プロフィール
HN:
赤澤 舞
性別:
女性
職業:
飲食店店員
趣味:
お菓子作ったりピアノ弾いたり本読んだり絵描いたり
自己紹介:
東京・神奈川・埼玉あたりでちょこまか歌 を歌っております。
一応声種はソプラノらしいですが、自分は あんまりこだわってません(笑) 要望があればメッツォもアルトもやりま すヽ(^。^)丿
音楽とお酒と猫を愛してます(*´▽`*) 美味しいものには目がありません。
レトロゲームや特撮も好物です。
ヴァイオリンは好きだけど弾けませんorz
一応声種はソプラノらしいですが、自分は あんまりこだわってません(笑) 要望があればメッツォもアルトもやりま すヽ(^。^)丿
音楽とお酒と猫を愛してます(*´▽`*) 美味しいものには目がありません。
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ヴァイオリンは好きだけど弾けませんorz
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2019/06/07 (Fri)
こんにちは!
この記事もシリーズ17回目です。ほとんど自己満足で書いている研究ですが、続くものですねー。
今回、仕方ないとはいえ下世話な話題が入りますので、苦手な方はご覧にならないことをオススメします。
他国からコメント下さる方々、どうもありがとうございます。
筆者が英語が堪能でないために、気の効いたコメントをお返しできないことをお許しください。
※キリスト教徒でもユダヤ教徒でもイスラム教徒でもプロの考古学者でもないただの一般日本人(無宗教者)が、聖書を読んで楽しんでいるだけです。
気になったことは本を読んだりネットで情報を拾ったりしていますが、あくまで一般人が手に入れられる範囲です。
多大なる妄想を含んでいます。本気にしないでください。
○第十七章
アブラムが99歳になったとき、アブラム(のところ)に主があらわれて言いました。
「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩き、全き者でありなさい。わたしは契約をあなたとわたしの間に立てます。わたしはあなたをおびただしく増やしましょう。」
アブラムはひれ伏しました。神は言いました。
「あなたは多くの国民の父となります。あなたの名はもうアブラムと呼んではなりません。あなたの名はアブラハムとなります。わたしが、あなたを多くの国民の父とするからです。
わたしはあなたの子孫をおびただしく増やし、あなたを幾つかの国民にします。あなたたちの中から、王が出てくるでしょう。
わたしはわたしの契約をあなたとの間に、そしてあなたの後のあなたの子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てます。わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神となるためです。
わたしはあなたが滞在している地、すなわちカナン全土をあなたとあなたの子孫に永遠の所有として与えます。わたしは彼らの神となります。」
続けて神はアブラハムに言いました。
「あなたは子孫と共に代々わたしとの契約を守らなければなりません。
次のことが守らなければいけないことです。
あなたがたの中のすべての男子は割礼を受けなさい。
あなたがたはあなたがたの包皮の肉を切り捨てなさい。それが契約のしるしです。
あなたがたの中の男子は生まれて八日目に割礼を受けなければなりません。
家で生まれたしもべも、外国人から金で買い取られたあなたがたの子孫ではない者も、必ず割礼を受けなければなりません。
わたしの契約は永遠の契約として、あなたがたの肉の上にしるさなけらばなりません。
包皮の肉を切り捨てていない無割礼の男は、その民から断ち切られねばなりません。わたしの契約を破ったのですから。」
更に神はいいました。
「あなたの妻サライのことですが、サライと呼んではいけません。その名はサラとなるからです。
わたしは彼女を祝福しましょう。確かに彼女によって、あなたにひとりの男の子を与えましょう。
彼女は国々の母になり、国々の民の王たちが彼女から出てきます。」
アブラハムはひれ伏して笑いましたが、心の中で言いました。
「100歳の者に子供が生まれるものなのか?サラにしても、90歳の女に子供を産むことができるのか?」
そしてアブラハムは神に言いました。
「イシュマエルがあなたの御前で生き永らえますように。」
すると神はいいました。
「いや、サラがあなたに男の子を生むんですよ。その子にイサクと名付なさい。この契約を彼と彼の子孫のために永遠のものとします。
イシュマエルについては、あなたの願いを聞き入れました。彼を祝福し、子孫を大いに増やしましょう。彼は12人の族長を生みます。わたしは彼を大いなる国民にしましょう。
しかしわたしは来年の今頃サラがあなたに産むイサクとの間に契約を立てます。」
神は語り終わると、彼から離れて上っていきました。
アブラハムはすぐに神の言うとおりに、家の男すべてに割礼をその日の内に受けさせました。
アブラハムが割礼を受けたのは99歳のときでした。
イシュマエルが割礼を受けたとき、彼は13歳でした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
前回の続きです。
壮絶な嫁争いの末に第二夫人が家出というドロドロな家庭環境ですが、アブラムはとりあえず平和に暮らしていたっぽいです。
御年99歳を迎えるアブラム、超高齢化社会の日本ではあんまり珍しくありませんけども、紀元前の世界でリアルにこの年齢の御方って珍しかったのではないでしょうか。(初期の創世記の方々は例外)
さて、アブラムが99歳になったとき、いきなり神が現れました。流石にもうアブラムも驚きませんね。
神は「わたしの前を歩き、全き者でありなさい」とアブラムに言いました。
アブラムより前に「全き者」と記述があったのは、今のところ方舟を作って生き延びたノアただひとりだけです。ノアは荒れた時代の中でも清く正しく、そして何より神に従順な、神さまから見て完璧な男でした。
ノアみたいな敬虔な者になってくれよ、と言っているということは、現時点でアブラムはそうではないということです。
色々見破られてマズイ自覚があったのか、アブラムはお白州で遠山の金さんを目の前にした代官のようにひれ伏します。そんなアブラムに、また神さまは契約を持ちかけました。
15章で生け贄の儀式を対価にした契約をしましたが、あのときの契約は(たぶん)失敗したんでもう一回結んでやろうというお情けかもしれません。
以前にも申し上げましたが、この神さまの宗教は
「信仰は一度失敗したら、最初に戻ってやり直すことで回復する」
というリカバリー機能があります。
今回も、神側の契約は
〇カナンの土地を与える
〇アブラムの子孫を増やす
という二点です。
それにつきまして、神さまはアブラムの名前を《アブラハム》に変えました。
なんでこの名前に改名したかは言語学者さんたちが色々説を唱えていらっしゃるようですが、いまだにハッキリとは正解が出ていないそうです。
「アブ」は《父親》、「ラーム」は《高める》で「父は高められる」という名前だったところから、「ラーハーム/ハモーン」《多くの》に変わって「多くの父」になった、というのが主流の説なようです。
大して変わってないやんけ、と思われますが、アブラムは「高い身分の父」、アブラハムは「多くの人、国民の父」という意味になります。
その改名理由が次の説明「わたしが、あなたを多くの国民の父とするからです。」というわけです。
前回の契約のときよりも、ちょっと現実的な説明ですな。たくさん増やしたアブラハムの子孫は幾つかの国を作り、その中から王が出てくるということです。
ここで言っている「王」は、これまで出てきた王たち…レメクやニムロドや、ケドルラオメルたちとは違って、神さまが認めた王さまです。最初は人間が定住することすら嫌がってたのに、だいぶ寛容になりましたね。従順な人間をエデンに戻すのを諦めたのか、それとも人間の自立を認めたのか…?
さて、その契約を執行するためにはアブラム改めアブラハム側も条件を満たさなくてはなりません。
今回は、前回と違って複雑な生け贄の儀式などは一切ありません。
〇アブラハムの家の男は今後全員割礼をすること
が条件です。
「あなたがたの包皮の肉を切り捨てなさい」という言葉通り、つまりは包茎手術です。包茎手術をすることが神の加護を得る条件とは、日本に住んでる私の感覚からすると関連性がぶっ飛びすぎてて全く意味が分かりません(爆)
しかし、今でもユダヤ・キリスト・イスラム教では割礼を行っているところもあるそうですので、信じるに値する意味があるのでしょう。ちょっと調べてみます。
男性器は個人差にもよりますが、先端部分が皮に覆われています。(ちなみに日本人には包茎が多いらしい)この皮部分を切除して、先端部分を露出させるのが包茎手術です。
先端部分が露出していると、どんな効果があるのか?一応私は生物学的に女性なのでイマイチ実感しにくいですが、Webで調べた効果をいくつか載せておきます。
①性感染症になりにくい
性感染症に限らず、感染症は菌の繁殖で発生します。菌が繁殖するには温度と湿度と栄養分(この場合は汚れ)が必要です。
アソコが皮を被った状態ですと、そのゆるゆるの皮の裏部分に汚れが溜まりやすくなります。その汚れで菌が繁殖し、感染症になるわけです。女性にも大迷惑です。
もちろん複数の人間と無分別に性行為などしなければ、そしてちゃんと毎日綺麗にしていれば、そんなことにはなりません。でも、このお話の人々は水の少ない砂漠地帯に住んでいます。この時代、衛生観念もそんなに発達しているとは考えられません。
そんな状態で男性がハーレムなんて作ってごらんなさい。たちまち一族全員が性病患者です。
そこでアソコの皮を取ってしまいますと、まず亀頭粘膜が角質化し、乾きやすくなりますので「水分」がクリアできます。そして汚れが溜まりやすい皮部分そのものがないので、垢や性交後の膣分泌液も残りにくくなります。「汚れ」もクリアです。
また包皮には 性感染症の標的となる細胞が多数存在するらしいのですが、包皮を切除することによってその標的細胞の数が減るとも考えられているそうです。
②快楽を得にくくなる
これは学者さんによっても意見が色々で、あんまり決定的な効果とは言いにくいのですが。
包茎手術をしますと、つまりいつでもズル剥け状態になりますので刺激に慣れてしまうようです。早漏に悩む男性が、包茎手術を受けるのはこのためなんですね。あと皮と先端が擦れることによる刺激が無くなる効果もあります。そのため快楽目的だけの行為とか、自慰による無駄打ちが防げるというわけです。
以上を踏まえて妄想致しますと、①と②の効果はどちらも《子孫をたくさん増やす》という神の契約に直結していると思われます。
恐らくですが、アブラムがこのカナンの地にやってきて24年経つうちに、アブラムの一族にも若干の堕落が見られてきたのではないでしょうか。筆頭となる族長のアブラムだけで、奴隷たちの風紀の管理までしっかり出来ているとは考えにくい状況です。
もしかしたらこの話が出来た頃に、この地域で性病が流行った可能性もあります。世間で蔓延する性病を自分の民族が回避するために、こういう決まりにしたのではないでしょうか。ノアの契約の「血抜きしていない肉は食べてはいけない」もそうでしたが、所謂「おばあちゃんの知恵袋」的なやつですね。
医療の発達していない地域では、まず病気にかからないことが生き延びる必須条件です。
性病は、直接すぐに死に至ることは無いかもしれませんが「子孫を大いに増やす」というこのお話の人々の目標の大きな障害になります。そしてただでさえ貧しい地域で、貴重なエネルギーを自慰や遊びでの性交に費やされるのも予防できます。射精は1回につき100メートルを全力疾走するのと同じくらい体力を使うそうですので、そんなもったいないことはさせたくないというわけです。
要は、「遊んでる暇があるなら子作りしろ。」と言いたいんですな(爆)
ユダヤ教では割礼はブリット (ברית/Brit) と呼ばれ、ヘブライ語で「契約」を意味する語だそうです。(たぶん後付けだと思いますが)
また、キリスト教信者が多いアメリカ合衆国では、19世紀末から衛生上や青少年の自慰行為を防ぐ目的などの名目で包茎手術が行われるようになったとか。
ただ、現代では衛生上の必要性は薄いことと、手術が新生児にはハイリスクだということで1998年小児科学会から包皮切除を推奨しないガイドラインが提出されました。
そりゃ、古代と現代じゃ状況も違うし国が違えば環境も違いますものね。
このお話は
《紀元前1500年くらい》の《砂漠地帯》に住んでる《当時の少数民族》が【厳しい環境で生き抜き、自らの民族を強大なものにするため】に書いたものです。
ですから、そのまんま現代に当てはまるわけはないと私は考えます。
とはいえ、今でもまだまだ環境だったり、宗教上の理由で割礼をしている方も多いです。まあ、そこは個人の自由なんじゃないですかね。
そんなわけで、【生後8日目以上の男子は全員】、血が繋がってなくても召し使いも奴隷も国籍も関係なく、アブラハムの一族と一緒に住んでいる人はみんな割礼を受けるという条件が提示されました。
そして神さまはアブラハムだけでなく、妻のサライも改名しました。
「私の女王」という意味のサライから、サラという名前に変わります。
意味は、私が見たサイトでは「女王」となっていました。「多くの国民の母」としているところもありましたが、語源的になんでそうなるのかよくわかりませんので多分アブラハムに合わせて後付けしたんじゃないかなと勝手に考えています(爆)
当時65歳にも関わらずその美しさでファラオの宮廷に招かれたほどの器量良しですので、まあ【女王】の名は相応しいかもしれません。(高慢な性格も女王っぽいと思うよ。)
「彼女は国々の母になり、国々の民の王たちが彼女から出てきます。」 という神さまの言葉から察するに、《サライ》は「私の女王」…女王さまみたいに綺麗で気品がある私の可愛い子、というニュアンスでサライの親御さんが付けたお名前。
一方、《サラ》は「マジもんの女王」…いずれ各国の王さまたちの母親になるように、神さまが命令の意味で付けたお名前。
…と解釈できるかと思うんですが如何でしょう。
とあるサイトでは興味深い解釈を拝見しました。
アブラハムもサラも、今回の改名につき同じヘブライ文字が追加されていて、その文字が重要だというのです。
アブラハムは「ラ」のあとに「へー」(ה)が付きます。サラも語尾の「ヨード」(י)が抜けて、その代わりに「へー」(ה)が付きます。
この「 ה」という文字、「歩く、歩き回る」という意味の動詞「ハーラフ 」(הָלַךְ) 」の頭文字だそうです。
この章の最初に神さまが言った「わたしの前を歩け」という言葉を、名前に刻み込んだと見ることもできます。
過去、「神と共に歩む」という表現を使われた人は先程も申しましたノアと、それよりもっと前に出てきたエノクだけです。エノクは神と共に歩み、そのあと「神に取られた」とされる人物で、よっぽど神のお気に入りだったと思われます。こんなふうになってくれないかなー、という気持ちの表れなのでしょうか?
そもそも「ハーラフ」という動詞が一番はじめにでてきたのは創世記の3章で「楽園を歩き回る神」というところだそうです。このときの神は人間を探していました。その声を聞いたアダムとエバは、言いつけに背いて知恵の実を勝手に食べた後ろめたさから木陰に隠れました。先に距離を取ったのは人間だったというわけで、神さまの望みとしてはその距離を人間から縮めて欲しいということなんだそうな。
つまりこのお話の中の「ハーラフ(歩く、歩き回る)」には「神さまを求め、神さまとの距離を縮めるべく動く」という意味が含まれていると言えます。
だからウルにいた頃のアブラムに神が告げた「故郷を出て、わたしの示す方へ行け(歩け)」という言葉にもハーラフが使われているんですね。
そんな言葉の頭文字をわざわざ名前に組み込んだということは、よっぽどアブラハムに期待してるんでしょうか。それとも今度こそ失敗して欲しくなかったのでしょうか。既に一度大洪水でリセットしてますし、もう一回やり直しは相当キツいですからね……。
さて、そんなどえらい名前を付けられたとはイマイチピンと来てないっぽいアブラハム。表面上はニコニコしながら、心のなかで
(えー…こんなジジババに子供って出来るもんなの…?)
と正直な感想。まあその気持ちもわかります。
アダムたち神代の世代は100歳越えてもボコボコ子供作ってましたけど、大洪水を境に寿命が縮むと共に出産年齢も現代に近いくらいになりました。常識的に考えて、100歳と90歳の夫婦で子作りは無理があります。…男性側はもしかしたらイケるかもしれませんが、女性はまず不可能だと思われます。
それでも、面と向かって神に物申すことなんて出来ませんから「きっと神はなんか勘違いしてるんだろう!」と自己完結して「イシュマエルがあなたの前で生き永らえますように。」と言いました。今自分のもとにいる実子はイシュマエルだけですし、今後も増えることはないだろうな、と思っているので仕方ありませんな。
すると神は即座に「いや、サラが生む子のことだ」と否定します。そして「その子にイサクと名付けなさい」と、また名前を勝手に付けました。
イサクは「彼は笑う」という意味だそうです。
英語ではアイザック、ヘブライ語ではイツハク、アラビア語ではイスハークと読みます。
同じ名前ですと、物理学者・自然哲学者・数学者のニュートンが有名ですかね。
とりあえず、予言のとおりに男の子が生まれてイサクという名を付ければ、さっき言った契約は彼のためのものになるようです。
じゃー先に生まれたイシュマエルはどうするん、と思ったら、そこもちゃんとアフターケアがなされていました。さっきのアブラハムのお願い(自己完結からの勘違いですけど)のとおり、イシュマエルも祝福し、子孫を大いに増やしてやろうと言いました。彼は彼で、12個の族長の祖師になるようです。でもイサクの契約とはまた別物で、国の王を輩出するほどの力は持たないということになります。
ふたりの子供についての契約のお話を終えると、神は天へ帰っていきました。神が帰るやいなやアブラハムはすぐ神の言った通り、自分を含む家の男全員に割礼を受けさせました。たった13歳のイシュマエルも例外ではありません。
アブラハムのおうちで働いていた召し使いたちは
「今から君たち全員に包茎手術をします!」
と宣言した99歳の雇い主にどんな感情を抱いたんでしょうね。
私なら「おじいちゃん、ついにボケたのかしら…」と思うところです。
では、続きは次回。
今回の楽曲は
ジャコモ・カリッシミ作曲、ヒストリア《アブラハムとイサク》より「神はアブラハムを試され」
https://youtu.be/ayCFSnzCORg
ジャコモ・カリッシミ(1605~1674年)は、イタリア盛期バロックの作曲家。
声楽をやってる人ならやったことが、或いは聞いたあるであろう
「勝利だ、私の心よ Vittoria, mio core 」(ソプラノと通奏低音のためのカンタータ、1646年)
が有名ですかね。個人的にイタリア古典歌曲集の中で好きな曲ベスト3に入ります。
モンテヴェルディの後継者だった彼の偉業のひとつがレチタティーヴォの発展で、劇音楽に大きな影響を及ぼしました。オラトリオやオペラなどは、彼を始めとする音楽家たちが頑張ってくれなかったら成立してなかったかもしれないですね。
ちなみに《ヒストリア》というジャンルは、聖書の物語による音楽のことです。
オラトリオと似てますけども、オラトリオほどルールが厳しくないみたいです。(あんまり説明がなかったので、間違ってたらすみません)
オラトリオの場合は
○演奏会形式で上演される
○独唱・合唱・オーケストラの編成で構成要素(レチタティーヴォ、アリア、合唱、器楽曲など)はオペラに似てる
○通常、宗教的な内容をもつ
○「語り手」が存在し、中心的役割を果たす
などなど、ルールが細かいです。
この記事もシリーズ17回目です。ほとんど自己満足で書いている研究ですが、続くものですねー。
今回、仕方ないとはいえ下世話な話題が入りますので、苦手な方はご覧にならないことをオススメします。
他国からコメント下さる方々、どうもありがとうございます。
筆者が英語が堪能でないために、気の効いたコメントをお返しできないことをお許しください。
※キリスト教徒でもユダヤ教徒でもイスラム教徒でもプロの考古学者でもないただの一般日本人(無宗教者)が、聖書を読んで楽しんでいるだけです。
気になったことは本を読んだりネットで情報を拾ったりしていますが、あくまで一般人が手に入れられる範囲です。
多大なる妄想を含んでいます。本気にしないでください。
○第十七章
アブラムが99歳になったとき、アブラム(のところ)に主があらわれて言いました。
「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩き、全き者でありなさい。わたしは契約をあなたとわたしの間に立てます。わたしはあなたをおびただしく増やしましょう。」
アブラムはひれ伏しました。神は言いました。
「あなたは多くの国民の父となります。あなたの名はもうアブラムと呼んではなりません。あなたの名はアブラハムとなります。わたしが、あなたを多くの国民の父とするからです。
わたしはあなたの子孫をおびただしく増やし、あなたを幾つかの国民にします。あなたたちの中から、王が出てくるでしょう。
わたしはわたしの契約をあなたとの間に、そしてあなたの後のあなたの子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てます。わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神となるためです。
わたしはあなたが滞在している地、すなわちカナン全土をあなたとあなたの子孫に永遠の所有として与えます。わたしは彼らの神となります。」
続けて神はアブラハムに言いました。
「あなたは子孫と共に代々わたしとの契約を守らなければなりません。
次のことが守らなければいけないことです。
あなたがたの中のすべての男子は割礼を受けなさい。
あなたがたはあなたがたの包皮の肉を切り捨てなさい。それが契約のしるしです。
あなたがたの中の男子は生まれて八日目に割礼を受けなければなりません。
家で生まれたしもべも、外国人から金で買い取られたあなたがたの子孫ではない者も、必ず割礼を受けなければなりません。
わたしの契約は永遠の契約として、あなたがたの肉の上にしるさなけらばなりません。
包皮の肉を切り捨てていない無割礼の男は、その民から断ち切られねばなりません。わたしの契約を破ったのですから。」
更に神はいいました。
「あなたの妻サライのことですが、サライと呼んではいけません。その名はサラとなるからです。
わたしは彼女を祝福しましょう。確かに彼女によって、あなたにひとりの男の子を与えましょう。
彼女は国々の母になり、国々の民の王たちが彼女から出てきます。」
アブラハムはひれ伏して笑いましたが、心の中で言いました。
「100歳の者に子供が生まれるものなのか?サラにしても、90歳の女に子供を産むことができるのか?」
そしてアブラハムは神に言いました。
「イシュマエルがあなたの御前で生き永らえますように。」
すると神はいいました。
「いや、サラがあなたに男の子を生むんですよ。その子にイサクと名付なさい。この契約を彼と彼の子孫のために永遠のものとします。
イシュマエルについては、あなたの願いを聞き入れました。彼を祝福し、子孫を大いに増やしましょう。彼は12人の族長を生みます。わたしは彼を大いなる国民にしましょう。
しかしわたしは来年の今頃サラがあなたに産むイサクとの間に契約を立てます。」
神は語り終わると、彼から離れて上っていきました。
アブラハムはすぐに神の言うとおりに、家の男すべてに割礼をその日の内に受けさせました。
アブラハムが割礼を受けたのは99歳のときでした。
イシュマエルが割礼を受けたとき、彼は13歳でした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
前回の続きです。
壮絶な嫁争いの末に第二夫人が家出というドロドロな家庭環境ですが、アブラムはとりあえず平和に暮らしていたっぽいです。
御年99歳を迎えるアブラム、超高齢化社会の日本ではあんまり珍しくありませんけども、紀元前の世界でリアルにこの年齢の御方って珍しかったのではないでしょうか。(初期の創世記の方々は例外)
さて、アブラムが99歳になったとき、いきなり神が現れました。流石にもうアブラムも驚きませんね。
神は「わたしの前を歩き、全き者でありなさい」とアブラムに言いました。
アブラムより前に「全き者」と記述があったのは、今のところ方舟を作って生き延びたノアただひとりだけです。ノアは荒れた時代の中でも清く正しく、そして何より神に従順な、神さまから見て完璧な男でした。
ノアみたいな敬虔な者になってくれよ、と言っているということは、現時点でアブラムはそうではないということです。
色々見破られてマズイ自覚があったのか、アブラムはお白州で遠山の金さんを目の前にした代官のようにひれ伏します。そんなアブラムに、また神さまは契約を持ちかけました。
15章で生け贄の儀式を対価にした契約をしましたが、あのときの契約は(たぶん)失敗したんでもう一回結んでやろうというお情けかもしれません。
以前にも申し上げましたが、この神さまの宗教は
「信仰は一度失敗したら、最初に戻ってやり直すことで回復する」
というリカバリー機能があります。
今回も、神側の契約は
〇カナンの土地を与える
〇アブラムの子孫を増やす
という二点です。
それにつきまして、神さまはアブラムの名前を《アブラハム》に変えました。
なんでこの名前に改名したかは言語学者さんたちが色々説を唱えていらっしゃるようですが、いまだにハッキリとは正解が出ていないそうです。
「アブ」は《父親》、「ラーム」は《高める》で「父は高められる」という名前だったところから、「ラーハーム/ハモーン」《多くの》に変わって「多くの父」になった、というのが主流の説なようです。
大して変わってないやんけ、と思われますが、アブラムは「高い身分の父」、アブラハムは「多くの人、国民の父」という意味になります。
その改名理由が次の説明「わたしが、あなたを多くの国民の父とするからです。」というわけです。
前回の契約のときよりも、ちょっと現実的な説明ですな。たくさん増やしたアブラハムの子孫は幾つかの国を作り、その中から王が出てくるということです。
ここで言っている「王」は、これまで出てきた王たち…レメクやニムロドや、ケドルラオメルたちとは違って、神さまが認めた王さまです。最初は人間が定住することすら嫌がってたのに、だいぶ寛容になりましたね。従順な人間をエデンに戻すのを諦めたのか、それとも人間の自立を認めたのか…?
さて、その契約を執行するためにはアブラム改めアブラハム側も条件を満たさなくてはなりません。
今回は、前回と違って複雑な生け贄の儀式などは一切ありません。
〇アブラハムの家の男は今後全員割礼をすること
が条件です。
「あなたがたの包皮の肉を切り捨てなさい」という言葉通り、つまりは包茎手術です。包茎手術をすることが神の加護を得る条件とは、日本に住んでる私の感覚からすると関連性がぶっ飛びすぎてて全く意味が分かりません(爆)
しかし、今でもユダヤ・キリスト・イスラム教では割礼を行っているところもあるそうですので、信じるに値する意味があるのでしょう。ちょっと調べてみます。
男性器は個人差にもよりますが、先端部分が皮に覆われています。(ちなみに日本人には包茎が多いらしい)この皮部分を切除して、先端部分を露出させるのが包茎手術です。
先端部分が露出していると、どんな効果があるのか?一応私は生物学的に女性なのでイマイチ実感しにくいですが、Webで調べた効果をいくつか載せておきます。
①性感染症になりにくい
性感染症に限らず、感染症は菌の繁殖で発生します。菌が繁殖するには温度と湿度と栄養分(この場合は汚れ)が必要です。
アソコが皮を被った状態ですと、そのゆるゆるの皮の裏部分に汚れが溜まりやすくなります。その汚れで菌が繁殖し、感染症になるわけです。女性にも大迷惑です。
もちろん複数の人間と無分別に性行為などしなければ、そしてちゃんと毎日綺麗にしていれば、そんなことにはなりません。でも、このお話の人々は水の少ない砂漠地帯に住んでいます。この時代、衛生観念もそんなに発達しているとは考えられません。
そんな状態で男性がハーレムなんて作ってごらんなさい。たちまち一族全員が性病患者です。
そこでアソコの皮を取ってしまいますと、まず亀頭粘膜が角質化し、乾きやすくなりますので「水分」がクリアできます。そして汚れが溜まりやすい皮部分そのものがないので、垢や性交後の膣分泌液も残りにくくなります。「汚れ」もクリアです。
また包皮には 性感染症の標的となる細胞が多数存在するらしいのですが、包皮を切除することによってその標的細胞の数が減るとも考えられているそうです。
②快楽を得にくくなる
これは学者さんによっても意見が色々で、あんまり決定的な効果とは言いにくいのですが。
包茎手術をしますと、つまりいつでもズル剥け状態になりますので刺激に慣れてしまうようです。早漏に悩む男性が、包茎手術を受けるのはこのためなんですね。あと皮と先端が擦れることによる刺激が無くなる効果もあります。そのため快楽目的だけの行為とか、自慰による無駄打ちが防げるというわけです。
以上を踏まえて妄想致しますと、①と②の効果はどちらも《子孫をたくさん増やす》という神の契約に直結していると思われます。
恐らくですが、アブラムがこのカナンの地にやってきて24年経つうちに、アブラムの一族にも若干の堕落が見られてきたのではないでしょうか。筆頭となる族長のアブラムだけで、奴隷たちの風紀の管理までしっかり出来ているとは考えにくい状況です。
もしかしたらこの話が出来た頃に、この地域で性病が流行った可能性もあります。世間で蔓延する性病を自分の民族が回避するために、こういう決まりにしたのではないでしょうか。ノアの契約の「血抜きしていない肉は食べてはいけない」もそうでしたが、所謂「おばあちゃんの知恵袋」的なやつですね。
医療の発達していない地域では、まず病気にかからないことが生き延びる必須条件です。
性病は、直接すぐに死に至ることは無いかもしれませんが「子孫を大いに増やす」というこのお話の人々の目標の大きな障害になります。そしてただでさえ貧しい地域で、貴重なエネルギーを自慰や遊びでの性交に費やされるのも予防できます。射精は1回につき100メートルを全力疾走するのと同じくらい体力を使うそうですので、そんなもったいないことはさせたくないというわけです。
要は、「遊んでる暇があるなら子作りしろ。」と言いたいんですな(爆)
ユダヤ教では割礼はブリット (ברית/Brit) と呼ばれ、ヘブライ語で「契約」を意味する語だそうです。(たぶん後付けだと思いますが)
また、キリスト教信者が多いアメリカ合衆国では、19世紀末から衛生上や青少年の自慰行為を防ぐ目的などの名目で包茎手術が行われるようになったとか。
ただ、現代では衛生上の必要性は薄いことと、手術が新生児にはハイリスクだということで1998年小児科学会から包皮切除を推奨しないガイドラインが提出されました。
そりゃ、古代と現代じゃ状況も違うし国が違えば環境も違いますものね。
このお話は
《紀元前1500年くらい》の《砂漠地帯》に住んでる《当時の少数民族》が【厳しい環境で生き抜き、自らの民族を強大なものにするため】に書いたものです。
ですから、そのまんま現代に当てはまるわけはないと私は考えます。
とはいえ、今でもまだまだ環境だったり、宗教上の理由で割礼をしている方も多いです。まあ、そこは個人の自由なんじゃないですかね。
そんなわけで、【生後8日目以上の男子は全員】、血が繋がってなくても召し使いも奴隷も国籍も関係なく、アブラハムの一族と一緒に住んでいる人はみんな割礼を受けるという条件が提示されました。
そして神さまはアブラハムだけでなく、妻のサライも改名しました。
「私の女王」という意味のサライから、サラという名前に変わります。
意味は、私が見たサイトでは「女王」となっていました。「多くの国民の母」としているところもありましたが、語源的になんでそうなるのかよくわかりませんので多分アブラハムに合わせて後付けしたんじゃないかなと勝手に考えています(爆)
当時65歳にも関わらずその美しさでファラオの宮廷に招かれたほどの器量良しですので、まあ【女王】の名は相応しいかもしれません。(高慢な性格も女王っぽいと思うよ。)
「彼女は国々の母になり、国々の民の王たちが彼女から出てきます。」 という神さまの言葉から察するに、《サライ》は「私の女王」…女王さまみたいに綺麗で気品がある私の可愛い子、というニュアンスでサライの親御さんが付けたお名前。
一方、《サラ》は「マジもんの女王」…いずれ各国の王さまたちの母親になるように、神さまが命令の意味で付けたお名前。
…と解釈できるかと思うんですが如何でしょう。
とあるサイトでは興味深い解釈を拝見しました。
アブラハムもサラも、今回の改名につき同じヘブライ文字が追加されていて、その文字が重要だというのです。
アブラハムは「ラ」のあとに「へー」(ה)が付きます。サラも語尾の「ヨード」(י)が抜けて、その代わりに「へー」(ה)が付きます。
この「 ה」という文字、「歩く、歩き回る」という意味の動詞「ハーラフ 」(הָלַךְ) 」の頭文字だそうです。
この章の最初に神さまが言った「わたしの前を歩け」という言葉を、名前に刻み込んだと見ることもできます。
過去、「神と共に歩む」という表現を使われた人は先程も申しましたノアと、それよりもっと前に出てきたエノクだけです。エノクは神と共に歩み、そのあと「神に取られた」とされる人物で、よっぽど神のお気に入りだったと思われます。こんなふうになってくれないかなー、という気持ちの表れなのでしょうか?
