E3%80%91


日本では数少ないですが、メソポタミアのお料理が食べられるお店もあります。
こちらは東京にあります、クルド料理のお店。
【クルド料理屋 メソポタミア】
https://mesopotamiajp.jimdofree.com/

ここは個人的にいつか行きたいなーと思いつつ、なかなか行けていないお店のひとつです。


これらの資料を頼りに、ロトがお客様にお出しした「ごちそう」を想像いたしますと、前章でアブラハムが大慌てで用意した精一杯の料理がいかに粗食かわかります。
すぐにこれらの料理が用意できたということは、ロトの家は日常的にこのような食材が揃っていたということになります。

食料がこんなに豊かなのですから、きっとベッドもフカフカだったんでしょうね。ロトはふたりの旅人さんに寝床を提供し、さて自分もそろそろ寝ようかなとお布団に入ろうとします。
ところが、なにやら外が騒がしい。
なんだなんだと外を覗いてみると、なんと町中の人が老いも若きも全員やってきてお家を取り囲んでいます。彼らは
「今夜おまえのところにやってきた男たちはどこにいるんだ。ここに連れ出せ。彼らをよく知りたい。」
と叫んでいます。

「~を知る」「~のところに入る」という表現は、聖書においてよく使われますが体の関係をもつという意味になります。
つまりソドムの町人全員、老いも若きも男も女も、ロトの家にいる旅人たちと体の関係を持ちたがっているということになります。旅人さんたちは、実は人間ではないだけあってよっぽどイケメンだったのでしょう。

ソドムが「悪徳の都」と言われる大きな理由が、この部分によります。不特定多数との性行為、同性愛が横行しているからだということです。
近年は認められだしている同性愛ですが、このお話の主人公である「ヘブル人」たちの目的は『自分の一族の人口をたくさん増やす』ことですので、彼らにとってはダメなことなのかもしれません。
同じく、不特定多数と行為に耽るのも『自分の子孫』を残したい「男性」の信徒にとっては無駄な行為でしょうね。また、アブラハムの契約である『包茎手術』について調べたときに出てきた、性病を恐れてのことかもしれません。まあそういう考えの人もいるだろうな、とは思います。
(私は個人的には別に好きにしたらいいと思うし、LGBTもありだと思う。ちなみに野性動物の世界では同性愛はよくある。)

『ソドムの罪』にはいくつか説があるようですが、同性愛の禁忌として解釈するようになったのは紀元前2世紀頃からだそうです。
元々は同性愛を許容する古代ギリシャの文化を批判するために、例話として使われるようになったようです。

まあそれはそれとして、ピンチなのは今まさに町中の人に取り囲まれているロトです。自分の家に招き入れた大事な客人を、危険な目に合わせるわけにはいきません。ロトは外に出て、入り口のドアに立ちふさがって
「うちの処女の娘二人を代わりに好きにしていいので、どうか客人には手を出さないでください」
と言います。
現代の日本からみるととんだ父親だなと思うところですが、これはメソポタミア特有の家父長制的な判断と言えるそうです。娘は家長である父親の所有物で、客人をおもてなししたり守ったりするのは家長の義務である。だからどんな犠牲を払ってでも、所有物たる娘を身代わりにしても、家の名誉のために守りきらなくてはならない…とまあ、こういう思考なわけです。

しかしソドムの人々は「引っ込んでろ」と取りつく島もありません。まあ元々ロト家の客人を目当てにやって来た人々ですし、男色家の人やレズでない女性は女に興味は無いですね。
それどころか、「おまえ元々よそ者のくせに偉そうでムカつくな。あいつら(客人)より酷い目に合わせてやろう。」とロトに矛先を変えて襲ってきたのです。
原文の「さばきつかさ」は、王政が樹立する前の時代の指導者的立場の人を指します。恐らくロトの清廉潔白な性格にプラスして、裕福な生活をしていたことも恨みを買う原因になったのではないでしょうか。

