プロフィール
HN:
赤澤 舞
性別:
女性
職業:
飲食店店員
趣味:
お菓子作ったりピアノ弾いたり本読んだり絵描いたり
自己紹介:
東京・神奈川・埼玉あたりでちょこまか歌 を歌っております。
一応声種はソプラノらしいですが、自分は あんまりこだわってません(笑) 要望があればメッツォもアルトもやりま すヽ(^。^)丿
音楽とお酒と猫を愛してます(*´▽`*) 美味しいものには目がありません。
レトロゲームや特撮も好物です。
ヴァイオリンは好きだけど弾けませんorz
一応声種はソプラノらしいですが、自分は あんまりこだわってません(笑) 要望があればメッツォもアルトもやりま すヽ(^。^)丿
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2020/02/20 (Thu)
こんにちは。
だいぶお久しぶりな更新ですが、こっちの研究も懲りずに続けております。
※キリスト教徒でもユダヤ教徒でもイスラム教徒でもプロの考古学者でもないただの一般日本人(無宗教者)が、聖書を読んで楽しんでいるだけです。
気になったことは本を読んだりネットで情報を拾ったりしていますが、あくまで一般人が手に入れられる範囲です。
多大なる妄想を含んでいます。本気にしないでください。
○第十八章
主はマムレの樫の木のそばでアブラハムに現れました。彼は日の暑い頃、天幕の入り口に座っていました。
彼が目を上げてみると、三人の人が彼に向かって立っていました。彼は見るなり、彼らを迎えるために天幕の入り口から走っていき、地にひれ伏してお辞儀して言いました。
「ご主人。お気に召すならどうかあなたのしもべの所を素通りなさらないでください。少しばかり水を持って参りますので足を洗い、この木の下でお休みください。少し食べ物も持って参りますので、それで元気を取り戻してください。それから旅を続けられるように。せっかくあなたがたのしもべの所をお通りになるのですから。」
彼らは「あなたの言った通りにしてください。」と言いました。
そこでアブラハムは天幕のサラのところに急いで戻って言いました。
「早く、3セアの上等な小麦粉を練ってパン菓子を作っておくれ。」
そして、牛のところに走って行って、柔らかくて美味しそうな子牛を取って、若い者に渡しました。若い者は手早くそれを料理しました。
アブラハムは凝乳と牛乳と、料理した子牛を持って彼らの前に供えました。木の下で、彼らはそれを食べました。
彼らはアブラハムに「あなたの妻サラはどこにいますか」とたずねました。アブラハムは「天幕の中に居ます。」と答えました。
そのうちの一人が言いました。「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻ってきます。そのとき、あなたの妻サラには男の子ができています。」サラはその人のうしろの天幕の入り口でそれを聞いていました。
アブラハムとサラは老人になっていて、サラは普通の女にあることが既に止まっていました。
サラは心の中で笑って言いました。「老いぼれてしまった私に何の楽しみがあるというんでしょう。主人も年寄だし。」
そこで主がアブラハムに言いました。「なぜサラは「私が本当に子を産めるのだろうか。こんなに年を取っているのに。」と笑うのか。主に不可能なことがあろうか。わたしは来年の今頃、定めた時にあなたのところに戻ってくる。そのとき、サラには男の子ができている。」
サラ「私は笑いませんでした。」と打ち消しました。恐ろしかったからです。
しかし主は言いました。「いや、確かにあなたは笑った。」
その人たちは立って、ソドムを見下ろす方へ上っていきました。アブラハムも彼らを見送るために
彼らと一緒に歩いていました。
主は考えました。「わたしがしようとしていることをアブラハムに隠しておくべきだろうか。アブラハムは必ず大いなる強い国民となり、地のすべての国々は彼によって祝福される。
わたしが彼を選び出したのは、彼がその子らと彼の後の家族に命じて主の道を守らせ、正義と公正とを行わせるため、主がアブラハムについて約束したことを彼の上に成就させるためである。」
そこで主は言いました。「ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、彼らの罪は極めて重い。わたしは下っていって、わたしに届いた叫びの通りに彼らが実際に行っているかどうか見よう。わたしは知りたいのだ。」
その人たちはソドムの方へ進んでいきました。アブラハムはまだ主の前に立っていました。
アブラハムは近付いて申し上げました。
「あなたは本当に、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼし尽くされるのですか。もしかしたらその町に50人の正しい人がいるかもしれません。本当に滅ぼしてしまうのですか。その人たちのために、その町をお赦しにはならないのですか。
正しい者を悪い者と一緒に殺し、そのため正しい者と悪い者が同じになるなんてことを、あなたがなさるはずがありません。とてもありえないことです。全世界を裁くお方は、公義を行うべきではありませんか。」
主は答えました。
「もしソドムの中で50人の正しい者を見つけられたら、その町全部を赦そう。」
アブラハムは言いました。「わたしは塵や灰に過ぎませんが、あえて主に申し上げるのをお許しください。もしかしたらその50人が、5人足りないかもしれません。その5人のために、あなたは町全部を滅ぼされるでしょうか。」主は答えました。「滅ぼすまい、45人の正しい者を見つけたら。」
アブラハムは言いました。「もしかしたら40人かもしれません。」主は答えました。「滅ぼすまい、その40人のために。」
更にアブラハムは言いました。「主よ、どうかお怒りにならないで私に言わせてください。そこに30人いるかもしれません。」主は答えました。「滅ぼすまい、30人を見つけたら。」
彼は言いました。「私があえて主に申し上げるのをお許しください。もしかしたらそこに20人見つかるかもしれません。」すると仰せられました。「滅ぼすまい、その20人のために。」
彼はまた言いました。「主よ、どうかお怒りにならないで今一度私に言わせてください。もしやそこに10人見つかるかもしれません。」すると主は仰せられました。「滅ぼすまい、その10人のために。」
主はアブラハムと語り終えると去って行かれました。アブラハムは自分の家に帰っていきました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
恐らく時間的には前回のお告げからそんなに経っていないであろう、ある日のお話になります。
アブラハムは甥っ子のロトと別行動を取って以降20数年間、ずっと住居を変えずにヘブロンのマムレ( 現パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区南端の町)にある樫の木のそばに住んでいました。