そもそも「ハーラフ」という動詞が一番はじめにでてきたのは創世記の3章で「楽園を歩き回る神」というところだそうです。このときの神は人間を探していました。その声を聞いたアダムとエバは、言いつけに背いて知恵の実を勝手に食べた後ろめたさから木陰に隠れました。先に距離を取ったのは人間だったというわけで、神さまの望みとしてはその距離を人間から縮めて欲しいということなんだそうな。
つまりこのお話の中の「ハーラフ(歩く、歩き回る)」には「神さまを求め、神さまとの距離を縮めるべく動く」という意味が含まれていると言えます。
だからウルにいた頃のアブラムに神が告げた「故郷を出て、わたしの示す方へ行け(歩け)」という言葉にもハーラフが使われているんですね。
そんな言葉の頭文字をわざわざ名前に組み込んだということは、よっぽどアブラハムに期待してるんでしょうか。それとも今度こそ失敗して欲しくなかったのでしょうか。既に一度大洪水でリセットしてますし、もう一回やり直しは相当キツいですからね……。
さて、そんなどえらい名前を付けられたとはイマイチピンと来てないっぽいアブラハム。表面上はニコニコしながら、心のなかで
(えー…こんなジジババに子供って出来るもんなの…?)
と正直な感想。まあその気持ちもわかります。
アダムたち神代の世代は100歳越えてもボコボコ子供作ってましたけど、大洪水を境に寿命が縮むと共に出産年齢も現代に近いくらいになりました。常識的に考えて、100歳と90歳の夫婦で子作りは無理があります。…男性側はもしかしたらイケるかもしれませんが、女性はまず不可能だと思われます。
それでも、面と向かって神に物申すことなんて出来ませんから「きっと神はなんか勘違いしてるんだろう!」と自己完結して「イシュマエルがあなたの前で生き永らえますように。」と言いました。今自分のもとにいる実子はイシュマエルだけですし、今後も増えることはないだろうな、と思っているので仕方ありませんな。
すると神は即座に「いや、サラが生む子のことだ」と否定します。そして「その子にイサクと名付けなさい」と、また名前を勝手に付けました。
イサクは「彼は笑う」という意味だそうです。
英語ではアイザック、ヘブライ語ではイツハク、アラビア語ではイスハークと読みます。
同じ名前ですと、物理学者・自然哲学者・数学者のニュートンが有名ですかね。
とりあえず、予言のとおりに男の子が生まれてイサクという名を付ければ、さっき言った契約は彼のためのものになるようです。
じゃー先に生まれたイシュマエルはどうするん、と思ったら、そこもちゃんとアフターケアがなされていました。さっきのアブラハムのお願い(自己完結からの勘違いですけど)のとおり、イシュマエルも祝福し、子孫を大いに増やしてやろうと言いました。彼は彼で、12個の族長の祖師になるようです。でもイサクの契約とはまた別物で、国の王を輩出するほどの力は持たないということになります。
ふたりの子供についての契約のお話を終えると、神は天へ帰っていきました。神が帰るやいなやアブラハムはすぐ神の言った通り、自分を含む家の男全員に割礼を受けさせました。たった13歳のイシュマエルも例外ではありません。
アブラハムのおうちで働いていた召し使いたちは
「今から君たち全員に包茎手術をします!」
と宣言した99歳の雇い主にどんな感情を抱いたんでしょうね。
私なら「おじいちゃん、ついにボケたのかしら…」と思うところです。
では、続きは次回。
今回の楽曲は
ジャコモ・カリッシミ作曲、ヒストリア《アブラハムとイサク》より「神はアブラハムを試され」
https://youtu.be/ayCFSnzCORg
ジャコモ・カリッシミ(1605~1674年)は、イタリア盛期バロックの作曲家。
声楽をやってる人ならやったことが、或いは聞いたあるであろう
「勝利だ、私の心よ Vittoria, mio core 」(ソプラノと通奏低音のためのカンタータ、1646年)
が有名ですかね。個人的にイタリア古典歌曲集の中で好きな曲ベスト3に入ります。
モンテヴェルディの後継者だった彼の偉業のひとつがレチタティーヴォの発展で、劇音楽に大きな影響を及ぼしました。オラトリオやオペラなどは、彼を始めとする音楽家たちが頑張ってくれなかったら成立してなかったかもしれないですね。
ちなみに《ヒストリア》というジャンルは、聖書の物語による音楽のことです。
オラトリオと似てますけども、オラトリオほどルールが厳しくないみたいです。(あんまり説明がなかったので、間違ってたらすみません)
オラトリオの場合は
○演奏会形式で上演される
○独唱・合唱・オーケストラの編成で構成要素(レチタティーヴォ、アリア、合唱、器楽曲など)はオペラに似てる
○通常、宗教的な内容をもつ
○「語り手」が存在し、中心的役割を果たす
などなど、ルールが細かいです。
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2019/05/24 (Fri)
ずいぶん期間が空いてしまいました。お久しぶりです。
実は昨年末に父が亡くなり、慌ただしくしているうちにブログもすっかり更新が止まってしまいました。
私の父はとても敬虔な日蓮宗派の仏教徒でしたが、私の個人的なこの研究にも理解を示してくれた人でした。
無宗教の私が宗教を勉強してみようと思ったのは、根底に父の仏教が染み付いている影響も大きいかもしれません。
では、始めさせていただきます。
※キリスト教徒でもユダヤ教徒でもイスラム教徒でもプロの考古学者でもないただの一般日本人が、聖書を読んで楽しんでいるだけです。
気になったことは本を読んだりネットで情報を拾ったりしていますが、あくまで一般人が手に入れられる範囲です。
多大なる妄想を含んでいます。本気にしないでください。
○第十六章
アブラムの妻サライは、彼(アブラム)に子供を産みませんでした。サライには召し使いがひとりおりました。エジプト人の女で、名前をハガルといいました。
サライはアブラムに言いました。「ご存じでしょうけど、主はわたしに子供をお授けになりません。どうぞ、わたしの召し使いのところにおはいりください。たぶん彼女によってわたしは子供を持つことになるでしょう。」アブラムはいう通りにしました。
アブラムの妻サライは、その仕え女ハガルを連れてきて、夫アブラムに妻として与えました。これはアブラムがカナンの地に住んだ10年後でした。
彼はハガルのところにはいり、ハガルは子を孕みました。彼女は自分が孕んだのを見て、女主人を見下げるようになりました。
そこでサライはアブラムに言いました。「わたしが受けた害はあなたの責任です。わたしの仕え女をあなたの懷に与えたのに、彼女は自分の孕んだのを見て、わたしを見下げます。どうか主があなたとわたしの間をお裁きになりますように。」
アブラムはサライに言いました。「あなたの仕え女はあなたの手の内にある。彼女をあなたの好きなようにしなさい。」そしてサライが彼女をいじめたので、彼女はサライのところから逃げました。
主の使いは荒野にある泉のほとり、すなわちシュルの道にある泉のほとりで彼女に会い、
「サライの仕え女ハガルよ、あなたはどこから来て、そしてどこへ行くのですか。」と言いました。彼女は「わたしは女主人サライから逃げているのです。」と言いました。
主の使いは彼女に言いました。「あなたは女主人のもとに帰って、身を低くしなさい。
わたしはおおいにあなたの子孫を増やして、数えきれないほど多くしましょう。
あなたは身籠っています。あなたは男の子を産むでしょう。名をイシュマエルと名付けなさい。主があなたの苦しみを聞かれたのです。
彼は野ろばのような人となり、その手はすべての人に逆らい、すべての人の手も彼に逆らい、彼はすべての兄弟に敵対して住むでしょう。」
そこで、ハガルは自分に語られた主の名を呼んで、「あなたはエル・ロイです。」と言いました。それは彼女が「ご覧になる方のうしろを私が見て、なおもここにいるとは」と言ったからです。
それでその井戸は「ベエル・ラハイ・ロイ」と呼ばれました。これはカデシュとベレデの間にあります。
ハガルはアブラムに男の子を産みました。アブラムはハガルが産んだ子の名をイシュマエルと名付けました。ハガルがイシュマエルをアブラムに産んだ時、アブラムは86歳でした。
~~~~~~~~~~~~~~~~
今回は今までにはなかった、主人公の奥さんたちの話です。
前回神さまが「子孫を星の数ほど増やしてあげよう」と約束してくださったわけでしたが、アブラム夫婦にはいまだに子供ができませんでした。サライは族長の妻として、なかなか辛い立場にあっただろうなと思います。そこで、自分の召し使いとアブラムの間に子供を作らせようと考えました。白羽の矢が立ったのはハガル(「奇妙な」「難民」の意)という、エジプト人の女奴隷です。アブラム一行がエジプトに行ったときに、ファラオに貰った奴隷かもしれません。
サライはアブラムに
「神さまは私に子供をくれないんで、私の奴隷と子作りしてくれ。」
と言いました。現代の倫理観ではなかなか「うわぁ…」な展開ですが、不妊の妻が子供を望む夫に対して女中を贈ることは当時は一般的な習慣だったようで、妾をとることも別段珍しいことではなかったみたいです。アダムから9代目のレメクで崩れた一夫一妻の習慣は、戻ることはなかったわけですね。
バビロニアのタルムードによると、妾と正妻の違いはケトバ(結婚契約)を交わし正式な婚姻を結んだかどうか、だそうです。一夫多妻が認められているイスラム教圏では「サライはハガルをとって、妻としてアブラムに与えた」という表現から、アブラムはハガルをちゃんとした妻に迎えたと考えているようです。
ちなみに妾に生まれた子供は妾の女主人に認知され、相続権も含め女主人の子供と同様の扱いを受けることができます。ハガルが妾だろうと正妻のひとりだろうと、彼女の主人はサライですから生まれた子供はサライのものになります。ですからサライは「彼女によって私は子供をもつことになるでしょう」と言ったわけです。
奥さんの提案をアブラムは受け入れて、その通りにしました。「(人名)のところにはいる」「(人名)を知る」という表現は聖書において性行為を表します。なんつーか直接的表現すぎていっそ清々しいですね(爆)
カナンの地に住んでから10年というと、ハランを出てカナンに向けて出発したのが75歳のときですから、少なくとも85歳は超えてます。
85過ぎのじいちゃん………お元気ですね…
とりあえずハガルは無事にアブラムの子を孕み、アブラムはお家断絶の危機を脱しました。奴隷出身のハガルからしてみたら絵に描いたようなシンデレラストーリーですし、良いことずくめですね!
ところが、これでめでたしめでたしとはなりませんでした。
アブラムの子を妊娠したハガルは、サライのことを自分より下に見るようになります。(実際にどういう態度をとったのかは書いてないので、妄想するしかありませんが。)
仕方ない気がするんですけど、当時の人間社会的にはNGなんですよねえ。ハガルが第二夫人だろうと側室だろうと、元々はサライの召し使いですから彼女よりも上の立場にはなれないんです。それでも、行動の端々に優越感は滲み出てしまうもの。直接喧嘩を売ったりはしなくても、サライにはカチンとくるような態度をうっかり取っちゃったのかもしれません。あと、もしかしたら周りの使用人とか、アブラムの態度も微妙に変わったりしたのかも。正妻としてのサライのプライドを傷付けるには十分でした。
サライは溜まった不満をアブラムにぶちまけました。
「あんたのせいで、召し使いが私のこと下に見るんだけど。神さまが私とあなたの間を裁いてくれたらいいのに。」
元々ハガルの件は自分で言い出したことなのに、「おまえの責任だ」はないんじゃないかと思うんですが…。アブラムを通して神さまに裁いてもらおうとしている所もなんか身勝手だなー。
そもそもアブラムにハガルをあてがうという行為自体、神さまの意図とはまったく関係ないところでサライが勝手に考えて行ったことでした。信徒的には神さまが「子孫をあげよう」と言ったんだからおとなしく待っていれば良かったのに、焦って違う方法を取ってしまったんですね。本来神さまから与えられるはずの子宝を待つことができずに自分で、俗世の習慣(一夫多妻制度)をもって作ってしまおうと考えることがそもそも間違いでした。子供を世継ぎの道具としてしか考えていない…つまり命を軽んじた彼女が、他の人に軽んじられるのも当然の報いというわけです。
でもまあこれは、サライを信徒としてみたらの話なので。サライ個人にしてみたら仕方のない話だったかもしれません。聖書には、跡継ぎを心待にしているアブラムをはじめとする周囲のひとたちの細かな態度までは書いてませんが、人間なんてどの時代も大して変わらないものです。サライをそこまで追い詰めた何かがあったんでしょう。
しかしそれを差っ引いても、サライの対応はなかなか性格悪いなと思いますが(爆)
ハガルをどーにかしてくれ、と訴えられたアブラムは
「あんたの奴隷なんだからあんたの好きにしろ」と言いました。最初読んだときは「う、うわー。他人事だー。」とアブラムのクズ具合が一層増しましたが(爆)、実はこのセリフはヘブライ語の原典では「あなたの目に最も良いことを彼女にしなさい」となっているそうです。「あなたの判断で良いと思うことをしろ」というわけですね。
それに対しサライは、ハガルをいじめるという行動に至ります。イジメ、カッコワルイ。しかもハガルは奴隷身分なので、主人には逆らえないじゃないですかー。パワハラじゃないですかーやだー。
どんな風に苦しめたかの描写もこれまたありませんが、日本のみならず世界中あちこちで今も昔もイジメは無くなることはありませんので想像には難くありません。しかも時代が時代なので、相当ひどいパワハラが行われたと思います。ハガルが裕福な「族長の妻」という身分を捨ててまで逃げ出そうとするくらいには、酷かったんでしょうね。
アブラムに劣らぬサライのクズ具合にドン引きです(爆)
アブラムの元から着の身着のまま逃げ出したハガルを、神さまは見捨ててはいませんでした。
というか、見捨てたらかなり酷いですね!
アダムの直系ではない人間に直接神さまが対応する訳にはいかないのか、そこらへん利権か何かが働いているのかは知りませんが、「主の使い」がハガルのアフターケアを請け負います。
御使いがハガルを見つけたのは、「シュルの道」という荒れ野にある泉のそばでした。
シュルとは「壁」という意味があって、都市の境界などに設けられた地域の名称のようです。どうやらシナイ半島北西部にあるエジプトの東の境界に接した地域を指すようで、つまりハガルはイスラエルから故郷のエジプトに向かって逃げていたというわけです。
その道中にいたハガルに、御使いが「どこから来て、どこへ行くのか」と尋ねました。
これは、
「君はどこの所属のひと?本来自分はどこに居るべきだと思ってるん?そんで、今君はどこへ向かっているのかい?ほんとにそこへ行くのが正解だと思っているのかね?」
ということだそうです。
ハガルにしてみれば、身重のからだで取るものもとりあえず飛び出してきたわけですから正解なんて知ったこっちゃありません。そこで正直に
「女主人から逃げてます」
と言いました。この発言は
「本来わたしは自分の女主人サライのところにいるべきなんですけど、主人のいじめがキッツいので逃げてきました。正解かどうかはわかりませんけど。」
と答えたことになります。故郷に向かっていたのは、無意識だったかもしれません。
すると主の使いは
「じゃあ女主人の元に帰りなさい」
と一言。無慈悲。更に
「身を低くしなさい」
謙虚に構えて女主人に身を任せなさい、との仰せ。別にサライのいじめを止めさせるとか、そういう待遇はないけど、とにかく嫁入り先に帰れとのことです。
…え~(´Д`)
代わりに、そのとおりにした暁にはハガルの子孫を大いに増やしてやろう、と言いました。
アブラムに持ちかけた契約とおんなじですね。
ここらへんよく分からないなーと思って色々見ましたら、どうやら、アブラムと違って生まれたときから神さま側の人間でないハガルに対する、特別待遇の試練のようです。
極端な話、このお話の「神さま」が可愛がっていて子孫繁栄を約束してあげているのは元々自分で作ったアダムだけでした。アダムの直系、尚且つセムの血筋の人間が庇護の対象なのであって、それ以外の人間は知ったこっちゃないのです。
このハガルにしてもそうで、エジプト人である彼女がひどいイジメを受けていようが、それを苦にして里に帰ろうが、本来だったら神さまにとっちゃどうでもよいことです。
でも、彼女の身体にはアブラムの子供がいます。本来だったらサライにのみ宿るはずだったアブラムの子ですが、それを信じられなかったサライ自身が他の女に宿らせてしまいました。サライとアブラムが勝手にやったこととはいえ、出来てしまったものは仕方ありません。現時点では唯一アブラムの血を引いた子供ですので、できることならアダムの血族として認めてやりたいところ。
そこで、アダムやノアやアブラムのように、ハガルにも試練を出したというわけです。
アダムは、荒れ地を開墾をすること。
ノアは、方舟を建設すること。
アブラムは、平穏を捨ててカナンまで旅すること。
いずれも、苦難に耐えよという要求です。厳しい荒れ地で生き抜くために発展した宗教らしい教えですね。
御使いは、《試練を克服した暁には、神さまの加護の元にいるアブラムの一族と同じように君の子孫繁栄を約束しよう》と言ったわけです。
そしてお腹の中の子が男の子であるとネタバレをし、神があなたの願いを聞いたから「主は聞き入れる」という意味の《イシュマエル》という名前を付けろと命じます。(ハガルがいつそんなこと願ったのかは不明ですけど)
更にその子がどんな大人になるかも宣言します。
「野ろばのような人となり、その手はすべての人に逆らい、すべての人の手は彼に逆らい、彼はすべての兄弟に敵して住む」とのことですが、一体どんな人物だと言いたいんでしょう。
そもそも「野ろばのような」という喩えが現代日本に住んでいる私にはさっぱりわかりません。
この話が書かれた当時だったら、「あー、そんな感じな人なのねー」って皆がわかったのかもしれませんが。
というわけで、少々「ろば」という動物について調べてみます。助けてーWikipedia先生~(爆)
ウマやロバの直接の先祖(Equus(エクウス/ウマ属) の学名で呼ばれる仲間)は、200万年前から100万年前にあらわれたと考えられているそうです。
家畜化が行われたのは紀元前4000年から3000年頃。この4000年くらい前には、既に羊やヤギや牛は家畜化されていました。
ロバはその中でも、哺乳綱奇蹄目ウマ科ウマ属に分類される奇蹄類です。別名うさぎうま(兎馬)とも呼ばれ、ウマ科の中で一番小型ですが力が強くて賢いため古代から家畜として重用されていた動物です。荒れた土地でも育つし、少ない餌でもなんとかなるし、寿命も20~30年と長いので、家畜には最適だったんですね。
野生のノロバは半砂漠地帯や荒れ地に生息し、雄1頭がメスや生後2年までの子供たちと6~12頭程の小規模な群れを作って暮らします。場合によっては100頭以上の規模の群れを作ることもあったとか。
ただ、序列のハッキリしたハーレム社会を作る野生馬と違って、ノロバはいつも群れを作る訳ではありません。大きな群れを作るのはたまたま食料が豊富にある地域に住んでるロバの話で、あんまり食べ物がない地域のロバは群れにならず雄が単独で縄張りを渡り歩いて生活します。群れを作っている場合でも、夏は高地、冬は河川沿いや谷へと移動をするそうです。
繁殖期には雌を巡って雄同士が争います。
厳しい土地で単独でも生きられるように進化したせいか、コミュニケーションはあまり上手ではなくて駆け引き下手、図太くて淡白な性格のようです。
社会性があって繊細な馬との、最大の違いかもしれません。この気質のおかげで、できる仕事が限られているからです。
たとえば馬車。複数の個体と呼吸を合わせるという芸当が、コミュニケーションが苦手なロバには難しいのです。人が乗る場合も、誰でも乗せてあげるほど気前が良くないのであまり普及しませんでした。確かに知能は高いんですが、相手を見て態度を変えるという何ともあからさまな性質のために、嫌いな相手から指示されても無視したり不機嫌になったりするそうです。
ただ、信頼した人間にはよくなつくらしい…。
ロバの中にも種類が色々あります。
・アフリカノロバ(現在の家畜ロバの祖先)
・ヌビアノロバ、ソマリノロバ(アフリカノロバの亜種)
・アジアノロバ
・チベットノロバ(西部、東部、南部でそれぞれの亜種に分かれる)
などなど。
アジアノロバは更にそこから
・モンゴル亜種
・シリア亜種
・トルクメニスタン亜種
・イラン亜種
・インド亜種
の5種類の亜種に分かれます。
現代に家畜として飼われているロバはアフリカノロバを原種としたものですが、古代メソポタミアでシュメール人たちが飼っていたのはこのアジアノロバだったそうです。
そして、地域的に恐らくシリア亜種が聖書に出てくるロバなのではないでしょうか。(でも最初に家畜化されたのはアフリカノロバらしい。)
ちなみにアジアノロバのシリア亜種は、1927年に絶滅したとされております。
アジアノロバは体長約2メートル、体重約200キロ、肩高1メートルあまりと身体の大きさはアフリカノロバとあまり変わりませんが、アフリカノロバが赤みを帯びた灰色な体色なのに対し淡黄色や赤褐色の体色だそうです。
たてがみはあまり発達せず、しっぽの先端にある毛もそんなに房状にならない、耳は小さめでアフリカノロバと比べると蹄は幅広、などの特徴があります。
以上の特徴を纏めますと、『ノロバのような人』というのは
○小柄だが力が強い
○厳しい環境でも丈夫でたくましい
○あまり群れない
○コミュニケーション下手
○図太くて淡白
○信頼してる人とそうでない人の態度をあからさまに変える
といった性質の人ということになります。
そしてその結果「その手はすべての人に逆らい、すべての人の手は彼に逆らい、彼はすべての兄弟に敵して住む」だろうと予言されます。「すべての兄弟に敵して住む」は「すべての兄弟は彼の顔の上に住む」と書いてある版もあります。
要は他の民族と喧嘩する民になりますよ、と言ってるわけですな。まあ生まれる前の背景が既に修羅場ってますからな(爆)
それを聞いたハガルは主の名を呼んで(神がいつ名乗ったかは不明)
「あなたはエル・ロイ」と言いました。
「エル」は《神》、「ロイ」は《幻、私を見ている》という意味で、「あなたは私を見てくださる神」となります。
その次の「ご覧になる方のうしろを私が見て、なおもここにいるとは」は分かりにくいですねー。
「ここでも、わたしをみていられるかたの後ろを拝めたのか」と書いてある版もあって 、更に混乱。
解釈もいくつかネットで拝見しまして、どうやら複数の意見があるようです。とりあえず見つけたやつを二つ書いておきます。
①
神さまは直接顔をお見せにはなりませんが、ハガルに後ろ姿を見せてくれました。自分を見ていてくれる神さまをなんとなく感じるなーというだけでなく視覚的に認識することができたわけで、神も「わたしは君を見守る神ですよ」と認めたから姿を見せてくれたのです。見ていてくれる神と、見られている人の相互関係が築かれたことになります。
しかもこの場所は別に神さまお気に入りのアブラムやサライがいるところではない、着の身着のまま飛び出した自分一人しかいない荒れ地です。
孤独と不安の只中にいたハガルは感動のあまり
「ここ(私ひとりしかいないこんな場所)でも、わたしをみていられるかた(神さま)の後ろを拝めたのか」と言いました。
②
神さまを御姿を普通の人間がうっかり見たら、ただでは済みません。特にハガルはエジプト人です。アブラムたちからみれば異邦人で、主人の許しなく勝手に家出してきた身の上です。もしかしたら殺されてしまうかもしれません。もうダメかも、と思ったハガルでしたが、神さまは自分からハガルに見せるために姿を現しましたので、神さまを見てもハガルは無事でした。なのでびっくりして
「(わたしを)ご覧になる方のうしろ(後ろ姿)を私が見て、なおもここに(生きて)いるとは」 と言いました。
ちなみに実際にこのとき直接ハガルと接していたのは御使いなので、本当にハガルが主の後ろ姿を見たのか、それとも御使いを指しているのか、はたまた御使いを通して主の威光を感じたことを言っているのか、もう読者の解釈によって様々ですね!
まあつまり、ハガルが「神さまありがとう!!」って思ったってことですな。
この逸話のおかげで、ハガルと御使いが出逢ったこの井戸っていうか泉っていうか、シナイ半島北西部にあるエジプトの東の境界に接した地域のどっかにあったとされる水場は「ベエル・ラハイ・ロイ」と呼ばれた、とあります。
「ベエル」は《井戸》、「ラハイ」は《生きる》、「ロイ」はさっきも出てきた《幻、私を見ている》。これで《わたしを見ていてくれる生きている方の井戸》という意味です。
カデシュとベレドの間にある、と書いてありますが、現在の正確な場所はわからないそうです。
カデシュは、ヒッタイトについて調べたときに出てきた、紀元前13世紀の《カデシュの戦い》で出てきました。古代シリアにあったという都市カデシュを、ヒッタイト VS エジプト第19代王朝が取り合って起きた戦争です。(ちなみにこの時のエジプト側の司令官がラムセス2世(オジマンディアス)さまです。FGOで欲しいけどなかなか出ないキャラ…)
カデシュは、現在のシリア西部の大都市ホムスから24km南西にあるテル・ネビ・メンドという遺跡が跡地であるとされているそうです。
ベレドの位置はわかりませんが、まあこの付近にあったんでしょうな。
そんなわけでとりあえず、ハガルは御使いの言う通りアブラムの屋敷に戻りました。きっとサライのイジメはまたハガルを無慈悲にも襲ったことでしょうが、神さまの声を聞いたハガルは精神的に救いを得たんでしょうね。無事にアブラムの子を出産しました。
ハガルに話を訊いたのか、それとも神から直接命じられたのか、アブラムはハガルがお告げで言われたとおり《イシュマエル》という名前を子供につけました。
このとき、アブラム86歳。75歳でハランを出て、カナンに住んでから10年目でハガルを孕ませたわけですから計算は合ってます。
ここからお話がどう動くのか?
今回あんまり面白くなかったんで、次の章に期待です(爆)
さて、今回の曲は
ホアン・クリソストモ・アリアーガ作曲
カンタータ《砂漠のアガル(ハガル)》
https://youtu.be/LuE_uxTtExI
です。
アリアーガ(1806~1826年)は《スペインのモーツァルト》と呼ばれる作曲家です。
わずか20年の短い生涯で多くの作品を手掛けましたが現存しているものは少ないそうです。私は今回調べて初めて存在を知りました。
実は昨年末に父が亡くなり、慌ただしくしているうちにブログもすっかり更新が止まってしまいました。
私の父はとても敬虔な日蓮宗派の仏教徒でしたが、私の個人的なこの研究にも理解を示してくれた人でした。
無宗教の私が宗教を勉強してみようと思ったのは、根底に父の仏教が染み付いている影響も大きいかもしれません。
では、始めさせていただきます。
※キリスト教徒でもユダヤ教徒でもイスラム教徒でもプロの考古学者でもないただの一般日本人が、聖書を読んで楽しんでいるだけです。
気になったことは本を読んだりネットで情報を拾ったりしていますが、あくまで一般人が手に入れられる範囲です。
多大なる妄想を含んでいます。本気にしないでください。
○第十六章
アブラムの妻サライは、彼(アブラム)に子供を産みませんでした。サライには召し使いがひとりおりました。エジプト人の女で、名前をハガルといいました。
サライはアブラムに言いました。「ご存じでしょうけど、主はわたしに子供をお授けになりません。どうぞ、わたしの召し使いのところにおはいりください。たぶん彼女によってわたしは子供を持つことになるでしょう。」アブラムはいう通りにしました。
アブラムの妻サライは、その仕え女ハガルを連れてきて、夫アブラムに妻として与えました。これはアブラムがカナンの地に住んだ10年後でした。
彼はハガルのところにはいり、ハガルは子を孕みました。彼女は自分が孕んだのを見て、女主人を見下げるようになりました。
そこでサライはアブラムに言いました。「わたしが受けた害はあなたの責任です。わたしの仕え女をあなたの懷に与えたのに、彼女は自分の孕んだのを見て、わたしを見下げます。どうか主があなたとわたしの間をお裁きになりますように。」
アブラムはサライに言いました。「あなたの仕え女はあなたの手の内にある。彼女をあなたの好きなようにしなさい。」そしてサライが彼女をいじめたので、彼女はサライのところから逃げました。
主の使いは荒野にある泉のほとり、すなわちシュルの道にある泉のほとりで彼女に会い、
「サライの仕え女ハガルよ、あなたはどこから来て、そしてどこへ行くのですか。」と言いました。彼女は「わたしは女主人サライから逃げているのです。」と言いました。
主の使いは彼女に言いました。「あなたは女主人のもとに帰って、身を低くしなさい。
わたしはおおいにあなたの子孫を増やして、数えきれないほど多くしましょう。
あなたは身籠っています。あなたは男の子を産むでしょう。名をイシュマエルと名付けなさい。主があなたの苦しみを聞かれたのです。
彼は野ろばのような人となり、その手はすべての人に逆らい、すべての人の手も彼に逆らい、彼はすべての兄弟に敵対して住むでしょう。」
そこで、ハガルは自分に語られた主の名を呼んで、「あなたはエル・ロイです。」と言いました。それは彼女が「ご覧になる方のうしろを私が見て、なおもここにいるとは」と言ったからです。
それでその井戸は「ベエル・ラハイ・ロイ」と呼ばれました。これはカデシュとベレデの間にあります。
ハガルはアブラムに男の子を産みました。アブラムはハガルが産んだ子の名をイシュマエルと名付けました。ハガルがイシュマエルをアブラムに産んだ時、アブラムは86歳でした。
~~~~~~~~~~~~~~~~
今回は今までにはなかった、主人公の奥さんたちの話です。
前回神さまが「子孫を星の数ほど増やしてあげよう」と約束してくださったわけでしたが、アブラム夫婦にはいまだに子供ができませんでした。サライは族長の妻として、なかなか辛い立場にあっただろうなと思います。そこで、自分の召し使いとアブラムの間に子供を作らせようと考えました。白羽の矢が立ったのはハガル(「奇妙な」「難民」の意)という、エジプト人の女奴隷です。アブラム一行がエジプトに行ったときに、ファラオに貰った奴隷かもしれません。
サライはアブラムに
「神さまは私に子供をくれないんで、私の奴隷と子作りしてくれ。」
と言いました。現代の倫理観ではなかなか「うわぁ…」な展開ですが、不妊の妻が子供を望む夫に対して女中を贈ることは当時は一般的な習慣だったようで、妾をとることも別段珍しいことではなかったみたいです。アダムから9代目のレメクで崩れた一夫一妻の習慣は、戻ることはなかったわけですね。
バビロニアのタルムードによると、妾と正妻の違いはケトバ(結婚契約)を交わし正式な婚姻を結んだかどうか、だそうです。一夫多妻が認められているイスラム教圏では「サライはハガルをとって、妻としてアブラムに与えた」という表現から、アブラムはハガルをちゃんとした妻に迎えたと考えているようです。
ちなみに妾に生まれた子供は妾の女主人に認知され、相続権も含め女主人の子供と同様の扱いを受けることができます。ハガルが妾だろうと正妻のひとりだろうと、彼女の主人はサライですから生まれた子供はサライのものになります。ですからサライは「彼女によって私は子供をもつことになるでしょう」と言ったわけです。
奥さんの提案をアブラムは受け入れて、その通りにしました。「(人名)のところにはいる」「(人名)を知る」という表現は聖書において性行為を表します。なんつーか直接的表現すぎていっそ清々しいですね(爆)
カナンの地に住んでから10年というと、ハランを出てカナンに向けて出発したのが75歳のときですから、少なくとも85歳は超えてます。
85過ぎのじいちゃん………お元気ですね…
とりあえずハガルは無事にアブラムの子を孕み、アブラムはお家断絶の危機を脱しました。奴隷出身のハガルからしてみたら絵に描いたようなシンデレラストーリーですし、良いことずくめですね!
