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音楽とお酒と歴史探索が趣味です。色々書きなぐってます。
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  プロフィール
HN:
赤澤 舞
性別:
女性
職業:
飲食店店員
趣味:
お菓子作ったりピアノ弾いたり本読んだり絵描いたり
自己紹介:
東京・神奈川・埼玉あたりでちょこまか歌 を歌っております。

一応声種はソプラノらしいですが、自分は あんまりこだわってません(笑) 要望があればメッツォもアルトもやりま すヽ(^。^)丿

音楽とお酒と猫を愛してます(*´▽`*) 美味しいものには目がありません。

レトロゲームや特撮も好物です。

ヴァイオリンは好きだけど弾けませんorz
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2025/05/14 (Wed)
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2019/05/24 (Fri)
ずいぶん期間が空いてしまいました。お久しぶりです。

実は昨年末に父が亡くなり、慌ただしくしているうちにブログもすっかり更新が止まってしまいました。
私の父はとても敬虔な日蓮宗派の仏教徒でしたが、私の個人的なこの研究にも理解を示してくれた人でした。
無宗教の私が宗教を勉強してみようと思ったのは、根底に父の仏教が染み付いている影響も大きいかもしれません。

では、始めさせていただきます。


※キリスト教徒でもユダヤ教徒でもイスラム教徒でもプロの考古学者でもないただの一般日本人が、聖書を読んで楽しんでいるだけです。
気になったことは本を読んだりネットで情報を拾ったりしていますが、あくまで一般人が手に入れられる範囲です。
多大なる妄想を含んでいます。本気にしないでください。