壁に激しく押し付けられるロト!そこに四方八方から男たちの手が迫る!!
第14章でメソポタミア連合軍に拐われたり何かとヒロイン体質なロトですが、老齢になっても相変わらずでした。
あわやこのままレイプされてしまうのかというところで、家の中にいた客人たちがドアを一瞬開けてロトを引っ張りこんでくれました。危機一髪。
ドアの前にいた人たちは「大きい者も小さい者も目つぶしを食らったので、戸口を見つけるのに疲れはてた」とありますが、まさか一人ずつの目に指を突っ込んだり、砂をぶっかけたりしたわけではないでしょう。
強烈な光を見せて、まとめて目つぶししたと考える方が効率的だし何よりカッコいい(爆)このシーンを絵に描いている画家さんたちも、大抵光輝く天使として客人たちを描いています。一般人には、背中の羽は見えない設定になっているようです。
(原文には、勿論この客人たちに羽が生えてる描写はありません。)

ふたりの客人は、助け出したロトに
「この町に、あなたの身内は(同居する娘ふたりの他に)いますか?いるならすぐこの場所から連れ出しなさい。実はわたしたちはこの町を滅ぼすために、主から遣わされたんです。」
と言いました。今の一件で、善人10人どころではなくもう町中悪人だらけだと判断されたわけです。
アブラハムと同じで素直なロトは疑うこともなく、すぐに同じ町に住む身内の家に向かいました。

アブラハムたちと別れてこの町に来たときには独り身だったロトも、ソドムに腰を落ち着けてからは家族が増えました。
まず、一緒に住んでいる二人の娘と奥さん。
それ以外にも何人か娘がいるようで、彼女たちは既にお嫁に行って別居しています。
時刻は夜中近く。ドアの前で目潰しをくらって呻く町人たちの横をすり抜け、お婿さんと娘が住んでいる家に走っていくロト。息も絶え絶えに
「主がこの町を滅ぼそうとしてるから逃げろ」
と伝えました。
ところがお婿さんは
「新手のジョークですか?」
次の家でも
「お義父さん、寝ぼけてるんスか」
次の家でも
「面白い冗談っスね(笑)おやすみなさい(笑)」
てな感じで、本気で取り合ってもらえませんでした。
かわいそうなロト。
ロトが一晩中、町を走り回って身内全員に逃げるよう言っているうちに、夜が明けてきました。いよいよ時間切れです。
ふたりの御使いは
「とりあえずここにいる妻と娘ふたりを連れて行きなさい。さもないとあなた方まで滅ぼし尽くされてしまいますよ。」
と警告しますが、ロトはまだ躊躇っていました。
「家族を見捨てて自分たちだけ逃げるなんて!」
「もう一度行って説明したら、分かってくれるかもしれないのに!」
ロト優しすぎない?なんか、ゲームの主人公とか見ている気分です。
そんなロトを見て、こりゃだめだと思った御使いたちは、ロトと奥さん、娘二人の手をつかんで「彼らを連れ出し、町の外に置き」ました。
どういう風に連れ出したのか、徒歩で引っ張って行ったのか、天使みたいに飛んで運んだのか、はたまた瞬間移動したのかは書いていませんので妄想し放題ですね!(爆)
(光と共に瞬間移動したと想像すると一層RPGっぽい)

町の外に強制退去したロト一家に、御使いのひとりが言いました。
「命がけで逃げろ。とにかく逃げろ。うしろを振り返るな!低地にいる間は立ち止まるなよ!山まで行けば安全だから、山に逃げなさいよ!」
ところがロトは
「せっかく助けてもらってありがたいですけど、山までなんて無理ですよ…たぶん追い付かれちゃいますよ…。行けてあの小さい町くらいまでです…。あそこゴールにさせてもらえませんかね?あんなに小さい町なんですから、わざわざ滅ぼすほど大した町じゃないですよたぶん…」
と弱音吐いてます。まあロトも結構なお年寄りですから、体力的に仕方ないですね。それ以前に一晩中ソドムの町を走り回ってたんで、そのまま強制長距離マラソン突入なのも老体にはひどい話です。
御使いは
「じゃああの町は滅ぼさないであげるから、あそこにお逃げ。それまで何もしないでいてあげる。」
と妥協しました。このひとロトにはやたら甘いです。