ところが、これでめでたしめでたしとはなりませんでした。
アブラムの子を妊娠したハガルは、サライのことを自分より下に見るようになります。(実際にどういう態度をとったのかは書いてないので、妄想するしかありませんが。)
仕方ない気がするんですけど、当時の人間社会的にはNGなんですよねえ。ハガルが第二夫人だろうと側室だろうと、元々はサライの召し使いですから彼女よりも上の立場にはなれないんです。それでも、行動の端々に優越感は滲み出てしまうもの。直接喧嘩を売ったりはしなくても、サライにはカチンとくるような態度をうっかり取っちゃったのかもしれません。あと、もしかしたら周りの使用人とか、アブラムの態度も微妙に変わったりしたのかも。正妻としてのサライのプライドを傷付けるには十分でした。
サライは溜まった不満をアブラムにぶちまけました。
「あんたのせいで、召し使いが私のこと下に見るんだけど。神さまが私とあなたの間を裁いてくれたらいいのに。」
元々ハガルの件は自分で言い出したことなのに、「おまえの責任だ」はないんじゃないかと思うんですが…。アブラムを通して神さまに裁いてもらおうとしている所もなんか身勝手だなー。
そもそもアブラムにハガルをあてがうという行為自体、神さまの意図とはまったく関係ないところでサライが勝手に考えて行ったことでした。信徒的には神さまが「子孫をあげよう」と言ったんだからおとなしく待っていれば良かったのに、焦って違う方法を取ってしまったんですね。本来神さまから与えられるはずの子宝を待つことができずに自分で、俗世の習慣(一夫多妻制度)をもって作ってしまおうと考えることがそもそも間違いでした。子供を世継ぎの道具としてしか考えていない…つまり命を軽んじた彼女が、他の人に軽んじられるのも当然の報いというわけです。
でもまあこれは、サライを信徒としてみたらの話なので。サライ個人にしてみたら仕方のない話だったかもしれません。聖書には、跡継ぎを心待にしているアブラムをはじめとする周囲のひとたちの細かな態度までは書いてませんが、人間なんてどの時代も大して変わらないものです。サライをそこまで追い詰めた何かがあったんでしょう。
しかしそれを差っ引いても、サライの対応はなかなか性格悪いなと思いますが(爆)
ハガルをどーにかしてくれ、と訴えられたアブラムは
「あんたの奴隷なんだからあんたの好きにしろ」と言いました。最初読んだときは「う、うわー。他人事だー。」とアブラムのクズ具合が一層増しましたが(爆)、実はこのセリフはヘブライ語の原典では「あなたの目に最も良いことを彼女にしなさい」となっているそうです。「あなたの判断で良いと思うことをしろ」というわけですね。
それに対しサライは、ハガルをいじめるという行動に至ります。イジメ、カッコワルイ。しかもハガルは奴隷身分なので、主人には逆らえないじゃないですかー。パワハラじゃないですかーやだー。
どんな風に苦しめたかの描写もこれまたありませんが、日本のみならず世界中あちこちで今も昔もイジメは無くなることはありませんので想像には難くありません。しかも時代が時代なので、相当ひどいパワハラが行われたと思います。ハガルが裕福な「族長の妻」という身分を捨ててまで逃げ出そうとするくらいには、酷かったんでしょうね。
アブラムに劣らぬサライのクズ具合にドン引きです(爆)
アブラムの元から着の身着のまま逃げ出したハガルを、神さまは見捨ててはいませんでした。
というか、見捨てたらかなり酷いですね!
アダムの直系ではない人間に直接神さまが対応する訳にはいかないのか、そこらへん利権か何かが働いているのかは知りませんが、「主の使い」がハガルのアフターケアを請け負います。
御使いがハガルを見つけたのは、「シュルの道」という荒れ野にある泉のそばでした。
シュルとは「壁」という意味があって、都市の境界などに設けられた地域の名称のようです。どうやらシナイ半島北西部にあるエジプトの東の境界に接した地域を指すようで、つまりハガルはイスラエルから故郷のエジプトに向かって逃げていたというわけです。
その道中にいたハガルに、御使いが「どこから来て、どこへ行くのか」と尋ねました。
これは、
「君はどこの所属のひと?本来自分はどこに居るべきだと思ってるん?そんで、今君はどこへ向かっているのかい?ほんとにそこへ行くのが正解だと思っているのかね?」
ということだそうです。
ハガルにしてみれば、身重のからだで取るものもとりあえず飛び出してきたわけですから正解なんて知ったこっちゃありません。そこで正直に
「女主人から逃げてます」
と言いました。この発言は
「本来わたしは自分の女主人サライのところにいるべきなんですけど、主人のいじめがキッツいので逃げてきました。正解かどうかはわかりませんけど。」
と答えたことになります。故郷に向かっていたのは、無意識だったかもしれません。
すると主の使いは
「じゃあ女主人の元に帰りなさい」
と一言。無慈悲。更に
「身を低くしなさい」
謙虚に構えて女主人に身を任せなさい、との仰せ。別にサライのいじめを止めさせるとか、そういう待遇はないけど、とにかく嫁入り先に帰れとのことです。
…え~(´Д`)
代わりに、そのとおりにした暁にはハガルの子孫を大いに増やしてやろう、と言いました。
アブラムに持ちかけた契約とおんなじですね。
ここらへんよく分からないなーと思って色々見ましたら、どうやら、アブラムと違って生まれたときから神さま側の人間でないハガルに対する、特別待遇の試練のようです。
極端な話、このお話の「神さま」が可愛がっていて子孫繁栄を約束してあげているのは元々自分で作ったアダムだけでした。アダムの直系、尚且つセムの血筋の人間が庇護の対象なのであって、それ以外の人間は知ったこっちゃないのです。
このハガルにしてもそうで、エジプト人である彼女がひどいイジメを受けていようが、それを苦にして里に帰ろうが、本来だったら神さまにとっちゃどうでもよいことです。
でも、彼女の身体にはアブラムの子供がいます。本来だったらサライにのみ宿るはずだったアブラムの子ですが、それを信じられなかったサライ自身が他の女に宿らせてしまいました。サライとアブラムが勝手にやったこととはいえ、出来てしまったものは仕方ありません。現時点では唯一アブラムの血を引いた子供ですので、できることならアダムの血族として認めてやりたいところ。
そこで、アダムやノアやアブラムのように、ハガルにも試練を出したというわけです。
アダムは、荒れ地を開墾をすること。
ノアは、方舟を建設すること。
アブラムは、平穏を捨ててカナンまで旅すること。
いずれも、苦難に耐えよという要求です。厳しい荒れ地で生き抜くために発展した宗教らしい教えですね。
御使いは、《試練を克服した暁には、神さまの加護の元にいるアブラムの一族と同じように君の子孫繁栄を約束しよう》と言ったわけです。
そしてお腹の中の子が男の子であるとネタバレをし、神があなたの願いを聞いたから「主は聞き入れる」という意味の《イシュマエル》という名前を付けろと命じます。(ハガルがいつそんなこと願ったのかは不明ですけど)
更にその子がどんな大人になるかも宣言します。
「野ろばのような人となり、その手はすべての人に逆らい、すべての人の手は彼に逆らい、彼はすべての兄弟に敵して住む」とのことですが、一体どんな人物だと言いたいんでしょう。
そもそも「野ろばのような」という喩えが現代日本に住んでいる私にはさっぱりわかりません。
この話が書かれた当時だったら、「あー、そんな感じな人なのねー」って皆がわかったのかもしれませんが。
というわけで、少々「ろば」という動物について調べてみます。助けてーWikipedia先生~(爆)
ウマやロバの直接の先祖(Equus(エクウス/ウマ属) の学名で呼ばれる仲間)は、200万年前から100万年前にあらわれたと考えられているそうです。
家畜化が行われたのは紀元前4000年から3000年頃。この4000年くらい前には、既に羊やヤギや牛は家畜化されていました。
ロバはその中でも、哺乳綱奇蹄目ウマ科ウマ属に分類される奇蹄類です。別名うさぎうま(兎馬)とも呼ばれ、ウマ科の中で一番小型ですが力が強くて賢いため古代から家畜として重用されていた動物です。荒れた土地でも育つし、少ない餌でもなんとかなるし、寿命も20~30年と長いので、家畜には最適だったんですね。
野生のノロバは半砂漠地帯や荒れ地に生息し、雄1頭がメスや生後2年までの子供たちと6~12頭程の小規模な群れを作って暮らします。場合によっては100頭以上の規模の群れを作ることもあったとか。
ただ、序列のハッキリしたハーレム社会を作る野生馬と違って、ノロバはいつも群れを作る訳ではありません。大きな群れを作るのはたまたま食料が豊富にある地域に住んでるロバの話で、あんまり食べ物がない地域のロバは群れにならず雄が単独で縄張りを渡り歩いて生活します。群れを作っている場合でも、夏は高地、冬は河川沿いや谷へと移動をするそうです。
繁殖期には雌を巡って雄同士が争います。
厳しい土地で単独でも生きられるように進化したせいか、コミュニケーションはあまり上手ではなくて駆け引き下手、図太くて淡白な性格のようです。
社会性があって繊細な馬との、最大の違いかもしれません。この気質のおかげで、できる仕事が限られているからです。
たとえば馬車。複数の個体と呼吸を合わせるという芸当が、コミュニケーションが苦手なロバには難しいのです。人が乗る場合も、誰でも乗せてあげるほど気前が良くないのであまり普及しませんでした。確かに知能は高いんですが、相手を見て態度を変えるという何ともあからさまな性質のために、嫌いな相手から指示されても無視したり不機嫌になったりするそうです。
ただ、信頼した人間にはよくなつくらしい…。
ロバの中にも種類が色々あります。
・アフリカノロバ(現在の家畜ロバの祖先)
・ヌビアノロバ、ソマリノロバ(アフリカノロバの亜種)
・アジアノロバ
・チベットノロバ(西部、東部、南部でそれぞれの亜種に分かれる)
などなど。
アジアノロバは更にそこから
・モンゴル亜種
・シリア亜種
・トルクメニスタン亜種
・イラン亜種
・インド亜種
の5種類の亜種に分かれます。
現代に家畜として飼われているロバはアフリカノロバを原種としたものですが、古代メソポタミアでシュメール人たちが飼っていたのはこのアジアノロバだったそうです。
そして、地域的に恐らくシリア亜種が聖書に出てくるロバなのではないでしょうか。(でも最初に家畜化されたのはアフリカノロバらしい。)
ちなみにアジアノロバのシリア亜種は、1927年に絶滅したとされております。
アジアノロバは体長約2メートル、体重約200キロ、肩高1メートルあまりと身体の大きさはアフリカノロバとあまり変わりませんが、アフリカノロバが赤みを帯びた灰色な体色なのに対し淡黄色や赤褐色の体色だそうです。
たてがみはあまり発達せず、しっぽの先端にある毛もそんなに房状にならない、耳は小さめでアフリカノロバと比べると蹄は幅広、などの特徴があります。
以上の特徴を纏めますと、『ノロバのような人』というのは
○小柄だが力が強い
○厳しい環境でも丈夫でたくましい
○あまり群れない
○コミュニケーション下手
○図太くて淡白
○信頼してる人とそうでない人の態度をあからさまに変える
といった性質の人ということになります。
そしてその結果「その手はすべての人に逆らい、すべての人の手は彼に逆らい、彼はすべての兄弟に敵して住む」だろうと予言されます。「すべての兄弟に敵して住む」は「すべての兄弟は彼の顔の上に住む」と書いてある版もあります。
要は他の民族と喧嘩する民になりますよ、と言ってるわけですな。まあ生まれる前の背景が既に修羅場ってますからな(爆)
それを聞いたハガルは主の名を呼んで(神がいつ名乗ったかは不明)
「あなたはエル・ロイ」と言いました。
「エル」は《神》、「ロイ」は《幻、私を見ている》という意味で、「あなたは私を見てくださる神」となります。
その次の「ご覧になる方のうしろを私が見て、なおもここにいるとは」は分かりにくいですねー。
「ここでも、わたしをみていられるかたの後ろを拝めたのか」と書いてある版もあって 、更に混乱。
解釈もいくつかネットで拝見しまして、どうやら複数の意見があるようです。とりあえず見つけたやつを二つ書いておきます。
①
神さまは直接顔をお見せにはなりませんが、ハガルに後ろ姿を見せてくれました。自分を見ていてくれる神さまをなんとなく感じるなーというだけでなく視覚的に認識することができたわけで、神も「わたしは君を見守る神ですよ」と認めたから姿を見せてくれたのです。見ていてくれる神と、見られている人の相互関係が築かれたことになります。
しかもこの場所は別に神さまお気に入りのアブラムやサライがいるところではない、着の身着のまま飛び出した自分一人しかいない荒れ地です。
孤独と不安の只中にいたハガルは感動のあまり
「ここ(私ひとりしかいないこんな場所)でも、わたしをみていられるかた(神さま)の後ろを拝めたのか」と言いました。
②
神さまを御姿を普通の人間がうっかり見たら、ただでは済みません。特にハガルはエジプト人です。アブラムたちからみれば異邦人で、主人の許しなく勝手に家出してきた身の上です。もしかしたら殺されてしまうかもしれません。もうダメかも、と思ったハガルでしたが、神さまは自分からハガルに見せるために姿を現しましたので、神さまを見てもハガルは無事でした。なのでびっくりして
「(わたしを)ご覧になる方のうしろ(後ろ姿)を私が見て、なおもここに(生きて)いるとは」 と言いました。
ちなみに実際にこのとき直接ハガルと接していたのは御使いなので、本当にハガルが主の後ろ姿を見たのか、それとも御使いを指しているのか、はたまた御使いを通して主の威光を感じたことを言っているのか、もう読者の解釈によって様々ですね!
まあつまり、ハガルが「神さまありがとう!!」って思ったってことですな。
この逸話のおかげで、ハガルと御使いが出逢ったこの井戸っていうか泉っていうか、シナイ半島北西部にあるエジプトの東の境界に接した地域のどっかにあったとされる水場は「ベエル・ラハイ・ロイ」と呼ばれた、とあります。
「ベエル」は《井戸》、「ラハイ」は《生きる》、「ロイ」はさっきも出てきた《幻、私を見ている》。これで《わたしを見ていてくれる生きている方の井戸》という意味です。
カデシュとベレドの間にある、と書いてありますが、現在の正確な場所はわからないそうです。
カデシュは、ヒッタイトについて調べたときに出てきた、紀元前13世紀の《カデシュの戦い》で出てきました。古代シリアにあったという都市カデシュを、ヒッタイト VS エジプト第19代王朝が取り合って起きた戦争です。(ちなみにこの時のエジプト側の司令官がラムセス2世(オジマンディアス)さまです。FGOで欲しいけどなかなか出ないキャラ…)
カデシュは、現在のシリア西部の大都市ホムスから24km南西にあるテル・ネビ・メンドという遺跡が跡地であるとされているそうです。
ベレドの位置はわかりませんが、まあこの付近にあったんでしょうな。
そんなわけでとりあえず、ハガルは御使いの言う通りアブラムの屋敷に戻りました。きっとサライのイジメはまたハガルを無慈悲にも襲ったことでしょうが、神さまの声を聞いたハガルは精神的に救いを得たんでしょうね。無事にアブラムの子を出産しました。
ハガルに話を訊いたのか、それとも神から直接命じられたのか、アブラムはハガルがお告げで言われたとおり《イシュマエル》という名前を子供につけました。
このとき、アブラム86歳。75歳でハランを出て、カナンに住んでから10年目でハガルを孕ませたわけですから計算は合ってます。
ここからお話がどう動くのか?
今回あんまり面白くなかったんで、次の章に期待です(爆)
さて、今回の曲は
ホアン・クリソストモ・アリアーガ作曲
カンタータ《砂漠のアガル(ハガル)》
https://youtu.be/LuE_uxTtExI
です。
アリアーガ(1806~1826年)は《スペインのモーツァルト》と呼ばれる作曲家です。
わずか20年の短い生涯で多くの作品を手掛けましたが現存しているものは少ないそうです。私は今回調べて初めて存在を知りました。
2018/11/21 (Wed)
さて、懲りずにまだまだ続きます。
※キリスト教徒でもユダヤ教徒でもイスラム教徒でもプロの考古学者でもないただの一般日本人が、聖書を読んで楽しんでいるだけです。
気になったことは本を読んだりネットで情報を拾ったりしていますが、あくまで一般人が手に入れられる範囲です。
多大なる妄想を含んでいます。本気にしないでください。
○第十五章
これらの出来事の後、主のことばがアブラムの幻に出てきました。
「アブラム、恐れるな。わたしはあなたの盾だ。あなたの受ける報いはとても大きいぞ。」
そこでアブラムは言いました。
「神さま、何をくれるっていうんですか。私には子供がいないんですよ。私の家の相続人は、あのダマスコのエリエゼルになってしまうんでしょうか。」
アブラムは更に言いました。
「見てくださいよ。あなたが子孫をくれないせいで、私の家の奴隷が跡取りになっちゃうじゃないですか。」
すると主の言葉が言いました。
「それはだめだね。あなた自身の子孫が跡を継がなきゃね。」
そして、彼を外に連れ出して言いました。
「さあ、空を見て星を数えてごらん。あなたの子孫はこれくらいになるよ。」
彼は主を信じました。主はそれを彼の義と認めて、言いました。
「わたしはこの地をあなたに与えるために、カルデヤ人のウルからあなたを連れ出した主だ。」
彼(アブラム)は言いました。
「それが私のものだって、どうしたら分かるんですか?」
すると主は彼に言いました。
「わたしのところに、三歳の雌牛と、三歳の雌山羊と、三歳の雄羊と、山鳩とその雛を持ってきなさい。」
彼はそれを全部持ってきて、鳥以外を真っ二つに切り裂き、その半分を互いに向かい合わせにしました。
猛禽がその死体の上に降りてきたので、アブラムはそれらを追い払いました。
日が沈みかかった頃、深い眠りがアブラムを襲いました。そして、ひどい暗黒の恐怖が彼を襲いました。
アブラムに呼び掛けがありました。
「よく覚えておいで。あなたの子孫は自分のものでない国で寄留者となり、奴隷にされ、400年間苦しめられるだろう。しかし彼らが仕える国民をわたしが裁いてあげるから、彼らは多くの財産を持ってそこから出て来るようになる。
あなた自身は平安のうちに、あなたの先祖の元へ行き、長寿を全うして葬られるだろう。
そして四代目の者たちがここに戻ってくる。それはエモリ人の咎が、そのときまで満ちることはないからだ。」
日が沈んで暗闇になったとき、煙の立つかまどと、燃えている松明が、切り裂かれたものの間を通り抜けました。
その日、主はアブラムと契約を結んで言いました。
「わたしはあなたの子孫に、この土地を与えます。
エジプトの川から、あの大きなユーフラテス川まで。
ケニ人、ケナズ人、カデモニ人、ヘテ人、ペリジ人、レファイム人、エモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人を。」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
前章で、カナン人たちの戦争に介入し、図らずもカナンに勝利をもたらしたアブラム。
とりあえず夜にお家に帰ってホッと一息ついておりますと、いきなり主からの直通電話ならぬ直通テレパシーが入ります。
「わたしが付いてるからには怖いもんなしだ。君は大きな報いを受けるよ!」
先程の戦での快進撃のことを言ってるんだと思いますが、どうやらアブラムの頭は違うことで頭がいっぱいなようです。若干やさぐれ気味。話を聞きますと、自分の子供がいないのが憂いの原因だといいます。
このままだと彼のお家にいる奴隷の中の、「ダマスコのエリエゼル」という人が跡取りになってしまうそうです。ダマスカス出身のその奴隷、名前は「わたしは神の助け手」という意味です。ここでは話の中でしか出てこないのでどんな人物かは分かりませんが、アブラムは彼が跡取りになるのは嫌なようです。「あんたが子孫をくれないからだ」と神さまに逆ギレしてます。………アブラムほんとキレやすい人だな。
そんなやさぐれアブラムを、神さまは外にアブラムを連れてきて「あなたの子孫はこの空の星の数くらいになるよ」と慰めました。それを、アブラムは特に反論も無く信じました。
アブラムは(私の印象では)すぐ調子に乗るし、考えなしに行動するし、結構怒りっぽい男ですけれども、良いところがあるとすれば『素直なところ』だと思います。
ある意味、考えなしに動くところも神さまに気に入られた要因かもしれません。
神さまに言われたことは全部まるっと信じられる無垢さ。それが、かつてアダムたちに求められたことであり、信徒に最も求められているとされていることなのでしょう。
彼の『信じる』という行為を主は『義』として認めました。
前章で出てきたメルキセデクさんのところで、『義』は『救い』と同義と書きました。それは恐らく神サイドのことで、人間サイドからすると『義』=『信仰』なのだと思います。
前回書きましたとおり、「義( צֶדֶק / tsedeq)) 」という単語は本来「筋を通す・曲がってないこと・まっすぐなもの」という意味です。
たぶんですけども、人間が信仰を曲げず主を信じる心を無条件で持つことが人間の「義」で、それが主の与える「救い」になると言いたいのではないでしょうか?個人の解釈ですけど。
アブラムの「義」をしかと受け取った神さまは、
「わたしはこの地をあなたに与えるために、カルデヤのウルからあなたを連れ出した主だ」
と言います。
要するに、主っていう一人称は「この世のすべての主人」ってことなんで、そのわたしがこの土地をあなたにあげるためにわざわざカルデヤから呼んだんだから何も心配することないよ、と言いたいのではないかと思います。アブラムの「義(信仰)」に対して、「義(救い)」を与えるってことですかね。
この場合の「救い」は、英雄になっても未だ流浪の身は変わらず(土地の所持者と同盟は組んでいて住めるようにはなっているけど自分の土地は無い)、更に子供がいないのでお家断絶の危機なアブラムに「土地」と「子孫」をもたらすことです。
しかし、いきなり他の人に「この土地は俺のものだって神が言ってる」と言っても、「ハァ?こいつ頭おかしいんじゃねーの?」と言われてきたのでしょう。
現代だって、いきなり外国の人がやってきて同じことを言って居座り出したら、お巡りさんを呼ぶでしょう。
神さまが言ってくれたからって、簡単には安心できません。尚且つ、すでにアブラムは結構大きな一部族の族長です。土地の入手は絶対必要事項でしょう。
そこでアブラムは、他の人間にも「ここカナンの土地はアブラムたちヘブル人のものだ」ということをどうしたら証明できるのか?と尋ねます。ここでこんな質問をすること自体が不信の表れだとして、「この時点でのアブラムはまだ未熟者」とする方もいるようです。シビアですねー。
すると神さまは「三歳の雌牛と、三歳の雌山羊と、三歳の雄羊と、山鳩とその雛」を持ってこいと言いました。ずいぶん細かい指定です。
なんで三歳なのかは、よくわかりませんでした。
でもとあるブログで面白いご意見を見つけまして、3年という期間はイエス・キリストの「公生涯」と関係あるのかな?というものでした。公生涯といいますのは、ただの大工の青年として暮らしていたイエスさんが神さまのゴーサインをもらって聖人活動を始めて、十字架にかけられるまでの期間です。
これを当てはめますと3年という年月は「生け贄になるために必要な期間」と解釈することもできます。
他には、「三段階の成長期間(蘇生、長成、完成)を象徴する」という意見もありました。
あるいは単純に「大人の動物」という指定かもしれませんけども。
しかし神さまは「持ってこい」と言ったきり、その後の指示をくれません。
「神さまの言ってることを証明するためにはどうしたらいい?」の問いに対して、ちょっとヒント少なすぎるんじゃありませんかね神さま?
でも、とりあえず持ってこいと言ったからには「生け贄にして捧げてね」って意味なんだろうなー、とアブラムは頑張って生け贄の儀式をやってみます。
《♪~アブラム3分クッキング~♪》
本日のメニュー:神さまへの生け贄
①まず材料はこちら。三歳の雌牛と雌山羊と雄羊、それに山鳩と雛でございます。脂が乗っていて美味しそうですね。
②材料を真っ二つに切りましょう。でも鳥は小さいので切らずにおきます。
③切った材料を、向かい合わせに置いておきましょう。乱暴にバラバラにしてはいけませんよ。
④はい!これでできあがり!!