○第十六章

アブラムの妻サライは、彼(アブラム)に子供を産みませんでした。サライには召し使いがひとりおりました。エジプト人の女で、名前をハガルといいました。
サライはアブラムに言いました。「ご存じでしょうけど、主はわたしに子供をお授けになりません。どうぞ、わたしの召し使いのところにおはいりください。たぶん彼女によってわたしは子供を持つことになるでしょう。」アブラムはいう通りにしました。
アブラムの妻サライは、その仕え女ハガルを連れてきて、夫アブラムに妻として与えました。これはアブラムがカナンの地に住んだ10年後でした。
彼はハガルのところにはいり、ハガルは子を孕みました。彼女は自分が孕んだのを見て、女主人を見下げるようになりました。
そこでサライはアブラムに言いました。「わたしが受けた害はあなたの責任です。わたしの仕え女をあなたの懷に与えたのに、彼女は自分の孕んだのを見て、わたしを見下げます。どうか主があなたとわたしの間をお裁きになりますように。」
アブラムはサライに言いました。「あなたの仕え女はあなたの手の内にある。彼女をあなたの好きなようにしなさい。」そしてサライが彼女をいじめたので、彼女はサライのところから逃げました。
主の使いは荒野にある泉のほとり、すなわちシュルの道にある泉のほとりで彼女に会い、
「サライの仕え女ハガルよ、あなたはどこから来て、そしてどこへ行くのですか。」と言いました。彼女は「わたしは女主人サライから逃げているのです。」と言いました。
主の使いは彼女に言いました。「あなたは女主人のもとに帰って、身を低くしなさい。
わたしはおおいにあなたの子孫を増やして、数えきれないほど多くしましょう。
あなたは身籠っています。あなたは男の子を産むでしょう。名をイシュマエルと名付けなさい。主があなたの苦しみを聞かれたのです。
彼は野ろばのような人となり、その手はすべての人に逆らい、すべての人の手も彼に逆らい、彼はすべての兄弟に敵対して住むでしょう。」
そこで、ハガルは自分に語られた主の名を呼んで、「あなたはエル・ロイです。」と言いました。それは彼女が「ご覧になる方のうしろを私が見て、なおもここにいるとは」と言ったからです。
それでその井戸は「ベエル・ラハイ・ロイ」と呼ばれました。これはカデシュとベレデの間にあります。
ハガルはアブラムに男の子を産みました。アブラムはハガルが産んだ子の名をイシュマエルと名付けました。ハガルがイシュマエルをアブラムに産んだ時、アブラムは86歳でした。

~~~~~~~~~~~~~~~~

今回は今までにはなかった、主人公の奥さんたちの話です。

前回神さまが「子孫を星の数ほど増やしてあげよう」と約束してくださったわけでしたが、アブラム夫婦にはいまだに子供ができませんでした。サライは族長の妻として、なかなか辛い立場にあっただろうなと思います。そこで、自分の召し使いとアブラムの間に子供を作らせようと考えました。白羽の矢が立ったのはハガル(「奇妙な」「難民」の意)という、エジプト人の女奴隷です。アブラム一行がエジプトに行ったときに、ファラオに貰った奴隷かもしれません。
サライはアブラムに
「神さまは私に子供をくれないんで、私の奴隷と子作りしてくれ。」
と言いました。現代の倫理観ではなかなか「うわぁ…」な展開ですが、不妊の妻が子供を望む夫に対して女中を贈ることは当時は一般的な習慣だったようで、妾をとることも別段珍しいことではなかったみたいです。アダムから9代目のレメクで崩れた一夫一妻の習慣は、戻ることはなかったわけですね。
バビロニアのタルムードによると、妾と正妻の違いはケトバ(結婚契約)を交わし正式な婚姻を結んだかどうか、だそうです。一夫多妻が認められているイスラム教圏では「サライはハガルをとって、妻としてアブラムに与えた」という表現から、アブラムはハガルをちゃんとした妻に迎えたと考えているようです。

ちなみに妾に生まれた子供は妾の女主人に認知され、相続権も含め女主人の子供と同様の扱いを受けることができます。ハガルが妾だろうと正妻のひとりだろうと、彼女の主人はサライですから生まれた子供はサライのものになります。ですからサライは「彼女によって私は子供をもつことになるでしょう」と言ったわけです。
奥さんの提案をアブラムは受け入れて、その通りにしました。「(人名)のところにはいる」「(人名)を知る」という表現は聖書において性行為を表します。なんつーか直接的表現すぎていっそ清々しいですね(爆)

カナンの地に住んでから10年というと、ハランを出てカナンに向けて出発したのが75歳のときですから、少なくとも85歳は超えてます。
85過ぎのじいちゃん………お元気ですね…
とりあえずハガルは無事にアブラムの子を孕み、アブラムはお家断絶の危機を脱しました。奴隷出身のハガルからしてみたら絵に描いたようなシンデレラストーリーですし、良いことずくめですね!

ところが、これでめでたしめでたしとはなりませんでした。

アブラムの子を妊娠したハガルは、サライのことを自分より下に見るようになります。(実際にどういう態度をとったのかは書いてないので、妄想するしかありませんが。)