ちなみに、このときロトが避難所に選んだこの町は後に『ツォアル』というお名前で呼ばれるようになったそうです。
なにが「そのため」なのかというと、ロトが「あの町はすごく小さい」と言ったからです。
13章でアブラムとロトがお別れしたとき、この町の名前がチラッと出てきましたが、そのとき
『ツォアル(ゾアル)はヘブライ語では「小さな」または「重要ではない」という意味』
と調べました。あそこでわざわざ町の名前を出したのは、この台詞の伏線だったんですね。

とりあえず、ロトは老体に鞭打って平地をマラソンし、太陽が完全に昇りきったあとにツォアルの町に着きました。
どれくらいの距離があったのか今となっては正確な距離は分かりませんが、試しにソドムの跡地とされる前期青銅器時代(紀元前3150年~2200年)の都市遺跡バブ・エ・ドゥラー(Bab edh-Dhra)と、ツォアルがシディムの谷(現在の死海)近くの町ということで現在の死海の東にあるムジブ自然保護区の距離をGoogleマップで見てみましたら直線で26km、徒歩ですと5時間20分かかると出ました。老体にはキツい距離ですね。

ロトたちが町に入るや否や、神さまは「よっしゃ!」と言わんばかりにソドムとゴモラに攻撃を開始しました。具体的には、ソドムとゴモラの上に「硫黄の火」を降らせました。これによって、町々と低地全体と、町に住んでいた住民全員と、その地の植物がみんな滅ぼされたということです。
ソドムの跡ではないかと言われているバブ・エ・ドゥラーからは2万人もの人が埋まっているお墓が発見されているそうで、紀元前3000~2000年の世界人口が1400万~2700万人だったことを考えますとどれ程の大惨事だったか想像が出来ますね。
この町の跡は全体的に白っぽく、炭酸カルシウムと硫酸カルシウム(石膏)で構成されており、元々は石灰岩(大理石など)の建物が高温の硫黄で燃やされたためにこうなったと考えられています。建物跡の壁に見られる渦巻き模様は装飾とかではなく、6000℃以上の高温の熱に晒されたために出来たものだということです。


考古学者ケレンサ・グリッグソン女史によると、この遺跡近郊の死海に沿った平原の5ヶ所でゴルフボールサイズの硫黄の玉がたくさん発見されているそうです。この硫黄の玉は硫黄含有量が98.4%と非常に純度が高く、自然で見られる火山の爆発などによる硫黄が純度40%くらいなことを考えると非常に不自然な物体です。
純粋な硫黄が降り注ぎ街を焼いたという現象自体は、どうやら実際に起こった出来事のようです。

ちなみに「硫黄」という単語は、聖書にはここで初めて出てきました。以降、燃えやすいものとして聖書にたびたび出てくるみたいです。
実際の硫黄はこんな物質です。

(Wikipediaより抜粋)
硫黄(いおう、英: sulfur, 羅: sulphur)は原子番号16番の元素である。元素記号はS。原子量は32.1。酸素族元素のひとつ。
硫黄の英名「sulfur」は、ラテン語で「燃える石」を意味する語に由来する。
多くの同素体や結晶多形が存在し、融点、密度はそれぞれ異なる。沸点444.674℃。大昔から自然界において存在が知られている。

金属鉱床に多く含まれている元素で、火山地域や鉱床とかから採れたり原油の精製の際に副産物として出来たりします。
科学薬品やゴム、合成繊維、農薬、抜染剤の製造に用いられたり、干し柿や干しイチヂクの漂白剤、ワインの酸化防止剤などにも使われたりします。
硫黄は同じ種類の元素の原子が結び付きやすく(カテネーション)、30種類以上の同素体があります。その中で、通常天然で見られる同素体は「S8硫黄」といいまして、常温、常圧では黄色い固体です。結晶形にもよりますが、106.8~112.8℃が融点で融解すると粘性の低い黄色から血赤色の液体となり、159.4℃で粘性の高い暗赤色となります。
約360℃で発火し、青い炎を上げます。そのまま加熱し続けると、444.674℃で沸騰し始めます。
硫黄自体に臭いは無いのですが、噴火口や硫黄泉の周囲など天然の硫黄が存在する場所で多く発生する硫黄化合物である硫化水素は腐卵臭が、二酸化硫黄は刺激臭があるので日本語ではこれらの臭気を「硫黄の臭い」「硫黄のような臭い」と表現することがあります。