…となればよかったんですけど。
そこで思わぬ邪魔が入りました。生肉のにおいに釣られて、猛禽類(タカだのワシだの)がやってきて、死体にたかりだしたのです。せっかくの神さまへの捧げ物を喰われちゃたまりませんから、アブラムは必死で追い払います。
この猛禽類、実は悪魔なのではないかという説もあるようです。イヴを誘惑した蛇とおんなじような、お邪魔キャラですね。この時点では特に記載はないので、勿論普通の猛禽類という可能性もあります。
そしてそのまま夕暮れになりました。タカとかと闘って疲れてしまったんでしょうか、唐突な睡魔がアブラムを襲います。更に眠ってしまったアブラムを「暗黒の恐怖」が襲います。
この「暗黒の恐怖」も、「深く眠ってしまったアブラムの夢に悪魔が現れて襲いかかった」説と、「眠ってしまったアブラムが、起きたら真っ暗で超怖かった」説がありました。
まあ電気も無い真っ暗な荒野にひとりぼっちでいたら、悪魔がいなくても怖いですわ。そんな恐怖の真っ只中にいるアブラムに、呼び掛ける声が聞こえました。
「君の子孫は400年間奴隷にされるよ。でもその後そこから脱出してここに戻ってこれるよ。」
………………
残念ながら、アブラムの生け贄は失敗したようです。
(人によっては成功したとみる方もいらっしゃいますが)
「この土地が自分のものだと証明するための方法」を尋ねたのに、向こう400年は余所者のままで、しかも奴隷に身をやつさなくてはならないなんて、なんて理不尽な。でもこの「400年」にも、どうやら理由がありそうです。
では、どこが失敗だったのか。
この時点では神さまの説明が無さすぎてさっぱりわかりませんが、後々この儀式の正解を教えてくれるところがあるようなのです。レビ記とか。民数記とか。
その章を詳しく調べたいところなのですが、一応この企画では頭から順番に読んでいくことにしていますので、ここでは軽く調べるくらいにしておきます。
まず、生け贄の動物たちを真っ二つに切って向かい合わせに置いたのは正解のようです。
どうやらこの行為には「契約を破ったら自分もこうなっても構いませんよ」という契約遵守に対する決意表明、あるいは自己呪詛の意味があるそうな。
また別の解説では、「堕落して善悪の母体となった人間を裂き、死亡の血を流して聖別することを象徴的に行うという意味がある」とのことです。本来切り裂かれるべきは人間だけど、そのかわりに動物さんたちに犠牲になってもらうというわけですね。(動物カワイソ(´・ω・`) )
使った動物も、神さまの指定通りなので正解です。
さて先程の3分クッキング、②の行程に注目。山鳩とその雛は、小さいのでアブラムは真っ二つにせずにそのまま置いときました。
はい、これはブッブ~。生け贄はぜんぶ切り裂かないとダメなのです。大きさは関係ありません。
ある説では「子供が欲しいあまりに、鳩の雛が可哀想で切り裂けなかった」というのもありました。
もうひとつ、④の行程。半分に切った生け贄をきちんと並べて祭壇に置いて、アブラムは「よし完成!」となりましたが、実はコレ全然完成じゃないです。
ホントはそれに火をつけて焼いて、更に一晩中起きててその火を燃やし続けないといけないんです。猛禽類と闘い疲れてたとしても、寝ちゃったらダメです。
これも、状況がそんなに詳しく書いてないので想像するしかありませんが、「生け贄に火を着けようとしたら猛禽類にめっちゃ邪魔された」説や「普通に生肉をお供えしてたら猛禽類が寄ってきた」説があるみたいです。前説ですと、意図的に火を着けるのを邪魔したということで「この猛禽類は悪魔」ということになるようです。
さて、悪魔に邪魔されたとしても、ただうっかり火を着け忘れたり眠っちゃったりしただけだったとしても、どちらにしても儀式は失敗です。
しかしながら、儀式に失敗したらペナルティがあるなんて「そんなん聞いてないよー!」って思ってしまいそうです。
神さまがアブラムに課したペナルティは「子孫が400年よその国で奴隷になる」ということです。
なんで400年なのかの理由ですが、色々調べてみました。
どうやらこの儀式の目的に秘密があったようです。指定された動物たちをただしく捧げるということが証明の条件だったわけですが、この目的が《過去の人間たちの罪のあがない》だったようなのです。
ちょっと話が逸れますが、一番最初に生け贄の儀式をして、成功したのはノアさんでした。方舟から出てすぐ、「 祭壇を築いて、すべてのきよい家畜とすべてのきよい鳥のうちから幾つかを選びとって《全焼のいけにえ》を捧げ」ました。つまりノアは正解を知ってたわけですな。
この《全焼のいけにえ》という儀式は、神さまに「完全な献身と服従」を示すために行われます。
動物も決まってて「若い雄牛」「雄の子羊」「雄山羊」「鳥(「山鳩」か「家鳩の雛」)」と指定が細かいです。
なぜ雄なのかというと、古代イスラエルが男性社会であり、個人単位でなく家族単位で人々を扱う国だからだそうです。家長である男がその家の女やこどもの責任を取る、という習慣が、そのまま表れたかんじです。
「若い雄牛」が一番高価な捧げ物で、「鳥」は貧しい人が捧げるものだそうです。
今回神さまが指定した
「三歳の雌牛と、三歳の雌山羊と、三歳の雄羊と、山鳩とその雛」
の中で、当てはまるのは山鳩のみです。雄の子羊は「三歳」という条件があるので当てはまるのか微妙ですな。
後々形式化される『生け贄』にはあと何種類かありますが、その中で「雌牛」「雌山羊」「雄羊」を捧げる指定があるものは
○和解のいけにえ
○贖罪のいけにえ
○罪過のいけにえ
です。
「和解のいけにえ」は、『神の恵みに感謝する』ために捧げるものです。 祈りが答えられたことへの感謝を表わしたり、何か予期せぬ良いことがあったときに自発的に捧げたりするそうです。捧げられるものは
牛…雄雌どっちでもいい
羊…雄の子供
山羊…雌
です。
「贖罪のいけにえ」は、『良心から罪を取り除くことで神さまとの関係を回復させる』という目的で捧げられます。知らず知らずのうちに犯してしまった罪を赦してもらうために行うものです。
この生け贄は身分によって動物の指定が細かく決められていて
①偉い祭司が罪を犯したら…若い雄牛
②イスラエルの全会衆(信者たち)が罪を犯したら…若い雄牛
③権力者(王や族長)が罪を犯したら…雄山羊
④一般人が罪を犯したら…「雌山羊」か「雌の子羊」か「山鳩二羽」か「家鳩のひな二羽」か「小麦粉」
となっています。
上記の「贖罪のいけにえ」とはまた違う、「罪過のいけにえ」というものもあります。これは神さまのものに対して罪を犯したり、他の人に傷害や損失を与えたりしてしまったときに捧げられるものです。他のいけにえよりも、民法に近いものを感じます。
「罪過のいけにえ」の捧げ物は「雄羊」と決まっています。他の人間に損害を与えた場合は、それに加えてその賠償もしなくてはなりません。
まとめてみますと、今回神さまが指定した動物は
雌牛…和解
雌山羊…贖罪
雄羊…罪過
山鳩とその雛…全焼 or 贖罪
ということになりますね。
なんか和解の雌牛だけ浮いてるような…
雌牛に関しては、上記の生け贄とはまた別に「赤毛の雌牛の生け贄」というものがありました。
罪を清めたいときに、「くびき(牛車に牛を繋ぐための器具)を背負ったことのない、無傷で欠陥のない赤毛の雌牛」を焼いて、その灰を水に溶かして振りかけるというものです。
あと、人が殺されてその殺人者がだれか分からなくて、町の人全員が罪を問われた場合にも若い雌牛が赦しの生け贄に使われたそうです。
まあお話の中では、この時点では細かく形式が決められてない設定になってますのであんまり意味はないのかも。
とあるブログで拝見した解釈では、このアブラムの生け贄は一番最初に人間がやってしまった
アダム
イブ
カイン
アベル
の罪の償いが目的だったとしていて、これまた面白いと思いました。
・蛇に唆されて神に背き、知恵の実を食べた罪に雌牛(イブ)
・無垢なアダムに知恵の実を食べさせた罪に雌山羊(イブ)
・神に背いて知恵の実を食べた罪に雄羊(アダム)
・アベルを殺した罪に山鳩(カイン)
・殺されたことに対して神を恨んだ罪に山鳩の雛(アベル)
彼らの購いをこの生け贄で完璧にできれば、カナンは名実ともにアブラム一族のものにしてもらえるはずだった、というわけですな。
アベルが実際に怨みつらみを言った描写はなかったですけど、「あなたの弟の血がその土地からわたしに叫んでいる」「その土地は呪われてしまったので、何も生むことはない」という第四章の表現から、兄カインや両親の住む土地を呪ったのはアベルということになりますので、やっぱり相当恨んでたんでしょう。
アブラムは先祖4人分の購いに失敗したから、彼らの分まで咎を負うことになった、とまあこういうわけですね。
あるいは単純に、 和解・贖罪・罪過・全焼、と4種類の生け贄ぜんぶに失敗したからかもしれません。
あと、「4代目」まで満ちることはないと言われた「エモリ人の咎」も気になります。
計算方法としては単純に
「1代を100年として×4で400年」
かもしれませんし、
「アダムから10代目のノア(唯一『全焼のいけにえ』に成功した人物)から更に10代目なので10×10で100年、それを4人分ないし4代分償うので100年×4」
かもしれませんし、それともこのあとの話になりますが
「望み通りアブラムに子供が生まれるのがアブラム100歳のときなので100年×4」
かもしれません。
考え方は色々ですな。
…個人的にはですけれども、生け贄にされた動物たちもなかなか意味深だなーと思ったりします。
雌牛は女神イシュタルの象徴で、満月と共に女性のモチーフになっています。月は死と成長、そして女性の月経の表現も担います。豊穣、愛欲、戦などを司り、イシス、アフロディーテなど各文明の豊穣女神の雛形ともいえる女神さまです。
雌山羊は、前回でも少し触れました女神アスタルテととても深い関係があります。角が生えているので雌牛とされる場合もありますが、おそらく現代に至るまで山羊のイメージの方が強く付いていると思われます。ちなみにアスタルテをモデルに生まれたギリシャのアフロディーテも雌山羊に乗った姿で描かれたりします
(「クトゥルフ神話」には、アスタルテをはじめとする古代からの豊穣女神をモデルにした外なる神の一柱「シュブ=ニグラス」がいます。「千匹の仔を孕みし森の黒山羊」「万物の母」などの異名を持っていて、ワルプルギスの夜に祀られる悪魔の原型ではないかとも言われているそうな。)
繁殖の神であると同時に死者の霊魂を治める役割も持っていたアスタルテは、天に住んでいると思われていて「星の女王」と呼ばれることもあります。子供である星に囲まれているとして「月」が彼女の本体とする場合もあります。このあたりはイシュタルに引き継がれていますね。
また雌山羊は星座の御者座にも描かれています。古代エジプトがシリウスを見て暦を決めていたのと同じように、古代メソポタミアは御者座の一等星カペラを見て新年を決めていました。カペラは「雌の子ヤギ」という意味です。ラテン語のカプラから来ています。
5000年前のメソポタミアの頃からヤギを抱いたおじさんの絵が描かれており、それがのちにギリシャに渡って御者座と名付けられたと言うわけです。
カペラはのちのギリシャ神話で、ゼウスを育てた乳母であるアマルティアとなります。父クロノスから逃れてきた赤ん坊のゼウスは、クレタ島のイーデー山の洞窟でアマルティアに乳をもらって育ちます。(アマルティアはニンフの姿で、山羊の乳を飲ませて育てたとすることもあります)
雄羊は、以前ニムロデのことを調べたときに出てきたドゥムジが牧羊の神でした。
http://katzeundgeige.blog.shinobi.jp/mouso/聖書を楽しむ【7】
シュメールの中でも古い神に属するドゥムジは、アッカドではタンムズ、エジプトでは創造神クヌム、フェニキアではアドニスです。アドニスはのちにギリシャに渡ってアフロディーテの愛人になります。
母セミラミスの処女受胎も手伝って、イエス・キリストの雛形とも言える神ですね。
クヌムはエジプト内のある宗派では唯一の創造神として扱われるほどの力を持っていた神さまで、のちに主権を握る太陽神ラーが冥界を渡るときに雄羊の姿になるのは、この古い信仰の名残とされています。エジプトでは、羊は太陽と深く結びつけられていたようです。 更に後に主権を握る太陽神アメン(アモン)も、新王国時代( 紀元前1570年頃~紀元前1070年頃)には雄羊の姿をとるようになります。アメンは「神々の主」とされ、のちのギリシャではゼウス、ローマではユピテルと同一視されます。
「悪魔はあんまり知らないけど、この絵は見たことあるー!」ってくらい有名な《メンデスのバフォメット》も、元はエジプトのメンデスで祀られていた バ・ネブ・デデトという神さまです。ほんとは羊の神さまだったのに、歴史家のヘロドトスさんが山羊だと間違えて書いてしまったせいで、すっかり山羊の悪魔なイメージがついてしまいました。
ちなみに古代バビロニアでは「男」と「羊」が同音異義語「lu」だったそうで、「牡羊座」は昔は「農夫座」だったらしいです。
鳩は、古代シリアでは豊饒と出産を司る女神の聖鳥とされています。その女神とは、先程タンムズのところで名前が出ました、セミラミスです。一応伝説上の女王ということになってますので、神に数えてよいものか微妙ですけども。セミラミスは、アッシリア語で「鳩」を意味します。
セミラミスは半身半魚の大女神デルケト(ペリシテではアタルガティス)の娘です。デルケトは古代シリアの豊穣女神で、月神でもあります。アフロディーテはこの女神の性質も濃く受け継いでいると思われます。(海の泡から生まれたところとか)西洋に伝わる、所謂「人魚」も、元はこの女神だったかもしれません。
その娘であるセミラミスも、地域によっては下半身が鳩の形態をしていたりします。この二柱が信仰されている現地では、魚と鳩の食用は禁止になっていたそうです。ゼウスとヘラを祀った神殿にも金の鳩を戴冠しているセミラミス像があったといいます。
デルケト信仰の中心地は、現在まさにドンパチやっているアレッポ県の、マンビジ(マッブーグ)という町でした。昔のギリシャ人たちにはヒエラポリス・バンビュケ「聖なる都市バンビュケ」と呼ばれました。
第10章でセムの子孫マシュを調べたときに出てきた、コンマゲネ地方ですね。ミュグドニア人も関係しているのでしょうか?
http://katzeundgeige.blog.shinobi.jp/mouso/聖書を楽しむ【10】
デルケトの信仰の儀式はこれまた大宴会を催しての乱痴気騒ぎや自傷行為などが行われるもので、神殿では男根崇拝がされていたとのことです。具体的に言いますと、イチモツをかたどった巨大な像が神殿の前に建ってて、年に一度よじ登るというイベントがあったり、木や青銅で出来た小さなイチモツ像を崇めたりしていたそうな。
そんな女神の娘ですので、セミラミスも結構奔放なお人だったんではないでしょうか。美貌と英知を兼ね備えていた説と贅沢好きで好色で残虐非道だった説があるそうですが、意外とどっちも合ってるかもしれません。デルケトと無名のシリア人、或いは河の神カユストロスとの間に生まれたセミラミスは、生まれて間もなく河辺に捨てられてしまい鳩によって育てられました。(女神さまには子育ては向いてなかったようです)その後成人したセミラミスの伝説は、以前ニムロデの所で述べた通りです。太陽神ニムロデの妻であり、その生まれ変わりであるタンムズの母であるセミラミスは「天の女王」「月の女神」など、他の女神と同じような役割を担います。(一説では、亡くなったとき鳩の姿になって天に昇っていったそうな。)
まとめてみますと、
雌牛…イシュタル(月神、愛欲、戦、豊穣女神)
雌山羊…アスタルテ(月神、繁殖、豊穣女神)
雄羊…ドゥムジ(太陽神、牧神、創造神)
鳩…セミラミス(月神)
アスタルテ≒イシュタル≒デルケト(アタルガティス)
だとすると、セミラミスはその娘。さらにドゥムジ(タンムズ)はセミラミスの息子ですが、イシュタルの夫です。つまりセミラミス=イシュタルで、結局、名前と信仰される所と時代が変わっただけで元々の神は二柱しかいません。
……もしもこの生け贄が、旧体制の神を殺す目的で行われたとしたら如何でしょう。一神教を広めたいこのお話の作者たちにとっては、遥か古代から、それこそ人間史が始まってからずっと崇められてきた神さまたちほど邪魔なものは無いでしょうからね……
ちょっと妄想が過ぎましたね!(爆)
ずいぶん長くなってしまいました。まあとにかく、アブラムの生け贄は失敗しましたので、アブラムの一族にはペナルティが課せられることになりました。
「子孫が400年間、よその国で奴隷にされる」
という内容ですが、しかしながら現時点ではアブラムに子供はおらず、そのことをついさっきまで主に愚痴っていたくらいです。つまりひとまず直系の子孫は与えてくれるということですね。そしてアブラム自身は自分の国をその目で見ることは叶わないけど、天寿を全うして先祖と同じところ…アダムとかノアとか、過去の聖人たちの所に行けるということでしょうか。
(神さまのところまで連れていってもらえたエノクのところまでは行けないということか…)
400年の期間が過ぎたら、君の4代目の子孫が戻ってくる、ということは4代後にはこの土地はアブラム一族のものになるよ、ということですね。
アダム夫婦追い出し案件もそうですが、一応神さまなりにかなり救済措置を取ってくれています。
本来なら「もう二度とこの土地はお前たちのものにはならん」となるところを、400年延ばしただけにしてくれたわけです。
で、日が沈んで真っ暗になった瞬間にどこからともなく煙を吹き出しているかまどと燃えた松明が現れて、切り裂かれた生け贄たちの間を通り抜けた、とあります。
かなりの超常現象です。いきなりかまどと松明がフヨフヨ浮いて現れて、置いてある生肉の間をスーっと通り抜けるってシュールですね…
ちなみにこのとき初めて真っ暗になったってことは、アブラムを襲った「暗黒の恐怖」はやっぱり隠喩的なものなんですかね?
それとも夕暮れ時特有の気味悪さ的な怖さですかね?
諸説ありますが、筆者はどんなつもりで書いたんだろう。
さて、この「火が生け贄の間を通り抜ける」というのは、本当ならアブラムが生け贄を燃やさなきゃいけないはずだったんですが仕方ないので主が自力で生け贄を受け取ったことにした、ということだそうな。
アダムとエバのときも、主は皮の服を渡して生け贄の代わりにしてましたね。世話の焼ける一族です。
無理矢理生け贄を受け取った主は、改めてアブラムに契約を言い渡します。
「わたしはあなたの子孫に、この土地を与えます。
エジプトの川から、あの大きなユーフラテス川まで。
ケニ人、ケナズ人、カデモニ人、ヘテ人、ペリジ人、レファイム人、エモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人を。」
エジプトの川……つまりナイル川でしょうか。そこからユーフラテス川まで君の子孫のものになりますよ、そこに住んでる人々も君らのものですよ、というわけですね。
これまた初めてみる人種がいっぱいです(爆)
もちろん見たことある人種もいますね。第10章で調べといて良かったー。
・ヘテ(カナンの子孫)=ヒッタイト人(アナトリア半島/紀元前1680年頃~紀元前1190年頃)《前1200のカタストロフ》により滅亡=フルリ人?
・ペリジ人…第十三章にちょびっと名前だけ出てきたカナンの先住民。ペリシテ人とは無関係、詳細不明
・レファイム人…第十四章でメソポタミア軍に倒された、アシュロテという町に住んでいた人々、詳細不明
・エモリ人(カナンの子孫)=アムル人(シリア地方ビシュリ山周辺~メソポタミア各地/紀元前20世紀~紀元前13世紀末)バビロン王国などが有名、純血のアムル人は《前1200のカタストロフ》で滅亡
・カナン=フェニキア人(現レバノン/ 紀元前15世紀頃~)
・ギルガシ人(カナンの子孫)=エリコ付近の住人(現ヨルダン川西岸地区の町/紀元前8000年紀~)現パレスチナ自治区
・エブス人(カナンの子孫)=エルサレムの先住民(エルサレム/紀元前1900年より前~)
ほとんどカナンの子孫ですね。
今章初登場なのは ケニ人、ケナズ人、カデモニ人の3種族です。ひとつずつ調べてみます。
ケニ人はパレスチナの遊牧系民族だそうですが、どういう血脈の人々なのかはわかっていません。アラバの涸れ川沿いに移動しながら暮らしていたそうです。
「ケニ」という名前がアラム語の「鍛冶屋」という意味だとか(アダムの息子カインと同じ名前ということですかね)、いやいやヘブライ語の「巣」という意味で彼らが岩の上に住処を築いていたことを指しているんだとか、色々な学者さんが考えているようですが答えは出ていません。
ケナズ人は、これまたよくわかりませんでした。
名前の意味を調べるサイトで見たら、ヘブライ語で「明確な」って意味だったんですが、名前に反して何も明確でないです(爆)
どうやらこの先のアブラムの子孫から出てくる民族名みたいですが、ということはこの時点ではまだ存在してないということですかね?わからん…
カドモニ人もよくわからなかったです。orz
シリア砂漠に住んでたんじゃね?という説もある、遊牧民族だそうです。名前がヘブライ語で「東」という意味なので、東の方にすんでる人たちを指してるのではないかという人もいらっしゃいます。
とりあえずこの3部族はよくわかりませんでした!(爆)
まあ、要はこの時代における「現代」にカナンに住んでる人々はアブラム一族の支配下になるよ、と言いたいんでしょうね。
元々住んでる人たちからしたら、いい迷惑ですね!
では今回はここまでです。
今回の楽曲は17世紀イタリアの作曲家カルロ・ドナート・コッソーニ (1623~1700) 作曲のオラトリオ《アブラハムの犠牲》。
聖ペトロニオ大聖堂のオルガニストやミラノ大聖堂の楽長を勤めたコッソーニの作品です。天使とアブラハムと、まだ出てきてないですけどアブラハムの息子のイサクの対話で話が進みます。
スイスのアインジーデルン修道院 図書館に残されていたそうです。
《アブラハムの犠牲》より サルヴェ・レジーナ・シルヴァルム
https://youtu.be/ReDBJUP8HOs
ではまた次回!
※キリスト教徒でもユダヤ教徒でもイスラム教徒でもプロの考古学者でもないただの一般日本人が、聖書を読んで楽しんでいるだけです。
気になったことは本を読んだりネットで情報を拾ったりしていますが、あくまで一般人が手に入れられる範囲です。
多大なる妄想を含んでいます。本気にしないでください。
○第十五章
これらの出来事の後、主のことばがアブラムの幻に出てきました。
「アブラム、恐れるな。わたしはあなたの盾だ。あなたの受ける報いはとても大きいぞ。」
そこでアブラムは言いました。
「神さま、何をくれるっていうんですか。私には子供がいないんですよ。私の家の相続人は、あのダマスコのエリエゼルになってしまうんでしょうか。」
アブラムは更に言いました。
「見てくださいよ。あなたが子孫をくれないせいで、私の家の奴隷が跡取りになっちゃうじゃないですか。」
すると主の言葉が言いました。
「それはだめだね。あなた自身の子孫が跡を継がなきゃね。」
そして、彼を外に連れ出して言いました。
「さあ、空を見て星を数えてごらん。あなたの子孫はこれくらいになるよ。」
彼は主を信じました。主はそれを彼の義と認めて、言いました。
「わたしはこの地をあなたに与えるために、カルデヤ人のウルからあなたを連れ出した主だ。」
彼(アブラム)は言いました。
「それが私のものだって、どうしたら分かるんですか?」
すると主は彼に言いました。
「わたしのところに、三歳の雌牛と、三歳の雌山羊と、三歳の雄羊と、山鳩とその雛を持ってきなさい。」
彼はそれを全部持ってきて、鳥以外を真っ二つに切り裂き、その半分を互いに向かい合わせにしました。
猛禽がその死体の上に降りてきたので、アブラムはそれらを追い払いました。
日が沈みかかった頃、深い眠りがアブラムを襲いました。そして、ひどい暗黒の恐怖が彼を襲いました。
アブラムに呼び掛けがありました。
「よく覚えておいで。あなたの子孫は自分のものでない国で寄留者となり、奴隷にされ、400年間苦しめられるだろう。しかし彼らが仕える国民をわたしが裁いてあげるから、彼らは多くの財産を持ってそこから出て来るようになる。
あなた自身は平安のうちに、あなたの先祖の元へ行き、長寿を全うして葬られるだろう。
そして四代目の者たちがここに戻ってくる。それはエモリ人の咎が、そのときまで満ちることはないからだ。」
日が沈んで暗闇になったとき、煙の立つかまどと、燃えている松明が、切り裂かれたものの間を通り抜けました。
その日、主はアブラムと契約を結んで言いました。
「わたしはあなたの子孫に、この土地を与えます。
エジプトの川から、あの大きなユーフラテス川まで。
ケニ人、ケナズ人、カデモニ人、ヘテ人、ペリジ人、レファイム人、エモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人を。」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
前章で、カナン人たちの戦争に介入し、図らずもカナンに勝利をもたらしたアブラム。
とりあえず夜にお家に帰ってホッと一息ついておりますと、いきなり主からの直通電話ならぬ直通テレパシーが入ります。
「わたしが付いてるからには怖いもんなしだ。君は大きな報いを受けるよ!」
先程の戦での快進撃のことを言ってるんだと思いますが、どうやらアブラムの頭は違うことで頭がいっぱいなようです。若干やさぐれ気味。話を聞きますと、自分の子供がいないのが憂いの原因だといいます。
このままだと彼のお家にいる奴隷の中の、「ダマスコのエリエゼル」という人が跡取りになってしまうそうです。ダマスカス出身のその奴隷、名前は「わたしは神の助け手」という意味です。ここでは話の中でしか出てこないのでどんな人物かは分かりませんが、アブラムは彼が跡取りになるのは嫌なようです。「あんたが子孫をくれないからだ」と神さまに逆ギレしてます。………アブラムほんとキレやすい人だな。
そんなやさぐれアブラムを、神さまは外にアブラムを連れてきて「あなたの子孫はこの空の星の数くらいになるよ」と慰めました。それを、アブラムは特に反論も無く信じました。
アブラムは(私の印象では)すぐ調子に乗るし、考えなしに行動するし、結構怒りっぽい男ですけれども、良いところがあるとすれば『素直なところ』だと思います。
ある意味、考えなしに動くところも神さまに気に入られた要因かもしれません。
神さまに言われたことは全部まるっと信じられる無垢さ。それが、かつてアダムたちに求められたことであり、信徒に最も求められているとされていることなのでしょう。
彼の『信じる』という行為を主は『義』として認めました。
前章で出てきたメルキセデクさんのところで、『義』は『救い』と同義と書きました。それは恐らく神サイドのことで、人間サイドからすると『義』=『信仰』なのだと思います。
前回書きましたとおり、「義( צֶדֶק / tsedeq)) 」という単語は本来「筋を通す・曲がってないこと・まっすぐなもの」という意味です。
たぶんですけども、人間が信仰を曲げず主を信じる心を無条件で持つことが人間の「義」で、それが主の与える「救い」になると言いたいのではないでしょうか?個人の解釈ですけど。
アブラムの「義」をしかと受け取った神さまは、
「わたしはこの地をあなたに与えるために、カルデヤのウルからあなたを連れ出した主だ」
と言います。
要するに、主っていう一人称は「この世のすべての主人」ってことなんで、そのわたしがこの土地をあなたにあげるためにわざわざカルデヤから呼んだんだから何も心配することないよ、と言いたいのではないかと思います。アブラムの「義(信仰)」に対して、「義(救い)」を与えるってことですかね。
この場合の「救い」は、英雄になっても未だ流浪の身は変わらず(土地の所持者と同盟は組んでいて住めるようにはなっているけど自分の土地は無い)、更に子供がいないのでお家断絶の危機なアブラムに「土地」と「子孫」をもたらすことです。
しかし、いきなり他の人に「この土地は俺のものだって神が言ってる」と言っても、「ハァ?こいつ頭おかしいんじゃねーの?」と言われてきたのでしょう。
現代だって、いきなり外国の人がやってきて同じことを言って居座り出したら、お巡りさんを呼ぶでしょう。
神さまが言ってくれたからって、簡単には安心できません。尚且つ、すでにアブラムは結構大きな一部族の族長です。土地の入手は絶対必要事項でしょう。
そこでアブラムは、他の人間にも「ここカナンの土地はアブラムたちヘブル人のものだ」ということをどうしたら証明できるのか?と尋ねます。ここでこんな質問をすること自体が不信の表れだとして、「この時点でのアブラムはまだ未熟者」とする方もいるようです。シビアですねー。
すると神さまは「三歳の雌牛と、三歳の雌山羊と、三歳の雄羊と、山鳩とその雛」を持ってこいと言いました。ずいぶん細かい指定です。
なんで三歳なのかは、よくわかりませんでした。
でもとあるブログで面白いご意見を見つけまして、3年という期間はイエス・キリストの「公生涯」と関係あるのかな?というものでした。公生涯といいますのは、ただの大工の青年として暮らしていたイエスさんが神さまのゴーサインをもらって聖人活動を始めて、十字架にかけられるまでの期間です。
これを当てはめますと3年という年月は「生け贄になるために必要な期間」と解釈することもできます。
他には、「三段階の成長期間(蘇生、長成、完成)を象徴する」という意見もありました。
あるいは単純に「大人の動物」という指定かもしれませんけども。
しかし神さまは「持ってこい」と言ったきり、その後の指示をくれません。
「神さまの言ってることを証明するためにはどうしたらいい?」の問いに対して、ちょっとヒント少なすぎるんじゃありませんかね神さま?
でも、とりあえず持ってこいと言ったからには「生け贄にして捧げてね」って意味なんだろうなー、とアブラムは頑張って生け贄の儀式をやってみます。
《♪~アブラム3分クッキング~♪》
本日のメニュー:神さまへの生け贄
①まず材料はこちら。三歳の雌牛と雌山羊と雄羊、それに山鳩と雛でございます。脂が乗っていて美味しそうですね。
②材料を真っ二つに切りましょう。でも鳥は小さいので切らずにおきます。
③切った材料を、向かい合わせに置いておきましょう。乱暴にバラバラにしてはいけませんよ。
④はい!これでできあがり!!