仕方ない気がするんですけど、当時の人間社会的にはNGなんですよねえ。ハガルが第二夫人だろうと側室だろうと、元々はサライの召し使いですから彼女よりも上の立場にはなれないんです。それでも、行動の端々に優越感は滲み出てしまうもの。直接喧嘩を売ったりはしなくても、サライにはカチンとくるような態度をうっかり取っちゃったのかもしれません。あと、もしかしたら周りの使用人とか、アブラムの態度も微妙に変わったりしたのかも。正妻としてのサライのプライドを傷付けるには十分でした。

サライは溜まった不満をアブラムにぶちまけました。
「あんたのせいで、召し使いが私のこと下に見るんだけど。神さまが私とあなたの間を裁いてくれたらいいのに。」
元々ハガルの件は自分で言い出したことなのに、「おまえの責任だ」はないんじゃないかと思うんですが…。アブラムを通して神さまに裁いてもらおうとしている所もなんか身勝手だなー。
そもそもアブラムにハガルをあてがうという行為自体、神さまの意図とはまったく関係ないところでサライが勝手に考えて行ったことでした。信徒的には神さまが「子孫をあげよう」と言ったんだからおとなしく待っていれば良かったのに、焦って違う方法を取ってしまったんですね。本来神さまから与えられるはずの子宝を待つことができずに自分で、俗世の習慣(一夫多妻制度)をもって作ってしまおうと考えることがそもそも間違いでした。子供を世継ぎの道具としてしか考えていない…つまり命を軽んじた彼女が、他の人に軽んじられるのも当然の報いというわけです。

でもまあこれは、サライを信徒としてみたらの話なので。サライ個人にしてみたら仕方のない話だったかもしれません。聖書には、跡継ぎを心待にしているアブラムをはじめとする周囲のひとたちの細かな態度までは書いてませんが、人間なんてどの時代も大して変わらないものです。サライをそこまで追い詰めた何かがあったんでしょう。
しかしそれを差っ引いても、サライの対応はなかなか性格悪いなと思いますが(爆)

ハガルをどーにかしてくれ、と訴えられたアブラムは
「あんたの奴隷なんだからあんたの好きにしろ」と言いました。最初読んだときは「う、うわー。他人事だー。」とアブラムのクズ具合が一層増しましたが(爆)、実はこのセリフはヘブライ語の原典では「あなたの目に最も良いことを彼女にしなさい」となっているそうです。「あなたの判断で良いと思うことをしろ」というわけですね。
それに対しサライは、ハガルをいじめるという行動に至ります。イジメ、カッコワルイ。しかもハガルは奴隷身分なので、主人には逆らえないじゃないですかー。パワハラじゃないですかーやだー。
どんな風に苦しめたかの描写もこれまたありませんが、日本のみならず世界中あちこちで今も昔もイジメは無くなることはありませんので想像には難くありません。しかも時代が時代なので、相当ひどいパワハラが行われたと思います。ハガルが裕福な「族長の妻」という身分を捨ててまで逃げ出そうとするくらいには、酷かったんでしょうね。
アブラムに劣らぬサライのクズ具合にドン引きです(爆)

アブラムの元から着の身着のまま逃げ出したハガルを、神さまは見捨ててはいませんでした。
というか、見捨てたらかなり酷いですね!

アダムの直系ではない人間に直接神さまが対応する訳にはいかないのか、そこらへん利権か何かが働いているのかは知りませんが、「主の使い」がハガルのアフターケアを請け負います。

御使いがハガルを見つけたのは、「シュルの道」という荒れ野にある泉のそばでした。
シュルとは「壁」という意味があって、都市の境界などに設けられた地域の名称のようです。どうやらシナイ半島北西部にあるエジプトの東の境界に接した地域を指すようで、つまりハガルはイスラエルから故郷のエジプトに向かって逃げていたというわけです。
その道中にいたハガルに、御使いが「どこから来て、どこへ行くのか」と尋ねました。
これは、
「君はどこの所属のひと?本来自分はどこに居るべきだと思ってるん?そんで、今君はどこへ向かっているのかい?ほんとにそこへ行くのが正解だと思っているのかね?」
ということだそうです。
ハガルにしてみれば、身重のからだで取るものもとりあえず飛び出してきたわけですから正解なんて知ったこっちゃありません。そこで正直に
「女主人から逃げてます」
と言いました。この発言は
「本来わたしは自分の女主人サライのところにいるべきなんですけど、主人のいじめがキッツいので逃げてきました。正解かどうかはわかりませんけど。」
と答えたことになります。故郷に向かっていたのは、無意識だったかもしれません。
すると主の使いは
「じゃあ女主人の元に帰りなさい」
と一言。無慈悲。更に
「身を低くしなさい」
謙虚に構えて女主人に身を任せなさい、との仰せ。別にサライのいじめを止めさせるとか、そういう待遇はないけど、とにかく嫁入り先に帰れとのことです。

…え~(´Д`)

代わりに、そのとおりにした暁にはハガルの子孫を大いに増やしてやろう、と言いました。
アブラムに持ちかけた契約とおんなじですね。

ここらへんよく分からないなーと思って色々見ましたら、どうやら、アブラムと違って生まれたときから神さま側の人間でないハガルに対する、特別待遇の試練のようです。

極端な話、このお話の「神さま」が可愛がっていて子孫繁栄を約束してあげているのは元々自分で作ったアダムだけでした。アダムの直系、尚且つセムの血筋の人間が庇護の対象なのであって、それ以外の人間は知ったこっちゃないのです。