今回は、このアブラハムの住居に主が訪ねてきましたよ、というお話ですと一番はじめにネタバレがされています。
ある暑い日にアブラハムが自宅である天幕の入り口で座っていると、三人の人がアブラハムに向かって立っていた、とあります。
どんな人なのか描写が一切無いので性別も年齢も不明です。そういえば神が人の形を取って書かれているのは初めてですね。
自宅の前でボーッとしてたらいきなり知らない人がいてじっとこっちを見ているという状況は現代からするとなかなか怖いですが、アブラハムは彼らに気付いたとたん「走って近付いて地面にひれ伏し」ました。
でも別にアブラハムがこの人たちを神だと気付いたからではなくて、この時代、この地域の“旅人が来たら丁重に迎えてもてなす”という風習のためだそうです。だからアブラハムも彼らを「神」とか「主」とは呼ばずに「ご主人」と呼んでいます。
ホテル業などを営んでいなくても、一般家庭に旅人を泊めることは珍しいことではなかったようです。 それだけ旅人がいっぱいいたんでしょう。 行商人のキャラバンはもちろん、貧しさから故郷を捨てる人、ハガルのように労働環境に耐えかねて他国へ逃げようとする人もいたかもしれません。
そもそもアブラハム自身、旅人の身の上です。きっとカナンに着くまでに、色んな人にお世話になったでしょう。途中、エジプトではファラオの厄介にもなりましたしね。
その恩を返すためなのか、アブラハムの接客はとても丁寧です。人によっては、アブラハムの接待は単に遊牧民の習慣で迎え入れただけではなくて、王さまに対する奉仕にも見えるという人もいるようです。その解釈ですと、アブラハムは確信は無いにしてもこの客人たちは神さまに近い何かだと感じ取っていることになります。ほんとに神と思ってるのか、それとも「お客さまは神さまです」精神なのかは判断が分かれるところです。
まず、アブラハムは「水を持ってきますので足を洗って、木陰で休んでください」と言いました。真っ先にアブラハムがそう言ったということは、その人たちがめっちゃ足が汚れていて、疲れていそうに見えたんでしょう。たぶん。
その人たちは別に旅人であると記載されてはいませんが、旅人なんだろうなと思われる格好をしてたというわけです。
旧約聖書時代の人々の服装について書かれていたサイトを覗いてみますと、
①一枚布の腰巻き or 半ズボン風の下着
②その上に膝丈の肌着
③半分に折った一枚布の折り目部分に穴を開けて首を通す上着
④長い布を折り畳んだ帯で上着を締める
という出で立ちです。女性もほぼ同じ格好ですが、少々丈は長め。
これに、砂や陽射しがキツいので被り物をします。男性は布を被ってバンドで固定したり帽子を被ったりして、女性は長めのベールを被ります。
宗教画によく見られる格好ですね。
素材は麻や羊毛、山羊毛、皮革など。絹も無くはなかったようですが、王さまレベルのお金持ちで無ければ手には出来なかったようです。
履き物は革のサンダルが中心ですが、貧しい人や祭司は裸足だったとのこと。
『聖書の時代』といっても旧約の初期と新訳ではだいぶ年代の開きがあるかと思いますので、本当にアブラハムたちがこんな服装だったかは分かりませんけれども…。
ただでさえ砂の多い地域を当時の簡素な靴で徒歩移動するのですから、足は相当汚れます。
主人の足を洗うのはしもべの仕事の一つだったそうで、旅人のおもてなしの際もしもべが洗っていたそうな。
アブラハムが自ら「足を洗いましょう」と進言したということは、最初の言葉通りしもべのようにお仕えしますよ、という意味になるわけです。
もてなしの提案を受けた彼らは、「あなたの言った通りにしてください。」と答えます。
たぶん、ここでアブラハムが家にいるしもべたちに「あの旅人さんたちをもてなして差し上げなさい」と一言命令すれば、数百人のしもべたちによる盛大な宴会で接待が出来たはずです。なにせ第14章のメソポタミア VS カナンの戦のとき、しもべ318人を引き連れて両軍を相手どって戦えるくらい、アブラハム家には使用人がたくさんいるんですから。
でもアブラハムは自らの手によるもてなしを提案しました。旅人をもてなすご馳走の準備も、自分で走り回って行います。
100歳近い老人のおもてなしとか、受ける側は逆に申し訳なくなりそうですけども、まあ走れるくらい元気なら大丈夫でしょうか。
とりあえず、走って家の中にいるサラのところに行って「急いでパン菓子を作れ」と言いました。
しかも「3セアの上等な小麦粉」という指定つき。
「セア」は、サトゥムとも言うそうですが、ヘブライの乾物・液体の容量単位です。今の単位に換算すると、1セアは7~13リットルだそうです。つまり3セアは、21リットルから最大で39リットル…
計量サイトで調べましたところ小麦粉(強力粉)は1リットル550グラムとのことですので、12,100~21,
450グラム。つまり約12~21キログラム。
日本ではよくスーパーで売ってる食パン、1斤の重さは約370グラムで、小麦粉換算すると約240グラムだそうですので、約50~89斤分になります。一本の食パン型からは3斤の食パンができますので、食パン型で約17~30本のパンを作れと言ったわけですね。
まあ、食パンの場合は膨らませてフワフワの状態になりますから、この地域の主食になっているモチモチなパンに換算したらもっと少なくなるかもしれません。
私は2年ほどパン屋さんでアルバイトをしていたのでよくパン作りのシーンは見ていたのですが、小売りの個人店でもほとんどのお店は機械で生地を捏ねているはずです。 御歳90の族長の奥方自ら、この量のパンを作るのはなかなかの重労働です。
ちなみに日本人には量が分かりやすいので食パンで換算しましたが、実際この時出されたパンはどんなものだったんでしょう?
この時代の常食されている「パン」といいますと、石臼でひいた小麦粉を捏ね、パン種(前に作ったパン生地の一部)を加えて形を丸くし、熱した平石に置いて焼いたものです。裕福な人はパン焼き用の大きな壺を持っていて、その場合は壺を熱して内側に貼り付けて焼きます。
そうして出来たパンは「ふすま(穀物の外側の皮の部分)」を取り除かずにそのまま作るので、黒っぽいパンになります。
ふすまには食物繊維、鉄分・カルシウム・マグネシウム亜鉛・銅などのミネラルが豊富に含まれているため、近年では健康を気遣う人に向けて「全粒粉パン」やら「ふすまパン」やら「ブランパン」などと呼ばれてわりと高値で売られていますが、元々は庶民の食べ物だったのですな。
対して、ふすまを除いて精製した小麦粉で焼かれたパンは白い色になります。現代の日本で出回っているパンはほとんどコレですが、昔は大変贅沢なものだったそうです。
「上等な小麦粉」と言っているところを見ますと、恐らくは白に近い小麦粉を指しているのかな…?と最初は思いました。実際、聖書の解説サイトなんかでは「白いパンのことを指す」と書いてらっしゃる所もありました。
でもここでちょっと疑問。
本当に、この時代に白い小麦粉って出来るもんなの?
