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音楽とお酒と歴史探索が趣味です。色々書きなぐってます。
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  プロフィール
HN:
赤澤 舞
性別:
女性
職業:
飲食店店員
趣味:
お菓子作ったりピアノ弾いたり本読んだり絵描いたり
自己紹介:
東京・神奈川・埼玉あたりでちょこまか歌 を歌っております。

一応声種はソプラノらしいですが、自分は あんまりこだわってません(笑) 要望があればメッツォもアルトもやりま すヽ(^。^)丿

音楽とお酒と猫を愛してます(*´▽`*) 美味しいものには目がありません。

レトロゲームや特撮も好物です。

ヴァイオリンは好きだけど弾けませんorz
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2025/05/14 (Wed)
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2019/11/01 (Fri)
はい、『椿姫』の記事2回目です。

前回は名前の考察だけで終わってしまいました。
以降は時代背景や登場人物の人間関係まで突っ込んでみたいなと思います。


※あくまで素人の調べた結果と妄想です!本気にしないでください。


今回は、この物語の時代背景を見てみます。『高級娼婦』という職業が、時代特有のものだからです。

そもそも高級娼婦とはなんぞや?
一応音大とかでサラッとやったけど、「こんな職業があった」くらいの知識しか持ち合わせていない私です(汗)せっかくの機会なんで、ちと改めてお勉強してみました。

元々の高級娼婦の起源は、ずいぶん古いものです。古代ギリシャの時代に、生まれたとされています。Wikipediaによると、紀元前7世紀くらいだそうな。
背景には、徹底した男尊女卑の社会があります。民主主義がはじまったとはいえ、女性や奴隷には参政権はない時代です。
男性たちはまず、自分のお家を存続させるために正統な血筋の女性と結婚しようとします。ギリシャでは家を存続させることは市民の義務とされていたためです。このとき、妻となる女性の美醜とか教養とかは関係ありません。「子供を産む」のが妻のお仕事なので、血統だけがしっかりしてれば良いのです。むしろ変に知識をつけてしまうと、一般的な妻としては嫌がられたでしょう。(あれ?現代も女性の見られ方あんまり変わってないような気がする……)

良い家の女性は箱入り娘として育てられて、14~15歳で結婚させられていたようです。相手の男性は30歳前後で、父親同士の交渉によって家の釣り合いや持参金額などを決めます。箱入りで育てられた娘は、結婚後も家から出られません。ガッデム。
妻だって退屈でしょうが、一方で旦那の方も退屈だったようです。せっかく嫁さんをもらっても、親が勝手に決めた、それも人形みたいな幼妻では面白くありません。それで、家庭の外に愛人を作る男性が多かったのだそうです。
同性に走る人も一定数いた辺りはさすが神話がアレなギリシャといったところですが、大体の男性はお相手に女性を求めました。そこで商売としての「娼婦」の人気が出てきたというわけです。
娼婦にもランクがあって、ただ性欲の捌け口にされるお安い娼婦と、金持ちが一緒に連れて歩いても遜色のないお高い娼婦がいました。
このお高い娼婦はだれでもなれるもんではなくて、美しいのは勿論のこと踊りや音楽も出来て、礼儀正しくて、賢く教養豊かでなくてはいけません。要は奥さんに無いものをすべて持っている女性というわけです。
金持ちの男性はすばらしい高級娼婦を連れて歩くことで見栄を競っていたそうで、そこから高級娼婦は「ヘタイラ(ギリシャ語で「連れ」の意)」と呼ばれるようになったとのことです。

そこから、高級娼婦の歴史はしばらく途切れます。
この間、キリスト教の影響で性的なもの全般がタブー扱いになったため、娼婦は黙認はされていたものの高級娼婦のように華々しく活躍は出来ない時代が長く続きました。

