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音楽とお酒と歴史探索が趣味です。色々書きなぐってます。
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  プロフィール
HN:
赤澤 舞
性別:
女性
職業:
飲食店店員
趣味:
お菓子作ったりピアノ弾いたり本読んだり絵描いたり
自己紹介:
東京・神奈川・埼玉あたりでちょこまか歌 を歌っております。

一応声種はソプラノらしいですが、自分は あんまりこだわってません(笑) 要望があればメッツォもアルトもやりま すヽ(^。^)丿

音楽とお酒と猫を愛してます(*´▽`*) 美味しいものには目がありません。

レトロゲームや特撮も好物です。

ヴァイオリンは好きだけど弾けませんorz
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2025/05/12 (Mon)
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2017/11/02 (Thu)
こんにちは!
さて、まだまだ続くこのシリーズ。果たして生きてる間に終わるのか?


※キリスト教徒でもユダヤ教徒でもイスラム教徒でもプロの考古学者でもないただの一般日本人が、聖書を読んで楽しんでいるだけです。
気になったことは本を読んだりネットで情報を拾ったりしていますが、あくまで一般人が手に入れられる範囲です。
多大なる妄想を含んでいます。本気にしないでください。



○第十二章

主はアブラムに言いました。
「あなたは生まれ故郷を出て、お父さんの家も離れて、わたしが示す土地に行きなさい。
そうすればわたしはあなたを大いなる国民にして、祝福して、あなたの名を大いなるものにするよ。あなたの名は祝福になるよ。
あなたを祝福する者はわたしを祝福し、あなたをのろうものはわたしをのろっちゃうよ。地の全ての民族は、あなたによって祝福されるよ。」
そこでアブラムは言われたとおりに出発しました。ロトも彼と一緒に行きました。アブラムはハランを出たとき、75歳でした。
アブラムは妻のサライと、弟の子ロトと、集めたすべての財産と、ハランで獲た人々を携えてカナンに向かって出発し、カナンの地に入りました。
アブラムはその地を通ってシェケムの場、モレのテレビン(樫)の木のもとに着きました。当時、カナン人がその地にいました。
その時に主はアブラムのところに現れてこう言いました。
「わたしはあなたの子孫にこの地を与えます。」
アブラムは自分に現れてくださった主のために、そこに祭壇を築きました。
彼はそこからベテルの東の方にある山に移って天幕を張りました。
西にはベテル、東にはアイがありました。彼は主のためにそこに祭壇を築いて、主の名によって祈りました。
アブラムはそこからさらに進んでネゲブに行きました。
さて、その地に激しいききんがあったのでアブラムはエジプトに滞在しようと下っていきました。
エジプトに近づいたとき、彼は妻サライに言いました。「君はめっちゃ美人だから、エジプト人が君を見たら、この女は彼の妻だと言ってわたしを殺して、君を生かしておくと思うんだよね。
だから、君はわたしの妹だと言って欲しいんだ。そうすれば彼らはあなたのおかげでわたしにも良くしてくれるし、わたしの命はあなたによって助かるだろうから。」
アブラムがエジプトにはいった時、エジプト人はこの女を見て、たいそう美しい人であるとし、
またパロの高官たちも彼女を見てパロの前でほめたので、女はパロの家に召し入れられました。
パロは彼女のためにアブラムにも良くしてやり、アブラムは多くの羊、牛、雌雄のろば、男女の奴隷および、らくだを貰いました。
けれども主はアブラムの妻サライのことで、激しい災害でパロとその家を痛めつけました。
パロはアブラムを呼んで言いました。「ちょっと何してくれるんですか。どうして彼女が妻であるのをわたしに言わずに、妹だなんて言ったのですか。わたしは彼女を妻にしようとしていました。さあ、あなたの妻を連れて行ってください。」
パロは彼の事について部下に命じ、彼とその妻およびそのすべての持ち物を送り去らせました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~


この章以降は、しばらくアブラムの旅を追うお話になります。《ノアの方舟》以来、久々の特定の人物が動く物語です。(まあページにしたらたった1ページぶりなんですけど)


前回の最後から少し時はさかのぼって、ウルの町にテラ一家が住んでいた頃。あるときアブラムの耳に不思議な声が聞こえてきました。
「故郷も家族も捨てて、わたしが示す土地に行きなさい。」
《生まれ故郷を出て》と書いてあるので、このときの時系列がウルにいた時だとここで分かりました。つまりテラが息子たちを引き連れて故郷を出たのではなくて、息子のひとりアブラムが
「やっべーよ、神さまのお告げがあったよ!!今すぐあっち(神さまが指してる方角)に行かないと!」
と言い出したのにお父さんと嫁と甥っ子がついていった形になるわけですね。弟のナホルとその妻ミルカは、ウルの町に残ったことになります。