…となればよかったんですけど。
そこで思わぬ邪魔が入りました。生肉のにおいに釣られて、猛禽類(タカだのワシだの)がやってきて、死体にたかりだしたのです。せっかくの神さまへの捧げ物を喰われちゃたまりませんから、アブラムは必死で追い払います。
この猛禽類、実は悪魔なのではないかという説もあるようです。イヴを誘惑した蛇とおんなじような、お邪魔キャラですね。この時点では特に記載はないので、勿論普通の猛禽類という可能性もあります。
そしてそのまま夕暮れになりました。タカとかと闘って疲れてしまったんでしょうか、唐突な睡魔がアブラムを襲います。更に眠ってしまったアブラムを「暗黒の恐怖」が襲います。
この「暗黒の恐怖」も、「深く眠ってしまったアブラムの夢に悪魔が現れて襲いかかった」説と、「眠ってしまったアブラムが、起きたら真っ暗で超怖かった」説がありました。
まあ電気も無い真っ暗な荒野にひとりぼっちでいたら、悪魔がいなくても怖いですわ。そんな恐怖の真っ只中にいるアブラムに、呼び掛ける声が聞こえました。
「君の子孫は400年間奴隷にされるよ。でもその後そこから脱出してここに戻ってこれるよ。」
………………
残念ながら、アブラムの生け贄は失敗したようです。
(人によっては成功したとみる方もいらっしゃいますが)
「この土地が自分のものだと証明するための方法」を尋ねたのに、向こう400年は余所者のままで、しかも奴隷に身をやつさなくてはならないなんて、なんて理不尽な。でもこの「400年」にも、どうやら理由がありそうです。
では、どこが失敗だったのか。
この時点では神さまの説明が無さすぎてさっぱりわかりませんが、後々この儀式の正解を教えてくれるところがあるようなのです。レビ記とか。民数記とか。
その章を詳しく調べたいところなのですが、一応この企画では頭から順番に読んでいくことにしていますので、ここでは軽く調べるくらいにしておきます。
まず、生け贄の動物たちを真っ二つに切って向かい合わせに置いたのは正解のようです。
どうやらこの行為には「契約を破ったら自分もこうなっても構いませんよ」という契約遵守に対する決意表明、あるいは自己呪詛の意味があるそうな。
また別の解説では、「堕落して善悪の母体となった人間を裂き、死亡の血を流して聖別することを象徴的に行うという意味がある」とのことです。本来切り裂かれるべきは人間だけど、そのかわりに動物さんたちに犠牲になってもらうというわけですね。(動物カワイソ(´・ω・`) )
使った動物も、神さまの指定通りなので正解です。
さて先程の3分クッキング、②の行程に注目。山鳩とその雛は、小さいのでアブラムは真っ二つにせずにそのまま置いときました。
はい、これはブッブ~。生け贄はぜんぶ切り裂かないとダメなのです。大きさは関係ありません。
ある説では「子供が欲しいあまりに、鳩の雛が可哀想で切り裂けなかった」というのもありました。
もうひとつ、④の行程。半分に切った生け贄をきちんと並べて祭壇に置いて、アブラムは「よし完成!」となりましたが、実はコレ全然完成じゃないです。
ホントはそれに火をつけて焼いて、更に一晩中起きててその火を燃やし続けないといけないんです。猛禽類と闘い疲れてたとしても、寝ちゃったらダメです。
これも、状況がそんなに詳しく書いてないので想像するしかありませんが、「生け贄に火を着けようとしたら猛禽類にめっちゃ邪魔された」説や「普通に生肉をお供えしてたら猛禽類が寄ってきた」説があるみたいです。前説ですと、意図的に火を着けるのを邪魔したということで「この猛禽類は悪魔」ということになるようです。
さて、悪魔に邪魔されたとしても、ただうっかり火を着け忘れたり眠っちゃったりしただけだったとしても、どちらにしても儀式は失敗です。
しかしながら、儀式に失敗したらペナルティがあるなんて「そんなん聞いてないよー!」って思ってしまいそうです。
神さまがアブラムに課したペナルティは「子孫が400年よその国で奴隷になる」ということです。
なんで400年なのかの理由ですが、色々調べてみました。
どうやらこの儀式の目的に秘密があったようです。指定された動物たちをただしく捧げるということが証明の条件だったわけですが、この目的が《過去の人間たちの罪のあがない》だったようなのです。
ちょっと話が逸れますが、一番最初に生け贄の儀式をして、成功したのはノアさんでした。方舟から出てすぐ、「 祭壇を築いて、すべてのきよい家畜とすべてのきよい鳥のうちから幾つかを選びとって《全焼のいけにえ》を捧げ」ました。つまりノアは正解を知ってたわけですな。
この《全焼のいけにえ》という儀式は、神さまに「完全な献身と服従」を示すために行われます。
動物も決まってて「若い雄牛」「雄の子羊」「雄山羊」「鳥(「山鳩」か「家鳩の雛」)」と指定が細かいです。
なぜ雄なのかというと、古代イスラエルが男性社会であり、個人単位でなく家族単位で人々を扱う国だからだそうです。家長である男がその家の女やこどもの責任を取る、という習慣が、そのまま表れたかんじです。
「若い雄牛」が一番高価な捧げ物で、「鳥」は貧しい人が捧げるものだそうです。
今回神さまが指定した
「三歳の雌牛と、三歳の雌山羊と、三歳の雄羊と、山鳩とその雛」
の中で、当てはまるのは山鳩のみです。雄の子羊は「三歳」という条件があるので当てはまるのか微妙ですな。
後々形式化される『生け贄』にはあと何種類かありますが、その中で「雌牛」「雌山羊」「雄羊」を捧げる指定があるものは
○和解のいけにえ
○贖罪のいけにえ
○罪過のいけにえ
です。
「和解のいけにえ」は、『神の恵みに感謝する』ために捧げるものです。 祈りが答えられたことへの感謝を表わしたり、何か予期せぬ良いことがあったときに自発的に捧げたりするそうです。捧げられるものは
牛…雄雌どっちでもいい
羊…雄の子供
山羊…雌
です。
「贖罪のいけにえ」は、『良心から罪を取り除くことで神さまとの関係を回復させる』という目的で捧げられます。知らず知らずのうちに犯してしまった罪を赦してもらうために行うものです。
この生け贄は身分によって動物の指定が細かく決められていて
①偉い祭司が罪を犯したら…若い雄牛
②イスラエルの全会衆(信者たち)が罪を犯したら…若い雄牛
③権力者(王や族長)が罪を犯したら…雄山羊
④一般人が罪を犯したら…「雌山羊」か「雌の子羊」か「山鳩二羽」か「家鳩のひな二羽」か「小麦粉」
となっています。
上記の「贖罪のいけにえ」とはまた違う、「罪過のいけにえ」というものもあります。これは神さまのものに対して罪を犯したり、他の人に傷害や損失を与えたりしてしまったときに捧げられるものです。他のいけにえよりも、民法に近いものを感じます。
「罪過のいけにえ」の捧げ物は「雄羊」と決まっています。他の人間に損害を与えた場合は、それに加えてその賠償もしなくてはなりません。
まとめてみますと、今回神さまが指定した動物は
雌牛…和解
雌山羊…贖罪
雄羊…罪過
山鳩とその雛…全焼 or 贖罪
ということになりますね。
なんか和解の雌牛だけ浮いてるような…
雌牛に関しては、上記の生け贄とはまた別に「赤毛の雌牛の生け贄」というものがありました。
罪を清めたいときに、「くびき(牛車に牛を繋ぐための器具)を背負ったことのない、無傷で欠陥のない赤毛の雌牛」を焼いて、その灰を水に溶かして振りかけるというものです。
あと、人が殺されてその殺人者がだれか分からなくて、町の人全員が罪を問われた場合にも若い雌牛が赦しの生け贄に使われたそうです。
まあお話の中では、この時点では細かく形式が決められてない設定になってますのであんまり意味はないのかも。
とあるブログで拝見した解釈では、このアブラムの生け贄は一番最初に人間がやってしまった
アダム
イブ
カイン
アベル
の罪の償いが目的だったとしていて、これまた面白いと思いました。
・蛇に唆されて神に背き、知恵の実を食べた罪に雌牛(イブ)
・無垢なアダムに知恵の実を食べさせた罪に雌山羊(イブ)
・神に背いて知恵の実を食べた罪に雄羊(アダム)
・アベルを殺した罪に山鳩(カイン)
・殺されたことに対して神を恨んだ罪に山鳩の雛(アベル)
彼らの購いをこの生け贄で完璧にできれば、カナンは名実ともにアブラム一族のものにしてもらえるはずだった、というわけですな。
アベルが実際に怨みつらみを言った描写はなかったですけど、「あなたの弟の血がその土地からわたしに叫んでいる」「その土地は呪われてしまったので、何も生むことはない」という第四章の表現から、兄カインや両親の住む土地を呪ったのはアベルということになりますので、やっぱり相当恨んでたんでしょう。
アブラムは先祖4人分の購いに失敗したから、彼らの分まで咎を負うことになった、とまあこういうわけですね。
あるいは単純に、 和解・贖罪・罪過・全焼、と4種類の生け贄ぜんぶに失敗したからかもしれません。
あと、「4代目」まで満ちることはないと言われた「エモリ人の咎」も気になります。
計算方法としては単純に
「1代を100年として×4で400年」
かもしれませんし、
「アダムから10代目のノア(唯一『全焼のいけにえ』に成功した人物)から更に10代目なので10×10で100年、それを4人分ないし4代分償うので100年×4」
かもしれませんし、それともこのあとの話になりますが
「望み通りアブラムに子供が生まれるのがアブラム100歳のときなので100年×4」
かもしれません。
考え方は色々ですな。
…個人的にはですけれども、生け贄にされた動物たちもなかなか意味深だなーと思ったりします。
雌牛は女神イシュタルの象徴で、満月と共に女性のモチーフになっています。月は死と成長、そして女性の月経の表現も担います。豊穣、愛欲、戦などを司り、イシス、アフロディーテなど各文明の豊穣女神の雛形ともいえる女神さまです。
雌山羊は、前回でも少し触れました女神アスタルテととても深い関係があります。角が生えているので雌牛とされる場合もありますが、おそらく現代に至るまで山羊のイメージの方が強く付いていると思われます。ちなみにアスタルテをモデルに生まれたギリシャのアフロディーテも雌山羊に乗った姿で描かれたりします
(「クトゥルフ神話」には、アスタルテをはじめとする古代からの豊穣女神をモデルにした外なる神の一柱「シュブ=ニグラス」がいます。「千匹の仔を孕みし森の黒山羊」「万物の母」などの異名を持っていて、ワルプルギスの夜に祀られる悪魔の原型ではないかとも言われているそうな。)
繁殖の神であると同時に死者の霊魂を治める役割も持っていたアスタルテは、天に住んでいると思われていて「星の女王」と呼ばれることもあります。子供である星に囲まれているとして「月」が彼女の本体とする場合もあります。このあたりはイシュタルに引き継がれていますね。
また雌山羊は星座の御者座にも描かれています。古代エジプトがシリウスを見て暦を決めていたのと同じように、古代メソポタミアは御者座の一等星カペラを見て新年を決めていました。カペラは「雌の子ヤギ」という意味です。ラテン語のカプラから来ています。
5000年前のメソポタミアの頃からヤギを抱いたおじさんの絵が描かれており、それがのちにギリシャに渡って御者座と名付けられたと言うわけです。
カペラはのちのギリシャ神話で、ゼウスを育てた乳母であるアマルティアとなります。父クロノスから逃れてきた赤ん坊のゼウスは、クレタ島のイーデー山の洞窟でアマルティアに乳をもらって育ちます。(アマルティアはニンフの姿で、山羊の乳を飲ませて育てたとすることもあります)
雄羊は、以前ニムロデのことを調べたときに出てきたドゥムジが牧羊の神でした。
http://katzeundgeige.blog.shinobi.jp/mouso/聖書を楽しむ【7】
シュメールの中でも古い神に属するドゥムジは、アッカドではタンムズ、エジプトでは創造神クヌム、フェニキアではアドニスです。アドニスはのちにギリシャに渡ってアフロディーテの愛人になります。
母セミラミスの処女受胎も手伝って、イエス・キリストの雛形とも言える神ですね。
クヌムはエジプト内のある宗派では唯一の創造神として扱われるほどの力を持っていた神さまで、のちに主権を握る太陽神ラーが冥界を渡るときに雄羊の姿になるのは、この古い信仰の名残とされています。エジプトでは、羊は太陽と深く結びつけられていたようです。 更に後に主権を握る太陽神アメン(アモン)も、新王国時代( 紀元前1570年頃~紀元前1070年頃)には雄羊の姿をとるようになります。アメンは「神々の主」とされ、のちのギリシャではゼウス、ローマではユピテルと同一視されます。
「悪魔はあんまり知らないけど、この絵は見たことあるー!」ってくらい有名な《メンデスのバフォメット》も、元はエジプトのメンデスで祀られていた バ・ネブ・デデトという神さまです。ほんとは羊の神さまだったのに、歴史家のヘロドトスさんが山羊だと間違えて書いてしまったせいで、すっかり山羊の悪魔なイメージがついてしまいました。
ちなみに古代バビロニアでは「男」と「羊」が同音異義語「lu」だったそうで、「牡羊座」は昔は「農夫座」だったらしいです。
鳩は、古代シリアでは豊饒と出産を司る女神の聖鳥とされています。その女神とは、先程タンムズのところで名前が出ました、セミラミスです。一応伝説上の女王ということになってますので、神に数えてよいものか微妙ですけども。セミラミスは、アッシリア語で「鳩」を意味します。
セミラミスは半身半魚の大女神デルケト(ペリシテではアタルガティス)の娘です。デルケトは古代シリアの豊穣女神で、月神でもあります。アフロディーテはこの女神の性質も濃く受け継いでいると思われます。(海の泡から生まれたところとか)西洋に伝わる、所謂「人魚」も、元はこの女神だったかもしれません。
その娘であるセミラミスも、地域によっては下半身が鳩の形態をしていたりします。この二柱が信仰されている現地では、魚と鳩の食用は禁止になっていたそうです。ゼウスとヘラを祀った神殿にも金の鳩を戴冠しているセミラミス像があったといいます。
デルケト信仰の中心地は、現在まさにドンパチやっているアレッポ県の、マンビジ(マッブーグ)という町でした。昔のギリシャ人たちにはヒエラポリス・バンビュケ「聖なる都市バンビュケ」と呼ばれました。
第10章でセムの子孫マシュを調べたときに出てきた、コンマゲネ地方ですね。ミュグドニア人も関係しているのでしょうか?
http://katzeundgeige.blog.shinobi.jp/mouso/聖書を楽しむ【10】
デルケトの信仰の儀式はこれまた大宴会を催しての乱痴気騒ぎや自傷行為などが行われるもので、神殿では男根崇拝がされていたとのことです。具体的に言いますと、イチモツをかたどった巨大な像が神殿の前に建ってて、年に一度よじ登るというイベントがあったり、木や青銅で出来た小さなイチモツ像を崇めたりしていたそうな。
そんな女神の娘ですので、セミラミスも結構奔放なお人だったんではないでしょうか。美貌と英知を兼ね備えていた説と贅沢好きで好色で残虐非道だった説があるそうですが、意外とどっちも合ってるかもしれません。デルケトと無名のシリア人、或いは河の神カユストロスとの間に生まれたセミラミスは、生まれて間もなく河辺に捨てられてしまい鳩によって育てられました。(女神さまには子育ては向いてなかったようです)その後成人したセミラミスの伝説は、以前ニムロデの所で述べた通りです。太陽神ニムロデの妻であり、その生まれ変わりであるタンムズの母であるセミラミスは「天の女王」「月の女神」など、他の女神と同じような役割を担います。(一説では、亡くなったとき鳩の姿になって天に昇っていったそうな。)
まとめてみますと、
雌牛…イシュタル(月神、愛欲、戦、豊穣女神)
雌山羊…アスタルテ(月神、繁殖、豊穣女神)
雄羊…ドゥムジ(太陽神、牧神、創造神)
鳩…セミラミス(月神)
アスタルテ≒イシュタル≒デルケト(アタルガティス)
だとすると、セミラミスはその娘。さらにドゥムジ(タンムズ)はセミラミスの息子ですが、イシュタルの夫です。つまりセミラミス=イシュタルで、結局、名前と信仰される所と時代が変わっただけで元々の神は二柱しかいません。
……もしもこの生け贄が、旧体制の神を殺す目的で行われたとしたら如何でしょう。一神教を広めたいこのお話の作者たちにとっては、遥か古代から、それこそ人間史が始まってからずっと崇められてきた神さまたちほど邪魔なものは無いでしょうからね……
ちょっと妄想が過ぎましたね!(爆)
ずいぶん長くなってしまいました。まあとにかく、アブラムの生け贄は失敗しましたので、アブラムの一族にはペナルティが課せられることになりました。
「子孫が400年間、よその国で奴隷にされる」
という内容ですが、しかしながら現時点ではアブラムに子供はおらず、そのことをついさっきまで主に愚痴っていたくらいです。つまりひとまず直系の子孫は与えてくれるということですね。そしてアブラム自身は自分の国をその目で見ることは叶わないけど、天寿を全うして先祖と同じところ…アダムとかノアとか、過去の聖人たちの所に行けるということでしょうか。
(神さまのところまで連れていってもらえたエノクのところまでは行けないということか…)
400年の期間が過ぎたら、君の4代目の子孫が戻ってくる、ということは4代後にはこの土地はアブラム一族のものになるよ、ということですね。
アダム夫婦追い出し案件もそうですが、一応神さまなりにかなり救済措置を取ってくれています。
本来なら「もう二度とこの土地はお前たちのものにはならん」となるところを、400年延ばしただけにしてくれたわけです。
で、日が沈んで真っ暗になった瞬間にどこからともなく煙を吹き出しているかまどと燃えた松明が現れて、切り裂かれた生け贄たちの間を通り抜けた、とあります。
かなりの超常現象です。いきなりかまどと松明がフヨフヨ浮いて現れて、置いてある生肉の間をスーっと通り抜けるってシュールですね…
ちなみにこのとき初めて真っ暗になったってことは、アブラムを襲った「暗黒の恐怖」はやっぱり隠喩的なものなんですかね?
それとも夕暮れ時特有の気味悪さ的な怖さですかね?
諸説ありますが、筆者はどんなつもりで書いたんだろう。
さて、この「火が生け贄の間を通り抜ける」というのは、本当ならアブラムが生け贄を燃やさなきゃいけないはずだったんですが仕方ないので主が自力で生け贄を受け取ったことにした、ということだそうな。
アダムとエバのときも、主は皮の服を渡して生け贄の代わりにしてましたね。世話の焼ける一族です。
無理矢理生け贄を受け取った主は、改めてアブラムに契約を言い渡します。
「わたしはあなたの子孫に、この土地を与えます。
エジプトの川から、あの大きなユーフラテス川まで。
ケニ人、ケナズ人、カデモニ人、ヘテ人、ペリジ人、レファイム人、エモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人を。」
エジプトの川……つまりナイル川でしょうか。そこからユーフラテス川まで君の子孫のものになりますよ、そこに住んでる人々も君らのものですよ、というわけですね。
これまた初めてみる人種がいっぱいです(爆)
もちろん見たことある人種もいますね。第10章で調べといて良かったー。
・ヘテ(カナンの子孫)=ヒッタイト人(アナトリア半島/紀元前1680年頃~紀元前1190年頃)《前1200のカタストロフ》により滅亡=フルリ人?
・ペリジ人…第十三章にちょびっと名前だけ出てきたカナンの先住民。ペリシテ人とは無関係、詳細不明
・レファイム人…第十四章でメソポタミア軍に倒された、アシュロテという町に住んでいた人々、詳細不明
・エモリ人(カナンの子孫)=アムル人(シリア地方ビシュリ山周辺~メソポタミア各地/紀元前20世紀~紀元前13世紀末)バビロン王国などが有名、純血のアムル人は《前1200のカタストロフ》で滅亡
・カナン=フェニキア人(現レバノン/ 紀元前15世紀頃~)
・ギルガシ人(カナンの子孫)=エリコ付近の住人(現ヨルダン川西岸地区の町/紀元前8000年紀~)現パレスチナ自治区
・エブス人(カナンの子孫)=エルサレムの先住民(エルサレム/紀元前1900年より前~)
ほとんどカナンの子孫ですね。
今章初登場なのは ケニ人、ケナズ人、カデモニ人の3種族です。ひとつずつ調べてみます。
ケニ人はパレスチナの遊牧系民族だそうですが、どういう血脈の人々なのかはわかっていません。アラバの涸れ川沿いに移動しながら暮らしていたそうです。
「ケニ」という名前がアラム語の「鍛冶屋」という意味だとか(アダムの息子カインと同じ名前ということですかね)、いやいやヘブライ語の「巣」という意味で彼らが岩の上に住処を築いていたことを指しているんだとか、色々な学者さんが考えているようですが答えは出ていません。
ケナズ人は、これまたよくわかりませんでした。
名前の意味を調べるサイトで見たら、ヘブライ語で「明確な」って意味だったんですが、名前に反して何も明確でないです(爆)
どうやらこの先のアブラムの子孫から出てくる民族名みたいですが、ということはこの時点ではまだ存在してないということですかね?わからん…
カドモニ人もよくわからなかったです。orz
シリア砂漠に住んでたんじゃね?という説もある、遊牧民族だそうです。名前がヘブライ語で「東」という意味なので、東の方にすんでる人たちを指してるのではないかという人もいらっしゃいます。
とりあえずこの3部族はよくわかりませんでした!(爆)
まあ、要はこの時代における「現代」にカナンに住んでる人々はアブラム一族の支配下になるよ、と言いたいんでしょうね。
元々住んでる人たちからしたら、いい迷惑ですね!
では今回はここまでです。
今回の楽曲は17世紀イタリアの作曲家カルロ・ドナート・コッソーニ (1623~1700) 作曲のオラトリオ《アブラハムの犠牲》。
聖ペトロニオ大聖堂のオルガニストやミラノ大聖堂の楽長を勤めたコッソーニの作品です。天使とアブラハムと、まだ出てきてないですけどアブラハムの息子のイサクの対話で話が進みます。
スイスのアインジーデルン修道院 図書館に残されていたそうです。
《アブラハムの犠牲》より サルヴェ・レジーナ・シルヴァルム
https://youtu.be/ReDBJUP8HOs
ではまた次回!
2018/10/22 (Mon)
今回もとっても長いです!
妄想大爆発!!
※キリスト教徒でもユダヤ教徒でもイスラム教徒でもプロの考古学者でもないただの一般日本人が、聖書を読んで楽しんでいるだけです。
気になったことは本を読んだりネットで情報を拾ったりしていますが、あくまで一般人が手に入れられる範囲です。
多大なる妄想を含んでいます。本気にしないでください。
○第十四章
さて、シヌアルの王アムラフェル、エラサルの王アルヨク、エラムの王ケドルラオメル、ゴイムの王ティデアルの時代の話です。
この王さまたちはソドムの王ベラ、ゴモラの王ビエベル、アデマの王シヌアブ、ツェボイムの王シェムエベル、ベラの王、すなわちツォアルの王と戦いました。
このすべての王たちは連合して、シディムの谷、すなわち今の塩の海に進みました。
彼らは12年間ケドルラオメルに仕えていましたが、13年目に背きました。
14年目に、ケドルラオメルと彼に味方する王たちがやって来て、アシュロテ・カルナイムでレファイム人を、ハムでズジム人を、シャベ・キルヤタイムでエミム人を、セイルの山地でホリ人を打ち破り、砂漠の近くのエル・パランまで進みました。
彼らは引き返して、エン・ミシュパテ、今のカデシュに至り、アマレク人のすべての村落と、ハツァツォン・タマルに住んでいるエモリ人さえも打ち破りました。
そこでソドム、ゴモラ、アデマ、ツェボイム、ベラ(ツォアル)の王が出ていって、シディムの谷で彼らと戦う準備をしました。
シディムの谷にはたくさんの瀝青の穴が散在していたので、ソドムの王とゴモラの王は逃げたときその穴に落ち込み、残りの者は山の方に逃げました。
そこで彼らはソドムとゴモラの全財産と食糧全部を奪いました。
彼らは、ソドムに住んでいたアブラムの甥ロトの全財産も奪いました。
ひとりの逃亡者が、ヘブル人アブラムのところに来てそのことを告げました。アブラムはエモリ人マムレの樫の木のところに住んでいました。マムレはエシュコルとアネルの兄弟で、彼らはアブラムと盟約を結んでいました。
アブラムは自分の親類の者が虜になったのを聞き、彼の家で生まれたしもべたち318人を召集して、ダンまで追跡しました。
夜になって彼と奴隷たちは彼らに向かって展開し、彼らを打ち破り、ダマスコの北にあるホバまで彼らを追跡しました。
そして彼はすべての財産を取り戻し、親類のロトとその財産と、女たちや人々も取り戻しました。
こうしてアブラムがケドルラオメルと、彼と一緒にいた王たちを打ち破って帰った後、ソドムの王は、王の谷と呼ばれるシャベの谷まで彼を迎えに出てきました。
シャレムの王メルキセデクはいと高き神の祭司で、パンとぶどう酒を持ってきて言いました。
「祝福を受けよ。アブラム。
天と地を造られた方、いと高き神より。
あなたの手に、あなたの敵を渡された
いと高き神に、誉れあれ。」
(※原文まま)
アブラムはすべての物の10分の1を彼に与えました。
ソドムの王はアブラムに言いました。
「人々は私に返し、財産はあなたが取ってください。」
しかしアブラムは言いました。
「私は天と地を造られた方、いと高き神、主に誓います。糸一本でも、くつひも一本でも、あなたの所有物から私は何一つ取りません。それはあなたが『アブラムを富ませたのは私だ』と言わないためです。ただ若者たちが食べてしまった物と、私と一緒に行った人々の分け前とは別だ。アネルとエシュコルとマムレには、彼らの分け前を取らせるように。」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
はい、この章はまた読みにくいですねー!!!(泣)
新登場の民族名もキャラも多すぎだし、なんか王さまたくさん出てきて話がいつの間にか壮大になってる!
神さまと人間の話だったはずなのに、国家とか戦争とか出てきて、なんだか雰囲気が変わっています。たぶん、また違う人が書いたんでしょうな。
まあ仕方ありません。一つずつ読んでいきましょう。
えー、まずこの話は
シヌアルの王アムラフェル
エラサルの王アルヨク
エラムの王ケドルラオメル
ゴイムの王ティデアル
の時代の話である、と前置きがついています。
この話が書かれた当時のひとは、これで時代がわかったんでしょうか。紀元後2018年の日本に生きる私にはさっぱり分かりませんので調べてみます。
シヌアルは第10章のニムロデのところでも出てきたし、11章のバベルの塔のところでも出てきましたが、今のイラクのことです。
当時そこの王さまだったというアムラフェルは、一説では都市国家バビロンの6代目王でありバビロニア帝国の初代国王であるハンムラビ(在位:紀元前1792年頃~紀元前1750年頃)と同一視されているようです。しかし同一人物かどうかは未だに分かっていません。最近は、どうやら違うんじゃないかとか言われてるみたいです。
「アムラフェル」はセム系の名前なので、ハム系のアムル人(エモリ人)であるハンムラビは当てはまらない、というわけです。
個人のブログを書いている方で、面白い意見の方もいらっしゃいました。
アッカド王朝の大王ナラム・シンがアムラフェルなのではないか、という説です。
ナラム・シンはアッカド帝国を建国したサルゴン王の孫にあたる人物です。(在位:紀元前2155年~紀元前2119年 学者によって数十~数百年のズレあり)
アッカド人ならセム系なので名前の不一致もないし、可能性はありますね。
彼は祖父のサルゴン亡きあと、叔父と父を経て王位を引き継ぎました。大規模な遠征を繰り返してアッカド帝国を広大にしましたが、その結果反乱に悩まされるようになり、王朝が傾くきっかけをつくったとも言われています。
伝説では、彼がニップルのエンリル神殿を破壊したために神々の怒りを買い、神罰として『山の大蛇(竜)』すなわちグディ人を送り込まれたせいで王国は滅亡することになった、とされています。
(実際には各都市の自立発展による社会変化が原因との説が色濃いですが…)
また、自らを神格化するメソポタミア王の習慣は彼から始まりました。
いずれにしても高慢で暴力的で、賢王とは言い難い扱いで伝えられている王さまですね。
ハンムラビかナラム・シンか定かではありませんが、いずれにしてもバビロニアかアッカドか…南メソポタミアの王さまですね。アムラフェルという人物は、シヌアル(イラク)に当時存在していた帝国の、頂点にいた人物とみられている、ということはわかりました。あるいはどんぴしゃでその人物じゃなくて、ニムロデやメネスのように複数の王さまの要素を集めた架空の人物かもしれません。
ちなみにアムラフェルとは「秘密を話す」という意味みたいです。
その次のエラサルという国は、どこのことだか分かっていません。どこかの都市国家だったんだろう、とはされていますけども。
とあるブログで、エラサルの王アリヨクについて『ヌジ文書はフリ人アルリウクに、マリ文書はイラズルという地名に言及している』と書いてらっしゃるのをちらっと拝見しました。ソースは不明ですが、興味深いので一応調べてみましょう。
「ヌジ文書」とは、イラク北東部のキルクークから南西約16kmのところにあるヌジ(現:ヨルガン・テペ)という所から出土した、楔形文字で書かれた粘土板の文書です。
ヌジ法律とも呼ばれるこの文書には、結婚、養子縁組などの慣習についての規定が書かれた部分があるそうです。 編纂されたのは紀元前15世紀頃と言われています。
ヌジという名前でこの地が呼ばれ出したのも紀元前15世紀くらいからといいますから、想像するに新しい町が出来たとか支配者が変わっただとかそんな理由で「あたらしい法律を作ろう!」と作られた文書なのではないかと思います。素人考えですけども。
それより前、紀元前3000年紀末には、このあたりはガスールと呼ばれていたそうです。
紀元前15世紀頃に書かれた文書はとってもたくさん見つかっていて、数千枚くらい出土しています。これらはフルリ語混じりのアッカド語で書かれていたそうです。
アッカド語は当時の国際共通語でしたから、公的な書類だったのかもしれません。
紀元前15世紀のヌジは、アラプハ王国の一都市だったそうでミタンニ王国の支配下にあり、かなりのフルリ人人口を擁していたといいます。
アラプハ王国は、紀元前16世紀頃にバビロニア崩壊の混乱に乗じてフルリ人が作った国です。同じくフルリ人の国であるミタンニと、大体同じくらいの時期に出来た感じですかね。
アラプハには「イティ・テシュプ」や「イティヤ」などのフルリ人王が君臨したそうです。けれども同じ頃建国されたミタンニほどの大国にはなれなかったアラプハは、紀元前15世紀半ばにミタンニの支配に下ります。(その頃のミタンニ王はサウシュタタル)
その後アラプハは、紀元前14世紀にアッシリア人によって破壊されてしまいました。
アラプハ王国に住んでいた、或いは伝わっていた「アルリウク」というフリ人(フルリ人)が『エラサルの王アリヨク』なのではないかとヌジ文書には書いてある、というわけです。残念ながらアルリウクという人物については資料がなく、どんな人物かは分かりませんでした。
一方、 マリ文書はイラズルという地名に言及している、とあります。 「イラズル」という土地についても、調べてみましたけれども何も分かりませんでした。
癪なので、マリについて少し調べてみます。
マリ文書とは、現在のシリアのユーフラテス川中流にあった都市国家マリの遺跡から発掘された文書です。やはり楔形文字で書かれた粘土板で、その数は2万枚を超えるといいます。こちらもアッカド語を用いた楔形文字で書かれており、その大部分は紀元前18世紀のヤスマハ=アダド王の時代とジムリ=リム王の時代に書かれたものとのことです。内容は大部分がマリ国王に宛てて臣下や西アジア諸国の君主から送られた報告書と書簡で、外交文書、儀式文、歴史記録、商業文書、行政文書などを含み、紀元前2000年紀メソポタミアの歴史や国際情勢を探るのに重要な役割を果たしています。
マリには紀元前5000年紀くらいから人が住んでいたとみられておりますが、都市国家として重要になったのは紀元前3000~紀元前2000年紀くらいです。
元々のマリ人はアッカド人などと同じセム系の民族でした。シュメールはシリア北部の山々から材木や石材などといった建材を輸入していましたが、マリはその中継地点として繁栄しました。
紀元前24世紀頃に一度何者かに破壊されてしまって小さな村になってしまったマリですが、メソポタミアにやってきたアムル人たちの王朝のもと、紀元前1900年頃に再び栄えます。
マリ文書はこの頃書かれたものだとみられています。
一時は勢力圏を現トルコまで広げたマリでしたが、紀元前1759年に再度破壊されてしまいます。滅ぼしたのはバビロン王ハンムラビでした。
その後マリは同じユーフラテス川中流域の都市国家テルカに覇権を奪われ、再び村落となって歴史の表舞台から消えていくことになります。
マリはアッカド人の都市でしたが、その後の王朝はハム系のアムル人(エモリ人) のものなので、住んでた人も大半はアムル人だったかもしれません。或いは、アッカドとアムルの混血だったかも。
ただ、マリの人々はメソポタミアの文化を嗜み(シュメールの特徴である精巧な髪型と服装)、シュメールの神さまを信仰していました。(マリの最高神は西セム系の穀物神で嵐の神ダゴン)文化的にはバビロニアに近かったんですね。
そんな国の跡地から発掘された文書に「イラズル」という土地名があって、そこが「エラサル」と関係あるんじゃないか、というわけです。
その他、ラルサ(古代バビロニアの都市のひとつ)またはテルサル(不明)に関係するんじゃないかという記述もありました。
次のエラムは、そのまんまセムの子孫エラムですね。今のイランです。エラム人の都市国家は紀元前3200年には成立していました。
先程の、シヌアルの王アムラフェルをハンムラビかナラム・シンと仮定した場合。その頃のエラムの王朝と言えば、シュメールのウル第三王朝を滅ぼしたシュマシュキ朝(紀元前2030~紀元前1850年)か、バビロンと度々交戦していたエパルティ朝(紀元前19世紀頃~紀元前1600年)でしょうか。
エラムの王国にケドルラオメルという名前の王がいたという記録は見つかっていませんが、まあこのあたりの王さまのことなのかもしれません。
ちなみにケドルラオメルもハンムラビと同一人物なのではないか?という説があるようですが、よくわかりませんでした。
まあ、要するにくわしくはわかってないんですね(爆)
「しもべクドルと神名ラゴマルの合成語」だと書いてあるサイトがあったのですが、クドルという名前もラゴマルという神も検索して出てこなかったので、これもよく分かりません。情報求む。
その次のゴイムは、その言葉自体は「諸民族」という意味だそうです。ヘブライ語の「ゴイ」がイスラエル民族を指す言葉で、「ゴイム」はその複数形です。
元々は非ユダヤ民族を表す言葉で、別に悪意のある言葉じゃなかったのですが、現在はもっぱら差別用語として使われているそうです。《家畜》《豚》くらいの強い卑下の言葉です。
ゴイムを国名として扱う場合。一説では、ゴイムはグティウムのことを指すとされております。
さっきアムラフェルのところでナラム・シンについて言及したとき出てきた、グディ人のことですね。
メソポタミアに侵入した蛮族として伝わっておりますが、果たしてどんな人々だったのでしょう。
彼らの名前が最初に登場したのは紀元前3000年のシュメールでした。楔形文字で書かれたシュメールの粘土板に、 "Kar-da"あるいは"Qar-da"と呼ばれる土地の名前が見つかっているそうです。
グディ人たちはペルシャとメソポタミアの間、ヴァン湖(トルコ)の南と南東の高山地域を支配していたといいます。
紀元前2400年頃、彼らは現在のイラクにあたる地域に《グティウム王国》を作ります。首都はアラフカという町で、現在のキルクーク(イラク北部の町・油田が有名)です。
彼らはザグロス山脈方面からメソポタミアに侵入し、一時はサルゴン亡きあとのアッカドを押し退けてシュメールを支配するほどの力を持ちます。
グディウムは紀元前2150年くらいにウルクを破り、紀元前2115年あたりにもアッカドの都市を破壊して覇権を握りました。シュメール王名表にはウルク第4王朝とウルク第5王朝の間に19人のグディ人の王が記録されています。
グディ人たちの支配は125年ほど続きましたが、複雑な文明に慣れていなかった彼らは、問題を適切に対処することが出来ず幾度も飢饉に見舞われることになったそうです。
特に運河の管理がうまくできなかったことは致命的でした。メソポタミア文明は、チグリス・ユーフラテス川が雪解け水で定期的に増水することを利用し、運河を整備して豊かな農業収穫を得たことで発達した文明だからです。
グディ人最後の王ティリガンは紀元前2050年頃(紀元前2100年頃との説もあり)、シュメール人のウルク王ウトゥ・ヘガルに倒されたと伝えられています。ティリガンと彼の家族は囚人として捕らえられ、ティリガンはウトゥ・ヘガルの「シュメールを離れグディウムに戻る」という要求を承諾したということです。
ただ、最近の研究では、グディ人は単一の政治集団ではなく勢力範囲も限定的だったと推定されています。
つまりアムラフェルのところで書いたとおり、グディ人のせいでアッカドが滅びたわけではなく、実際にはメソポタミアの各都市が自律的発展を遂げたために社会変化が起こったことが直接の原因だろうというのです。けれども歴史を記す側のシュメール人やアッカド人は、何かのせいにしたかったんでしょうね。
王権は神から与えられるもの、とする宗教観も関係してるのかもしれません。
とりあえず、こののちグディ人はシュメールの地域では「蛮族」として忌み嫌われるものとなりました。
ちなみにグディ人はクルドゥとも呼ばれていたので、現在のクルド人との繋がりが研究されているようです。
そんなグディ人たちの支配する国が、「ゴイム」なのではないかという説です。
グディ人の中に「ティデアル」という王はいませんでしたが、最後の王ティリガンがなんとなく名前の響き似てるような…気がしなくもない。
とあるブログには「ティデアル」という名前がヒッタイト王のトゥダリアスに似てると書かれておりましたが、その王さまとみられる人物はWikipediaではトゥドゥハリヤ1世という名前で載っていました。(名前似てる?かな?)ヒッタイト古王国が成立する前の、紀元前17世紀頃の王です。
ハムの子孫ヘテのところでヒッタイト人については調べましたが、ヒッタイト=フルリ人(ヒビ人)とする説もありましたね。
・ヘテ=ヒッタイト人(アナトリア半島/紀元前1680年頃~紀元前1190年頃)《前1200のカタストロフ》により滅亡=フルリ人?