さて、時は流れて15世紀ローマ。ルネサンス時代の到来により、古代ギリシャの文化がヨーロッパで復興します。
ルネサンス期の華やかな宮廷が栄えているかと思いきや、ローマ法皇庁の宮廷に居るのは文学マニアの男性ばかり。むさい。
聖職者には配偶者が居ないので、パーティーなんかが開かれても奥さんや娘さんを連れてくることは出来ないわけです。
そうかといって、上流階級の女性を独身男性だらけの巣窟に連れてくるのは危険極まりない。男は狼ナノヨ。
そこで再び、古代ギリシャのヘタイラの登場です。ローマでは「宮廷に仕える女性」という意味の「コルティジャーナ(Cortigiana)」と呼ばれました。
ヘタイラと同じで血筋は関係なく、庶民の中から美しさで選ばれて、上流階級の男性と釣り合うように教育された女性たちです。
彼女たちはむさい宮廷に花を添えるべく、公然と聖職者たちと関係を持ちました。聖職者の大半は貴族階級出身の男性だった為、彼女たちは裕福な暮らしが出来たというわけです。
言わずもがな、ヴィオレッタたち「クルチザンヌ」は彼女ら「コルティジャーナ」が語源となっています。

時代は同じくらいで、所変わってフランス。
フランスにはコルティジャーナとはまた別に、「公式寵姫」という女性たちがおりました。「公式寵姫」は、国王の愛妾(あいしょう)の証明である「メトレス・アン・ティトゥル」の称号を与えられた女性を指すそうです。初めてこの称号を貰ったのはシャルル7世(在位1422~1461年 ジャンヌ=ダルクとの絡みで有名な王さま)の愛妾アニェス・ソレルでした。
目的はやっぱりこれまでと同じで、政略結婚しか出来ない王さまを慰めるために生まれたものです。ただし仕える相手は王さまですから、これまでの娼婦たちとは一味違います。政治的な力を持つ寵姫も居ました。

ディアヌ・ド・ポワティエ(アンリ2世(在位1547~1559年) の愛妾)

ポンパドゥール侯爵夫人&デュ・バリー伯爵夫人(ルイ15世(在位:1715~1774年)の愛妾)

など

王妃さま並の暮らしが出来て、場合によっては国を動かすことも出来る。言うこと無しな気もいたしますが良いことばかりではなく、囲ってくれている国王が亡くなればすぐさま追い出されてしまいます。その上、なにか政治で失敗があったときに責任を負わされることもありました。
ポンパドゥール夫人は『ペチコート同盟』のこともあって七年戦争に負けたとき誹謗中傷を浴びせられたし、デュ・バリー夫人はフランス革命の後でギロチンにかけられ処刑されます。
彼女だけでなく国王やマリー・アントワネット王妃も処刑したアンリ・サンソン氏は、デュ・バリー夫人とも旧知の仲だったそうです。

そんなこんなで、フランス革命による王政の崩壊によって、公式寵姫の制度も消えていきました。フランスの経済状況も、長らくの財政難でボロボロでしたのでね。

ちょっと脱線しますが、ついでに具体的にどんなことが起きたかを調べてみました。
それまで金銀銅貨を使っていたヨーロッパに、『紙幣』という概念が生まれたのは17世紀のイギリスが最初でした。元々は銀行がお客さんから金貨や銀貨を預かって、その預かり票として発行したものでした。金貨とかじゃらじゃらたくさん持ってるのは危ないし、重たいですからね。
そんなとき、財政難で困ったイギリス政府が『財源調達法』なるものを作ります。
どんな法律かというと、120万ポンドを8%の利子で政府に融資してくれたら、紙幣の発行権を持った株式会社銀行の設立を認めてあげますよー。というもの。
日本では、その権利を持った銀行は日本銀行だけですね。
その法律で投資をした投資家たちが発行した紙幣で、国は彼らに更に融資をします。すると株価がとても上がったように見えるので、他の人たちも投資しちゃったりする。そんなかんじで株式ブームになったイギリスでしたが、結局元々の国の財政がうまくいってないんで、いざ投資家が「金貨に換金したい」と言いだしたら対応できなくなりました。
そこでイギリス政府は「貨幣改鋳」をおこないます。つまり金貨や銀貨に違う金属を混ぜたり、小さくしたりして金銀の密度を減らしたわけです。
すると皆さん「えっ、損じゃん!」と持ってた株を売って、質の良い金貨とか金塊とかを買って、タンス貯金します。そしたらもう、お金の流れは止まってしまいますのでバブル崩壊、ということです。あーあ。