ちなみに前回、アブラムの生まれ故郷であるウルという町は現在のイラク首都バグダードから約300km南東のところにあると書きましたけれども、どうやら違う説が近年有力視されているという記事を見つけました。

前回書いたメソポタミア南部のウルは、紀元前4000年紀あたりから都市として拡張をはじめ、ウル第一王朝(紀元前2650~紀元前2400年)とウル第三王朝(紀元前2130~紀元前2021年)の時期はメソポタミア南部一帯の首都となった町です。
しかしながら、アブラムの故郷は「カルデヤの」ウルであると書いてあります。確かに南メソポタミアはカルデヤと呼ばれた時期がありました。ただしカルデヤ人の勢力がメソポタミアの南にまで及ぶのは紀元前10世紀頃です。
だから、アブラムたちの時代には「カルデヤの」ウルは南メソポタミアには無かったことになります。
そこで、当時からカルデヤ人の影響を受けていたメソポタミアの北部にはウルという町はあったのか?というと…………
あったらしいんですよこれが。
近年ウガリットとかアララハとかエブラとかで発掘されてる文献に、シュメールの首都ではない「ウル」の記述があるそうなのです。
エブラ文書には「ハラン近郊のウル」という表現があるそうです。実際に町の遺跡が見つかってるわけではないのですが、ハランの近郊にウルという町はあったみたいです。
更に、ハラン近郊にアブラムの祖先たちの名前が多く見られることから、 アブラムの先祖はどうやらメソポタミア南部ではなく、元々北部のハラン近郊で生活していたと考えられています。

その説で考えますと、最初の移動であるウルからハランの旅路は、旅路というほど大袈裟ではなくて隣の町に行った、くらいの距離になります。
メソポタミア北部のウルは宗教的にも商業的にもハランと結びついていたそうで、月神の信仰中心地だったようです。月神信者だったテラはこれまでの自分の生活や信仰を捨てられずに、同じ文化を持つ近くの町までしか移動できなかった、ということになります。

アブラムはそんなお父さんをハランに置き去りにしてまで、姿も見えない主の声だけを頼りに長い旅に出る契約に応じたわけです。


神さまはアブラムに、《わたしの示す土地にいく》ことを条件に《アブラムを大いなる国民にし、祝福し、名を大いなるものにする》ことを告げました。ノアから11代目、2人目の【神と契約した人間】の誕生です。
「あなたの名は祝福になる」というのは、「あなたの名前が祝福の基(物事の根本)になる」ということです。
あなたを祝福する者はわたしを祝福し、あなたをのろうものはわたしをのろう…つまり、アブラムへの人々の態度がそのまま主への態度になりますよ、だからその態度によって主が対応しますよ、という意味になるんでないかと思います。
地上の全ての民族はあなたのおかげで主の祝福を受けることができるようになりますよ、というのは、まあ上記のアブラムへの態度次第ということですね。アブラムに友好的だったら誰でも祝福がもらえるよ、ということだと思います。

その人への態度がそのまま神さまへの態度になる、というのを見ると、ノアに対する3人の息子の対応を思い出します。

ちなみに、「祝福」ってどういうことなんだろうと思ってググってみましたら

『旧約聖書において「祝福」と訳されているヘブライ語の בְּרָכָח /berakah/ は「救済に満ちた力を付与する」を原意とする。贈物や和解の意味も持ち、動詞 בָּרַךְ /barak/ としては「祝福する」以外にも感謝する、などの意であり、物質的なものが祝福の中心だった。代表的なものでは「子が生まれる」ということの中に見られた。創世1:28では神が人間を祝福した(生めよ。ふえよ。地を満たせ)。この祝福はノアと彼の子孫に(創世9:1)に引き継がれ、ユダヤ人は、子供の誕生は神の祝福を受けることと考えた。』

…だそうです。要するに、子孫繁栄を約束するよ、ということですね。
逆に「呪い(のろい)」は

『祝福の対立概念。災いがあること。相手に災いがあるように願うこと。』

第9章で息子ハムに裸で酔いつぶれたことを言いふらされたノアは孫カナンを呪いましたけど、身内とは思えない厳罰だったんですね。
更に、主のことを「セムの神」と呼んでいましたから、「おまえの一族はうちの子じゃありません。」にプラスして「おまえの一族が死に絶えればいいのに。」「主はセム一族の神であって、おまえの一族の神じゃねーから。主のご加護はもらえねーから。」と言ったことになります。きびしー。