…木材の発火点が250~260℃、新聞紙の発火点が291℃なことを考えますと、360℃で発火する硫黄は別段燃えやすいというわけではありませんね。
それはそうとして、まもなく360℃以上の火のかたまりが雨あられと降ってくるんですから大変です。

必死に逃げている最中、ロトの妻は御使いの「うしろを振り返るな」という忠告をうっかり忘れて振り返ってしまいました。「ソドムの裕福な生活や財産が惜しくて、神の忠告を信じられなかったからだ」という意見もお聞きしますが、彼女にしてみたら自分の娘たちをこれから滅ぶ町に置いてきてしまったんですから、振り返ってしまうのも仕方ないと思います。
『うしろを振り返ること、または見ることを禁じられ、それを破ってしまう』というシュチュエーションは、日本神話のイザナミや鶴の恩返し、ギリシャ神話のオルフェオなどにも伝わっているモチーフです。『後ろを振り返らない』という誓約は、かなり昔から人間の儀式や呪術に根付いたものだったと思われます。
今回の場合、神に守られているアブラハムの直接の身内であるロト以外の人間を『ついでに』救うための救済措置の臨時契約となっていました。ぶっちゃけロト以外の人間を助ける義理は神には無いわけですから、誓約を守れなかった妻は助けられなくて当然、ということでしょう。

振り返ったロトの妻は『塩の柱』になってしまった、とのことで、現在『ロトの妻の塩柱』と題された岩の塊がイスラエル南東部の死海西岸の公道90号線に沿ったソドム山の上にあって観光地になっています。(10メートルくらいの高さがあるそうなので、もしこれが本当にロトの妻だったとしたら巨人ですね)
しかしながら、「塩」を意味するシュメール語『ニ・ムル』には「蒸気」という意味もあるそうで、「蒸気の柱」と読むこともできるそうな。つまりロトの妻は跡形もなく蒸発してしまった、と読解することもできるわけです。
そもそも主はロトがツォアルに入るまでは硫黄で攻撃してませんので、妻が塩(あるいは蒸気)になってしまったのはただ振り返ったのが直接の原因ではない可能性もあります。万が一振り返った場合どんなペナルティがあるか、御使いは説明しなかったからです。
しかし何かのペナルティで足止めを食らい、硫黄の火に巻き込まれたのは間違い無さそうです。たとえば「後ろを振り返ったらその時点で身体が動かなくなる」とか。その場合、妻は意識はあるのに硬直状態になり、そのまま焼かれるという非常にむごい状況になったと思われます。

人間の肉体が塩、或いは蒸気になってしまうほどの炎、とはどんなものなのでしょう。
創世記の中で大洪水に次いで壮大なシーンである今回ですが、モデルとなった出来事がかつてあったのだろうと考えられます。これについては色んな学者さんやオカルトファンの方々が色んな説を唱えていらっしゃいますので、有名な説をいくつか見てみます。


①大地震説
「硫黄の火」と「かまどの煙のように煙が立ち上って」という表現が、地震による地割れと液状化現象によるものではないかという学者さんもいらっしゃいます。

テレビのドキュメンタリー番組でもやってました。↓
https://archives.bs-asahi.co.jp/bbc/hi_03_03.html

大地震による地割れで地中のメタンガスが吹き出し、引火して炎が上がった現象を「硫黄の火」と解釈した説です。更に液状化現象により町ごと湖に引きずり込まれたとの仮説が立てられています。

死海はシリア・アフリカ断層のほぼ北端に位置しています。東アフリカを分断し、紅海からアカバ湾を通ってトルコ(アナトリア半島)にまで大地溝帯が延びているこの断層は、これまでも大きな地震を起こしてきました。
そもそも、死海を含むヨルダン渓谷は白亜紀以前はまだ海でした。海底隆起が起こったことでパレスチナ付近の高原が作られたと同時にこの断層が出来たと考えられているそうで、この断層の西側がアフリカプレート、東側がアラビアプレートになりました。
日本もそうですが、プレートの境目地域は非常に地震が多くなります。