そこでパン作りの歴史を少々紐解いてみました。
今、発掘されている中で一番古いのは、約1万4400年前のメソポタミアで見つかった化石化したパン。ただしこの時代はまだ《お粥》のような括りで、もみがらを炒ったり石で挽いて粉にしたものに水を加えて煮て食べていたと考えられております。そのまま食べられる果実とかトウモロコシみたいな穀物と違って、そのまま食べても美味しくない麦類をなんとかして食べられるようにする手段だったわけですな。
それを焼くようになったのは、諸説ありますが紀元前6000~4000年頃。無発酵のパンは平たくて固いピザ生地みたいなやつで、アジムと呼ばれていたそうです。
そこから生地を発酵させたパンが現れたのが紀元前3500年頃。
……………と色々なサイトには書いてあったのですけども、一方でスイスのトゥワン遺跡下層(紀元前3830~3760年)から「人為的に発酵させた粥」が見つかっていて、中層(紀元前3700~3600年)からは「灰の下で焼いたパン」や「パン窯状設備で焼いたパン」が発見されているとWikipediaに書いてありました。
「人為的に発酵させた粥」は、サワードゥ(サワー種)というライ麦パンを膨らませるのに必要な酵母です。調理済みのお粥を数日間放置すると、自然の発芽酵母菌や乳酸菌で発酵します。当初は腐ったと思われて捨てられていたそうですが、それを焼いたものはどうやら食べてもお腹を壊したりしない上に、ただのお粥よりも美味しくなると分かったので敢えて発酵させるようになったということです。それが後のパン作りに発展していくというわけです。
今でも、北ヨーロッパでは一般的であるライ麦100%のライ麦パンは通常このサワードゥを使って膨らませているといいます。ライ麦はグルテンが少ないのでイースト菌だとうまく膨らみませんが、このサワードゥを使うとちゃんと膨らむのだそうです。
とりあえずそんな風に作られ始めたパンですが、一番記録が残っているのは何といってもエジプトです。
歴史家ヘロドトスに「パン食い人」と呼ばれるくらい、古代エジプト人はパンをたくさん作って食べていました。 (ちなみに当時のギリシャの主食は大麦のお粥。)給料や税金もパンによって支払われていたといいます。そんなエジプトですから、パン製造の資料はたんまりあります。壁画による図解付き。道具なんかも、お墓から発掘されたりしています。
この時代、小麦をひくのに使われていた道具は「サドルカーン」といいます。紀元前4000年頃から使われ始めたそうです。
ごくごく原始的な道具で、使い方は簡単です。石板みたいな平らな石皿の上で麺棒みたいな石の棒に体重をかけながらごろごろ転がして、 穀物を挽き潰します。要は《石臼》です。
ちなみに「サドル」が石皿で、「カーン」が棒の名前。新石器時代の中国からも見つかっているとても歴史の古い道具で、現在でも南米やインド、アフリカなどの一部地域で使われています。
《石臼》というと思い浮かぶ丸い回転式のやつは、紀元前600年頃の古代オリエント時代に発明されます。ロータリーカーンという名前で、上下2段の石を回転させて物をすりつぶします。それが後に風車や動物の力を使った脱穀に発展します。
すりつぶしただけではまだまだ籾殻やら細かいゴミやらが混ざった状態なので更に篩(ふるい)にかけたいところですが、馬の尾の毛などを使った初期の篩が登場するのはその更に後で紀元前100年くらいです。それまでは手作業で取ったり、息を吹き掛けて籾殻だけ飛ばしたり、そんな地道な方法で精製していたのでしょう。
ちなみに先程申し上げましたとおり毎日毎日パンを食べていた古代エジプト人たちは、お年寄りほど歯の病気が多かったのだそうです。身分の差などは関係なく、とにかくお年寄りだけ。とある個人ブログの方が記していたのですが、どうやらその原因は主食のパンにあったのではないかというお話です。
エジプトは言わずと知れた砂漠の国。時は建設技術もまだ発展途上。王廟などならいざ知らず、町の建設物全てが砂風を完全に防げるものでしょうか。しかも脱穀に使っているのは石製の道具。道具自体が磨耗して、少しずつ石の粉が混じってもおかしくありません。
すりつぶした砂や石でパンがジャリジャリしていても、そういうパンしか知らない方々は普通に食べてしまうでしょう。すると歯のエナメル質が時間をかけて傷つけられ剥がれ落ち、そこから虫歯になってしまうというわけです。
では、現代のような白い小麦粉が作れるようになったのはいつなのか?
砕いた小麦を篩で振るい、段階的に篩の網目を小さくしてより細かい小麦粉を作る「段階式製粉方法」は、16~17世紀頃にフランスで始まったそうです。
しかしながら篩の目は少しずつ細かくなっていっても、馬の尾や麻や、針金などを使った篩ではどうしてもふすまを全部取り除ききることは出来ません。
その鍵となったのが、絹糸です。
最初の方で服装の話を調べたときに、絹糸はこの頃無くはなかったと書きました。しかし物凄い貴重品であったために、王さまでもおいそれと身に付けられるものでは無かったと思われます。
紀元前3000年(紀元前6000年頃の説もあり)頃に中国で始まった絹糸生産は6世紀の半ばには既に確立しており、紀元1000年頃には税の支払いにも絹が使われるようになりました。しかし中国以外の地域では製法が分からなかったため、完全に中国からの輸入頼りでした。インドやペルシアへの輸入ルートが、今も残る『シルクロード』です。
古代ローマでも上流階級の衣服として絹が好まれましたが、金と同じ価値があるくらいの超高級品だったといいます。
ヨーロッパに絹製法が入ったのは6世紀になってから。1146年にシチリア王国で生産が始まり、ほどなくイタリア各地で絹が作られるようになります。
ちなみにイギリスはすごく絹生産に意欲的だったのに悉く失敗していてなんだか可哀想でした。
(宗教改革で母国を追われたプロテスタントの絹職人たちを受け入れて絹の国産化を目指すも本国ではうまく育たず→植民地先(アメリカ)で成功するも独立される→中国の絹への憧れが半端ないせいで貿易不均衡…これがアヘン戦争に繋がったのではという説も)
そんな超高級品を小麦粉の精製に使おうなどと、古代のひとが聞いたら気が触れたと思われそうですが、絹を使った篩が作られるようになったのは18世紀の産業革命からです。
蒸気機関の発明による工場の機械化と大量生産によって、絹は黄金よりは安価になったのでしょう。
小麦粉の世界も大きく変わりました。石臼はロール機に変わり、篩機は大きくなって、より大量の小麦粉を精製することができるようになりました。
更に絹を使った純化篩機が発明され、かくして真っ白な小麦粉が作れるようになりました。
「木下製粉株式会社」様のホームページでは、製粉の様子を丁寧に説明してくださっているのでとても分かりやすいです。
https://www.flour.co.jp/knowledge/flourmilling/
つまり「純化」ができるようにならなければ、真っ白な小麦粉にはお目にかかれないということです。
アブラハムが生きたとされる紀元前2000年頃には純化篩機はもちろん、そもそも篩自体がありません。
なので、ここで出てくる『上等な小麦粉』は白くなかったんではないかなーと私は思います。たぶん育ちの良い形の綺麗な麦を集めて作ったとか、通常より丁寧に挽いたとか、そんな感じではないでしょうか。