今回主がアブラムにもちかけた契約は、

・主が指し示す土地に向かうこと

の代価として

・アブラムの血筋が繁栄すること
・第三者のアブラムに対する態度により、主が処置を第三者に行う

すごーくざっくりまとめたら以上の2つをアブラムにしてあげるよ、という内容になります。
上記にも書いたとおり、9章で主はセムの神だと宣言されていますので、この時点ではハムの子孫は主の加護はもらえません。
でも、この契約が施行されれば、アブラムへの態度如何でハムの子孫でも主の祝福をもらえる可能性があります。ちなみにノアは「神がヤペテを広げ、セムの天幕に住まわせるように」と9章で言ってますので、ヤペテもセムと同じく主の加護の傘下にあったと思われます。
天幕は遊牧民たちの住居となるテントのことですが、
保護する世話や安全を暗示しているそうです。
個人の天幕は、雨風をよける安らぎの場所でした。なのでもてなしの習慣的には、そこに招かれた訪問客は丁重な歓待を期待することができたといいます。

アブラムは神さまに持ちかけられた契約を早速承認しました。
甥っ子のロトはお祖父ちゃんより叔父さんになついていたようで、アブラムについていくことにしたようです。
早速旅に出たアブラム一行ですが、主の道案内はひどくざっくりしたもので「指し示す方向」しか手掛かりがありません。
父テラの意見かはわかりませんけども、一行は大都市ハランにたどり着いて、数年間か数十年か暮らしました。その間、きっと商売がうまくいったかなにかしたんでしょう。財産と人…すなわち奴隷だか使用人を得たとあります。今も昔も、人を雇えるお家はかなりの金持ちと決まってます。

富と地位と安全な生活を新たな都市で手に入れたにもかかわらず、神さまに忠実なアブラムは契約のことを忘れずにおりました。
75歳になっていたアブラムは、妻と甥と奴隷たちを連れて再び旅に出ます。アブラムたちが生まれたとき70歳だったテラは、145歳になっていたことになります。老年のテラは205歳で亡くなるまでの60年間、ハランの町でひとりぼっちで暮らしました。なんか可哀想(´・ω・`)

一方のアブラムは、なんやかんやで無事に主が指し示す土地に到着しました。
一行はシェケム(パレスチナ中央、現在のヨルダン川西岸地区ナーブルス附近のテル・エル・バラータであるとされている地域)の、モレというイスラエル北部地区エズレル平野の北東にある山地にやってきました。彼らが住んでいたハラン(現トルコ・シャンルウルファ県)からエズレル平野までは、徒歩で休みなく向かったら最短で6日と18時間(800km)の旅です。
たぶん実際は数ヵ月かかったんじゃないかと思われます。

彼らがたどり着いたという木ですが、私の持ってる聖書( 日本聖書刊行会出版 新改訳 中型聖書 第3版) では『樫の木』と書いてありました。でも日本聖書協会訳だと『テレビンの木』になってるらしいんですね。
どっちやねーん。

カシはブナ科の常緑高木の一群の総称で、葉っぱは表面につやがあって縁がギザギザなのが特徴です。日本を含む温帯南部の湿潤地域に多く生息するのはアカガシ亜属。一方、東南アジア、南ヨーロッパやアメリカ大陸など温暖でやや乾燥した地域に多いのはコナラ亜属のカシです。コナラ亜属のウバメガシは低木ないし小高木ですが、アカガシ亜属は大きな木になります。
一般には晩春から初夏に花を咲かせ、団栗と呼ばれる実をつけます。
ここに出てきた木が樫の木だった場合、地域的にみてコナラ亜属のカシだと思われます。

一方テレビンノキはウルシ科の落葉小高木で、地中海地方の原産です。高さは5mくらい、葉っぱは卵状披針形(先がとがった、ちょっと細長い卵形)。6~7月に花をつけ(ただし花弁は無い)、暗紫色の実をつけます。実の皮は芳香があり食用になります。
樹液(テレビン油)は薬用になる他、花や葉に生じる虫こぶ(虫などの寄生によって植物組織が異常な発達を起こしてできるこぶ状の突起)から色素をとり布の染色に用いたりもします。テレビンノキと同属の木には、ピスタチオがあります。おいしいよねピスタチオ。
テレビンノキのヘブル語名はエラー(elah)で、エルシャダイ、エロヒムなど神を現す言葉エル(el:力強き方)がついているそうです。