そして液状化現象は、砂丘地帯や三角州、埋め立て地、旧河川跡や池沼跡、水田跡などで起こりやすい現象です。
砂を含む砂質土や砂地盤は、普段は砂の粒子同士の剪断応力(物体内部のある面と平行方向に、その面にすべらせるように作用する応力のこと)による摩擦のおかげで安定を保っています。ところがこのような地盤で尚且つ地下水位が高かったり或いは何らかの理由で地下水位が上昇した場所で、地震や建設工事などによる連続した振動が加わりますと、砂の粒子がバラバラになって摩擦の力が弱まってしまいます。剪断応力が0になると砂の粒子が地下水に浮かんだ状態になって、耐久力を失います。この状態が『液状化』です。液状化した地盤では、比重の大きいビルや橋梁は沈下したり、比重の小さい地下埋設管やマンホールなどは浮力で浮き上がったりします(抜け上がり現象)。また、液状化を起こした砂が表層の粘土を突き破り、水と砂を同時に吹き上げたり(ボイリング)することもあります。

ここで死海の当時の様子を考えてみましょう。
前述のとおり、この「ソドムとゴモラ事件」が起こる前は死海は「シディム」という名前の谷でした。谷ということは山と山の合間ということになりますが、ロトがアブラハムと問答して選びとったのは『ヨルダンの低地』とありましたから、標高は低かったでしょう。
現在の死海を見てみると、海抜が-430mと非常に低く、ヨルダン川から流れ込む水の出口がありません。
先程、液状化現象の起こりやすい例を述べましたけれども、この条件に当てはまるのは海沿いの低湿地です。条件を満たせば、内陸の平野部でも発生するとのことです。
ヨルダンは現在でも国土の80%は砂漠地帯ですが、砂漠地帯の地盤は水分を含むと液状化しやすい性質を持ちます。
ヨルダン川の恵みのおかげで農業や牧畜も捗り、飲み水にも困ることのなかったソドムとゴモラでしたが、そのために液状化が起こる条件を満たした土地だったということになります。
更にアスファルトを輸出できるほど地下資源が豊富という事実を考えれば、地割れで地中のメタンガスが吹き出し、引火したとしても不思議はないかと思います。現在でも、天然ガスの輸出はヨルダンの経済を支えているそうです。


②核爆弾説
オカルトファンの「古代核戦争説」を語るとき、インドの『ラーマーヤナ』『マハーバーラタ』と並んで引用されるのが、このソドムとゴモラの滅亡シーンです。『古代核戦争説』というのは、有史以前の地球に栄えていた近代人の知らない超古代文明、あるいは既に知られている古代の文明が、核戦争で滅びてしまったとする説のことをいいます。この話においては、神の力=核だとして、当時の人間より遥かに進んだ文明を持っていた何者かが『主』の正体ではないかと考える説になります。 第5章のネフィリムについて調べたとき出てきた《古代宇宙飛行士説》 ですね。

原子爆弾で人間は塩、または蒸気になり得るのでしょうか?
『蒸気の柱』というワードから広島の『人影の石』を思い出したので調べてみたのですが、現在では人体蒸発説は医学的に否定されているそうです。
(『人影の石』… 広島原爆の爆心地から260mに位置した住友銀行広島支店の玄関前の石段。そこに座っていた人の影の跡とされていた。実際は座っていた人の付着物によって黒くなっている。)
原爆の爆心地付近の地表温度は3000~4000℃に達したと推定されていますが、人体は炭素原子からできた有機物のため骨や炭化した組織は残り、蒸発はしないとのことです。
ネットで拝見したサイトで、広島大原爆放射線医科学研究所の星正治教授(放射線生物・物理学者) の「体全体が完全に炭化した場合、爆風で粉々になり吹き飛ばされて、あたかも蒸発して消えてしまったような状況になったというほうが自然」というお考えを見まして、なるほどと思いました。
核爆弾が空中で爆発すると数百万℃の火球が発生して超高温の熱線と致死量の放射能が周囲に放散され、空気が急激に加熱されることによって強力な衝撃波が起こります。遺骨すら見つからなかった人もたくさんいらっしゃるということですので、蒸発したという説が流れたのかもしれません。
もしもソドムとゴモラが核の力で攻撃を受けたとしたら、一瞬で塩(岩塩)になってしまう→炭 あるいは蒸気になってしまう→炭化したあと吹き飛ばされて消えた という解釈ができます。