小麦粉の話がずいぶん長くなってしまいました。(いつものことですが)
さて、アブラハム家のおもてなしメニューはパンだけではありません。
○子牛の料理
○凝乳(カッテージチーズ)
○牛乳
これらをものすごく急いでアブラハム&家の若い衆が用意しました。彼らが可能な限りで用意できるごちそうです。三人の客人は、それらを木の下で食べます。
家の中に入れてあげないの?と思いますが、何か理由があるのでしょうか。
遊牧民のおもてなしの習慣的には、天幕内に招かれた訪問客は丁重な歓待を期待することができた、と以前ノアのところで調べました。尚且つ、「天幕」は保護や安全の象徴です。客人が神だと気付いているから保護は不要ということで、敢えて外で接待したのでしょうか…?ここらへんよく分かりません。
とりあえずお客さんたちはアブラハム家の前の木陰で食事をしました。
食事中、ふと彼らが「奥さんのサラはどこ?」と聞きます。天幕の中にいますよ、とアブラハムが答えますと、客人のひとりが「私は来年の今ごろにまたあなたの所に戻ってきます。その頃には貴方の奥さんには男の子が生まれていますよ。」と言いました。前回、神さまがアブラハムに言った契約と同じ台詞です。たぶん、ここでアブラハムにはピンと来たんではないでしょうか。「あ、この人神だわ。」と。
サラは、『その人のうしろの天幕の入り口』でそれを聞いていました。さっき頼まれたパン作りの真っ最中なのか、出来たパンを持っていこうとしたのか、はたまた立ち聞きしようとして聞いたのは分かりませんけども、とにかくサラは神さまが自分の話をしているのを家の中から聞いていました。神さまたちは家に背を向けていて、こちらを見ていないという構図になります。
家と言ってもテントですから、会話は駄々漏れです。客人たちが神だとはまったく知らないサラは、まあ普通の感想を抱きます。「こんな老人に子供なんて無理でしょ…」と心の中で笑っていますが、この笑いは自分の老いへの自嘲や諦めもあるでしょう。
既に生理も止まっていて、サラは自分自身をもう「女」と見れなくなっていたのかもしれません。
すると神さまはサラではなくてアブラハムに「なんでサラは笑ってるのか?主に不可能なことがあると思うのか?」と言いました。テントの布一枚隔てたすぐそばにサラ本人がいるのを知っていて、 且つサラの心の声を聞いているのに敢えてアブラハムに話しかけている体をとっているのがなんとも意地悪だなーと思うのは私だけでしょうか。しかも、ここで「主」という言葉を出しました。一応、主の信者ではあるサラは怖くなって『「私は笑いませんでした」と打ち消し』ました。自分のことを話していたとはいえ、いきなり自分が参加してなかった会話に飛び込む度胸と、敢えて空気を読まない強靭な精神はさすがだなと思います。
すると、天幕の外にいたお客さんが「いや、確かにあなたは笑った」と言いました。
神さまパワーのスゴさはさておき、一般の人間は何歳まで妊娠が可能なものなんでしょうか。
サイトで調べてみたところ、生物的に人間は月経が無くなりますと排卵も無くなるので妊娠は不可能になります。日本人の基準ですと、平均50歳頃で閉経が訪れるとのことです。
そして閉経前後の5年間は『更年期』と呼び、黄体期の短縮や無排卵が起こるので妊娠自体の確率が非常に低くなります。
つまりは一般的に妊娠できるのは45歳までということなのですが、かなり稀にホルモン状態が良くて妊娠することもあるそうです。
産婦人科医で、閉経したと思って来院した患者さんが妊娠だった、という例を診た方もいるそうです。
閉経と正しく診断された人が自然妊娠することはほぼ不可能とされていますが、
・実は更年期ではなくて他の原因で月経が止まっており、治療によって月経が再開した場合
・思い出したように卵巣が動き出した場合
など、完全に有り得ない話ではないようです。
サラは90歳ですが見た目は相当若かったようで、もしかしたら体内年齢もすごく若々しかったのかもしれません。
この90歳という年齢が、神代のアダムの子孫たち共々、象徴的なものなのかは分かりません。
暦の数え方が今とは違うために大きな数字になったのであって、ほんとはもっと若かったんではないかという方もいるそうですが、聖書を崇めている人々にとっては「聖書に書いてあることを疑うなんてとんでもないこと」らしいので、実際90歳だったとして話を進めます。
現実的な話として、体外受精の場合は閉経したあとの女性でも妊娠・出産は可能です。
昨年2019年9月、インドで74歳の女性が体外受精により双子の妊娠・出産に成功して世界記録を塗り替えたそうです。
なので神さまパワーで既に受精した卵を直接子宮にぶちこむことができれば、年齢は関係なく身体さえ丈夫で健康ならば子供はできる、ということになります。
「来年にはあなたに子供ができていますよ」と予告したということは、「あなたに受精卵をぶちこみますので宜しく」というわけですな。
さて、サラに「あなたは確かに笑った」と言い切った主は、呆然とするサラを特にフォローすることなくその場を後にしました。あわててお見送りするアブラハム。主を含む3人はソドムの町を見下ろす高台へ歩いていきました。
そこでいきなり主のモノローグが入ります。
「これからしようとしてること、アブラハムには内緒にしとく方がいいかなあ…。
アブラハムは絶対大物になると思うんだよね。この男の子孫まで私との約束を守らせるために選び出したんだし…」
主とふたりのお供は、別に下界に観光に来たわけではなくてちゃんと目的があったのですね。それは、アブラハムにあまり知られたくないことのようです。
その理由として、「アブラハムを選び出したのは『主の道』を守らせ正義と公正を行わせるためだ」と述べています。わかりにくいなー。
自分の信者にするために選んだアブラハムの信仰が離れたら困るなー、だから内緒にしといた方がいいかなー、と言ってるようにしか見えないんですけど如何なものでしょうか。
で、何をしようとしてるかは読者も含めて伏せて、
「ソドムとゴモラの町の人はすごく悪いことしてるって声がこっちに届いてるんだけど、実際に現地に行って何が起こってるか見てみようと思うんだよね。」
と言いました。
この時点で、アブラハムは主が何をしようとしてるのか悟ったようです。
主の言葉を額面通り受け取ったなら「あー、そうなんですかー。行ってらっしゃいませー。」とお見送りするところだと思うんですが、
「マジで全員滅ぼしちゃうんスか?」
と言いました。
主はソドムとゴモラを滅ぼすために、わざわざ天からやってきたようです。
これまでお世辞にも察しがいいとは言えなかったキャラのアブラハムでさえもピンときたということは、当時のソドムとゴモラの荒れ具合は相当なものだったんでしょう。「ありゃいつ神さまに滅ぼされてもおかしくないぞ」というくらいにはヤバかったんですね。
ソドムの方に向かう歩みを止めない主たちの前にアブラハムは立ちはだかって、必死に値下げ交渉を始めます。
ア「もしかして50人くらいは正しい人がいるかもしれませんよ。まとめて殺しちゃったら正しい人も悪い人も同じ扱いになっちゃうじゃないですか、それじゃ不公平でしょう。」
主「じゃあもしソドムの町で50人正しい人がいたら、許してあげることにするよ」
ア「(……………やべー、50人もいないかもしれん)