それを見ていたのが、スコットランド人の経済学者ジョン・ローというひとでした。
この男は金細工師・銀行家の家に生まれた五男坊でした。12歳で父親を亡くし14歳で銀行業を学んだものの、ロンドンに上京すると本業そっちのけで賭博に手を出し「イカサマ師」と評判になりつつ財を築きました。23歳の時、色恋沙汰の末の決闘で相手を殺してしまった罪で絞首刑の判決を受けますが、友人の手引きで脱獄して指名手配されます。逃げた先がオランダのアムステルダムで、そこで銀行業をはじめたというわけです。

彼は「貨幣に大事なのは金銀の価値ではなくて信用だ!紙幣をたくさん刷ることができれば景気は良くなる!」と考え、そのビジネスプランをスコットランドやイタリアに売り込みました。が、断られます。
まあイカサマ師で脱獄犯の男が提唱する怪しげな話に、そうそう国が乗るわけない…………と思ったらひとつだけ、食い付いた国があったんです。
それがルイ15世治世のフランス。
曾祖父である前王ルイ14世が度重なる戦争やら文化事業で大量にお金を使ってしまったために、財政難で藁にもすがりたい思いだったのでしょう。

更にめっちゃ脱線しますけども、ルイ14世は現代日本における「The☆貴族」のイメージを築いたひとである!…と言ったら言い過ぎでしょうか。でも所謂「貴族」のイメージといったら、優雅な芸術鑑賞に独特なお召し物にカツラと香水でしょ。(単純)
まず、彼はバレエを広めました。バレエにどハマリしたルイ14世自身は自らも踊り手で、王立舞踊アカデミーを作ったり、バレエシューズの似合う小さな足を推奨したり、脚線美のためにヒールの高い靴を流行らせたりして、宮廷のトレンドにまでその地位を押し上げました。
二つめ、カツラをつける習慣。まあ元々バロック時代のヨーロッパ貴族たちには既にカツラを着ける習慣はあったようですけれども、20歳の若さで病気になり髪の毛をごっそり失ってしまったルイ14世もカツラを着けておりました。どうやら、160センチしかない身長を嵩増しして王の威厳を醸し出すために、ハイヒール共々愛用していたようです。
三つめ、これは王さま自身というよりまわりの家臣たちですけど、香水を使う習慣。よく、パリの街の下水処理がなってなくてエライ悪臭が漂ってたために香水が使われるようになったとか聞きましたけれども、その粗悪な治水事業のせいか、どうやら19世紀頃まで「風呂に入ると梅毒になりやすい」と信じられていたらしくコレも悪臭の原因であったと思われます。国王でさえ、一生のうち3回しか風呂に入らなかったとか。
そんな中で、ルイ14世の話です。彼は侍医の「歯は全ての病気の温床」説を鵜呑みにして、全部の歯を引っこ抜いてしまいました。まあ確かに磨かない歯は病気の元になりますからあながち間違ってはいませんけど、さすがに全部引っこ抜くのはやりすぎです。その上、侍医は下の歯と一緒に下顎の骨まで砕いて取り除いてしまったそうです。
しかも麻酔の無い時代なので勿論麻酔ナシ、縫合などの技術や消毒液もないので焼けた鉄棒で傷跡を焼いて塞ぐという、拷問かのごとき所業…。
これによって以後の人生の数十年間、ルイ14世は噛まずに丸飲みできる柔らかいものしか食べられなくなりました。入れ歯とかも無い時代なので仕方ありませんね。でも現代の入院食みたいに消化吸収栄養バランスに優れたものはありません。柔らかく煮込んだ鳥とかパンとか、せいぜいそんなもんです。消化不良に悩まされるようになったルイ14世に、医者は下剤を飲ませます。食事を丸飲みしては下剤で下し、を毎日毎日繰り返したわけです。そうしたらもう、悪循環です。王は慢性的に胃腸炎に悩まされるようになり、一日に何度もトイレに駆け込みます。たぶん、のちに彼を悩ませた「いぼ痔」もそのせいです。痔の手術も無麻酔だったとか…。とにかく彼はトイレの中で公務をすることもあったし、トイレに間に合わないこともしょっちゅうだったといいます。そんなわけで、王さまの衣服にも悪臭が染み付いてしまいました。先程のお風呂のお話を踏まえてみますと、ゾッと致しますね。
ずっと側にいる臣下は、それでも顔色ひとつ変えずにお仕事しないといけません。そこで、多いに役立ったのが香水というわけです。