・ヒビ人=フルリ人(オリエント全域/紀元前3000年紀の終わり頃~紀元前13世紀)ミタンニ王国が有名、 青銅器時代の終わり頃《前1200年のカタストロフ》をきっかけに衰退?
どちらもハムの子孫として10章に載ってました。
仮に候補に入れておくとして、さてこれで4人の王さまについて触れましたね。まとめてみます。
シヌアルの王アムラフェル…バビロニア王国のアムル人or アッカド帝国のアッカド人
エラサルの王アルヨク…ミタンニ王国のフルリ人or マリのアムル人
エラムの王ケドルラオメル…エラム王国のエラム人
ゴイムの王ティデアル…グディウム王国のグディ人 or ヒッタイト王のヒッタイト人 or フルリ人
年代は紀元前22世紀~紀元前18世紀といったところでしょうか。バベルの塔から一気に時代が経ってることがわかりました。
ということは、前章でのエジプトのファラオの年代も、だいぶずれることになります。前章までは時代の手がかりが出てこなかったので、バベルの塔の時代(紀元前3000年あたり)を取り上げました。
でも紀元前22世紀~紀元前18世紀というと、その頃のエジプトといえば古王国時代(紀元前2686年頃~紀元前2185年前後)も終わりを告げて中央集権国家としてのエジプト第6王朝は有名無実になり下がり、そこからエジプト第11王朝(紀元前2134年頃~紀元前1991年頃)に再統一されるまで国情は安定せず、混乱していた時期です。第12王朝(紀元前1991年頃~紀元前1782年頃)には、リビアやクシュなどへの遠征に成功し、活発な建築活動や農地開発が行われましたので、このあたりは豊かな時代だったと言えます。
さて、とりあえずこのあたりの時代に上記の4つの王国は
ソドムの王ベラ
ゴモラの王ビエベル
アデマの王シヌアブ
ツェボイムの王シェムエベル
ベラ(ツォアル)の王
と戦争になった、とあります。
この地名を見て思い出すのは、第10章で紹介していたカナン人の領土についてです。
『カナン人の領土は、シドン(現レバノン・サイダ)からゲラル(現イスラエルのテル・アブ・フレイラ遺跡)に向かってガザ(シナイ半島北東部、東地中海に面するパレスチナの一角)に至り、ソドムとゴモラ( 死海東南部に存在する前期青銅器時代の都市遺跡バブ・エ・ドゥラーとヌメイラ)、アデマ(ソドムとゴモラの姉妹都市。場所不明)とツェボイム( エルサレムの東北東約13kmの所にあるワディ・アブー・ダバー(「ハイエナの父の谷」の意)の可能性あり)に向かってレシャ(場所不明)にまで広がった。 』
と書いてありました。
ソドムとゴモラは隣接している都市で、一説では現代のヨルダン・ハシミテ王国、カラク県に位置します。
場所はわかりませんが、アデマはソドムとゴモラの姉妹都市。
ツェボイムは死海の下に沈んだ古代都市とみる人もいますし、死海南東にある涸れ川に沿った遺跡だとする人もいるようです。
ツォアルは前章でも出てきましたね。死海の近くのシディムの谷という所にあった町、とのことです。
まあつまり、この5つの街はみんなカナン人の街で、この戦争は
アッカド、アムル、フルリ、エラム、グディ、ヒッタイト人など(仮定) VS カナン人
つまり
メソポタミア各国 VS カナン人諸国
というわけです。
カナン人たちは連合軍を組んで、『シディムの谷、すなわち今の塩の海』に進んだとあります。
このお話が書かれた頃には既に死海があって、それより前はそこは「シディム」という名前の谷だった、と伝わっていたということがここでわかりました。
次から、どういう経緯で戦争が始まって、どんな戦いになったかの説明に入ります。
12年間、ケドルラオメル…つまりエラム人に仕えていたカナン人王たちは、13年目に「やってられっか!」と蜂起を起こします。(今まで数百年単位で話が進んでたのに、急に現実的な数字になりましたね)
それで連合軍を組んで、シディムの谷に進軍していったというわけです。
その次の年、ケドルラオメル率いる連合軍が制圧のためにやってきて、次々に土着の人々を倒していったとのことです。その土着の人々ですが、これまた10章のセム、ハム、ヤペテの子孫紹介には載ってない人達ですね。アダムの血族でない人達ですよ、ってことでしょう。
まず、アシュロテ・カルナイムでレファイム人を倒したとありますが、まずアシュロテ・カルナイムってどこやねん。
そのままで検索してもさっぱり出てこなかったので、ちょっと調べるのに時間かかりました。
どうやら『カルナイムのそばのアシュロテ』という意味らしく、トランスヨルダン北部のガリラヤ湖東側にあった古代都市カルナイム(「二つの角」の意)のそばにあった町だそうです。
バシャン(ヨルダン川の東、ヤボク川からヘルモン山までの間、ゲネサレ湖からハウラン山脈までの間の地帯)の地域にあった都市で、一般にガリラヤ湖東約32kmの所にあるテル・アシュタラという遺跡と同定されている………とのことで、カルナイムはその遺跡の近くにあるというシーク・サアドとのことらしいです。ペトラ遺跡のシーク(遺跡の入り口である狭い峡谷)とは関係ないのかな?
ペトラ遺跡はエドム人を調べたところで登場しましたが、 現ヨルダンの死海とアカバ湾の間にある渓谷にある遺跡です。地域的にも近いし、なんか関係あるんでないかな?
アシュロテの町はアッシリア碑文やアマルナ文書の中でも言及されているそうです。
その名前から女神アシュトレテ(アスタルテ、アスタルト)の崇拝地と考えられています。
少々脱線しますが、アシュトレテは地中海各地で信仰された、セム系の豊穣・多産の女神です。ビュブロス(現:レバノン)などで崇拝されまして、イナンナ、イシュタル、アフロディテなどこれまた様々な女神の雛形になっています。女神アナトと同一視されることもあります。
これまでに調べたニンフルサグやセミラミスに続き、また古い女神の登場です。
他の古い神たち(デュオニュソスやニンフルサグなど)と同じく、この女神も崇拝のために性的な乱行の祭りが神殿で行われており、男娼や売春婦が仕えていたそうです。多産や繁栄を司る神にはよくあることですな。
アシュトレテは性器を誇張した裸婦という見た目と、バアルの妻という身分から、カナン地域では主要な異教の神とされました。本来のヘブライ語名は「アシュテレト」ですが、旧約聖書ではこれに「恥」という意味の「ボシェト」の母音を読み込んだ「アシュトレト」の蔑称で書かれます。その複数形「アシュタロト」は、異教の女神を指す普通名詞として用いられます。アシュトレトは後にヨーロッパに渡って、グリモワール(魔術書)の悪魔アスタロトになります。地母神と悪魔の元ネタが同じとは、これまた皮肉な話です。
またアシュトレテは基本は豊穣の女神ですが、エジプト人やフィリスティア人たちの間では戦神として信仰を集めていたようです。
古代エジプトではアースティルティトと呼ばれ、プタハの娘として系譜に加えられました。信仰が始まったのはエジプト第18王朝頃(紀元前1570年~)からだそうです。
まあとりあえず、そんな女神を祀っていた町で、メソポタミア連合軍は「レファイム人」たちを倒したわけです。
レファイム人については、ここではあんまり深く知ることはできませんが、どうやら巨人族のようです。サムエル記、申命記に登場するっぽい。あとで調べてみましょう。
その次にハムという町でズジム人を倒したとのことですが、このハムはノアの息子のハムとは関係ないようです。
どうやらヨルダン川の東側にあった都市らしく、そこから名前をとった「ハム」という名前の村がイルビド(ヨルダン北西部の都市)の約6km南南西、ガリラヤ湖の南端から約30km南東の位置にあるそうな。(今でも在るかは知らん)
ズジム人に関しては何も情報が得られませんでした。そもそもズジム人っていう人種は居るのか謎。
その次に、シャベ・キルヤタイムでエミム人を倒したとあります。シャベは「平地」、キルヤタイムは「二重の町、二つの町」という意味です。
古代ヨルダン川の本流の始まりだったフーラ盆地から西北西約21kmのところにある、キルベト・エル・クレーエという遺跡と同定されているそうな。
マダバ(ヨルダンの都市)の南30kmにあるディボン(現:ジーバーン)から更に約10km西北西にあるクライヤートという町とする説もあるようですが、そこの遺跡は紀元前1世紀より新しいものらしいのでどうやら違うっぽいです。
そこで倒されたエミム人とやらも、これまた巨人の類いのようです。エミムは【恐ろしいもの】という意味らしく、先に出てきたレファイム人を指して「エミム」と呼ぶこともあるそうな。
エミム人を、レファイム人の一支族と考える方もいるようです。
ただしエミム人とレファイム人に関して詳しく出てくるのはもっとずっと先なので、ここは触れずにおきましょう。
快進撃を続けるメソポタミア連合軍、次はセイルの山地(死海とアカバ湾の間の山地)でホリ人を倒します。
セイルは「おぞ気立つ」という意味で、「樹木の茂った丘」を指す説だとか、「戦慄さを覚えて身震いする場所」である意味だとか、色々説があります。
「毛皮のよう」という解釈で「エサウ(超毛深い)が住んだ土地」という説もあるみたいですが、エサウが出てくるのはだいぶ後です。この時点でセイルと呼ばれてるのを鑑みると、後付け設定なんではないでしょうか。
そこで倒されたホリ人は、 ハムの子孫として紹介されていたヒビ人(フルリ人)とみられています。
ヘブライ語の「穴」に由来して「洞窟に住む人々」という意味とみる人もいます。
ちなみにエブス人も人種的にはフルリ人と同じとみる学者さんもいて、そう考えるとヒビ人もホリ人もエブス人も住んでる場所や細かい文化や言語が違うだけでみんな『フルリ人』って言いたいんですかね。
ただし、紀元前2000~紀元前1000年にフルリ人の集落がヨルダンにあった考古学的根拠は無いそうなので、実際のところはよくわかりません。
全く信者でない私からすれば、当時(紀元前1500年頃)オリエント屈指の強国(ミタンニ王国人)だったフルリ人の名前を出すことで、より当時の人々の信仰心を煽りやすくするために差し込んだお話としか思えないのですけど。
一応、過去に調べたヒビ人(フルリ人)とエブス人について。
↓↓↓
聖書を楽しむ【8】(前半)
http://katzeundgeige.blog.shinobi.jp/mouso/%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%82%92%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%82%80%E3%80%908%E3%80%91%EF%BC%881%EF%BC%89
聖書を楽しむ【8】(後半)
http://katzeundgeige.blog.shinobi.jp/mouso/%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%82%92%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%82%80%E3%80%908%E3%80%91%EF%BC%882%EF%BC%89
さて、メソポタミア軍は上記の民たちを打ち倒しつつ『砂漠の近くのエル・パランまで進んだ』そうです。
パランというのは、シナイ半島の中央部と北東部の地域のようです。どうやら一定の境界を持たない漠然としたエリアのことらしいです。砂漠の近く、という説明通り、このあたりは現在はエジプトです。
つまりメソポタミア軍はヨルダン北部から死海の東沿いにずっと南下してきて、死海とアカバ湾の間を通りシナイ半島まで来たというわけです。
そこまで来て、彼らは「エン・ミシュパテ、今のカデシュ」まで引き返したとあります。
カデシュはノアの子孫たちを調べる過程で何回か出てきました。シリアとトルコを流れるオロンテス川沿いの、かつての大都市です。
カデシュは現在のシリア西部の大都市ホムスから24km南西にある場所とのことなので(テル・ネビ・メンドという遺跡がカデシュの跡とされる)、メソポタミア軍はシナイ半島から一気に死海を通り越してシリアの中心部まで進んだことになります。
カデシュが「ミシュパテ」と呼ばれていた時代があったかは残念ながら分かりませんでしたが、カデシュが滅びたのは紀元前12世紀。アナトリアの他の都市と同じように「海の民」に破壊され、その後再建されることはありませんでした。
『今の』と呼ばれているということは、この文章が書かれたときにはカデシュがまだ存在していたということですので、当時は紀元前12世紀よりは確実に前なのだと分かりました。
そのカデシュで、メソポタミア軍は「アマレク人」のすべての村落を破壊します。アマレク人は、アラバ(「乾燥した荒野」の意。ヨルダン地溝帯の一部で、ガリラヤ湖南部から死海を経てアカバ湾までに達する谷)と地中海の間にある、パランという荒れ地に住んでいた古代パレスチナの遊牧民族です。(後にユダヤ人に吸収されて消滅)
更に、「ハツァツォン・タマルに住んでいるエモリ人さえも」打ち破った、とあります。
エモリ人「さえ」という表現が使われているのは、エモリ人が当時どれだけ力を持っていたかが分かれば納得ですね。
10章でカナンの子孫として記載されていましたが、エモリ人は紀元前2000年前半に中東各地で勢力をふるった『アムル人』のことです。どれだけ強力だったかは上記のシヌアルとエラサルのところでも書きましたとおり。紀元前2004年頃にウル第3王朝が滅びたあと、メソポタミア各地に成立した緒王朝…イシンやラルサ、マリ、そしてバビロンは、すべてアムル人たちの国です。
のちにメソポタミア随一の王国となったバビロニアの王、ハンムラビも「アムルの王」を名乗っていたくらいです。
アムル人たちはひとつの民族としてまとまっていたわけではなく、それぞれの地域で都市国家を築いてお互いに覇権を争っていたらしいので、同じ民族同士だからって容赦はしません。
アムラフェルやアルヨクはもしかしたらアムル人だったかもしれないけど、同族だからって見逃すほど優しくはなかったと思われます。
ちなみにその倒されたアムル人たちが住んでいた「ハツァツォン・タマル」とはどこかと申しますと、現イスラエル南東部、死海の西岸にある町エン・ゲディです。(歴代誌Ⅱ20-2より)
いつからエン・ゲディ(「子ヤギの泉」の意)という名前で呼ばれているのかは分かりませんが、 歴代誌の年代からしてソロモン王の時代には既にこの名前だったんではないかと思われます。
エルサレムまで約55km、イスラエル公道90号線沿いにある観光地としても名高いこの町には、死海湖岸にはエン・ゲディ・ビーチ、西郊外にエン・ゲディ国立公園、北郊外にクムラン洞窟(死海文書が発見された所)、南郊外にマサダ要塞(第一次ユダヤ戦争の遺跡)が、町中には近隣のオアシスの水と太陽光を利用したスパがあるなど見所たっぷりです。いつか行ってみたいわー。
まあ、こんなかんじで死海の東側からスタートしてぐるっと回って西側まで、メソポタミア軍はカナン軍の近隣の町村をまるっと制圧したわけです。
こりゃいかんということで、カナン軍も直接対決の準備。直々に王さまが戦場に馳せ参じ、シディムの谷でいざ迎え撃つ構えをとります。
ところがどっこい。
戦いの様子は一切描かれないまま、カナン軍が撤退する様子のみが詳細に説明されます。書くまでもないってことなんでしょうか。まあ大国相手に無茶な戦だったということですかね。
シディムの谷には瀝青…つまり天然アスファルトが採掘された後の穴があちこちにあいていたので、ソドム王とゴモラ王はその穴に落っこちてしまいました。
ほかの仲間は王さまたちを助けることもなく山の方に逃げ(薄情な…)、メソポタミア軍はソドム王とゴモラ王の全財産と食糧をぜんぶ奪いました。
王さまたちが捕まったのですから、彼らの町もメソポタミア軍の支配に墜ちます。ソドムとゴモラはメソポタミア軍の支配下になりました。
そこでやっと出てくるのが、前章でアブラムと袂を分かったアブラムの甥ロトです。
ソドムの近隣にテントを張って住んでいたロトも、ソドムの住人と思われたからなのか知りませんが、メソポタミア軍にすべての財産を没収された上にさらわれてしまいました。
捕虜として使い道がありそうだったからなのか、それとも他の理由があったのか?詳しいところは謎ですが、ロトはここではヒロインの立ち位置です(爆)
この事実を、ひとりの逃亡者がやってきてアブラムに伝えます。もしかしたら命からがら逃げてきたロト家の使用人かもしれません。
このとき初めて、「ヘブル人アブラム」とアブラムに民族名が付きました。
彼がどのタイミングで「俺は今日からヘブル人」と名乗り出したのか、或いは説明はされてないけど伝統的にこの時既にエベルの子孫はそう名乗っていたのかは分かりませんが、やっと「あ、このお話の主人公ってヘブル人なんだー。」ということは分かりました。
ロトと別れてから、アブラムはずっと同じところに住んでいました。でも、ただ何にもしてないわけではなかったようです。
どうやら、その土地の持ち主と同盟を結んでいたらしい。
いくら神さまが「そこの土地みんなおまえにやる」と言ったところで、既に人間社会の中では土地の売買が行われています。
アブラム一族がやってきたヘブロン(現パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区南端)の土地は、そこに生えている樫の木も含め「マムレ」という名前のエモリ人(アムル人)の所有でした。アブラムはマムレと、更にマムレの兄弟エシュコルとアネルと盟約を結び、流浪の身でありながらそこに住む正当な権利を手に入れていました。
どんな盟約かは知り得ませんが、なかなかやり手だなアブラム。
さて、カワイイカワイイ甥っ子が囚われの身となったと聞いたアブラムは、「自分の家で生まれたしもべたち」318人を集めてメソポタミア軍を追跡します。
わざわざ「自分の家で生まれた」と付け加えるということは、よっぽどアブラムが金持ちだって言いたいんですかね。
要は召し使いたちを結婚させて、子供を生ませて、それを300人以上養えるだけの財力がアブラムにはあったんですからね。両親ともアブラムの召し使いだったとしたら、単純計算で親は600人いることになります。(兄弟が多い夫婦がたくさんいればその分少ないですが)
土地の有力者と対等に渡り合ってる時点で想像はつきますが、個人で財を築き尚且つ自衛ができるだけの兵力も持っていたはずですね。
自らの手で鍛え上げた生え抜きの若い戦士たちを引き連れ、アブラムはダンという土地までやってきます。
ダンという名前は後で出てくるのですが、アブラムの子孫のひとりです。彼にちなんでその土地にダンという名前がついたとのことですが、この時点では生まれてないのになんで既にこの名前が登場するんでしょーか。後付けなんじゃない?
とりあえず、 ツォルア(現イスラエルのエルサレム地区、エルサレムから20km、ベト・シェメシュ市の近く)やエシュタオル(「神に訊ねる場所」の意。シェフェラ( パレスチナの中央山岳地帯とフィリスティアの沿岸平原との間に位置する低い丘陵地帯を指す名称)にあったとされる都市)等が、ダンと呼ばれる土地になるようです。
そこまで追いかけていったアブラム軍は、夜になってからメソポタミア軍に襲いかかりました!夜襲は立派な戦略です。少数精鋭で戦しようってんですから、手加減などしてる場合じゃありません。
初戦で勝利をおさめたアブラム軍、さらわれたロトたちを追ってダマスコ…つまりダマスカスまでメソポタミア軍を追い詰めます。
ちなみにWikipediaによりますと、ダマスカスという土地が最初に出てきた文献は紀元前15世紀のエジプトのトトメス3世の残した地理文献にある「T-m-ś-q」と読める文字だそうです。「T-m-ś-q」の語源は不明ですが、アッカド語では「ディマシュカ Dimašqa」、古代エジプト語では「T-ms-ḳw」、古アラム語では「ダマスク Dammaśq דמשק」、聖書ヘブライ語では「ダメセク Dammeśeq דמשק」と呼ばれており、アッカド語のものは紀元前14世紀のアマルナ文書におけるアッカド語文献に出てくるそうな。
そのダマスカスの北にある、ホバというところで再び戦いになります。
学者さんたちはパルミラ(現パルミラ遺跡)とダマスカスの間の道路沿いにある、ホバという泉がその場所なんじゃないかと考えてるようです。
そこで一騎討ちになったアブラムとメソポタミア軍の戦いの様子は、これまた別段深くも語られないまま
「そして彼はすべての財産と、親類のロトとその財産と、女たちや人々(たぶん召し使い)を取り戻しました。」
の一文で済ませられてしまっています。
これまで死海近隣をことごとく制圧したメソポタミア軍をいとも容易く撃ち破ってしまったわけですから、アブラム家はそれだけの強さを持っていた隊だったんですね。とりあえずロトたちの奪還は成功です。
さて、目的を達したのでアブラムが帰ってきたところに、色々な人がお迎えにきました。アブラムは別に戦争をどうにかしようとしたわけではなかったですが、結果的にはメソポタミア軍を個人の所有する部隊で倒してしまったわけなので、《戦争終結の英雄》扱いになります。なんかゲームの主人公によくある設定ですね。
まず、ソドムの王さまが直々にシャベの谷(王の谷)までアブラムを出迎えに来ました。
シャベの谷は、正確な場所はどこか分かっておりませんが、エルサレムの近くとみられているそうです。(ヨセフスはエルサレムから370m離れたところとしている)
と、ここへきていままで欠片も出てこなかった新キャラ登場です。
ソドム王がアブラムを出迎えるよりも先に「シャレムの王メルキセデク」とやらがアブラムと接触したのです。
「シャレム(サレム)」は現在のエルサレムのことを指すそうです。名前の意味は「平和」で、後々ヘブル人たちの国ができてから「神の(エル)」が付いて「エルサレム(神の平和)」という名前になったというわけ。
とりあえずそこの王さまメルキセデクは、王であると同時に「いと高き神」の祭司だったとのことです。つまりはアダムを作って歴代の子孫と契約し、アブラムをここに導いた「主」側の人ってわけですな。
ちなみに、『天と地を造られた方』『いと高き神』っていう宗教曲でもよく使われる御名はここで初登場しました。
実はこのメルキセデクさん、ほんとに人間なのか?という説が色々あるそうな。
Wikipediaには、彼の名前はウガリットの文書に記されていたカナンの神ツェデクに由来していると書いてありましたけども、実際そういう名前の神が信じられていたという資料は見つかりませんでした。
ヘブライ語ではツェデクは「義( צֶדֶק / tsedeq)) 」という意味になります。いずれにしてもちょっと意味深な名前ですね。
神学では、「義」は「救い」と同義と考えてよいそうです。本来は「まっすぐなもの」という意味で、「筋を通す・曲がっていないこと」を指すようです。
また、当時のシャレムに住んでるのはカナン人だったが、ノアの呪いをうけたカナン人たちが主の司祭にはなれないこと。まだキリスト教のキの字もない時代に「パンとぶどう酒」(聖体)というアイテムを引っ提げて、いきなり登場してきたことなども、この人物が只者ではないと思われる要因です。
ちなみにパンとぶどう酒のセットが聖書に初めて出てきたのもこのシーンです。
以上の理由などから、メルキセデクは
〇神そのもの
〇神の使い(天使的な何か)
〇後のイエス・キリスト
なんじゃないのかと議論されているそうです。
まあここでは答えはでないのでスルーします(爆)この疑惑のおっさんは、パンとぶどう酒をアブラムに差し出していきなりこう言いました。
「天と地を作った神さまから祝福でーす。君に敵をくれた神万歳\(^o^)/」
メソポタミア軍はアブラムのために神さまが遣わした試練だったのだと言いたいようです。また、そのままにしておくと勝利に有頂天になって調子に乗り出しそうなアブラムを諌めるために来たとも考えられます。
(アブラムってそういうところあるよね)
「この勝利も神のおかげなんだから調子乗るなよ」 ってわけですね。
パンとぶどう酒を合わせて食べる儀式は、果たしていつからあったのかは分かりませんが、この時代にはとりあえず既にあったようです。一応参考までに過去の記事↓↓↓↓
《羊についてのあれやこれや》
http://katzeundgeige.blog.shinobi.jp/mouso/%E6%9C%AA%E5%B9%B4%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%A7%E7%BE%8A%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%AE%E3%81%82%E3%82%8C%E3%82%84%E3%81%93%E3%82%8C%E3%82%84
ぶどう酒及びぶどうを崇める宗教といえばギリシャのデュオニュソスが有名ですが、ギリシャ神話のなかではデュオニュソスは比較的新しい神さまです。
しかしそれは「ギリシャ神話のなかでは」という話で、アフロディーテやアドニスのように、元々地方の豊穣神だった神さまが後から加えられたからです。
そういう意味では、デュオニュソスはかなり古くから信仰されていた神さまでした。上記のリンクの過去記事でも取り上げた《デュオニュソス祭》の起源はアッティカ(アテネ周辺の地域)のエレウテライで行われていたDionysia ta kat' agrous(おそらくぶどうの木の栽培を祝う祭り)だそうで、元々はデュオニュソスは全然関係ないお祭りだったとみられています。これがいつから始まったかは分かりませんでしたが、デュオニュソスの名前が出てきた一番古い記録はミケーネ文明の時代の文書だそうですので、もしかしたらこの創世記の話が書かれた時には既にデュオニュソス信仰は知られていたかもしれません。(ミケーネ文明…紀元前1450年頃~紀元前1150年頃)
では、パンは?
過去の記事でも調べましたとおり、パンは古代
から《生け贄》の性質を持っています。
人間は農耕を始めるよりも早くから、採ってきた植物を使ってパンを焼いていました。Wikipediaによると、ヨルダンでは約1万4400年前のパンが見つかっているそうな。パン焼き釜で一番古いのはバビロンの、約6000年前のものです。
昔のパンはそのまま食べるものではなく小麦を保存しておく手段で、焼いて保存しておいたパンを貯えておいて、食べるときに水と一緒に土器に入れて煮てお粥にするものでした。
そんなパン文化を大幅に進歩させたのが古代エジプト。穀物神であるオシリスとイシスの名のもと、エジプト人たちはより美味しいパンとビールを作って食べ、それを奉納することが日々の習慣となっていました。
子供の誕生のお祝い、死者の埋葬の儀式にも欠かせないパンは、日本に置き換えたら日々の米とケーキ(誕生日・ウエディング・クリスマス含む)と雛あられと柏餅と鏡餅と千歳飴と落雁etc…をすべて引っくるめて済ませられてしまうくらい重要な食べ物というわけです。
のちにパンを神々の礼拝の儀式で奉納する文化はギリシャに伝わり、狩猟の女神に捧げる用に雄鹿の形をしたパンだとか、血液を練り込んだパンだとかも作られたそうな。
とにかくパンをお供えするのは昔からやっていたことで、別にそれから数千年後にイエスさんが「パンは私の身体ですよ」と言ったから初めてやられるようになったわけではないのです。
同じように、お酒の奉納もずいぶん昔からされていました。(世界的にみればワインに限らず、あらゆる酒が奉納されてたようです)
ですから、私はメルキセデクさんとアブラムのやり取りは以前のノアと神さまの契約と同じように
「既存の儀式をユダヤ教に取り入れるために挿入したエピソード」
と解釈します。そういう意味ではメルキセデクは神そのものでもあるし、天使でもあるでしょうし、イエスのモデルとも言えるでしょう。
彼の名前が「義」という意味ならば、彼は人と神の「救い」の擬人化ということになります。
旧約においての「義」は「神と人の関係を本来の形に戻すための意志」で、アブラムは拐われた甥を助けるために戦っただけだけど結果的には神が用意した試練を見事クリアし、それ以前に神の言う通りにカナンの地を動かず、豊かな土地への移動をしませんでした。
つまり「義」を貫きました。
なので、「義」の使者である司祭が祝福を持ってきた。こう考えると私自身は納得いったんですけど、これは完全に私の妄想なので本気にしないでください(笑)
彼がアブラムに手渡したパンとぶどう酒は神さまに捧げられるものであって、メルキセデクは主に選ばれたアブラムを通して主そのものを拝んでいる、という解釈です。(メルキセデクが主そのものだった場合、自画自賛ということになりますが(爆))
メルキセデクからパンとぶどう酒をもらったアブラムは、「すべての物の10分の1」をメルキセデクに与えました。たぶんアブラムが持ってた全財産ということでしょう。
この「十分の一」という数字は、今でもユダヤ・キリスト教で行われている習慣だそうで、組織を支援するために『自発的に』寄付、租税、徴税として支払われます。現在では現金や株式、小切手による支払いですが、昔は農作物でも支払われたこともあったそうな。
その習慣も、聖書のこのくだりに倣って行われているというわけです。
ここも、「神さまの祝福を得るかわりに手持ちの財産の10%を支払う」という教会のシステムを理由付けするためにお話を挿入したんですかね?(爆)
メルキセデクが帰ると、やっとこソドムの王が登場。
アブラムがメソポタミア軍から奪ったもののうち、「国民は返して欲しいけど、財産はあげる」と超太っ腹な申し出をしました。もちろん、戦闘報酬でしょう。それをアブラムはあっけなく断りました。
さっきメルキセデクに言われたことをちゃんと守ってるんですな。メルキセデクが言ってた「天と地を造られた方、いと高き神」もちゃんと引用してます。
それにしても「神に誓って、あなたからは糸くず1本だって貰うつもりはない」とは、なかなか失礼な返しだと思います(爆)
ただ、一緒に戦ってくれた若い召し使いたちの食料代や、同盟者のマムレとその兄弟アネルとエシュコルの分の報酬はきっちりもらいました。
自分の一存で「神が調子こくなって言ったから、おまえら全員無報酬だ!」とやらない辺りは良いと思います。個人の宗教に赤の他人を巻き込んじゃいけないですよねー。全世界の宗教戦争やってる方々に、改めて考えていただきたいところです。
さて、長すぎましたので今回は楽曲はお休みします。
続きは次回に!
妄想大爆発!!