③隕石落下説
火が降ってくるという表現から、かつて恐竜を絶滅させ生態系を激変させた隕石落下を連想する学者さんもいます。実際、どうもこのあたりの時期に隕石が落下したらしいです。
ニネヴェの王宮図書館の遺跡で見つかった、古代の天文学者が残した粘土板にそのような記述がありました。
19世紀イギリスの考古学者ヘンリー・レヤード氏が発見したこの粘土板は「プラニ・スフィア(星図)」と呼ばれていて、紀元前700年頃にアッシリア人の書記官が作ったものと見られています。
粘土板が発見されてから150年以上謎のままでしたが、イギリスの航空宇宙技術者のアラン・ボンド氏とマーク・ヘンプセル氏が解析・研究した結果を共著し、2008年に自費出版しました。(writersprintshop出版『A Sumerian Observation of the Köfels' Impact Event』)

その著書によりますと、円形の粘土板には双子座や木星などと共に『アピン』と名付けられた謎の矢印が書き込まれており、「この天体配置があった明け方の5時30分に、4分半かけてアピンは地上に落下した」という記述があったそうです。
コンピューターでその天体配置を再現したところ「紀元前3123年6月29日未明」の空であることがわかり、アピンは典型的な「アテン群小惑星(地球近傍小惑星の分類の一つ)」だとされました。
この小惑星は直接地上に落ちたわけではなくてオーストリアのアルプス上空で空中爆発を起こしたとみられていますが、直撃は免れてもその被害は凄まじかったのではと予想されています。

隕石の破壊力はどんなものか見てみましょう。
家一軒分の大きさの隕石で核爆弾と同じくらいの破壊力を持ち、2.4k㎡以内の建物を壊滅させてしまいます。
サッカー場の大きさ(7140㎡)くらいの隕石になると、ニューヨーク(783.8k㎡)が消滅します。更にマグニチュード7.7の地震に相当する衝撃が起こり、1600km離れた場所でも揺れを感じます。
直径が約800m以上の隕石が地面に直撃した場合はアメリカのバージニア州に相当する広さ(110786k㎡)が壊滅し、吹き飛ばされた塵が太陽の光を遮って気候を急速に変化させます。
かつて恐竜をはじめ地球上ほぼすべての生物を絶滅させた隕石は、エベレストくらいの大きさだったとみられています。

『アピン』はどうだったかというと、直径1.25km。ギリシャ上空で大気圏に突入し、アルプス上空で爆発。破片は900km上空に吹き飛ばされたあと再び大気圏に突入し、軌道を逆戻りする形で地中海一帯にばら撒かれ、更に地中海を越えて現在の死海周辺地域にまで及んだとの仮説がたてられています。直径1.25km級の隕石ですから、破片とはいえかなり大きいでしょう。
破片は摩擦熱を帯びているため、飛んできた地域は瞬間的に地表温度は400℃まで上昇します。更に相当な衝撃波が起こったと思われますので、先程②の核爆弾説のような現象が起こったかもしれません。
そしてそのあと吹き飛ばされた塵が太陽の光を何ヵ月も遮り、地球全体が冷え込みます。この証拠として、南アルプスの氷床コアの調査により紀元前3100年頃に急激な気温の低下があったというデータが挙げられています。



大きく分けるとこの3つの説が仮説の柱になっているようです。どの説も、それぞれ支持していらっしゃる学者さんたちが専門で研究なさっていると思いますので、私は一素人としてそれぞれの説を楽しませて頂こうと思います。
もし、その観点から個人的な素人妄想を語らせて頂けるとしたら。これって③の隕石が降ってきて尚且つ①の液状化が起きたのではないですかね?