えーと。お貴族さまって大変だったんですね。
とりあえずお話を戻します。

1715年、即位したてのルイ15世はまだ5歳。ルイ14世の弟の息子…つまり甥のオルレアン公フィリップ2世が、摂政になります。このフィリップさんと、ジョン・ローは、実はお知り合いでした。1705年にスコットランドに戻ったあと更にフランスに渡ったローは、お友達になったフィリップに自分の経済論を売り込み、お国の財政難に困りきっていたフィリップは「よし、じゃあやってみてくれ!」とGoサインを出したというわけです。

摂政さまからのGoを貰ったローは、まず王立銀行を作って「金に換えられるのはうちで作った紙幣だけです」ということにしました。そして政府は「納税は全て紙幣によって行うこと」という決まりを作ります。
そうすると税金を払うために紙幣に換金しないといけませんから、人々はタンスに貯めてた金貨や銀貨をこぞって交換します。お金が市場に出回ると、止まってた経済が動き出します。

次に、国の借金を減らすために株を始めました。
まず、王立銀行で会社に投資をします。投資先に選ばれたのは北アメリカの開発会社「ミシシッピ社」という、ミシシッピ川河口にニューオーリンズを建設していた会社でした。別段業績の良い会社というわけではなく、むしろ開発が上手くいっていなくて業績は悪い方でしたが、ネットの無い時代に海の向こうにある会社の実績など一般市民はなかなか知ることは出来ません。まあ市民に知られさえしなければ、投資先はどこでも良かったんですな。

その投資で得た株券を、国債の保有者に『国債と交換で』渡します。当時、フランス国債は既に信頼を失っておりました。配当金を高めに設定しましたので、国債をもっている人は喜んで交換に応じるという算段です。
それだけに止まらず、ローはタンス貯金から流れたお金を株の販売によって回収し、それをまた投資して更に儲けようと考えました。一般市民にもたくさん売るために、ローは色々と工夫をしました。

〇「めっちゃ儲かる!」と大アピール
〇既に株主である人には割安で売る
〇分割払いOK
〇配当金を高く設定する など

おかげで、ミシシッピ社株はとてもよく売れました。
ローのアピールのおかげで株の期待値も膨らみ、株価もどんどん上昇していきます。(半年で約20倍の値段!)売れに売れたローの株はフランスだけでなくヨーロッパ中で人気になりました。
これによってフランスの大赤字は改善の兆しをみせます。1719年、ローは12億ルーブルを王室に貸した見返りとして、徴税権を請け負うことになりました。
王立銀行が税収も投資も全部やりますよ、ということです。更に1720年、ローはフランス財務総監に任命されました。金だけでなく、権力も手に入れたローはウハウハです。
ところがその年の5月、取り付け騒ぎが起こりました。具体的には、オイルショックや震災前後の爆買い溜めなどと同じ現象です。
ある日、ある株主が
「ミシシッピ社株、最近人気すぎて手に入りにくい……なんかもう別の株に乗り換えちゃおっかなー」
と売りに出しました。それを見ていた別の株主が
「あー、確かに手に入りにくいよねー。じゃあ私も売っちゃおう。」
と真似して売りに出します。
更にそれを見ていた、株にあんまり詳しくない別の株主たちが
「あの人たち、今大人気のミシシッピ社株売っちゃったけど、もしかしてこの株危ないのかな?もうすぐ暴落するとか、そういうやつ?」
と疑心暗鬼になって、こぞって売りに出しました。そうすると、もう株価は上がったときの逆現象で下がる一方になります。
元々この景気の良さは、ミシシッピ社には実力は無いのに株価だけが上がり続けていたバブル経済が招いたものです。
ローの提唱する「貨幣に最も大事なのは信用」という考えは図らずも逆の結果で証明されてしまいました。投資家たちは株価が下がり続ける株をいつまでも持っていたくないので次々ミシシッピ社株を売って、より安全な国外の株を買うようになりました。
支払い能力を超えた現金を引き出されて資金が底をついたミシシッピ社は、その年の夏に倒産してしまいます。ローは5月の終わりには財務総監を辞任し、 12月にイギリスへ亡命して、最期はヴェネツィアで亡くなりました。