このハガルにしてもそうで、エジプト人である彼女がひどいイジメを受けていようが、それを苦にして里に帰ろうが、本来だったら神さまにとっちゃどうでもよいことです。
でも、彼女の身体にはアブラムの子供がいます。本来だったらサライにのみ宿るはずだったアブラムの子ですが、それを信じられなかったサライ自身が他の女に宿らせてしまいました。サライとアブラムが勝手にやったこととはいえ、出来てしまったものは仕方ありません。現時点では唯一アブラムの血を引いた子供ですので、できることならアダムの血族として認めてやりたいところ。
そこで、アダムやノアやアブラムのように、ハガルにも試練を出したというわけです。 
アダムは、荒れ地を開墾をすること。
ノアは、方舟を建設すること。
アブラムは、平穏を捨ててカナンまで旅すること。
いずれも、苦難に耐えよという要求です。厳しい荒れ地で生き抜くために発展した宗教らしい教えですね。

御使いは、《試練を克服した暁には、神さまの加護の元にいるアブラムの一族と同じように君の子孫繁栄を約束しよう》と言ったわけです。
そしてお腹の中の子が男の子であるとネタバレをし、神があなたの願いを聞いたから「主は聞き入れる」という意味の《イシュマエル》という名前を付けろと命じます。(ハガルがいつそんなこと願ったのかは不明ですけど)
更にその子がどんな大人になるかも宣言します。
「野ろばのような人となり、その手はすべての人に逆らい、すべての人の手は彼に逆らい、彼はすべての兄弟に敵して住む」とのことですが、一体どんな人物だと言いたいんでしょう。

そもそも「野ろばのような」という喩えが現代日本に住んでいる私にはさっぱりわかりません。
この話が書かれた当時だったら、「あー、そんな感じな人なのねー」って皆がわかったのかもしれませんが。

というわけで、少々「ろば」という動物について調べてみます。助けてーWikipedia先生~(爆)

ウマやロバの直接の先祖(Equus(エクウス/ウマ属) の学名で呼ばれる仲間)は、200万年前から100万年前にあらわれたと考えられているそうです。
家畜化が行われたのは紀元前4000年から3000年頃。この4000年くらい前には、既に羊やヤギや牛は家畜化されていました。

ロバはその中でも、哺乳綱奇蹄目ウマ科ウマ属に分類される奇蹄類です。別名うさぎうま(兎馬)とも呼ばれ、ウマ科の中で一番小型ですが力が強くて賢いため古代から家畜として重用されていた動物です。荒れた土地でも育つし、少ない餌でもなんとかなるし、寿命も20~30年と長いので、家畜には最適だったんですね。

野生のノロバは半砂漠地帯や荒れ地に生息し、雄1頭がメスや生後2年までの子供たちと6~12頭程の小規模な群れを作って暮らします。場合によっては100頭以上の規模の群れを作ることもあったとか。
ただ、序列のハッキリしたハーレム社会を作る野生馬と違って、ノロバはいつも群れを作る訳ではありません。大きな群れを作るのはたまたま食料が豊富にある地域に住んでるロバの話で、あんまり食べ物がない地域のロバは群れにならず雄が単独で縄張りを渡り歩いて生活します。群れを作っている場合でも、夏は高地、冬は河川沿いや谷へと移動をするそうです。

繁殖期には雌を巡って雄同士が争います。
厳しい土地で単独でも生きられるように進化したせいか、コミュニケーションはあまり上手ではなくて駆け引き下手、図太くて淡白な性格のようです。
社会性があって繊細な馬との、最大の違いかもしれません。この気質のおかげで、できる仕事が限られているからです。
たとえば馬車。複数の個体と呼吸を合わせるという芸当が、コミュニケーションが苦手なロバには難しいのです。人が乗る場合も、誰でも乗せてあげるほど気前が良くないのであまり普及しませんでした。確かに知能は高いんですが、相手を見て態度を変えるという何ともあからさまな性質のために、嫌いな相手から指示されても無視したり不機嫌になったりするそうです。
ただ、信頼した人間にはよくなつくらしい…。


ロバの中にも種類が色々あります。

・アフリカノロバ(現在の家畜ロバの祖先)
・ヌビアノロバ、ソマリノロバ(アフリカノロバの亜種)
・アジアノロバ
・チベットノロバ(西部、東部、南部でそれぞれの亜種に分かれる)

などなど。
アジアノロバは更にそこから

・モンゴル亜種
・シリア亜種
・トルクメニスタン亜種
・イラン亜種
・インド亜種

の5種類の亜種に分かれます。

現代に家畜として飼われているロバはアフリカノロバを原種としたものですが、古代メソポタミアでシュメール人たちが飼っていたのはこのアジアノロバだったそうです。
そして、地域的に恐らくシリア亜種が聖書に出てくるロバなのではないでしょうか。(でも最初に家畜化されたのはアフリカノロバらしい。)
ちなみにアジアノロバのシリア亜種は、1927年に絶滅したとされております。

アジアノロバは体長約2メートル、体重約200キロ、肩高1メートルあまりと身体の大きさはアフリカノロバとあまり変わりませんが、アフリカノロバが赤みを帯びた灰色な体色なのに対し淡黄色や赤褐色の体色だそうです。
たてがみはあまり発達せず、しっぽの先端にある毛もそんなに房状にならない、耳は小さめでアフリカノロバと比べると蹄は幅広、などの特徴があります。

以上の特徴を纏めますと、『ノロバのような人』というのは