そして「ノアの方舟」のところでも、恐竜を絶滅させた隕石が洪水の原因だったのでは?と妄想しましたが、

聖書を楽しむ【4】
http://katzeundgeige.blog.shinobi.jp/mouso/%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%82%92%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%82%80%E3%80%904%E3%80%91

旧約聖書の物語は「執筆当時に伝説として広く残っていた話」を取り入れたパターンが結構多いことが、これまで調べた中で薄々分かってきました。
もしかしたらこの「火が降ってきた」事件も、数千年前には人々が誰でも知っていたメジャーな話だったかもしれません。

つまり
紀元前3123年6月29日未明に起きた小惑星アピンの衝突によりヨルダンの現・死海周辺地域の町が炎上、液状化で沈んだ部分が後の死海に

伝説として残る

紀元前2000年頃アブラハム活躍

口伝や伝承で逸話が伝わる中、隕石落下時の事件もアブラハム伝説の中に取り入れられる

「創世記」執筆紀元前5~4世紀にまとめられる

という流れだったんではないかなーと妄想しています。
隕石落下の主な場所が地中海なことを考えますと、ギリシャ神話に残るティタノマキアの『ゼウスの雷霆』も元は隕石による町の滅亡だった可能性すらあると思います。

(Wikipediaより引用)
ゼウスは雷霆を容赦なく投げつけ、その圧倒的な威力によって天界は崩れ落ち、見渡す限りの天地は逆転した。(フェリックス・ギラン『ギリシア神話』中島健訳、青土社、1991)
全空間に漲る雷光はティーターン神族の目を焼き、瞬く間に視力を奪った。雷霆から迸る聖なる炎は地球を尽く破壊し、全宇宙とその根源を成すカオスすらゼウスの雷火によって焼き尽くされた。(ヘーシオドス 『神統記』 広川洋一訳、岩波文庫、1984)


「古代ギリシア語」というインド・ヨーロッパ語族の言語を喋っていた人たちを「古代ギリシア人」と定義した場合、旧石器時代以降にギリシャに住んでいた人たちは古代ギリシアの先住民ということになります。彼らがギリシャに移動してきたのは紀元前2200年頃ですので、「ギリシャ神話」が生まれたのも当然そのあとです。
神話は当然「自分達の民族の正統性」を主張するために作られますから、その地域の古くから伝わる話を取り込んで「うちの神様の仕業でした」とするわけです。

…いつものことながら話が反れました。

とりあえず、主の攻撃によってソドムとゴモラは灰塵となり、ロトの妻は塩柱となりました。

翌朝、アブラハムが主と交渉を繰り広げた高台の場所に立ち尽くして焼け野原になったヨルダンを見つめる黙劇と「主はアブラハムの身内だからロトを助けたんですよ」というナレーションが入り、再びロトに焦点が当たります。
翌日の晩、ロトはせっかく逃げ込んだツォアルの町を出て、ふたりの娘を連れて山に住むことにしました。
なんでそうしたかは、これまた色々な説や意見がありました。「ツォアルに住むのを恐れた」って、何が怖かったんや。
個人的な想像ですと、ロトは慎重で臆病な性格ですからツォアルの人々の様子をみて「これ、また滅ぼされるんじゃない?」と思ったか、「この町では生活できない」と思ったのではないでしょうか。
そもそもツォアルを滅ぼさなかったのは、ロトが「山まではとても逃げられないからツォアルで勘弁してくれ」とお願いしたからです。
でも逃げ込んだツォアルは、小さい町とはいえソドムに劣らず風紀の乱れきった町だった…。同じ地域の、同じカナン人の町ですから、文化もそんなに違うとは思えません。そしてよそ者に対して優しい町とも思えません。ソドムのように、レイプされかかった可能性もあります。
「人間こわい!」となったロトが陰遁生活に入っても不思議ではありません。

ロト父娘は山の洞穴に居を構えました。
何年経ったか、文面ではわかりませんが相当な月日が経ったんでしょう。
姉妹のうち、お姉さんが言いました。

「お父さんは年寄だし、普通の男の人なんてこんな所に婿に来ないし…このままだと私たち結婚も子供も出来なさそうじゃん。もうこうなったらお父さんと子作りするしかなくない?」