※キリスト教徒でもユダヤ教徒でもイスラム教徒でもプロの考古学者でもないただの一般日本人が、聖書を読んで楽しんでいるだけです。
気になったことは本を読んだりネットで情報を拾ったりしていますが、あくまで一般人が手に入れられる範囲です。
多大なる妄想を含んでいます。本気にしないでください。
○第十四章
さて、シヌアルの王アムラフェル、エラサルの王アルヨク、エラムの王ケドルラオメル、ゴイムの王ティデアルの時代の話です。
この王さまたちはソドムの王ベラ、ゴモラの王ビエベル、アデマの王シヌアブ、ツェボイムの王シェムエベル、ベラの王、すなわちツォアルの王と戦いました。
このすべての王たちは連合して、シディムの谷、すなわち今の塩の海に進みました。
彼らは12年間ケドルラオメルに仕えていましたが、13年目に背きました。
14年目に、ケドルラオメルと彼に味方する王たちがやって来て、アシュロテ・カルナイムでレファイム人を、ハムでズジム人を、シャベ・キルヤタイムでエミム人を、セイルの山地でホリ人を打ち破り、砂漠の近くのエル・パランまで進みました。
彼らは引き返して、エン・ミシュパテ、今のカデシュに至り、アマレク人のすべての村落と、ハツァツォン・タマルに住んでいるエモリ人さえも打ち破りました。
そこでソドム、ゴモラ、アデマ、ツェボイム、ベラ(ツォアル)の王が出ていって、シディムの谷で彼らと戦う準備をしました。
シディムの谷にはたくさんの瀝青の穴が散在していたので、ソドムの王とゴモラの王は逃げたときその穴に落ち込み、残りの者は山の方に逃げました。
そこで彼らはソドムとゴモラの全財産と食糧全部を奪いました。
彼らは、ソドムに住んでいたアブラムの甥ロトの全財産も奪いました。
ひとりの逃亡者が、ヘブル人アブラムのところに来てそのことを告げました。アブラムはエモリ人マムレの樫の木のところに住んでいました。マムレはエシュコルとアネルの兄弟で、彼らはアブラムと盟約を結んでいました。
アブラムは自分の親類の者が虜になったのを聞き、彼の家で生まれたしもべたち318人を召集して、ダンまで追跡しました。
夜になって彼と奴隷たちは彼らに向かって展開し、彼らを打ち破り、ダマスコの北にあるホバまで彼らを追跡しました。
そして彼はすべての財産を取り戻し、親類のロトとその財産と、女たちや人々も取り戻しました。
こうしてアブラムがケドルラオメルと、彼と一緒にいた王たちを打ち破って帰った後、ソドムの王は、王の谷と呼ばれるシャベの谷まで彼を迎えに出てきました。
シャレムの王メルキセデクはいと高き神の祭司で、パンとぶどう酒を持ってきて言いました。
「祝福を受けよ。アブラム。
天と地を造られた方、いと高き神より。
あなたの手に、あなたの敵を渡された
いと高き神に、誉れあれ。」
(※原文まま)
アブラムはすべての物の10分の1を彼に与えました。
ソドムの王はアブラムに言いました。
「人々は私に返し、財産はあなたが取ってください。」
しかしアブラムは言いました。
「私は天と地を造られた方、いと高き神、主に誓います。糸一本でも、くつひも一本でも、あなたの所有物から私は何一つ取りません。それはあなたが『アブラムを富ませたのは私だ』と言わないためです。ただ若者たちが食べてしまった物と、私と一緒に行った人々の分け前とは別だ。アネルとエシュコルとマムレには、彼らの分け前を取らせるように。」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
はい、この章はまた読みにくいですねー!!!(泣)
新登場の民族名もキャラも多すぎだし、なんか王さまたくさん出てきて話がいつの間にか壮大になってる!
神さまと人間の話だったはずなのに、国家とか戦争とか出てきて、なんだか雰囲気が変わっています。たぶん、また違う人が書いたんでしょうな。
まあ仕方ありません。一つずつ読んでいきましょう。
えー、まずこの話は
シヌアルの王アムラフェル
エラサルの王アルヨク
エラムの王ケドルラオメル
ゴイムの王ティデアル
の時代の話である、と前置きがついています。
この話が書かれた当時のひとは、これで時代がわかったんでしょうか。紀元後2018年の日本に生きる私にはさっぱり分かりませんので調べてみます。
シヌアルは第10章のニムロデのところでも出てきたし、11章のバベルの塔のところでも出てきましたが、今のイラクのことです。
当時そこの王さまだったというアムラフェルは、一説では都市国家バビロンの6代目王でありバビロニア帝国の初代国王であるハンムラビ(在位:紀元前1792年頃~紀元前1750年頃)と同一視されているようです。しかし同一人物かどうかは未だに分かっていません。最近は、どうやら違うんじゃないかとか言われてるみたいです。
「アムラフェル」はセム系の名前なので、ハム系のアムル人(エモリ人)であるハンムラビは当てはまらない、というわけです。
個人のブログを書いている方で、面白い意見の方もいらっしゃいました。
アッカド王朝の大王ナラム・シンがアムラフェルなのではないか、という説です。
ナラム・シンはアッカド帝国を建国したサルゴン王の孫にあたる人物です。(在位:紀元前2155年~紀元前2119年 学者によって数十~数百年のズレあり)
アッカド人ならセム系なので名前の不一致もないし、可能性はありますね。
彼は祖父のサルゴン亡きあと、叔父と父を経て王位を引き継ぎました。大規模な遠征を繰り返してアッカド帝国を広大にしましたが、その結果反乱に悩まされるようになり、王朝が傾くきっかけをつくったとも言われています。
伝説では、彼がニップルのエンリル神殿を破壊したために神々の怒りを買い、神罰として『山の大蛇(竜)』すなわちグディ人を送り込まれたせいで王国は滅亡することになった、とされています。
(実際には各都市の自立発展による社会変化が原因との説が色濃いですが…)
また、自らを神格化するメソポタミア王の習慣は彼から始まりました。
いずれにしても高慢で暴力的で、賢王とは言い難い扱いで伝えられている王さまですね。
ハンムラビかナラム・シンか定かではありませんが、いずれにしてもバビロニアかアッカドか…南メソポタミアの王さまですね。アムラフェルという人物は、シヌアル(イラク)に当時存在していた帝国の、頂点にいた人物とみられている、ということはわかりました。あるいはどんぴしゃでその人物じゃなくて、ニムロデやメネスのように複数の王さまの要素を集めた架空の人物かもしれません。
ちなみにアムラフェルとは「秘密を話す」という意味みたいです。
その次のエラサルという国は、どこのことだか分かっていません。どこかの都市国家だったんだろう、とはされていますけども。
とあるブログで、エラサルの王アリヨクについて『ヌジ文書はフリ人アルリウクに、マリ文書はイラズルという地名に言及している』と書いてらっしゃるのをちらっと拝見しました。ソースは不明ですが、興味深いので一応調べてみましょう。
「ヌジ文書」とは、イラク北東部のキルクークから南西約16kmのところにあるヌジ(現:ヨルガン・テペ)という所から出土した、楔形文字で書かれた粘土板の文書です。
ヌジ法律とも呼ばれるこの文書には、結婚、養子縁組などの慣習についての規定が書かれた部分があるそうです。 編纂されたのは紀元前15世紀頃と言われています。
ヌジという名前でこの地が呼ばれ出したのも紀元前15世紀くらいからといいますから、想像するに新しい町が出来たとか支配者が変わっただとかそんな理由で「あたらしい法律を作ろう!」と作られた文書なのではないかと思います。素人考えですけども。
それより前、紀元前3000年紀末には、このあたりはガスールと呼ばれていたそうです。
紀元前15世紀頃に書かれた文書はとってもたくさん見つかっていて、数千枚くらい出土しています。これらはフルリ語混じりのアッカド語で書かれていたそうです。
アッカド語は当時の国際共通語でしたから、公的な書類だったのかもしれません。
紀元前15世紀のヌジは、アラプハ王国の一都市だったそうでミタンニ王国の支配下にあり、かなりのフルリ人人口を擁していたといいます。
アラプハ王国は、紀元前16世紀頃にバビロニア崩壊の混乱に乗じてフルリ人が作った国です。同じくフルリ人の国であるミタンニと、大体同じくらいの時期に出来た感じですかね。
アラプハには「イティ・テシュプ」や「イティヤ」などのフルリ人王が君臨したそうです。けれども同じ頃建国されたミタンニほどの大国にはなれなかったアラプハは、紀元前15世紀半ばにミタンニの支配に下ります。(その頃のミタンニ王はサウシュタタル)
その後アラプハは、紀元前14世紀にアッシリア人によって破壊されてしまいました。
アラプハ王国に住んでいた、或いは伝わっていた「アルリウク」というフリ人(フルリ人)が『エラサルの王アリヨク』なのではないかとヌジ文書には書いてある、というわけです。残念ながらアルリウクという人物については資料がなく、どんな人物かは分かりませんでした。
一方、 マリ文書はイラズルという地名に言及している、とあります。 「イラズル」という土地についても、調べてみましたけれども何も分かりませんでした。
癪なので、マリについて少し調べてみます。
マリ文書とは、現在のシリアのユーフラテス川中流にあった都市国家マリの遺跡から発掘された文書です。やはり楔形文字で書かれた粘土板で、その数は2万枚を超えるといいます。こちらもアッカド語を用いた楔形文字で書かれており、その大部分は紀元前18世紀のヤスマハ=アダド王の時代とジムリ=リム王の時代に書かれたものとのことです。内容は大部分がマリ国王に宛てて臣下や西アジア諸国の君主から送られた報告書と書簡で、外交文書、儀式文、歴史記録、商業文書、行政文書などを含み、紀元前2000年紀メソポタミアの歴史や国際情勢を探るのに重要な役割を果たしています。
マリには紀元前5000年紀くらいから人が住んでいたとみられておりますが、都市国家として重要になったのは紀元前3000~紀元前2000年紀くらいです。
元々のマリ人はアッカド人などと同じセム系の民族でした。シュメールはシリア北部の山々から材木や石材などといった建材を輸入していましたが、マリはその中継地点として繁栄しました。
紀元前24世紀頃に一度何者かに破壊されてしまって小さな村になってしまったマリですが、メソポタミアにやってきたアムル人たちの王朝のもと、紀元前1900年頃に再び栄えます。
マリ文書はこの頃書かれたものだとみられています。
一時は勢力圏を現トルコまで広げたマリでしたが、紀元前1759年に再度破壊されてしまいます。滅ぼしたのはバビロン王ハンムラビでした。
その後マリは同じユーフラテス川中流域の都市国家テルカに覇権を奪われ、再び村落となって歴史の表舞台から消えていくことになります。
マリはアッカド人の都市でしたが、その後の王朝はハム系のアムル人(エモリ人) のものなので、住んでた人も大半はアムル人だったかもしれません。或いは、アッカドとアムルの混血だったかも。
ただ、マリの人々はメソポタミアの文化を嗜み(シュメールの特徴である精巧な髪型と服装)、シュメールの神さまを信仰していました。(マリの最高神は西セム系の穀物神で嵐の神ダゴン)文化的にはバビロニアに近かったんですね。
そんな国の跡地から発掘された文書に「イラズル」という土地名があって、そこが「エラサル」と関係あるんじゃないか、というわけです。
その他、ラルサ(古代バビロニアの都市のひとつ)またはテルサル(不明)に関係するんじゃないかという記述もありました。
次のエラムは、そのまんまセムの子孫エラムですね。今のイランです。エラム人の都市国家は紀元前3200年には成立していました。
先程の、シヌアルの王アムラフェルをハンムラビかナラム・シンと仮定した場合。その頃のエラムの王朝と言えば、シュメールのウル第三王朝を滅ぼしたシュマシュキ朝(紀元前2030~紀元前1850年)か、バビロンと度々交戦していたエパルティ朝(紀元前19世紀頃~紀元前1600年)でしょうか。
エラムの王国にケドルラオメルという名前の王がいたという記録は見つかっていませんが、まあこのあたりの王さまのことなのかもしれません。
ちなみにケドルラオメルもハンムラビと同一人物なのではないか?という説があるようですが、よくわかりませんでした。
まあ、要するにくわしくはわかってないんですね(爆)
「しもべクドルと神名ラゴマルの合成語」だと書いてあるサイトがあったのですが、クドルという名前もラゴマルという神も検索して出てこなかったので、これもよく分かりません。情報求む。
その次のゴイムは、その言葉自体は「諸民族」という意味だそうです。ヘブライ語の「ゴイ」がイスラエル民族を指す言葉で、「ゴイム」はその複数形です。
元々は非ユダヤ民族を表す言葉で、別に悪意のある言葉じゃなかったのですが、現在はもっぱら差別用語として使われているそうです。《家畜》《豚》くらいの強い卑下の言葉です。
ゴイムを国名として扱う場合。一説では、ゴイムはグティウムのことを指すとされております。
さっきアムラフェルのところでナラム・シンについて言及したとき出てきた、グディ人のことですね。
メソポタミアに侵入した蛮族として伝わっておりますが、果たしてどんな人々だったのでしょう。
彼らの名前が最初に登場したのは紀元前3000年のシュメールでした。楔形文字で書かれたシュメールの粘土板に、 "Kar-da"あるいは"Qar-da"と呼ばれる土地の名前が見つかっているそうです。
グディ人たちはペルシャとメソポタミアの間、ヴァン湖(トルコ)の南と南東の高山地域を支配していたといいます。
紀元前2400年頃、彼らは現在のイラクにあたる地域に《グティウム王国》を作ります。首都はアラフカという町で、現在のキルクーク(イラク北部の町・油田が有名)です。
彼らはザグロス山脈方面からメソポタミアに侵入し、一時はサルゴン亡きあとのアッカドを押し退けてシュメールを支配するほどの力を持ちます。
グディウムは紀元前2150年くらいにウルクを破り、紀元前2115年あたりにもアッカドの都市を破壊して覇権を握りました。シュメール王名表にはウルク第4王朝とウルク第5王朝の間に19人のグディ人の王が記録されています。
グディ人たちの支配は125年ほど続きましたが、複雑な文明に慣れていなかった彼らは、問題を適切に対処することが出来ず幾度も飢饉に見舞われることになったそうです。
特に運河の管理がうまくできなかったことは致命的でした。メソポタミア文明は、チグリス・ユーフラテス川が雪解け水で定期的に増水することを利用し、運河を整備して豊かな農業収穫を得たことで発達した文明だからです。
グディ人最後の王ティリガンは紀元前2050年頃(紀元前2100年頃との説もあり)、シュメール人のウルク王ウトゥ・ヘガルに倒されたと伝えられています。ティリガンと彼の家族は囚人として捕らえられ、ティリガンはウトゥ・ヘガルの「シュメールを離れグディウムに戻る」という要求を承諾したということです。
ただ、最近の研究では、グディ人は単一の政治集団ではなく勢力範囲も限定的だったと推定されています。
つまりアムラフェルのところで書いたとおり、グディ人のせいでアッカドが滅びたわけではなく、実際にはメソポタミアの各都市が自律的発展を遂げたために社会変化が起こったことが直接の原因だろうというのです。けれども歴史を記す側のシュメール人やアッカド人は、何かのせいにしたかったんでしょうね。
王権は神から与えられるもの、とする宗教観も関係してるのかもしれません。
とりあえず、こののちグディ人はシュメールの地域では「蛮族」として忌み嫌われるものとなりました。
ちなみにグディ人はクルドゥとも呼ばれていたので、現在のクルド人との繋がりが研究されているようです。
そんなグディ人たちの支配する国が、「ゴイム」なのではないかという説です。
グディ人の中に「ティデアル」という王はいませんでしたが、最後の王ティリガンがなんとなく名前の響き似てるような…気がしなくもない。
とあるブログには「ティデアル」という名前がヒッタイト王のトゥダリアスに似てると書かれておりましたが、その王さまとみられる人物はWikipediaではトゥドゥハリヤ1世という名前で載っていました。(名前似てる?かな?)ヒッタイト古王国が成立する前の、紀元前17世紀頃の王です。
ハムの子孫ヘテのところでヒッタイト人については調べましたが、ヒッタイト=フルリ人(ヒビ人)とする説もありましたね。
・ヘテ=ヒッタイト人(アナトリア半島/紀元前1680年頃~紀元前1190年頃)《前1200のカタストロフ》により滅亡=フルリ人?
・ヒビ人=フルリ人(オリエント全域/紀元前3000年紀の終わり頃~紀元前13世紀)ミタンニ王国が有名、 青銅器時代の終わり頃《前1200年のカタストロフ》をきっかけに衰退?
どちらもハムの子孫として10章に載ってました。
仮に候補に入れておくとして、さてこれで4人の王さまについて触れましたね。まとめてみます。
シヌアルの王アムラフェル…バビロニア王国のアムル人or アッカド帝国のアッカド人
エラサルの王アルヨク…ミタンニ王国のフルリ人or マリのアムル人
エラムの王ケドルラオメル…エラム王国のエラム人
ゴイムの王ティデアル…グディウム王国のグディ人 or ヒッタイト王のヒッタイト人 or フルリ人
年代は紀元前22世紀~紀元前18世紀といったところでしょうか。バベルの塔から一気に時代が経ってることがわかりました。
ということは、前章でのエジプトのファラオの年代も、だいぶずれることになります。前章までは時代の手がかりが出てこなかったので、バベルの塔の時代(紀元前3000年あたり)を取り上げました。
でも紀元前22世紀~紀元前18世紀というと、その頃のエジプトといえば古王国時代(紀元前2686年頃~紀元前2185年前後)も終わりを告げて中央集権国家としてのエジプト第6王朝は有名無実になり下がり、そこからエジプト第11王朝(紀元前2134年頃~紀元前1991年頃)に再統一されるまで国情は安定せず、混乱していた時期です。第12王朝(紀元前1991年頃~紀元前1782年頃)には、リビアやクシュなどへの遠征に成功し、活発な建築活動や農地開発が行われましたので、このあたりは豊かな時代だったと言えます。
さて、とりあえずこのあたりの時代に上記の4つの王国は
ソドムの王ベラ
ゴモラの王ビエベル
アデマの王シヌアブ
ツェボイムの王シェムエベル
ベラ(ツォアル)の王
と戦争になった、とあります。
この地名を見て思い出すのは、第10章で紹介していたカナン人の領土についてです。
『カナン人の領土は、シドン(現レバノン・サイダ)からゲラル(現イスラエルのテル・アブ・フレイラ遺跡)に向かってガザ(シナイ半島北東部、東地中海に面するパレスチナの一角)に至り、ソドムとゴモラ( 死海東南部に存在する前期青銅器時代の都市遺跡バブ・エ・ドゥラーとヌメイラ)、アデマ(ソドムとゴモラの姉妹都市。場所不明)とツェボイム( エルサレムの東北東約13kmの所にあるワディ・アブー・ダバー(「ハイエナの父の谷」の意)の可能性あり)に向かってレシャ(場所不明)にまで広がった。 』
と書いてありました。
ソドムとゴモラは隣接している都市で、一説では現代のヨルダン・ハシミテ王国、カラク県に位置します。
場所はわかりませんが、アデマはソドムとゴモラの姉妹都市。
ツェボイムは死海の下に沈んだ古代都市とみる人もいますし、死海南東にある涸れ川に沿った遺跡だとする人もいるようです。
ツォアルは前章でも出てきましたね。死海の近くのシディムの谷という所にあった町、とのことです。
まあつまり、この5つの街はみんなカナン人の街で、この戦争は
アッカド、アムル、フルリ、エラム、グディ、ヒッタイト人など(仮定) VS カナン人
つまり
メソポタミア各国 VS カナン人諸国
というわけです。
カナン人たちは連合軍を組んで、『シディムの谷、すなわち今の塩の海』に進んだとあります。
このお話が書かれた頃には既に死海があって、それより前はそこは「シディム」という名前の谷だった、と伝わっていたということがここでわかりました。
次から、どういう経緯で戦争が始まって、どんな戦いになったかの説明に入ります。
12年間、ケドルラオメル…つまりエラム人に仕えていたカナン人王たちは、13年目に「やってられっか!」と蜂起を起こします。(今まで数百年単位で話が進んでたのに、急に現実的な数字になりましたね)
それで連合軍を組んで、シディムの谷に進軍していったというわけです。
その次の年、ケドルラオメル率いる連合軍が制圧のためにやってきて、次々に土着の人々を倒していったとのことです。その土着の人々ですが、これまた10章のセム、ハム、ヤペテの子孫紹介には載ってない人達ですね。アダムの血族でない人達ですよ、ってことでしょう。
まず、アシュロテ・カルナイムでレファイム人を倒したとありますが、まずアシュロテ・カルナイムってどこやねん。
そのままで検索してもさっぱり出てこなかったので、ちょっと調べるのに時間かかりました。
どうやら『カルナイムのそばのアシュロテ』という意味らしく、トランスヨルダン北部のガリラヤ湖東側にあった古代都市カルナイム(「二つの角」の意)のそばにあった町だそうです。
バシャン(ヨルダン川の東、ヤボク川からヘルモン山までの間、ゲネサレ湖からハウラン山脈までの間の地帯)の地域にあった都市で、一般にガリラヤ湖東約32kmの所にあるテル・アシュタラという遺跡と同定されている………とのことで、カルナイムはその遺跡の近くにあるというシーク・サアドとのことらしいです。ペトラ遺跡のシーク(遺跡の入り口である狭い峡谷)とは関係ないのかな?
ペトラ遺跡はエドム人を調べたところで登場しましたが、 現ヨルダンの死海とアカバ湾の間にある渓谷にある遺跡です。地域的にも近いし、なんか関係あるんでないかな?
アシュロテの町はアッシリア碑文やアマルナ文書の中でも言及されているそうです。
その名前から女神アシュトレテ(アスタルテ、アスタルト)の崇拝地と考えられています。
少々脱線しますが、アシュトレテは地中海各地で信仰された、セム系の豊穣・多産の女神です。ビュブロス(現:レバノン)などで崇拝されまして、イナンナ、イシュタル、アフロディテなどこれまた様々な女神の雛形になっています。女神アナトと同一視されることもあります。
これまでに調べたニンフルサグやセミラミスに続き、また古い女神の登場です。
他の古い神たち(デュオニュソスやニンフルサグなど)と同じく、この女神も崇拝のために性的な乱行の祭りが神殿で行われており、男娼や売春婦が仕えていたそうです。多産や繁栄を司る神にはよくあることですな。
アシュトレテは性器を誇張した裸婦という見た目と、バアルの妻という身分から、カナン地域では主要な異教の神とされました。本来のヘブライ語名は「アシュテレト」ですが、旧約聖書ではこれに「恥」という意味の「ボシェト」の母音を読み込んだ「アシュトレト」の蔑称で書かれます。その複数形「アシュタロト」は、異教の女神を指す普通名詞として用いられます。アシュトレトは後にヨーロッパに渡って、グリモワール(魔術書)の悪魔アスタロトになります。地母神と悪魔の元ネタが同じとは、これまた皮肉な話です。
またアシュトレテは基本は豊穣の女神ですが、エジプト人やフィリスティア人たちの間では戦神として信仰を集めていたようです。
古代エジプトではアースティルティトと呼ばれ、プタハの娘として系譜に加えられました。信仰が始まったのはエジプト第18王朝頃(紀元前1570年~)からだそうです。
まあとりあえず、そんな女神を祀っていた町で、メソポタミア連合軍は「レファイム人」たちを倒したわけです。
レファイム人については、ここではあんまり深く知ることはできませんが、どうやら巨人族のようです。サムエル記、申命記に登場するっぽい。あとで調べてみましょう。
その次にハムという町でズジム人を倒したとのことですが、このハムはノアの息子のハムとは関係ないようです。
どうやらヨルダン川の東側にあった都市らしく、そこから名前をとった「ハム」という名前の村がイルビド(ヨルダン北西部の都市)の約6km南南西、ガリラヤ湖の南端から約30km南東の位置にあるそうな。(今でも在るかは知らん)
ズジム人に関しては何も情報が得られませんでした。そもそもズジム人っていう人種は居るのか謎。
その次に、シャベ・キルヤタイムでエミム人を倒したとあります。シャベは「平地」、キルヤタイムは「二重の町、二つの町」という意味です。
古代ヨルダン川の本流の始まりだったフーラ盆地から西北西約21kmのところにある、キルベト・エル・クレーエという遺跡と同定されているそうな。
マダバ(ヨルダンの都市)の南30kmにあるディボン(現:ジーバーン)から更に約10km西北西にあるクライヤートという町とする説もあるようですが、そこの遺跡は紀元前1世紀より新しいものらしいのでどうやら違うっぽいです。
そこで倒されたエミム人とやらも、これまた巨人の類いのようです。エミムは【恐ろしいもの】という意味らしく、先に出てきたレファイム人を指して「エミム」と呼ぶこともあるそうな。
エミム人を、レファイム人の一支族と考える方もいるようです。
ただしエミム人とレファイム人に関して詳しく出てくるのはもっとずっと先なので、ここは触れずにおきましょう。
快進撃を続けるメソポタミア連合軍、次はセイルの山地(死海とアカバ湾の間の山地)でホリ人を倒します。
セイルは「おぞ気立つ」という意味で、「樹木の茂った丘」を指す説だとか、「戦慄さを覚えて身震いする場所」である意味だとか、色々説があります。
「毛皮のよう」という解釈で「エサウ(超毛深い)が住んだ土地」という説もあるみたいですが、エサウが出てくるのはだいぶ後です。この時点でセイルと呼ばれてるのを鑑みると、後付け設定なんではないでしょうか。
そこで倒されたホリ人は、 ハムの子孫として紹介されていたヒビ人(フルリ人)とみられています。
ヘブライ語の「穴」に由来して「洞窟に住む人々」という意味とみる人もいます。
ちなみにエブス人も人種的にはフルリ人と同じとみる学者さんもいて、そう考えるとヒビ人もホリ人もエブス人も住んでる場所や細かい文化や言語が違うだけでみんな『フルリ人』って言いたいんですかね。
ただし、紀元前2000~紀元前1000年にフルリ人の集落がヨルダンにあった考古学的根拠は無いそうなので、実際のところはよくわかりません。
全く信者でない私からすれば、当時(紀元前1500年頃)オリエント屈指の強国(ミタンニ王国人)だったフルリ人の名前を出すことで、より当時の人々の信仰心を煽りやすくするために差し込んだお話としか思えないのですけど。
一応、過去に調べたヒビ人(フルリ人)とエブス人について。
↓↓↓
聖書を楽しむ【8】(前半)
http://katzeundgeige.blog.shinobi.jp/mouso/%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%82%92%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%82%80%E3%80%908%E3%80%91%EF%BC%881%EF%BC%89
聖書を楽しむ【8】(後半)
http://katzeundgeige.blog.shinobi.jp/mouso/%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%82%92%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%82%80%E3%80%908%E3%80%91%EF%BC%882%EF%BC%89
さて、メソポタミア軍は上記の民たちを打ち倒しつつ『砂漠の近くのエル・パランまで進んだ』そうです。
パランというのは、シナイ半島の中央部と北東部の地域のようです。どうやら一定の境界を持たない漠然としたエリアのことらしいです。砂漠の近く、という説明通り、このあたりは現在はエジプトです。
つまりメソポタミア軍はヨルダン北部から死海の東沿いにずっと南下してきて、死海とアカバ湾の間を通りシナイ半島まで来たというわけです。
そこまで来て、彼らは「エン・ミシュパテ、今のカデシュ」まで引き返したとあります。
カデシュはノアの子孫たちを調べる過程で何回か出てきました。シリアとトルコを流れるオロンテス川沿いの、かつての大都市です。
カデシュは現在のシリア西部の大都市ホムスから24km南西にある場所とのことなので(テル・ネビ・メンドという遺跡がカデシュの跡とされる)、メソポタミア軍はシナイ半島から一気に死海を通り越してシリアの中心部まで進んだことになります。
カデシュが「ミシュパテ」と呼ばれていた時代があったかは残念ながら分かりませんでしたが、カデシュが滅びたのは紀元前12世紀。アナトリアの他の都市と同じように「海の民」に破壊され、その後再建されることはありませんでした。
『今の』と呼ばれているということは、この文章が書かれたときにはカデシュがまだ存在していたということですので、当時は紀元前12世紀よりは確実に前なのだと分かりました。
そのカデシュで、メソポタミア軍は「アマレク人」のすべての村落を破壊します。アマレク人は、アラバ(「乾燥した荒野」の意。ヨルダン地溝帯の一部で、ガリラヤ湖南部から死海を経てアカバ湾までに達する谷)と地中海の間にある、パランという荒れ地に住んでいた古代パレスチナの遊牧民族です。(後にユダヤ人に吸収されて消滅)
更に、「ハツァツォン・タマルに住んでいるエモリ人さえも」打ち破った、とあります。
エモリ人「さえ」という表現が使われているのは、エモリ人が当時どれだけ力を持っていたかが分かれば納得ですね。
10章でカナンの子孫として記載されていましたが、エモリ人は紀元前2000年前半に中東各地で勢力をふるった『アムル人』のことです。どれだけ強力だったかは上記のシヌアルとエラサルのところでも書きましたとおり。紀元前2004年頃にウル第3王朝が滅びたあと、メソポタミア各地に成立した緒王朝…イシンやラルサ、マリ、そしてバビロンは、すべてアムル人たちの国です。
のちにメソポタミア随一の王国となったバビロニアの王、ハンムラビも「アムルの王」を名乗っていたくらいです。
アムル人たちはひとつの民族としてまとまっていたわけではなく、それぞれの地域で都市国家を築いてお互いに覇権を争っていたらしいので、同じ民族同士だからって容赦はしません。
アムラフェルやアルヨクはもしかしたらアムル人だったかもしれないけど、同族だからって見逃すほど優しくはなかったと思われます。
ちなみにその倒されたアムル人たちが住んでいた「ハツァツォン・タマル」とはどこかと申しますと、現イスラエル南東部、死海の西岸にある町エン・ゲディです。(歴代誌Ⅱ20-2より)
いつからエン・ゲディ(「子ヤギの泉」の意)という名前で呼ばれているのかは分かりませんが、 歴代誌の年代からしてソロモン王の時代には既にこの名前だったんではないかと思われます。
エルサレムまで約55km、イスラエル公道90号線沿いにある観光地としても名高いこの町には、死海湖岸にはエン・ゲディ・ビーチ、西郊外にエン・ゲディ国立公園、北郊外にクムラン洞窟(死海文書が発見された所)、南郊外にマサダ要塞(第一次ユダヤ戦争の遺跡)が、町中には近隣のオアシスの水と太陽光を利用したスパがあるなど見所たっぷりです。いつか行ってみたいわー。
まあ、こんなかんじで死海の東側からスタートしてぐるっと回って西側まで、メソポタミア軍はカナン軍の近隣の町村をまるっと制圧したわけです。
こりゃいかんということで、カナン軍も直接対決の準備。直々に王さまが戦場に馳せ参じ、シディムの谷でいざ迎え撃つ構えをとります。
ところがどっこい。
戦いの様子は一切描かれないまま、カナン軍が撤退する様子のみが詳細に説明されます。書くまでもないってことなんでしょうか。まあ大国相手に無茶な戦だったということですかね。
シディムの谷には瀝青…つまり天然アスファルトが採掘された後の穴があちこちにあいていたので、ソドム王とゴモラ王はその穴に落っこちてしまいました。
ほかの仲間は王さまたちを助けることもなく山の方に逃げ(薄情な…)、メソポタミア軍はソドム王とゴモラ王の全財産と食糧をぜんぶ奪いました。
王さまたちが捕まったのですから、彼らの町もメソポタミア軍の支配に墜ちます。ソドムとゴモラはメソポタミア軍の支配下になりました。
そこでやっと出てくるのが、前章でアブラムと袂を分かったアブラムの甥ロトです。
ソドムの近隣にテントを張って住んでいたロトも、ソドムの住人と思われたからなのか知りませんが、メソポタミア軍にすべての財産を没収された上にさらわれてしまいました。
捕虜として使い道がありそうだったからなのか、それとも他の理由があったのか?詳しいところは謎ですが、ロトはここではヒロインの立ち位置です(爆)
この事実を、ひとりの逃亡者がやってきてアブラムに伝えます。もしかしたら命からがら逃げてきたロト家の使用人かもしれません。
このとき初めて、「ヘブル人アブラム」とアブラムに民族名が付きました。
彼がどのタイミングで「俺は今日からヘブル人」と名乗り出したのか、或いは説明はされてないけど伝統的にこの時既にエベルの子孫はそう名乗っていたのかは分かりませんが、やっと「あ、このお話の主人公ってヘブル人なんだー。」ということは分かりました。
ロトと別れてから、アブラムはずっと同じところに住んでいました。でも、ただ何にもしてないわけではなかったようです。
どうやら、その土地の持ち主と同盟を結んでいたらしい。
いくら神さまが「そこの土地みんなおまえにやる」と言ったところで、既に人間社会の中では土地の売買が行われています。
アブラム一族がやってきたヘブロン(現パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区南端)の土地は、そこに生えている樫の木も含め「マムレ」という名前のエモリ人(アムル人)の所有でした。アブラムはマムレと、更にマムレの兄弟エシュコルとアネルと盟約を結び、流浪の身でありながらそこに住む正当な権利を手に入れていました。
どんな盟約かは知り得ませんが、なかなかやり手だなアブラム。
さて、カワイイカワイイ甥っ子が囚われの身となったと聞いたアブラムは、「自分の家で生まれたしもべたち」318人を集めてメソポタミア軍を追跡します。
わざわざ「自分の家で生まれた」と付け加えるということは、よっぽどアブラムが金持ちだって言いたいんですかね。
要は召し使いたちを結婚させて、子供を生ませて、それを300人以上養えるだけの財力がアブラムにはあったんですからね。両親ともアブラムの召し使いだったとしたら、単純計算で親は600人いることになります。(兄弟が多い夫婦がたくさんいればその分少ないですが)
土地の有力者と対等に渡り合ってる時点で想像はつきますが、個人で財を築き尚且つ自衛ができるだけの兵力も持っていたはずですね。
自らの手で鍛え上げた生え抜きの若い戦士たちを引き連れ、アブラムはダンという土地までやってきます。
ダンという名前は後で出てくるのですが、アブラムの子孫のひとりです。彼にちなんでその土地にダンという名前がついたとのことですが、この時点では生まれてないのになんで既にこの名前が登場するんでしょーか。後付けなんじゃない?