えーと、5人くらい足りないかもしれないですけど…」
主「じゃあ45人いたら滅ぼさないであげるよ」
~中略~
ア「ほんっっっとーに申し訳ないのですけども、怒らないでください。10人くらいは正しい人がいるかもしれないです………ほんとマジで……」
主「じゃあ10人いたら滅ぼさないであげるよ」
なんてまどろっこしいやり取りなんでしょうか。
でもアブラハムの葛藤は伝わってきます。ソドムの人口がどれくらいかはわかりませんけど、最初「50人」と口をついて出た数字で契約を結んだ直後『待てよ、あの町に50人も善人が居るとは思えない』と咄嗟に考えて少しずつ数字を小さくしていくところに、ソドムの町の信用の無さが伺えます。
相当酷い町なんでしょうね。
話が終わると主はとっとと去っていってしまいましたので、アブラハムは家に帰りました。
いくらヤバイ風紀の町の人でも、町ごと滅ぼされちゃうのをみすみす見逃せないあたり、アブラハムも人間です。主の思考を見てるとどうもフラスコを覗く科学者というか 、病巣を取り除くお医者さんというか、そういう思考回路で人間を見ているように見えます。
とりあえず、18章はここまでです。
さあ、ソドムの運命やいかに?!(今さらネタバレも何も無い気がしますが)
さて、今回の楽曲は
映画『ソドムとゴモラ』より
https://youtu.be/wwRAs_VdydE
1962年制作の、イタリアとアメリカで合作した映画です。
ロージャ・ミクローシュさんというハンガリー出身の作曲家が音楽を担当していらっしゃいます。
だいぶお久しぶりな更新ですが、こっちの研究も懲りずに続けております。
※キリスト教徒でもユダヤ教徒でもイスラム教徒でもプロの考古学者でもないただの一般日本人(無宗教者)が、聖書を読んで楽しんでいるだけです。
気になったことは本を読んだりネットで情報を拾ったりしていますが、あくまで一般人が手に入れられる範囲です。
多大なる妄想を含んでいます。本気にしないでください。
○第十八章
主はマムレの樫の木のそばでアブラハムに現れました。彼は日の暑い頃、天幕の入り口に座っていました。
彼が目を上げてみると、三人の人が彼に向かって立っていました。彼は見るなり、彼らを迎えるために天幕の入り口から走っていき、地にひれ伏してお辞儀して言いました。
「ご主人。お気に召すならどうかあなたのしもべの所を素通りなさらないでください。少しばかり水を持って参りますので足を洗い、この木の下でお休みください。少し食べ物も持って参りますので、それで元気を取り戻してください。それから旅を続けられるように。せっかくあなたがたのしもべの所をお通りになるのですから。」
彼らは「あなたの言った通りにしてください。」と言いました。
そこでアブラハムは天幕のサラのところに急いで戻って言いました。
「早く、3セアの上等な小麦粉を練ってパン菓子を作っておくれ。」
そして、牛のところに走って行って、柔らかくて美味しそうな子牛を取って、若い者に渡しました。若い者は手早くそれを料理しました。
アブラハムは凝乳と牛乳と、料理した子牛を持って彼らの前に供えました。木の下で、彼らはそれを食べました。
彼らはアブラハムに「あなたの妻サラはどこにいますか」とたずねました。アブラハムは「天幕の中に居ます。」と答えました。
そのうちの一人が言いました。「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻ってきます。そのとき、あなたの妻サラには男の子ができています。」サラはその人のうしろの天幕の入り口でそれを聞いていました。
アブラハムとサラは老人になっていて、サラは普通の女にあることが既に止まっていました。
サラは心の中で笑って言いました。「老いぼれてしまった私に何の楽しみがあるというんでしょう。主人も年寄だし。」
そこで主がアブラハムに言いました。「なぜサラは「私が本当に子を産めるのだろうか。こんなに年を取っているのに。」と笑うのか。主に不可能なことがあろうか。わたしは来年の今頃、定めた時にあなたのところに戻ってくる。そのとき、サラには男の子ができている。」
サラ「私は笑いませんでした。」と打ち消しました。恐ろしかったからです。
しかし主は言いました。「いや、確かにあなたは笑った。」
その人たちは立って、ソドムを見下ろす方へ上っていきました。アブラハムも彼らを見送るために
彼らと一緒に歩いていました。
主は考えました。「わたしがしようとしていることをアブラハムに隠しておくべきだろうか。アブラハムは必ず大いなる強い国民となり、地のすべての国々は彼によって祝福される。
わたしが彼を選び出したのは、彼がその子らと彼の後の家族に命じて主の道を守らせ、正義と公正とを行わせるため、主がアブラハムについて約束したことを彼の上に成就させるためである。」
そこで主は言いました。「ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、彼らの罪は極めて重い。わたしは下っていって、わたしに届いた叫びの通りに彼らが実際に行っているかどうか見よう。わたしは知りたいのだ。」
その人たちはソドムの方へ進んでいきました。アブラハムはまだ主の前に立っていました。
アブラハムは近付いて申し上げました。
「あなたは本当に、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼし尽くされるのですか。もしかしたらその町に50人の正しい人がいるかもしれません。本当に滅ぼしてしまうのですか。その人たちのために、その町をお赦しにはならないのですか。
正しい者を悪い者と一緒に殺し、そのため正しい者と悪い者が同じになるなんてことを、あなたがなさるはずがありません。とてもありえないことです。全世界を裁くお方は、公義を行うべきではありませんか。」
主は答えました。
「もしソドムの中で50人の正しい者を見つけられたら、その町全部を赦そう。」
アブラハムは言いました。「わたしは塵や灰に過ぎませんが、あえて主に申し上げるのをお許しください。もしかしたらその50人が、5人足りないかもしれません。その5人のために、あなたは町全部を滅ぼされるでしょうか。」主は答えました。「滅ぼすまい、45人の正しい者を見つけたら。」
アブラハムは言いました。「もしかしたら40人かもしれません。」主は答えました。「滅ぼすまい、その40人のために。」
更にアブラハムは言いました。「主よ、どうかお怒りにならないで私に言わせてください。そこに30人いるかもしれません。」主は答えました。「滅ぼすまい、30人を見つけたら。」
彼は言いました。「私があえて主に申し上げるのをお許しください。もしかしたらそこに20人見つかるかもしれません。」すると仰せられました。「滅ぼすまい、その20人のために。」
彼はまた言いました。「主よ、どうかお怒りにならないで今一度私に言わせてください。もしやそこに10人見つかるかもしれません。」すると主は仰せられました。「滅ぼすまい、その10人のために。」
主はアブラハムと語り終えると去って行かれました。アブラハムは自分の家に帰っていきました。
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恐らく時間的には前回のお告げからそんなに経っていないであろう、ある日のお話になります。