原文ですと山に逃げ込んだ次の行にこのセリフなのでギョッとしますが、10年くらい経っていたとしたらどうでしょう。

古典イスラム法の一般的な解釈では女子の結婚最低年齢は9歳だそうで、そして中東の常識では結婚するまでヴァージンなのは男女共に当然とのことです。そして現代でも、ヴァージンを捨てる年齢は他の国より遅い割に結婚年齢は低い傾向にあります。
ということは、彼女たちの感覚ですと30歳は既に行き遅れ感があるわけです。
この時点でのロトの年齢は分かりませんが、99歳のアブラハムの甥ですから息子くらいと仮定すると70歳くらいでしょうか。
その娘たち、それも末娘だと思いますから、40歳のとき生まれたと見積もって30歳。(ソドムにいた、他の既婚のロトの娘たちを姉とした場合)
山に逃げ込んでから10年経ったとしたら、ロト80歳の娘40歳。
家長である父がこの洞窟から出ない以上、彼女たちが再び街で生活することは出来ないでしょう。このままでは子孫を絶やしてしまうと危ぶんだ娘たちの焦りも、分からなくはないです。
焦った彼女たちが計画したのは、酒で泥酔させた父への逆レイプでした(爆)背徳の都から逃げてきたのに、娘たちから近親相姦を受ける羽目になるとは、ロトはとことん被害者属性なキャラクターですね…。
こうして知らない間に娘たちに種を搾り取られたロトは、期せずして孫と息子を同時に得ました。
姉の生んだ男の子は「モアブ」。意味は「父によって」。
妹の生んだ男の子は「ベン・アミ」。意味は「私の親族の子」。
…どっちもそのまんまなネーミングです。

モアブはのちのモアブ人、ベン・アミはアモン人とあります。

モアブは死海の東側、アルノン川(現在のワディ・アル・ムジブ)の南からゼレド川(ワディ・アル・ハサ)までの高原地帯の地域を指します。鉄器時代(紀元前1400年くらい)には、ヨルダン中部のカラク地域にモアブ人の国が出来ていたそうです。
モアブ人たちは、紀元前9世紀後半には北西セム語に属するモアブ文字(同時期のフェニキア文字の仲間)を使い、ケモシュという神を信仰していたとのことです。
ケモシュに関しては詳しく知ることはできませんでしたが、『アシュタロテ・ケモシュ』と呼ばれていたらしいことを考えると豊穣・多産の神だったのでしょう。

少しアシュタロテについて調べた章↓
聖書を楽しむ【14】
http://katzeundgeige.blog.shinobi.jp/mouso/%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%82%92%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%82%80%E3%80%9014%E3%80%91

一方アモン人はヨルダン川東側の山地、ギレアデ地方に国家を築いたという人々です。カナン緒語に属し古典ヘブライ語やモアブ語と極めて近縁のアモン語を使い、豊作・利益を司る神モレクを崇拝していたそうです。
モレクはモロク、マリク、マルカム(「偉大な王」の意)、「涙の国の君主」などとも呼ばれます。子供を生け贄にする儀式が行われていたそうで、その方法が
『青銅製の「玉座に座ったモレク」像の中に棚を設け、そこに小麦粉、雉鳩、牝羊、牝山羊、子牛、牡牛、人間の新生児(王権を継ぐ者の第一子)を入れ、生きたまま焼く』
というものだったそうです。儀式の際には子供の泣き声をかき消すために、シンバルやトランペットや太鼓などで大音量の演奏を行ったといいます。



さて、こうして当時の大都市が滅び、一方で新たな国を築く民の祖となる子たちが生まれました。
多分、こうして昔の伝説と、執筆当時に栄えていた他民族のルーツを取り込むことで、この宗教は正統性を主張してきたのでしょうね。(どの宗教もそうですけど)

今回はここまでです。

楽曲紹介は
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
カンタータ「我、汝をいかになさんや、エフライムよ」BWV89
です。
https://youtu.be/IXF-K0RqMLc

一曲目のバスのアリアは、ホセア書の聖句をそのまま歌詞にしているとのことです。 

『エフライムよ、お前を見捨てることができようか。
イスラエルよ、お前を引き渡すことができようか。
アドマのようにお前を見捨て、ツェボイムのようにすることができようか。』

アドマとツェボイムはソドム・ゴモラと同時に滅びた死海の町です。
アデマはソドムとゴモラの姉妹都市。場所不明。
ツェボイムはエルサレムの東北東約13kmの所にあるワディ・アブー・ダバー。
エフライムは北イスラエル王国のことです。

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