この木が樫なのか、テレビンなのかは諸説あります。
ユダヤ人の史家ヨセフスは、創世記の時代にはテレビンの木だったけどもその木は紀元330年頃に枯れちゃって、そのあとその場所に樫の木が植えられた、としているそうです。
ま、どっちでもいいですけどね。

とにかく、ある日アブラムは木の根元で旅の休息をとっておりました。そしたら、主がいきなりペカーッと現れて(!)

「この土地を君たち一族にあげるよ。」

と仰ったわけです。たぶんアブラムはそこで初めて

「え?あ、ここがゴールなん?まじかー!やったー!」

と思ったことでしょう。だって神様ゴールの地名教えてくれないんだもん。
そんでもって、ゴールに着いたは良いけど既にそこには先に住んでる人がおりました。
カナン人たちです。
カナン人については10章で調べました。のちのフェニキア人で、当時かなり力を持っていた民族です。

そんな厄介な先客はおりましたけれども、他ならぬこの世界を作った神さまが直々に「ここ、おまえの領地~」と言ってくださったんですから、アブラムは大喜びです。早速その場で祭壇を作って、お祈りをしました。

とはいえ、もう既に他の民の町があるところに新たに住み着くのは大変です。そうかといって、一から町を作るのもえらい大変です。
しばらくアブラム一行は、カナンにある町の近くに野営を転々として過ごします。

モレ山地を出たあと、一行はベテルという町の東にある山に移動しました。クシュの子孫、アルキ人について調べたときに出てきましたね。
ベテルは現在のテル・ベイティンではないかと言われています。エルサレムの北19キロにあった町で、昔はルズという名前だったそうです。ちなみにベテルとは「神の家」という意味だそうな。

エズレル平野からベイティンまでは、徒歩で丸1日と2時間(124km)かかります。
そこに天幕、つまりテントを張って一夜を明かしました。そこは西にベテルの町、東にアイという町がある位置で、彼はここにも祭壇を作って神さまにお祈りしたとのことです。
アイはベイティン遺跡から3キロ東にあるカナン人の町で、現在のエト・テルだと言われているらしいです。

アブラムはそこからまた出発して、ネゲブに行ったとあります。ネゲブはイスラエル南部の砂漠地方です。東はヨルダン地溝帯、西はシナイ半島に挟まれています。つまりどんどん地図を南下しているわけです。
ネゲブはヘブライ語で「南」という意味だそうです。
その名のとおり、ネゲブ砂漠はベイティンから南に192km、徒歩で1日と16時間のところにあります。

しかし、やっとこ辿り着いたネゲブの地はひどい飢饉の真っ只中でした。ただでさえ地元の人が餓死でバタバタ亡くなってるのですから、旅人に分け与える余裕なんか人々にはありません。
ゲネブで休むことができなかったアブラムたちは、更に南、エジプトへ向かいました。

前回バベルの塔のお話が紀元前3000年と仮定しましたので、そのあたりの時代だったとすると、エジプトはちょうど第一王朝時代です。
紀元前3150年頃に上下エジプトの統一がなされてから150年あまり。大国を形成しつつあったエジプトは、他の小さな町のように旅人に寛容ではなかったのかもしれません。

エジプトについてはハムの子孫ミツライムのところで調べましたが、すごーくざっくりしか書かなかったので今回エジプト王朝の成立についても少し調べてみたいと思います。

上エジプトと下エジプト、ふたつの国が出来たのは紀元前3500年くらいだそうな。たくさんの部族国家が統一されて構成されたものです。(統一後も行政地区としてこの名残がある)
紀元前3300年頃にはヒエログリフの文字体系が確立、太陽暦(シリウス・ナイル暦)が普及しました。

現在わかっている中で、王朝誕生前の一番古い王さまは紀元前32世紀頃に上エジプトのティニスという町に住んでいたスコルピオン一世です。『スコーピオンキング』って映画のモデルの人物だそうですよ。