アブラハムは甥っ子のロトと別行動を取って以降20数年間、ずっと住居を変えずにヘブロンのマムレ( 現パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区南端の町)にある樫の木のそばに住んでいました。
今回は、このアブラハムの住居に主が訪ねてきましたよ、というお話ですと一番はじめにネタバレがされています。
ある暑い日にアブラハムが自宅である天幕の入り口で座っていると、三人の人がアブラハムに向かって立っていた、とあります。
どんな人なのか描写が一切無いので性別も年齢も不明です。そういえば神が人の形を取って書かれているのは初めてですね。
自宅の前でボーッとしてたらいきなり知らない人がいてじっとこっちを見ているという状況は現代からするとなかなか怖いですが、アブラハムは彼らに気付いたとたん「走って近付いて地面にひれ伏し」ました。
でも別にアブラハムがこの人たちを神だと気付いたからではなくて、この時代、この地域の“旅人が来たら丁重に迎えてもてなす”という風習のためだそうです。だからアブラハムも彼らを「神」とか「主」とは呼ばずに「ご主人」と呼んでいます。
ホテル業などを営んでいなくても、一般家庭に旅人を泊めることは珍しいことではなかったようです。 それだけ旅人がいっぱいいたんでしょう。 行商人のキャラバンはもちろん、貧しさから故郷を捨てる人、ハガルのように労働環境に耐えかねて他国へ逃げようとする人もいたかもしれません。
そもそもアブラハム自身、旅人の身の上です。きっとカナンに着くまでに、色んな人にお世話になったでしょう。途中、エジプトではファラオの厄介にもなりましたしね。
その恩を返すためなのか、アブラハムの接客はとても丁寧です。人によっては、アブラハムの接待は単に遊牧民の習慣で迎え入れただけではなくて、王さまに対する奉仕にも見えるという人もいるようです。その解釈ですと、アブラハムは確信は無いにしてもこの客人たちは神さまに近い何かだと感じ取っていることになります。ほんとに神と思ってるのか、それとも「お客さまは神さまです」精神なのかは判断が分かれるところです。
まず、アブラハムは「水を持ってきますので足を洗って、木陰で休んでください」と言いました。真っ先にアブラハムがそう言ったということは、その人たちがめっちゃ足が汚れていて、疲れていそうに見えたんでしょう。たぶん。
その人たちは別に旅人であると記載されてはいませんが、旅人なんだろうなと思われる格好をしてたというわけです。
旧約聖書時代の人々の服装について書かれていたサイトを覗いてみますと、
①一枚布の腰巻き or 半ズボン風の下着
②その上に膝丈の肌着
③半分に折った一枚布の折り目部分に穴を開けて首を通す上着
④長い布を折り畳んだ帯で上着を締める
という出で立ちです。女性もほぼ同じ格好ですが、少々丈は長め。
これに、砂や陽射しがキツいので被り物をします。男性は布を被ってバンドで固定したり帽子を被ったりして、女性は長めのベールを被ります。
宗教画によく見られる格好ですね。
素材は麻や羊毛、山羊毛、皮革など。絹も無くはなかったようですが、王さまレベルのお金持ちで無ければ手には出来なかったようです。
履き物は革のサンダルが中心ですが、貧しい人や祭司は裸足だったとのこと。
『聖書の時代』といっても旧約の初期と新訳ではだいぶ年代の開きがあるかと思いますので、本当にアブラハムたちがこんな服装だったかは分かりませんけれども…。
ただでさえ砂の多い地域を当時の簡素な靴で徒歩移動するのですから、足は相当汚れます。
主人の足を洗うのはしもべの仕事の一つだったそうで、旅人のおもてなしの際もしもべが洗っていたそうな。
アブラハムが自ら「足を洗いましょう」と進言したということは、最初の言葉通りしもべのようにお仕えしますよ、という意味になるわけです。
もてなしの提案を受けた彼らは、「あなたの言った通りにしてください。」と答えます。
たぶん、ここでアブラハムが家にいるしもべたちに「あの旅人さんたちをもてなして差し上げなさい」と一言命令すれば、数百人のしもべたちによる盛大な宴会で接待が出来たはずです。なにせ第14章のメソポタミア VS カナンの戦のとき、しもべ318人を引き連れて両軍を相手どって戦えるくらい、アブラハム家には使用人がたくさんいるんですから。
でもアブラハムは自らの手によるもてなしを提案しました。旅人をもてなすご馳走の準備も、自分で走り回って行います。
100歳近い老人のおもてなしとか、受ける側は逆に申し訳なくなりそうですけども、まあ走れるくらい元気なら大丈夫でしょうか。
とりあえず、走って家の中にいるサラのところに行って「急いでパン菓子を作れ」と言いました。
しかも「3セアの上等な小麦粉」という指定つき。
「セア」は、サトゥムとも言うそうですが、ヘブライの乾物・液体の容量単位です。今の単位に換算すると、1セアは7~13リットルだそうです。つまり3セアは、21リットルから最大で39リットル…
計量サイトで調べましたところ小麦粉(強力粉)は1リットル550グラムとのことですので、12,100~21,
450グラム。つまり約12~21キログラム。
日本ではよくスーパーで売ってる食パン、1斤の重さは約370グラムで、小麦粉換算すると約240グラムだそうですので、約50~89斤分になります。一本の食パン型からは3斤の食パンができますので、食パン型で約17~30本のパンを作れと言ったわけですね。
まあ、食パンの場合は膨らませてフワフワの状態になりますから、この地域の主食になっているモチモチなパンに換算したらもっと少なくなるかもしれません。
私は2年ほどパン屋さんでアルバイトをしていたのでよくパン作りのシーンは見ていたのですが、小売りの個人店でもほとんどのお店は機械で生地を捏ねているはずです。 御歳90の族長の奥方自ら、この量のパンを作るのはなかなかの重労働です。
ちなみに日本人には量が分かりやすいので食パンで換算しましたが、実際この時出されたパンはどんなものだったんでしょう?
この時代の常食されている「パン」といいますと、石臼でひいた小麦粉を捏ね、パン種(前に作ったパン生地の一部)を加えて形を丸くし、熱した平石に置いて焼いたものです。裕福な人はパン焼き用の大きな壺を持っていて、その場合は壺を熱して内側に貼り付けて焼きます。
そうして出来たパンは「ふすま(穀物の外側の皮の部分)」を取り除かずにそのまま作るので、黒っぽいパンになります。
ふすまには食物繊維、鉄分・カルシウム・マグネシウム亜鉛・銅などのミネラルが豊富に含まれているため、近年では健康を気遣う人に向けて「全粒粉パン」やら「ふすまパン」やら「ブランパン」などと呼ばれてわりと高値で売られていますが、元々は庶民の食べ物だったのですな。
対して、ふすまを除いて精製した小麦粉で焼かれたパンは白い色になります。現代の日本で出回っているパンはほとんどコレですが、昔は大変贅沢なものだったそうです。
「上等な小麦粉」と言っているところを見ますと、恐らくは白に近い小麦粉を指しているのかな…?と最初は思いました。実際、聖書の解説サイトなんかでは「白いパンのことを指す」と書いてらっしゃる所もありました。
でもここでちょっと疑問。
本当に、この時代に白い小麦粉って出来るもんなの?