このあとイギリスも似たような株暴落を起こしてバブル崩壊を味わいますが、信用を失ったのは株式だけで銀行は無事でした。産業革命でイギリスが大きく発展し、『資本主義国家』になることができたのも銀行に資本があったからです。
フランスは銀行も株式も同時に大ダメージをくらってしまって、しかもそれが国のお財布だったのでエライことになってしまったのですね。フランス革命の一因にもなったし、のちの産業革命にも乗り遅れてしまったというわけです。

そんなこんなでフランス革命でブルボン王朝が滅び、フランス第一共和政と第一帝政を経て、復古王政になった時代(1815~1830年)。政治はまたしても貴族・聖職者階級中心なものになっていました。市民の中でもブルジョワにあたる人々は不満を募らせ、1830年7月に『7月革命』を起こします。ちょうど「レ・ミゼラブル」や「ラ・ボエーム」の時代のお話ですね。
シャルル10世に代わり国王に即位したのはオルレアン家のルイ・フィリップでした。彼は自身も資本家で、資本家や銀行家の支持を得ていました。
新王は自由主義と立憲王制を採用したものの、その実体は典型的なブルジョワ支配制でした。学会の会員でなくては選挙権も貰えず、国民の0.6%しか該当しませんでした。
ことあと起こる革命の主体勢力であるプロレタリアート(賃金労働者階級)は何の権利も持てず不満を募らせていき、それが18年後の二月革命に繋がっていくのですが、そのお話はとりあえず置いときます。

賃金労働者階級の不満はあれど、国としてみるとこの時代のフランスは高度成長期でした。
先のミシシッピ計画破綻の痛手のせいでイギリスほど爆発的ではなかったものの、産業革命のおかげで経済が発展しフランスは再びバブル時代に突入しました。

この時代の富裕層を大きく分けると

①産業革命にうまく乗って商工業で成功した人
②貴族の称号をお金で買った新興貴族
③復古王政時代に財産を取り戻して、それを元手に産業資本家になった旧貴族

に分類できるそうな。
新王のルイ・フィリップは③にあたります。
①は、第一帝政期に地代収入が一万フランあれば男爵の爵位が貰えたため、大抵のお金持ちは貴族の称号を得られたそうです。

ということで③はともかく、①と②は元々平民です。今まで見上げてきた王侯貴族の生活を、実現できる財力を手に入れたら、まあするよね!かくしてブルジョワジーたちは庶民の憧れだった「宮廷の暮らし」の真似事をし始めます。豪華な住居に服、食べ物、使用人と一通り揃いましたら、次に求めるのは遊びです。フランス革命前の時代に王さまが連れていた寵姫、あれを自分たちも欲しいなぁと考えました。
それで生まれたのが、ルネサンス時代のコルティジャーナを再現したクルチザンヌたちです。
ではその娘たちをどこから調達してくるか?となりますと、もちろん貧困層からです。いつの時代もおんなじです。

富裕層は増えたとは言っても、相変わらず国民の一握りでした。富裕層の人数層が厚くなって個々の資産が増えた分、ブルジョワジーとプロレタリアートの貧富の差は大きくなるのは当然ですな。
女性は男性より更に人権はなく、賃金なしで稼業を手伝わされたり、客、同僚、親兄弟にまで性の慰みものにされることも珍しくなかったといいます。(まあこれも、どの時代も似たようなものですが…)