彼の先代の名前はブルというそうですが(by Wikipedia)、王には数えられてません。というか、ネットに記述が全然ありません(爆)
近年見つかった5000年前の落書きにスコルピオン一世にやっつけられる他の王朝の王さまの様子が描かれていたそうですが。やっつけられてる王さまの名前だか、場所の名前だかが“Bull's Head”と書かれてて、スコルピオン一世のお墓にもこの名前が見られるそうです。先代と関係あるのかな?
サソリの女神セルケトに因んで「サソリ」の意味の名を持つ彼は、上エジプトの他の王朝を倒して国を統一していきました。彼のお墓の中からは遠征の記録のために作られたとみられる、町の名前の象形文字が描かれた小さな象牙の飾り板が見つかっているそうです。この記録のために、象形文字が生み出されたという説もあります。
また彼のお墓からはワインの入ってた壺がたくさん発見されてて、古代にワインが飲まれてた証拠となっています。自分の墓に酒瓶を持ち込むとは、この王さまとは気が合いそうです(爆)

その次に王さまになった人物は、実はよくわかりませんでした。英語版のWikipedia見てもよくわかりませんでした。
一応、スコルピオン一世の後継ぎにはイリ・ホル(Iry-Hor)という人物が挙がっていますが、その前にクロコダイルとダブルファルコンという人物が支配者を勤めた説もあるみたいなのです。しかしまあ古代エジプトは謎だらけで素人にはさっぱりわかりません。(爆)
とりあえずイリ・ホルのことを書きます。

イリ・ホルはアビドゥスという町に住んでいたという王さまです。やはり紀元前32世紀頃、メンフィス及びナイルデルタの一部を支配していたと考えられています。

で、その後を継いだのが、カ(Ka)という名前の王さまです。日本のWikipediaでは紀元前32世紀の終わり頃から紀元前31世紀はじめの人だと書いてありましたが、英語版では紀元前32世紀はじめに支配していたと書いてありました。亡くなったのは紀元前31世紀頃らしい。

その次に王さまになった、カの後継者ナルメルこそ、上下エジプトの王を最初に名乗った人物です。
彼の姿が描かれたパレット(化粧板)に、上下エジプト両方の冠を被った様子で描かれています。
彼の前にファラオになった人物に、スコルピオン二世という人物がいますが、ナルメルと同一人物という説が有力だそうです。
(Wikipediaには、ナルメルの前王はスコルピオン二世と書いてある。統一したのはスコルピオン二世で、ナルメルがそれを引き継いだ説もある。)

まあいずれにしても、 「荒れ狂うナマズ」という意味の名前のナルメル王がエジプト第一王朝のいちばん最初の王さまです。
彼の統治期間は紀元前3100年頃とみられているようです。日本版のWikipediaと英語版のWikipediaでも書いてあることが違ったし、まあなんとなくこの辺りの時代ってのがわかればいいので、ここでは追究は割愛します。エジプト研究者さんたちに頑張っていただきましょう。

ちなみに、第一王朝の最初の王さまと言われる人物はもう一人います。
マネト(紀元前300年前後の歴史家)の記述に出てくる、メネスという名前のファラオです。
伝承では紀元前3000年くらいにエジプトを統一した…とのことですが、彼の名前は現存の遺物や王名表には残っておりません。
おそらく、ニムロデのように複数の王を合わせて作られた人物なのではないかと言われています。あるいは、ナルメルの次代のファラオであるホル・アハの本名なのではないかという意見もあります。
死因も、ホル・アハと同じですし。(死因:セト神の化身であるカバに殺された)

まあとにかく、10章でノアの息子の子孫たちを調べたときに出てきた《ミツライム》…すなわち、《二つの要塞》は、紀元前3000年前後には統一されて、周囲の国とは一線を画する存在感を放っていました。
おなじころの、エジプトと同等の文明はシュメールの都市国家くらいしかなかったんじゃないでしょうか?

昔教科書で見た世界四大文明の黄河・長江文明の中国は紀元前2000年前後、インダス文明は紀元前2600年くらいにならないと王朝は出来てきません。
この頃のヨーロッパはまだ新石器時代で、日本も縄文時代でした。
国家の体勢をつくり、王権を成立させていた土地は、他にどこにもなかったんではないでしょうか。

そんな超先進国に、身を寄せようとやってきたアブラム一行です。たぶん、同じようにゲネブの地の飢饉から逃れてきた人々が他にもいたんじゃないでしょうか。その道中、どうやらエジプトに入国するのは容易ではないぞ、先に入国を試みた人々が殺されたらしい、と他の旅人から聞いたかもしれません。