そこでパン作りの歴史を少々紐解いてみました。
今、発掘されている中で一番古いのは、約1万4400年前のメソポタミアで見つかった化石化したパン。ただしこの時代はまだ《お粥》のような括りで、もみがらを炒ったり石で挽いて粉にしたものに水を加えて煮て食べていたと考えられております。そのまま食べられる果実とかトウモロコシみたいな穀物と違って、そのまま食べても美味しくない麦類をなんとかして食べられるようにする手段だったわけですな。
それを焼くようになったのは、諸説ありますが紀元前6000~4000年頃。無発酵のパンは平たくて固いピザ生地みたいなやつで、アジムと呼ばれていたそうです。
そこから生地を発酵させたパンが現れたのが紀元前3500年頃。
……………と色々なサイトには書いてあったのですけども、一方でスイスのトゥワン遺跡下層(紀元前3830~3760年)から「人為的に発酵させた粥」が見つかっていて、中層(紀元前3700~3600年)からは「灰の下で焼いたパン」や「パン窯状設備で焼いたパン」が発見されているとWikipediaに書いてありました。
「人為的に発酵させた粥」は、サワードゥ(サワー種)というライ麦パンを膨らませるのに必要な酵母です。調理済みのお粥を数日間放置すると、自然の発芽酵母菌や乳酸菌で発酵します。当初は腐ったと思われて捨てられていたそうですが、それを焼いたものはどうやら食べてもお腹を壊したりしない上に、ただのお粥よりも美味しくなると分かったので敢えて発酵させるようになったということです。それが後のパン作りに発展していくというわけです。
今でも、北ヨーロッパでは一般的であるライ麦100%のライ麦パンは通常このサワードゥを使って膨らませているといいます。ライ麦はグルテンが少ないのでイースト菌だとうまく膨らみませんが、このサワードゥを使うとちゃんと膨らむのだそうです。
とりあえずそんな風に作られ始めたパンですが、一番記録が残っているのは何といってもエジプトです。
歴史家ヘロドトスに「パン食い人」と呼ばれるくらい、古代エジプト人はパンをたくさん作って食べていました。 (ちなみに当時のギリシャの主食は大麦のお粥。)給料や税金もパンによって支払われていたといいます。そんなエジプトですから、パン製造の資料はたんまりあります。壁画による図解付き。道具なんかも、お墓から発掘されたりしています。
この時代、小麦をひくのに使われていた道具は「サドルカーン」といいます。紀元前4000年頃から使われ始めたそうです。
ごくごく原始的な道具で、使い方は簡単です。石板みたいな平らな石皿の上で麺棒みたいな石の棒に体重をかけながらごろごろ転がして、 穀物を挽き潰します。要は《石臼》です。
ちなみに「サドル」が石皿で、「カーン」が棒の名前。新石器時代の中国からも見つかっているとても歴史の古い道具で、現在でも南米やインド、アフリカなどの一部地域で使われています。
《石臼》というと思い浮かぶ丸い回転式のやつは、紀元前600年頃の古代オリエント時代に発明されます。ロータリーカーンという名前で、上下2段の石を回転させて物をすりつぶします。それが後に風車や動物の力を使った脱穀に発展します。
すりつぶしただけではまだまだ籾殻やら細かいゴミやらが混ざった状態なので更に篩(ふるい)にかけたいところですが、馬の尾の毛などを使った初期の篩が登場するのはその更に後で紀元前100年くらいです。それまでは手作業で取ったり、息を吹き掛けて籾殻だけ飛ばしたり、そんな地道な方法で精製していたのでしょう。
ちなみに先程申し上げましたとおり毎日毎日パンを食べていた古代エジプト人たちは、お年寄りほど歯の病気が多かったのだそうです。身分の差などは関係なく、とにかくお年寄りだけ。とある個人ブログの方が記していたのですが、どうやらその原因は主食のパンにあったのではないかというお話です。
エジプトは言わずと知れた砂漠の国。時は建設技術もまだ発展途上。王廟などならいざ知らず、町の建設物全てが砂風を完全に防げるものでしょうか。しかも脱穀に使っているのは石製の道具。道具自体が磨耗して、少しずつ石の粉が混じってもおかしくありません。
すりつぶした砂や石でパンがジャリジャリしていても、そういうパンしか知らない方々は普通に食べてしまうでしょう。すると歯のエナメル質が時間をかけて傷つけられ剥がれ落ち、そこから虫歯になってしまうというわけです。
では、現代のような白い小麦粉が作れるようになったのはいつなのか?
砕いた小麦を篩で振るい、段階的に篩の網目を小さくしてより細かい小麦粉を作る「段階式製粉方法」は、16~17世紀頃にフランスで始まったそうです。
しかしながら篩の目は少しずつ細かくなっていっても、馬の尾や麻や、針金などを使った篩ではどうしてもふすまを全部取り除ききることは出来ません。
その鍵となったのが、絹糸です。
最初の方で服装の話を調べたときに、絹糸はこの頃無くはなかったと書きました。しかし物凄い貴重品であったために、王さまでもおいそれと身に付けられるものでは無かったと思われます。
紀元前3000年(紀元前6000年頃の説もあり)頃に中国で始まった絹糸生産は6世紀の半ばには既に確立しており、紀元1000年頃には税の支払いにも絹が使われるようになりました。しかし中国以外の地域では製法が分からなかったため、完全に中国からの輸入頼りでした。インドやペルシアへの輸入ルートが、今も残る『シルクロード』です。
古代ローマでも上流階級の衣服として絹が好まれましたが、金と同じ価値があるくらいの超高級品だったといいます。
ヨーロッパに絹製法が入ったのは6世紀になってから。1146年にシチリア王国で生産が始まり、ほどなくイタリア各地で絹が作られるようになります。
ちなみにイギリスはすごく絹生産に意欲的だったのに悉く失敗していてなんだか可哀想でした。
(宗教改革で母国を追われたプロテスタントの絹職人たちを受け入れて絹の国産化を目指すも本国ではうまく育たず→植民地先(アメリカ)で成功するも独立される→中国の絹への憧れが半端ないせいで貿易不均衡…これがアヘン戦争に繋がったのではという説も)
そんな超高級品を小麦粉の精製に使おうなどと、古代のひとが聞いたら気が触れたと思われそうですが、絹を使った篩が作られるようになったのは18世紀の産業革命からです。
蒸気機関の発明による工場の機械化と大量生産によって、絹は黄金よりは安価になったのでしょう。
小麦粉の世界も大きく変わりました。石臼はロール機に変わり、篩機は大きくなって、より大量の小麦粉を精製することができるようになりました。
更に絹を使った純化篩機が発明され、かくして真っ白な小麦粉が作れるようになりました。
「木下製粉株式会社」様のホームページでは、製粉の様子を丁寧に説明してくださっているのでとても分かりやすいです。
https://www.flour.co.jp/knowledge/flourmilling/
つまり「純化」ができるようにならなければ、真っ白な小麦粉にはお目にかかれないということです。
アブラハムが生きたとされる紀元前2000年頃には純化篩機はもちろん、そもそも篩自体がありません。
なので、ここで出てくる『上等な小麦粉』は白くなかったんではないかなーと私は思います。たぶん育ちの良い形の綺麗な麦を集めて作ったとか、通常より丁寧に挽いたとか、そんな感じではないでしょうか。
小麦粉の話がずいぶん長くなってしまいました。(いつものことですが)
さて、アブラハム家のおもてなしメニューはパンだけではありません。
○子牛の料理
○凝乳(カッテージチーズ)
○牛乳
これらをものすごく急いでアブラハム&家の若い衆が用意しました。彼らが可能な限りで用意できるごちそうです。三人の客人は、それらを木の下で食べます。
家の中に入れてあげないの?と思いますが、何か理由があるのでしょうか。
遊牧民のおもてなしの習慣的には、天幕内に招かれた訪問客は丁重な歓待を期待することができた、と以前ノアのところで調べました。尚且つ、「天幕」は保護や安全の象徴です。客人が神だと気付いているから保護は不要ということで、敢えて外で接待したのでしょうか…?ここらへんよく分かりません。