男性ですら身分によって制約のあるこの時代、貧困家庭に生まれた女性がこの生活から抜け出すためには富裕層のパトロンを見つけるほかありません。偶然出会ってうまく結婚できたら最高ですけども、星の数ほどいる貧困層女子に「待っていればいつか王子さまが」なんておとぎ話的展開はまずありません。そこで彼女たちは大都会パリへチャンスを探しに来るわけです。
ダンサーや女優、お針子などで日銭を稼ぎつつ、夜は娼婦として活動し、パトロンを探すのです。いわゆるグリゼット(女性労働者)です。語源はお針子さんなどが着ていた安価なドレスの、灰色の生地からきているそうです。
まあ今さらネタバレも何もないですが、ボエームのミミもメリー・ウィドウのマキシムの踊り子たちもみんな娼婦ということです。
某ダンスの先生にお聞きしたんですが、フレンチカンカンの踊り子たちが着ているあの特徴的なスカート、よく踊りながら捲ってますけども、本物のキャバレーでは下着を何も付けないのが普通だったそうです。ショー自体が、今夜のお相手を男性客が品定めするためのイベントだったんですね。
お金持ちの男性はお気に入りの娼婦が見つかると、有り余る財力を使って自分と同伴させても遜色ない淑女に仕立てます。豪奢なドレスに装飾品に住居、場合によっては教育を施します。
「〇〇伯爵が連れている娼婦メチャメチャ美人で頭いい」となったら、連れている男性にも箔が付くというものです。そうなったらしめたもので、彼女は高級娼婦(クルチザンヌ)として名を馳せることになります。つく客の層も変わって、場末のキャバレーとは比べ物にならない程金払いのよい相手になります。
クルチザンヌとなった娼婦は相手を探して副業をしなくてよくなったので、自費でパーティーを開いて、お客になりそうな人や売り出し中のグリゼットを招いたりするというわけです。
このような、貴族とクルチザンヌたちのための社交場は「ドゥミ・モンド」と呼ばれますが、この名前を付けたのは小説『椿姫』の著者デュマ・フィスです。『椿姫』が流行ったから、この呼び名も流行したんですね。
半分(ドゥミ)の社交界(モンド)という意味で、公の社交界では夫婦そろって出席するのが当たり前ですけれども、この社交界では男性側しか出席しないところから名付けられたそうです。

『クルチザンヌ』という名称は、1830~1848年の七月王政までと、それ以前の公式寵姫もまとめて呼ぶ傾向にあるようです。この時代のクルチザンヌたちは、デュミ・モンドで活躍した女性たちということで『デュミモンディーヌ』とも呼ばれます。
一般大衆からしますと自分達と同じ身分から富裕層へのしあがったわけですから、そりゃもう憧れの的でした。今でいうアイドルやモデルのような存在で、ブロマイドなどもたくさん売られていたようです。
1852~1870年の第二帝政時代にデュミ・モンドは最盛期を迎え、皇帝ナポレオン3世が失脚してパリ・コミューン、そして第三共和制の時代になると、バブルの終焉と共に消えていきました。

19世紀末、クルチザンヌの意思を継いだグリゼットたちはココットと呼ばれるようになります。ココットという名前は、彼女たちが付けていそうな質の悪い香水から付けられたそうです。
彼女たちは現代の『働く女性』の雛形とも言えるかもしれません。
1880年代、女性の賃金労働者が増えると共に、婦人服に紳士服の影響がみられるようになりました。クルチザンヌのときと同じくアイドル、ファッションリーダーだった彼女たちは、女性用スーツを着て闊歩するようになります。
そして時代が下るにつれ、身体を売らなくても労働賃金だけで食べていける、男性と同じように社会で暮らしていけるように、ようやくなっていったのです。(それでも、現代ですら女性蔑視が問題になってますが…。)

現在、女性も働くのが当たり前な時代になっておりますが、それまでにはこんな歴史があったんですなあ。
『椿姫』もキャリアウーマンの元祖のひとりと考えますと、演じる際に身が入りますね。

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