○小柄だが力が強い
○厳しい環境でも丈夫でたくましい
○あまり群れない
○コミュニケーション下手
○図太くて淡白
○信頼してる人とそうでない人の態度をあからさまに変える

といった性質の人ということになります。
そしてその結果「その手はすべての人に逆らい、すべての人の手は彼に逆らい、彼はすべての兄弟に敵して住む」だろうと予言されます。「すべての兄弟に敵して住む」は「すべての兄弟は彼の顔の上に住む」と書いてある版もあります。
要は他の民族と喧嘩する民になりますよ、と言ってるわけですな。まあ生まれる前の背景が既に修羅場ってますからな(爆)

それを聞いたハガルは主の名を呼んで(神がいつ名乗ったかは不明)
「あなたはエル・ロイ」と言いました。
「エル」は《神》、「ロイ」は《幻、私を見ている》という意味で、「あなたは私を見てくださる神」となります。
その次の「ご覧になる方のうしろを私が見て、なおもここにいるとは」は分かりにくいですねー。
「ここでも、わたしをみていられるかたの後ろを拝めたのか」と書いてある版もあって 、更に混乱。
解釈もいくつかネットで拝見しまして、どうやら複数の意見があるようです。とりあえず見つけたやつを二つ書いておきます。


神さまは直接顔をお見せにはなりませんが、ハガルに後ろ姿を見せてくれました。自分を見ていてくれる神さまをなんとなく感じるなーというだけでなく視覚的に認識することができたわけで、神も「わたしは君を見守る神ですよ」と認めたから姿を見せてくれたのです。見ていてくれる神と、見られている人の相互関係が築かれたことになります。
しかもこの場所は別に神さまお気に入りのアブラムやサライがいるところではない、着の身着のまま飛び出した自分一人しかいない荒れ地です。
孤独と不安の只中にいたハガルは感動のあまり
「ここ(私ひとりしかいないこんな場所)でも、わたしをみていられるかた(神さま)の後ろを拝めたのか」と言いました。


神さまを御姿を普通の人間がうっかり見たら、ただでは済みません。特にハガルはエジプト人です。アブラムたちからみれば異邦人で、主人の許しなく勝手に家出してきた身の上です。もしかしたら殺されてしまうかもしれません。もうダメかも、と思ったハガルでしたが、神さまは自分からハガルに見せるために姿を現しましたので、神さまを見てもハガルは無事でした。なのでびっくりして
「(わたしを)ご覧になる方のうしろ(後ろ姿)を私が見て、なおもここに(生きて)いるとは」 と言いました。



ちなみに実際にこのとき直接ハガルと接していたのは御使いなので、本当にハガルが主の後ろ姿を見たのか、それとも御使いを指しているのか、はたまた御使いを通して主の威光を感じたことを言っているのか、もう読者の解釈によって様々ですね!
まあつまり、ハガルが「神さまありがとう!!」って思ったってことですな。
この逸話のおかげで、ハガルと御使いが出逢ったこの井戸っていうか泉っていうか、シナイ半島北西部にあるエジプトの東の境界に接した地域のどっかにあったとされる水場は「ベエル・ラハイ・ロイ」と呼ばれた、とあります。
「ベエル」は《井戸》、「ラハイ」は《生きる》、「ロイ」はさっきも出てきた《幻、私を見ている》。これで《わたしを見ていてくれる生きている方の井戸》という意味です。
カデシュとベレドの間にある、と書いてありますが、現在の正確な場所はわからないそうです。
カデシュは、ヒッタイトについて調べたときに出てきた、紀元前13世紀の《カデシュの戦い》で出てきました。古代シリアにあったという都市カデシュを、ヒッタイト VS エジプト第19代王朝が取り合って起きた戦争です。(ちなみにこの時のエジプト側の司令官がラムセス2世(オジマンディアス)さまです。FGOで欲しいけどなかなか出ないキャラ…)
カデシュは、現在のシリア西部の大都市ホムスから24km南西にあるテル・ネビ・メンドという遺跡が跡地であるとされているそうです。
ベレドの位置はわかりませんが、まあこの付近にあったんでしょうな。


そんなわけでとりあえず、ハガルは御使いの言う通りアブラムの屋敷に戻りました。きっとサライのイジメはまたハガルを無慈悲にも襲ったことでしょうが、神さまの声を聞いたハガルは精神的に救いを得たんでしょうね。無事にアブラムの子を出産しました。
ハガルに話を訊いたのか、それとも神から直接命じられたのか、アブラムはハガルがお告げで言われたとおり《イシュマエル》という名前を子供につけました。
このとき、アブラム86歳。75歳でハランを出て、カナンに住んでから10年目でハガルを孕ませたわけですから計算は合ってます。

ここからお話がどう動くのか?
今回あんまり面白くなかったんで、次の章に期待です(爆)


さて、今回の曲は

ホアン・クリソストモ・アリアーガ作曲
カンタータ《砂漠のアガル(ハガル)》

https://youtu.be/LuE_uxTtExI

です。

アリアーガ(1806~1826年)は《スペインのモーツァルト》と呼ばれる作曲家です。
わずか20年の短い生涯で多くの作品を手掛けましたが現存しているものは少ないそうです。私は今回調べて初めて存在を知りました。

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