とりあえずお客さんたちはアブラハム家の前の木陰で食事をしました。
食事中、ふと彼らが「奥さんのサラはどこ?」と聞きます。天幕の中にいますよ、とアブラハムが答えますと、客人のひとりが「私は来年の今ごろにまたあなたの所に戻ってきます。その頃には貴方の奥さんには男の子が生まれていますよ。」と言いました。前回、神さまがアブラハムに言った契約と同じ台詞です。たぶん、ここでアブラハムにはピンと来たんではないでしょうか。「あ、この人神だわ。」と。
サラは、『その人のうしろの天幕の入り口』でそれを聞いていました。さっき頼まれたパン作りの真っ最中なのか、出来たパンを持っていこうとしたのか、はたまた立ち聞きしようとして聞いたのは分かりませんけども、とにかくサラは神さまが自分の話をしているのを家の中から聞いていました。神さまたちは家に背を向けていて、こちらを見ていないという構図になります。
家と言ってもテントですから、会話は駄々漏れです。客人たちが神だとはまったく知らないサラは、まあ普通の感想を抱きます。「こんな老人に子供なんて無理でしょ…」と心の中で笑っていますが、この笑いは自分の老いへの自嘲や諦めもあるでしょう。
既に生理も止まっていて、サラは自分自身をもう「女」と見れなくなっていたのかもしれません。
すると神さまはサラではなくてアブラハムに「なんでサラは笑ってるのか?主に不可能なことがあると思うのか?」と言いました。テントの布一枚隔てたすぐそばにサラ本人がいるのを知っていて、 且つサラの心の声を聞いているのに敢えてアブラハムに話しかけている体をとっているのがなんとも意地悪だなーと思うのは私だけでしょうか。しかも、ここで「主」という言葉を出しました。一応、主の信者ではあるサラは怖くなって『「私は笑いませんでした」と打ち消し』ました。自分のことを話していたとはいえ、いきなり自分が参加してなかった会話に飛び込む度胸と、敢えて空気を読まない強靭な精神はさすがだなと思います。
すると、天幕の外にいたお客さんが「いや、確かにあなたは笑った」と言いました。
神さまパワーのスゴさはさておき、一般の人間は何歳まで妊娠が可能なものなんでしょうか。
サイトで調べてみたところ、生物的に人間は月経が無くなりますと排卵も無くなるので妊娠は不可能になります。日本人の基準ですと、平均50歳頃で閉経が訪れるとのことです。
そして閉経前後の5年間は『更年期』と呼び、黄体期の短縮や無排卵が起こるので妊娠自体の確率が非常に低くなります。
つまりは一般的に妊娠できるのは45歳までということなのですが、かなり稀にホルモン状態が良くて妊娠することもあるそうです。
産婦人科医で、閉経したと思って来院した患者さんが妊娠だった、という例を診た方もいるそうです。
閉経と正しく診断された人が自然妊娠することはほぼ不可能とされていますが、
・実は更年期ではなくて他の原因で月経が止まっており、治療によって月経が再開した場合
・思い出したように卵巣が動き出した場合
など、完全に有り得ない話ではないようです。
サラは90歳ですが見た目は相当若かったようで、もしかしたら体内年齢もすごく若々しかったのかもしれません。
この90歳という年齢が、神代のアダムの子孫たち共々、象徴的なものなのかは分かりません。
暦の数え方が今とは違うために大きな数字になったのであって、ほんとはもっと若かったんではないかという方もいるそうですが、聖書を崇めている人々にとっては「聖書に書いてあることを疑うなんてとんでもないこと」らしいので、実際90歳だったとして話を進めます。
現実的な話として、体外受精の場合は閉経したあとの女性でも妊娠・出産は可能です。
昨年2019年9月、インドで74歳の女性が体外受精により双子の妊娠・出産に成功して世界記録を塗り替えたそうです。
なので神さまパワーで既に受精した卵を直接子宮にぶちこむことができれば、年齢は関係なく身体さえ丈夫で健康ならば子供はできる、ということになります。
「来年にはあなたに子供ができていますよ」と予告したということは、「あなたに受精卵をぶちこみますので宜しく」というわけですな。
さて、サラに「あなたは確かに笑った」と言い切った主は、呆然とするサラを特にフォローすることなくその場を後にしました。あわててお見送りするアブラハム。主を含む3人はソドムの町を見下ろす高台へ歩いていきました。
そこでいきなり主のモノローグが入ります。
「これからしようとしてること、アブラハムには内緒にしとく方がいいかなあ…。
アブラハムは絶対大物になると思うんだよね。この男の子孫まで私との約束を守らせるために選び出したんだし…」
主とふたりのお供は、別に下界に観光に来たわけではなくてちゃんと目的があったのですね。それは、アブラハムにあまり知られたくないことのようです。
その理由として、「アブラハムを選び出したのは『主の道』を守らせ正義と公正を行わせるためだ」と述べています。わかりにくいなー。
自分の信者にするために選んだアブラハムの信仰が離れたら困るなー、だから内緒にしといた方がいいかなー、と言ってるようにしか見えないんですけど如何なものでしょうか。
で、何をしようとしてるかは読者も含めて伏せて、
「ソドムとゴモラの町の人はすごく悪いことしてるって声がこっちに届いてるんだけど、実際に現地に行って何が起こってるか見てみようと思うんだよね。」
と言いました。
この時点で、アブラハムは主が何をしようとしてるのか悟ったようです。
主の言葉を額面通り受け取ったなら「あー、そうなんですかー。行ってらっしゃいませー。」とお見送りするところだと思うんですが、
「マジで全員滅ぼしちゃうんスか?」
と言いました。
主はソドムとゴモラを滅ぼすために、わざわざ天からやってきたようです。
これまでお世辞にも察しがいいとは言えなかったキャラのアブラハムでさえもピンときたということは、当時のソドムとゴモラの荒れ具合は相当なものだったんでしょう。「ありゃいつ神さまに滅ぼされてもおかしくないぞ」というくらいにはヤバかったんですね。
ソドムの方に向かう歩みを止めない主たちの前にアブラハムは立ちはだかって、必死に値下げ交渉を始めます。
ア「もしかして50人くらいは正しい人がいるかもしれませんよ。まとめて殺しちゃったら正しい人も悪い人も同じ扱いになっちゃうじゃないですか、それじゃ不公平でしょう。」
主「じゃあもしソドムの町で50人正しい人がいたら、許してあげることにするよ」
ア「(……………やべー、50人もいないかもしれん)
えーと、5人くらい足りないかもしれないですけど…」
主「じゃあ45人いたら滅ぼさないであげるよ」
~中略~
ア「ほんっっっとーに申し訳ないのですけども、怒らないでください。10人くらいは正しい人がいるかもしれないです………ほんとマジで……」
主「じゃあ10人いたら滅ぼさないであげるよ」
なんてまどろっこしいやり取りなんでしょうか。
でもアブラハムの葛藤は伝わってきます。ソドムの人口がどれくらいかはわかりませんけど、最初「50人」と口をついて出た数字で契約を結んだ直後『待てよ、あの町に50人も善人が居るとは思えない』と咄嗟に考えて少しずつ数字を小さくしていくところに、ソドムの町の信用の無さが伺えます。
相当酷い町なんでしょうね。
話が終わると主はとっとと去っていってしまいましたので、アブラハムは家に帰りました。
いくらヤバイ風紀の町の人でも、町ごと滅ぼされちゃうのをみすみす見逃せないあたり、アブラハムも人間です。主の思考を見てるとどうもフラスコを覗く科学者というか 、病巣を取り除くお医者さんというか、そういう思考回路で人間を見ているように見えます。
とりあえず、18章はここまでです。
さあ、ソドムの運命やいかに?!(今さらネタバレも何も無い気がしますが)
さて、今回の楽曲は
映画『ソドムとゴモラ』より
https://youtu.be/wwRAs_VdydE
1962年制作の、イタリアとアメリカで合作した映画です。
ロージャ・ミクローシュさんというハンガリー出身の作曲家が音楽を担当していらっしゃいます。
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