もうすぐエジプトに着くとなったとき、アブラムは妻のサライに言いました。

「おまえ、俺の妹って名乗れ。」

曰く、そのままエジプトに入国したら俺は殺されてしまうけど、お前は美人だからエジプト人はたぶん生かしておくと思う。そこで俺が兄ってことにしとけば、俺助かるんじゃね!?
とのこと。
まあ平たく言えば、色仕掛けで俺を助けてくれ!というわけです。

……えーとすみません、仮にもこの話の主人公にこんなこと言うの申し訳ないんですが、すごくカッコ悪い……。
まあ、アブラムも神さまに忠実で、声を聞くことが出来るということ以外はただの人間ですのでね。やっぱり殺されるのは怖いですよね。

アブラムの思惑は当たり、エジプトに着くとエジプト人はまずサライの美しさに惹かれました。
そして殺されることなく無事に入国したアブラムたちは、パロ……つまりファラオの宮殿に連れてこられました。いきなり王にお目通りとはスゴいな。
今のアブラムは一介の旅人ですけれど、たくさんの使用人も一緒に引き連れていましたんで結構なお金持ちなんだな、というのはエジプト人も解ったと思うんですね。それで更にすんごい美人を連れていて、
「こいつ俺の妹」
っていうもんですから、こんな美人でお金持ちな女は是非ともファラオに捧げるべきだ!と考えたのかもしれません。
高官たちもサライの美しさを讃えるものですから、ファラオはサライをすっかり気に入りまして宮殿に呼び寄せました。サライ相当な美人だったんですねえ。

奴隷になるというわけでもなく宮殿に暮らすということは、まあ普通に考えてファラオの側室になるということですよね。正妻じゃなかったとしても、ファラオの奥さんになるってすごいことです。
このファラオは気前が良くて、お気に入りのサライのためにサライのお兄さん(だと思い込んでる)アブラムにも破格の対応をしてくれました。
たくさんの羊や牛やロバ(つがい)、更に奴隷にラクダをくれたのです。どこの馬の骨とも分からない旅人の妹をいくら綺麗だからって王家に入れただけでなくて、兄貴にまで良くしてくれるなんて、なんていい人なんだ!

けれどもそんなこと神さまには知ったこっちゃありません。主にしてみれば、呼び寄せたアブラムはいつまでたってもカナンに戻ってこないし、しかもアブラムの妻はなんか他の男のものになってるし、なんだこの状況!!?ってわけです。
ことの成り行きをちゃんと見ていれば、別にファラオが悪くないことはすぐ解るはずですが、主がどうしたかっていうと
「わたしの選んだ男の妻に手を出すとは、不遜な輩だ!」
と怒って、すんごい災害を起こしてファラオと家を痛めけたのです!ファラオすごい可哀想。
ファラオは、この災害の原因がサライをめとったことにあると何らかの方法で知ります。もしかしたら主が直々に知らせたのかもしれないし、部下の調査の結果かもしれません。
さっそくアブラムを呼びつけて、
「ちょっとー、妹なんて嘘つくから嫁にしようとしちゃったじゃんー。もういいよ、奥さんと一緒に出てって。」
と『すべての持ち物と』共に追い出しました。
つまり、彼がハランから持ってきた財産と奴隷に加えて、たくさんの羊や牛やロバ(つがい)、更に奴隷にラクダも持たせたまま、というわけです。

…ファラオ良い人すぎない?

そんなわけでファラオの王家に入ることはできませんでしたが、アブラムは奥さんサライのおかげでめっちゃ得をしましたとさ。

…なんか釈然としない話だなあ(・ε・` )

ところで、ファラオという言葉は元来「大いなる家」つまり王の宮殿を意味していたそうで、王の称号として使われ出したのは第18王朝 (紀元前1567~紀元前1320年、或いは紀元前1552~紀元前1306年)からだそうです。だから、このアブラムの話もこの時代以降の話だ、とする説もあるようです。
しかしながら、今Wikipediaとかを見ても、第18王朝より前の王さまの説明に「ファラオ」という呼び名は結構普通に使われてます。だから、慣例的にエジプトの王さまだからファラオ、と書いた可能性もあります。
このお話がほんとにあったことかどうかは置いといて、とりあえず書かれたのは紀元前1500年よりは後なんだな。ということはわかりますね。


さて、続きは次回。
今回の楽曲はアレッサンドロ・スカルラッティ作曲、クリスマスカンタータ《アブラハムよ、あなたの顔は》より 、アブラハムのアリア「船頭は激しい波を渡って」
https://youtu.be/GMWgZms40xc

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