とりあえず、 ツォルア(現イスラエルのエルサレム地区、エルサレムから20km、ベト・シェメシュ市の近く)やエシュタオル(「神に訊ねる場所」の意。シェフェラ( パレスチナの中央山岳地帯とフィリスティアの沿岸平原との間に位置する低い丘陵地帯を指す名称)にあったとされる都市)等が、ダンと呼ばれる土地になるようです。
そこまで追いかけていったアブラム軍は、夜になってからメソポタミア軍に襲いかかりました!夜襲は立派な戦略です。少数精鋭で戦しようってんですから、手加減などしてる場合じゃありません。
初戦で勝利をおさめたアブラム軍、さらわれたロトたちを追ってダマスコ…つまりダマスカスまでメソポタミア軍を追い詰めます。
ちなみにWikipediaによりますと、ダマスカスという土地が最初に出てきた文献は紀元前15世紀のエジプトのトトメス3世の残した地理文献にある「T-m-ś-q」と読める文字だそうです。「T-m-ś-q」の語源は不明ですが、アッカド語では「ディマシュカ Dimašqa」、古代エジプト語では「T-ms-ḳw」、古アラム語では「ダマスク Dammaśq דמשק」、聖書ヘブライ語では「ダメセク Dammeśeq דמשק」と呼ばれており、アッカド語のものは紀元前14世紀のアマルナ文書におけるアッカド語文献に出てくるそうな。
そのダマスカスの北にある、ホバというところで再び戦いになります。
学者さんたちはパルミラ(現パルミラ遺跡)とダマスカスの間の道路沿いにある、ホバという泉がその場所なんじゃないかと考えてるようです。
そこで一騎討ちになったアブラムとメソポタミア軍の戦いの様子は、これまた別段深くも語られないまま
「そして彼はすべての財産と、親類のロトとその財産と、女たちや人々(たぶん召し使い)を取り戻しました。」
の一文で済ませられてしまっています。
これまで死海近隣をことごとく制圧したメソポタミア軍をいとも容易く撃ち破ってしまったわけですから、アブラム家はそれだけの強さを持っていた隊だったんですね。とりあえずロトたちの奪還は成功です。
さて、目的を達したのでアブラムが帰ってきたところに、色々な人がお迎えにきました。アブラムは別に戦争をどうにかしようとしたわけではなかったですが、結果的にはメソポタミア軍を個人の所有する部隊で倒してしまったわけなので、《戦争終結の英雄》扱いになります。なんかゲームの主人公によくある設定ですね。
まず、ソドムの王さまが直々にシャベの谷(王の谷)までアブラムを出迎えに来ました。
シャベの谷は、正確な場所はどこか分かっておりませんが、エルサレムの近くとみられているそうです。(ヨセフスはエルサレムから370m離れたところとしている)
と、ここへきていままで欠片も出てこなかった新キャラ登場です。
ソドム王がアブラムを出迎えるよりも先に「シャレムの王メルキセデク」とやらがアブラムと接触したのです。
「シャレム(サレム)」は現在のエルサレムのことを指すそうです。名前の意味は「平和」で、後々ヘブル人たちの国ができてから「神の(エル)」が付いて「エルサレム(神の平和)」という名前になったというわけ。
とりあえずそこの王さまメルキセデクは、王であると同時に「いと高き神」の祭司だったとのことです。つまりはアダムを作って歴代の子孫と契約し、アブラムをここに導いた「主」側の人ってわけですな。
ちなみに、『天と地を造られた方』『いと高き神』っていう宗教曲でもよく使われる御名はここで初登場しました。
実はこのメルキセデクさん、ほんとに人間なのか?という説が色々あるそうな。
Wikipediaには、彼の名前はウガリットの文書に記されていたカナンの神ツェデクに由来していると書いてありましたけども、実際そういう名前の神が信じられていたという資料は見つかりませんでした。
ヘブライ語ではツェデクは「義( צֶדֶק / tsedeq)) 」という意味になります。いずれにしてもちょっと意味深な名前ですね。
神学では、「義」は「救い」と同義と考えてよいそうです。本来は「まっすぐなもの」という意味で、「筋を通す・曲がっていないこと」を指すようです。
また、当時のシャレムに住んでるのはカナン人だったが、ノアの呪いをうけたカナン人たちが主の司祭にはなれないこと。まだキリスト教のキの字もない時代に「パンとぶどう酒」(聖体)というアイテムを引っ提げて、いきなり登場してきたことなども、この人物が只者ではないと思われる要因です。
ちなみにパンとぶどう酒のセットが聖書に初めて出てきたのもこのシーンです。
以上の理由などから、メルキセデクは
〇神そのもの
〇神の使い(天使的な何か)
〇後のイエス・キリスト
なんじゃないのかと議論されているそうです。
まあここでは答えはでないのでスルーします(爆)この疑惑のおっさんは、パンとぶどう酒をアブラムに差し出していきなりこう言いました。
「天と地を作った神さまから祝福でーす。君に敵をくれた神万歳\(^o^)/」
メソポタミア軍はアブラムのために神さまが遣わした試練だったのだと言いたいようです。また、そのままにしておくと勝利に有頂天になって調子に乗り出しそうなアブラムを諌めるために来たとも考えられます。
(アブラムってそういうところあるよね)
「この勝利も神のおかげなんだから調子乗るなよ」 ってわけですね。
パンとぶどう酒を合わせて食べる儀式は、果たしていつからあったのかは分かりませんが、この時代にはとりあえず既にあったようです。一応参考までに過去の記事↓↓↓↓
《羊についてのあれやこれや》
http://katzeundgeige.blog.shinobi.jp/mouso/%E6%9C%AA%E5%B9%B4%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%A7%E7%BE%8A%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%AE%E3%81%82%E3%82%8C%E3%82%84%E3%81%93%E3%82%8C%E3%82%84
ぶどう酒及びぶどうを崇める宗教といえばギリシャのデュオニュソスが有名ですが、ギリシャ神話のなかではデュオニュソスは比較的新しい神さまです。
しかしそれは「ギリシャ神話のなかでは」という話で、アフロディーテやアドニスのように、元々地方の豊穣神だった神さまが後から加えられたからです。
そういう意味では、デュオニュソスはかなり古くから信仰されていた神さまでした。上記のリンクの過去記事でも取り上げた《デュオニュソス祭》の起源はアッティカ(アテネ周辺の地域)のエレウテライで行われていたDionysia ta kat' agrous(おそらくぶどうの木の栽培を祝う祭り)だそうで、元々はデュオニュソスは全然関係ないお祭りだったとみられています。これがいつから始まったかは分かりませんでしたが、デュオニュソスの名前が出てきた一番古い記録はミケーネ文明の時代の文書だそうですので、もしかしたらこの創世記の話が書かれた時には既にデュオニュソス信仰は知られていたかもしれません。(ミケーネ文明…紀元前1450年頃~紀元前1150年頃)
では、パンは?
過去の記事でも調べましたとおり、パンは古代
から《生け贄》の性質を持っています。
人間は農耕を始めるよりも早くから、採ってきた植物を使ってパンを焼いていました。Wikipediaによると、ヨルダンでは約1万4400年前のパンが見つかっているそうな。パン焼き釜で一番古いのはバビロンの、約6000年前のものです。
昔のパンはそのまま食べるものではなく小麦を保存しておく手段で、焼いて保存しておいたパンを貯えておいて、食べるときに水と一緒に土器に入れて煮てお粥にするものでした。
そんなパン文化を大幅に進歩させたのが古代エジプト。穀物神であるオシリスとイシスの名のもと、エジプト人たちはより美味しいパンとビールを作って食べ、それを奉納することが日々の習慣となっていました。
子供の誕生のお祝い、死者の埋葬の儀式にも欠かせないパンは、日本に置き換えたら日々の米とケーキ(誕生日・ウエディング・クリスマス含む)と雛あられと柏餅と鏡餅と千歳飴と落雁etc…をすべて引っくるめて済ませられてしまうくらい重要な食べ物というわけです。
のちにパンを神々の礼拝の儀式で奉納する文化はギリシャに伝わり、狩猟の女神に捧げる用に雄鹿の形をしたパンだとか、血液を練り込んだパンだとかも作られたそうな。
とにかくパンをお供えするのは昔からやっていたことで、別にそれから数千年後にイエスさんが「パンは私の身体ですよ」と言ったから初めてやられるようになったわけではないのです。
同じように、お酒の奉納もずいぶん昔からされていました。(世界的にみればワインに限らず、あらゆる酒が奉納されてたようです)
ですから、私はメルキセデクさんとアブラムのやり取りは以前のノアと神さまの契約と同じように
「既存の儀式をユダヤ教に取り入れるために挿入したエピソード」
と解釈します。そういう意味ではメルキセデクは神そのものでもあるし、天使でもあるでしょうし、イエスのモデルとも言えるでしょう。
彼の名前が「義」という意味ならば、彼は人と神の「救い」の擬人化ということになります。
旧約においての「義」は「神と人の関係を本来の形に戻すための意志」で、アブラムは拐われた甥を助けるために戦っただけだけど結果的には神が用意した試練を見事クリアし、それ以前に神の言う通りにカナンの地を動かず、豊かな土地への移動をしませんでした。
つまり「義」を貫きました。
なので、「義」の使者である司祭が祝福を持ってきた。こう考えると私自身は納得いったんですけど、これは完全に私の妄想なので本気にしないでください(笑)
彼がアブラムに手渡したパンとぶどう酒は神さまに捧げられるものであって、メルキセデクは主に選ばれたアブラムを通して主そのものを拝んでいる、という解釈です。(メルキセデクが主そのものだった場合、自画自賛ということになりますが(爆))
メルキセデクからパンとぶどう酒をもらったアブラムは、「すべての物の10分の1」をメルキセデクに与えました。たぶんアブラムが持ってた全財産ということでしょう。
この「十分の一」という数字は、今でもユダヤ・キリスト教で行われている習慣だそうで、組織を支援するために『自発的に』寄付、租税、徴税として支払われます。現在では現金や株式、小切手による支払いですが、昔は農作物でも支払われたこともあったそうな。
その習慣も、聖書のこのくだりに倣って行われているというわけです。
ここも、「神さまの祝福を得るかわりに手持ちの財産の10%を支払う」という教会のシステムを理由付けするためにお話を挿入したんですかね?(爆)
メルキセデクが帰ると、やっとこソドムの王が登場。
アブラムがメソポタミア軍から奪ったもののうち、「国民は返して欲しいけど、財産はあげる」と超太っ腹な申し出をしました。もちろん、戦闘報酬でしょう。それをアブラムはあっけなく断りました。
さっきメルキセデクに言われたことをちゃんと守ってるんですな。メルキセデクが言ってた「天と地を造られた方、いと高き神」もちゃんと引用してます。
それにしても「神に誓って、あなたからは糸くず1本だって貰うつもりはない」とは、なかなか失礼な返しだと思います(爆)
ただ、一緒に戦ってくれた若い召し使いたちの食料代や、同盟者のマムレとその兄弟アネルとエシュコルの分の報酬はきっちりもらいました。
自分の一存で「神が調子こくなって言ったから、おまえら全員無報酬だ!」とやらない辺りは良いと思います。個人の宗教に赤の他人を巻き込んじゃいけないですよねー。全世界の宗教戦争やってる方々に、改めて考えていただきたいところです。
さて、長すぎましたので今回は楽曲はお休みします。
続きは次回に!
2018/10/21 (Sun)
こんにちは。
まだまだ続いておりますこの企画。少しずつですが頑張って続けていきますよ。
※キリスト教徒でもユダヤ教徒でもイスラム教徒でもプロの考古学者でもないただの一般日本人が、聖書を読んで楽しんでいるだけです。
気になったことは本を読んだりネットで情報を拾ったりしていますが、あくまで一般人が手に入れられる範囲です。
多大なる妄想を含んでいます。本気にしないでください。
○第十三章
というわけで、アブラムはエジプトを出てネゲブに行きました。妻と、すべての持ち物と、ロトも一緒でした。
アブラムは家畜と金や銀をたくさん持っていました。
彼はネゲブから旅を続けて、ベテルとアイの間の、最初に天幕を張った所に行きました。つまり彼が祭壇を築いたところで、そこでアブラムは主の名を呼びました。
アブラムと一緒だったロトも羊や牛の群れ、天幕を持っていました。彼らの持つ財産が多すぎたので、この土地は彼らが一緒に住むには狭すぎました。
そのうえ、アブラムの家畜の牧者たちとロトの家畜の牧者たちとの間に争いが起こりました。またその頃、カナン人とペリジ人がその地に住んでいました。
アブラムはロトに言いました。「わたしたちとあなたの間や、わたしの牧者たちとあなたの牧者たちの間に争いがないようにしましょう。わたしたちは身内なのだから。全地はあなたの前にあるではありませんか。どうかわたしと別れてください。あなたが左に行けばわたしは右に行きます。あなたが右に行けばわたしは左に行きましょう。」
ロトがヨルダンの低地全体を見渡すと、主がソドムとゴモラを滅ぼされる前だったので、ツォアル(ゾアル)まで主の園のように、またエジプトの地のように隅々までよく潤っていました。
そこでロトはヨルダンの低地全体を選びとって、そのあと東に移動しました。こうして彼らは互いに別れました。
アブラムはカナンの地に住みましたが、ロトは低地の町々に住んで、ソドムの近くまで天幕を張りました。
ところがソドムの人々はよこしまで、主に対して甚だしい罪人でした。
ロトがアブラムと別れたあと、主はアブラムに言いまし
た。「目をあげて、あなたのいる所から北と南、東と西をすべて見渡しなさい。
あなたが見渡す地を、永久にあなたとあなたの子孫に与えます。
わたしはあなたの子孫を地のちりのように多くします。もし人が地のちりを数えることができるなら、あなたの子孫も数えることができるでしょう。
立って、その地を縦や横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。」
そこでアブラムは天幕を移して、ヘブロンにあるマムレの樫(テレビン)の木のかたわらに住み、そこで主に祭壇を築きました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
前回エジプトで《妻を妹ってことにしてエジプトで玉の輿大作戦!!》を失敗したアブラムは、またゲネブ砂漠に戻ってきました。そこから更にベテルとアイの間の、最初にキャンプしたスタート地点にやって来ました。
宗教的な解釈では、「信仰は一度失敗したら、最初に戻ってやり直すことで回復する」ということだそうです。
アブラムは神さまにカナンをあげるよと言われたのに、飢饉から逃れるために裕福な大国エジプトへ逃げました。生き物の本能としては、生き残るために居住区域を変えることは普通だと思うのですが、このお話の中での『敬虔な信徒』は神の導きが何より大切な生き物です。だから、家族や仲間が飢えて死のうが絶対にこの土地を離れるべきではなかったということです。
エデンで暮らすべく作られ、罰のために荒れ地に放りだされたアダムと同じことですね。
だから神さまに許してもらうために、アブラムはスタート地点の、以前作った祭壇でまたお祈りをしたわけです。このお話の中の人間たちは前提として【お仕置きの真っ最中】なわけなので。
さて、ファラオの王家に入ることはできなかったけど、エジプトではたくさんの財産を手に入れることができたアブラム。今や超金持ちです。
甥っ子のロトも、アブラムに負けず劣らず大量の家畜を手に入れていました。
ベテルとアイの間は3キロくらいの距離しかありません。どんだけたくさんの家畜を持ってたかは知りませんが、この土地には収まりきらなかったんですね。
土地の争いは、かなり昔からありました。人間の歴史が始まったと同時に始まったと言っても過言ではありません。アベルとカインのところで調べたように、古代メソポタミアでは遊牧民と農家が土地の取り合いで争っていたのです。それが遊牧民同士、尚且つ身内同士でも争うようになったわけです。
人口が増えれば、当然人が住む場所も多く必要になります。豊かな生活をしようと思ったら、もっと広々と必要になります。縄張りを守ろうとするのは動物も人間もおんなじですね。人間も動物なんですから当たり前ですが。
ともかく、アブラムとロト、二人がそれぞれ雇っている牧者…家畜の番をするために雇ったひとたちが、お互いに喧嘩をし出したというのです。
この狭い土地で、遊牧民たちはご主人さまから預かった大切な家畜の餌を確保しないといけません。生える草にも限りがあります。そうなると、お隣の同業者ほど憎たらしいものはありませんね。
ご主人さま同士が身内とか、そんなこと雇われてる人々には知ったこっちゃありません。
更に、前章でも書いてありましたように、ここには元々カナン人が住んでいましたが、この章に入ってから住民がまた増えました。ペリジ人、という人たちです。
ペリジ人については、なんかよく分かりませんでした。名前は似てるけどペリシテ人とは別の民族のようで、カナンの先住民族とのことです。
まあとにかく、当時のカナンにはふたつの先住民族が暮らしていたというわけで。カナン人の主要都市は紀元前3000年頃から出来はじめていましたから、アブラムたちのような後参者のための土地はとっても少なかったのです。
身内同士わずかな土地でいがみ合うことに堪えられなくなったアブラムは、あるときロトにこう持ちかけます。
「別行動しようよ。」
そしてロトに自分の行き先を決めさせ、自分はその逆を行くことにしました。
本来、族長であるアブラムが行き先を決め、それに甥のロトが従うのが普通です。
しかしアブラムは決定権をロトに与えました。
キリスト教的解釈では、ここでロトに選択権を与えたことでアブラムは『神の御心のままに』という姿勢をとったということです。なすがまま、他人の決定に身を委ねますよ、ということですね。
(…個人的には、責任逃れじゃねーか!と思わなくもない)
アブラムとロトの目の前には、ヨルダンの低地が広がっていました。飢餓にあえぐネゲブと違って、低地の方はかつてのエデンの園やエジプトのように豊かでした。
「主がソドムとゴモラを滅ぼされる前だったので」という壮大なネタバレの一文がありますが、ここでは敢えて触れずにおきましょう。
ツォアル(ゾアル)はヘブライ語では「小さな」または「重要ではない」という意味です。たぶん小さな町だったんでしょう。死海の近くのシディムの谷という所にあった町でした。ベラと呼ばれることもあるそうです。
とにかく、そこまで豊かな土地が続いていたということです。
当然、ロトは低地の方を選びました。生活かかってますからね。そして、従者や家畜たちを連れて東の方へ移動しました。そして町の近くを転々とし、ソドム( 死海東南部に存在する前期青銅器時代の都市遺跡バブ・エ・ドゥラー)の近くまで行って天幕を張ったということです。
このソドムという町は、なんかすごく悪い人間がたくさん住んでたみたいです。どんな風によこしまで罪人なのかは明記されてませんが、不穏ですね。
アブラムはその場を動かず、カナンの地に住み続けることを選びました。そんなアブラムに、主は語りかけました。
「そこから見える土地、全部永久に君と君の子孫にあげるわー。子孫もめっちゃ増やしてあげちゃう。地面のチリより多くしてあげるー。だから自由に歩き回ってええんやでー。」
そこでアブラムは移動して、ヘブロンという町にやって来ました。現在のパレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区の、南端にある町です。(世界遺産のリストに登録されたそうです)
そこにある、マムレ(【肥太った】という意味があるらしい。一般に、ヘブロンの北約3kmにあるエ・ラーマト・エル・カリールとされている。ただしもっと西だという説もあり)という場所に生えていた樫の木(或いはテレビンの木)のそばに住んで、またも主のための祭壇を作ったということです。
豊かな土地を選ばず、神の命令通りにカナンに住んだアブラムを、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の皆さんは『唯一神が人類救済のために選んだ預言者』として篤く尊敬しているようです。
……もしもロトが逆を選んだらどうなってたのかは、この際突っ込みません(爆)
さて、今回はここまでです。
今回の楽曲はヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
カンタータ第 10 番 "Meine Seel erhebt den Herren"
「私の魂は主をあがめ」 (BWV10)
https://youtu.be/w4Nyz50Onwo
です。
内容的には
「私マジ主をリスペクトしてる。主はめっちゃ色んなものをくれてほんと偉大。でも主を信じない傲慢なやつらには容赦しないんだよね。
神さまは憐れみを思い出して、神のしもべイスラエルを助けてくれるハズ。たぶん。遠い昔に父祖たちに約束してくれたことを、実現してくれたし。
つまり、アブラハムの子孫は海の砂のように増え、天の星のように広がり、その中から救い主が生まれて人々を誠の愛で救ってくださいました。
今までもこれからも、賛美と誉れが父と子と精霊にありますように。」
ってかんじです。
アブラハム(アブラム)は今日でも篤い信仰を集める聖人なんですねえ。
というわけで、続きはまた次回。
まだまだ続いておりますこの企画。少しずつですが頑張って続けていきますよ。
※キリスト教徒でもユダヤ教徒でもイスラム教徒でもプロの考古学者でもないただの一般日本人が、聖書を読んで楽しんでいるだけです。
気になったことは本を読んだりネットで情報を拾ったりしていますが、あくまで一般人が手に入れられる範囲です。
多大なる妄想を含んでいます。本気にしないでください。
○第十三章
というわけで、アブラムはエジプトを出てネゲブに行きました。妻と、すべての持ち物と、ロトも一緒でした。
アブラムは家畜と金や銀をたくさん持っていました。
彼はネゲブから旅を続けて、ベテルとアイの間の、最初に天幕を張った所に行きました。つまり彼が祭壇を築いたところで、そこでアブラムは主の名を呼びました。
アブラムと一緒だったロトも羊や牛の群れ、天幕を持っていました。彼らの持つ財産が多すぎたので、この土地は彼らが一緒に住むには狭すぎました。
そのうえ、アブラムの家畜の牧者たちとロトの家畜の牧者たちとの間に争いが起こりました。またその頃、カナン人とペリジ人がその地に住んでいました。
アブラムはロトに言いました。「わたしたちとあなたの間や、わたしの牧者たちとあなたの牧者たちの間に争いがないようにしましょう。わたしたちは身内なのだから。全地はあなたの前にあるではありませんか。どうかわたしと別れてください。あなたが左に行けばわたしは右に行きます。あなたが右に行けばわたしは左に行きましょう。」
ロトがヨルダンの低地全体を見渡すと、主がソドムとゴモラを滅ぼされる前だったので、ツォアル(ゾアル)まで主の園のように、またエジプトの地のように隅々までよく潤っていました。
そこでロトはヨルダンの低地全体を選びとって、そのあと東に移動しました。こうして彼らは互いに別れました。
アブラムはカナンの地に住みましたが、ロトは低地の町々に住んで、ソドムの近くまで天幕を張りました。
ところがソドムの人々はよこしまで、主に対して甚だしい罪人でした。
ロトがアブラムと別れたあと、主はアブラムに言いまし
た。「目をあげて、あなたのいる所から北と南、東と西をすべて見渡しなさい。
あなたが見渡す地を、永久にあなたとあなたの子孫に与えます。
わたしはあなたの子孫を地のちりのように多くします。もし人が地のちりを数えることができるなら、あなたの子孫も数えることができるでしょう。
立って、その地を縦や横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。」
そこでアブラムは天幕を移して、ヘブロンにあるマムレの樫(テレビン)の木のかたわらに住み、そこで主に祭壇を築きました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
前回エジプトで《妻を妹ってことにしてエジプトで玉の輿大作戦!!》を失敗したアブラムは、またゲネブ砂漠に戻ってきました。そこから更にベテルとアイの間の、最初にキャンプしたスタート地点にやって来ました。
宗教的な解釈では、「信仰は一度失敗したら、最初に戻ってやり直すことで回復する」ということだそうです。
アブラムは神さまにカナンをあげるよと言われたのに、飢饉から逃れるために裕福な大国エジプトへ逃げました。生き物の本能としては、生き残るために居住区域を変えることは普通だと思うのですが、このお話の中での『敬虔な信徒』は神の導きが何より大切な生き物です。だから、家族や仲間が飢えて死のうが絶対にこの土地を離れるべきではなかったということです。
エデンで暮らすべく作られ、罰のために荒れ地に放りだされたアダムと同じことですね。
だから神さまに許してもらうために、アブラムはスタート地点の、以前作った祭壇でまたお祈りをしたわけです。このお話の中の人間たちは前提として【お仕置きの真っ最中】なわけなので。
さて、ファラオの王家に入ることはできなかったけど、エジプトではたくさんの財産を手に入れることができたアブラム。今や超金持ちです。
甥っ子のロトも、アブラムに負けず劣らず大量の家畜を手に入れていました。
ベテルとアイの間は3キロくらいの距離しかありません。どんだけたくさんの家畜を持ってたかは知りませんが、この土地には収まりきらなかったんですね。
土地の争いは、かなり昔からありました。人間の歴史が始まったと同時に始まったと言っても過言ではありません。アベルとカインのところで調べたように、古代メソポタミアでは遊牧民と農家が土地の取り合いで争っていたのです。それが遊牧民同士、尚且つ身内同士でも争うようになったわけです。
人口が増えれば、当然人が住む場所も多く必要になります。豊かな生活をしようと思ったら、もっと広々と必要になります。縄張りを守ろうとするのは動物も人間もおんなじですね。人間も動物なんですから当たり前ですが。
ともかく、アブラムとロト、二人がそれぞれ雇っている牧者…家畜の番をするために雇ったひとたちが、お互いに喧嘩をし出したというのです。
この狭い土地で、遊牧民たちはご主人さまから預かった大切な家畜の餌を確保しないといけません。生える草にも限りがあります。そうなると、お隣の同業者ほど憎たらしいものはありませんね。
ご主人さま同士が身内とか、そんなこと雇われてる人々には知ったこっちゃありません。
更に、前章でも書いてありましたように、ここには元々カナン人が住んでいましたが、この章に入ってから住民がまた増えました。ペリジ人、という人たちです。
ペリジ人については、なんかよく分かりませんでした。名前は似てるけどペリシテ人とは別の民族のようで、カナンの先住民族とのことです。
まあとにかく、当時のカナンにはふたつの先住民族が暮らしていたというわけで。カナン人の主要都市は紀元前3000年頃から出来はじめていましたから、アブラムたちのような後参者のための土地はとっても少なかったのです。
身内同士わずかな土地でいがみ合うことに堪えられなくなったアブラムは、あるときロトにこう持ちかけます。
「別行動しようよ。」
そしてロトに自分の行き先を決めさせ、自分はその逆を行くことにしました。
本来、族長であるアブラムが行き先を決め、それに甥のロトが従うのが普通です。
しかしアブラムは決定権をロトに与えました。
キリスト教的解釈では、ここでロトに選択権を与えたことでアブラムは『神の御心のままに』という姿勢をとったということです。なすがまま、他人の決定に身を委ねますよ、ということですね。
(…個人的には、責任逃れじゃねーか!と思わなくもない)
アブラムとロトの目の前には、ヨルダンの低地が広がっていました。飢餓にあえぐネゲブと違って、低地の方はかつてのエデンの園やエジプトのように豊かでした。
「主がソドムとゴモラを滅ぼされる前だったので」という壮大なネタバレの一文がありますが、ここでは敢えて触れずにおきましょう。
ツォアル(ゾアル)はヘブライ語では「小さな」または「重要ではない」という意味です。たぶん小さな町だったんでしょう。死海の近くのシディムの谷という所にあった町でした。ベラと呼ばれることもあるそうです。
とにかく、そこまで豊かな土地が続いていたということです。
当然、ロトは低地の方を選びました。生活かかってますからね。そして、従者や家畜たちを連れて東の方へ移動しました。そして町の近くを転々とし、ソドム( 死海東南部に存在する前期青銅器時代の都市遺跡バブ・エ・ドゥラー)の近くまで行って天幕を張ったということです。
このソドムという町は、なんかすごく悪い人間がたくさん住んでたみたいです。どんな風によこしまで罪人なのかは明記されてませんが、不穏ですね。
アブラムはその場を動かず、カナンの地に住み続けることを選びました。そんなアブラムに、主は語りかけました。
「そこから見える土地、全部永久に君と君の子孫にあげるわー。子孫もめっちゃ増やしてあげちゃう。地面のチリより多くしてあげるー。だから自由に歩き回ってええんやでー。」
そこでアブラムは移動して、ヘブロンという町にやって来ました。現在のパレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区の、南端にある町です。(世界遺産のリストに登録されたそうです)
そこにある、マムレ(【肥太った】という意味があるらしい。一般に、ヘブロンの北約3kmにあるエ・ラーマト・エル・カリールとされている。ただしもっと西だという説もあり)という場所に生えていた樫の木(或いはテレビンの木)のそばに住んで、またも主のための祭壇を作ったということです。
豊かな土地を選ばず、神の命令通りにカナンに住んだアブラムを、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の皆さんは『唯一神が人類救済のために選んだ預言者』として篤く尊敬しているようです。
……もしもロトが逆を選んだらどうなってたのかは、この際突っ込みません(爆)
さて、今回はここまでです。
今回の楽曲はヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
カンタータ第 10 番 "Meine Seel erhebt den Herren"
「私の魂は主をあがめ」 (BWV10)
https://youtu.be/w4Nyz50Onwo
です。
内容的には
「私マジ主をリスペクトしてる。主はめっちゃ色んなものをくれてほんと偉大。でも主を信じない傲慢なやつらには容赦しないんだよね。
神さまは憐れみを思い出して、神のしもべイスラエルを助けてくれるハズ。たぶん。遠い昔に父祖たちに約束してくれたことを、実現してくれたし。
つまり、アブラハムの子孫は海の砂のように増え、天の星のように広がり、その中から救い主が生まれて人々を誠の愛で救ってくださいました。
今までもこれからも、賛美と誉れが父と子と精霊にありますように。」
ってかんじです。
アブラハム(アブラム)は今日でも篤い信仰を集める聖人なんですねえ。
というわけで、続きはまた次回。