プロフィール
HN:
赤澤 舞
性別:
女性
職業:
飲食店店員
趣味:
お菓子作ったりピアノ弾いたり本読んだり絵描いたり
自己紹介:
東京・神奈川・埼玉あたりでちょこまか歌 を歌っております。
一応声種はソプラノらしいですが、自分は あんまりこだわってません(笑) 要望があればメッツォもアルトもやりま すヽ(^。^)丿
音楽とお酒と猫を愛してます(*´▽`*) 美味しいものには目がありません。
レトロゲームや特撮も好物です。
ヴァイオリンは好きだけど弾けませんorz
一応声種はソプラノらしいですが、自分は あんまりこだわってません(笑) 要望があればメッツォもアルトもやりま すヽ(^。^)丿
音楽とお酒と猫を愛してます(*´▽`*) 美味しいものには目がありません。
レトロゲームや特撮も好物です。
ヴァイオリンは好きだけど弾けませんorz
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2014/01/18 (Sat)
もうすぐ本番のオペレッタ《ルクセンブルグ伯爵》の稽古が、ここ最近毎日入っています。
今回私はココゾフ夫人という人物を演じさせていただくのですが、とても勉強になっています。少ない出番ですが、彼女の素晴らしさを目一杯出せたらと思っています。
そもそも、《ルクセンブルグ伯爵》自体があんまり有名なオペレッタじゃないのですが、お話も音楽も面白い作品です。
ここでちょこっとお話のあらすじをば。
舞台は20世紀初頭のパリ。
カーニバルで賑わう街に滞在中のルクセンブルグ伯爵ことルネは、オペラ観劇の帰り道、たった今観てきたオペラの出演者だった有名なオペラ歌手のアンジェールと偶然出逢いフォーリンラヴ!結局進展はしないまま別れてしまいましたが、ルネの心の中にはしっかりアンジェールが残ります。
祭りに恋に浮かれるルネですが、彼の放蕩ぶりに滞在費は底を尽きかけていました。
そんなとき、バジール公爵と名乗る人物が訪ねてきます。彼はパリでも名の知れた大富豪。いきなり
「とある婦人と結婚して欲しい、顔も名前も知らなくて良い、そしてすぐに離婚してくれれば大金をやろう」
と申し出ます。
そのわけは、ある歌姫と結婚するために歌姫の身分を『元・伯爵夫人』にしたいから。当時は身分違いの結婚などご法度でしたが、一度結婚してしまえばその身分は取り消されることはなかったそうです。つまり、爵位をお金で売って欲しい、というわけ。
一にも二にもなくOKしたルネ。ついたて越しに指輪交換をし、顔を見ることもなくスピード婚終了。
…実はバジール公爵が結婚したいと思っていた歌姫とはアンジェールのことだったのです!そうとは知らず大金を手にご満悦なルネ。(日本円に直すと億単位!)
さてふたりはどうなるのでしょうか!!?
………続きは会場でのお楽しみ(  ̄▽ ̄)
さて、この作品のタイトルにもなっている『ルクセンブルグ』ですが、
実は現在もちゃんと存在してる国です。どんな国なのか、ちょっと見てみましょう。
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF
ルクセンブルグはフランスとドイツの間に挟まれた、小さな小さな国です。民族的にはゲルマン系です。
一番最初にルクセンブルグの名前が付いたのは963年。ジークフロイト伯爵という人が、聖マクシミン修道院の持ってる土地と自分の土地を交換しますよー、っていう契約書を修道院と交わしたんだけど、そのときの契約書に登場しました。
現在の首都ルクセンブルクに砦を築いたのをリュシュリンブルク(Luchilinburhuc 『小さい城』)と名付けたんですが、この名前が変化してルクセンブルク(Luxemburg)となりました。
ちなみに実際にルクセンブルグ伯を名乗りはじめたのは彼の曾孫のコンラッド1世でした。
中世において、ルクセンブルグ家は神聖ローマ皇帝を4人、ボヘミア王を4人輩出した名門でした。でも1443年、ブルゴーニュ公国の一部となってから以降は、いろんな国の隷属に甘んじる時代が続きます。ハプスブルク家の支配下になったりフランス領になったりプロイセン領になったり。
1616年に始まった三十年戦争でも、とばっちりを受けました。
オーストリア継承戦争やら七年戦争には巻き込まれませんでしたが、これは1754年にフランスとオーストリアが和解してくれたからです。
分かりやすいオーストリア継承戦争
#sm2369938 http://nico.ms/sm2369938
マリア・テレジアさんの時代にルクセンブルグはオーストリア領になりますが、フランス革命の余波を恐れてプロイセンと同盟を結んだオーストリアに対してフランスが宣戦布告、結局ルクセンブルグはまたフランス領になりました。
その後ウィーン会議の結果ルクセンブルグは『ルクセンブルグ大公国』として独立します。ただし、その立場はとても微妙でした。
1866年、普墺戦争が勃発すると、ルクセンブルグは中立の立場をとります。
分かりやすい普墺戦争
#sm3073397 http://nico.ms/sm3073397
この件で、ルクセンブルグは非武装永世中立国と認定されました。
ところが1870年に普仏戦争が始まると状況が変わります。プロイセンがまたルクセンブルグ併合を論じ始めたのに対してルクセンブルグ国民が反抗、署名を集めて中立と独立を訴えたのです。(ルクセンブルグ国民はフランス寄りだった)
プロイセンの宰相ビスマルクは、ルクセンブルグを走る鉄道である東フランス鉄道会社に「プロイセンは軍事作戦するときルクセンブルグの中立を考慮しないよ~」と警告。ルクセンブルグの鉄道網はプロイセンの管理下に置かれ、普仏戦争が終わったあとも経済面はドイツに支配されることとなります。
1871年にドイツ帝国が成立し、プロイセンが普仏戦争に勝利してロレーヌ地方をゲットすると、ザクセン・ロレーヌ・ルクセンブルグは一大工業地帯になります。
1879年、ドイツ帝国が自由通商政策を取り入れるとルクセンブルグの製鉄のほとんどはドイツに輸出されました。それまでルクセンブルグの産業の中心だった農業は近代化が遅れ、ルクセンブルグは海外移民が増加。逆に製鉄業の海外労働者が急増して、60%が外国人になってしまいました。(その大半がドイツ人)
そんな中で、ルクセンブルグ人たちはナショナリズムが高まり「我々はプロイセンにはならない!」とドイツ化の懸念をしていました。
1890年、ルクセンブルグ大公のギョーム3世さんが亡くなります。この人はルクセンブルグの王様でしたが同時にオランダの王様もやっていました。しかも男の子の跡継ぎがいませんでした。
オランダの王様は娘さんのウィルヘルミナが継ぎましたが、ルクセンブルグは女性が王様になってもいいという決まりが無かったので困ったことになりました。
そこで政府は、普墺戦争で取り潰されたナッサウの元・領主であるアドルフさんを王様にします。
アドルフさんはドイツ人でしたがとっても
寛容で、ルクセンブルグの独立を大切にしフランス語の習得もしました。(ルクセンブルグは、東部ではドイツ語方言のルクセンブルグ語、西部ではフランス語系のワロン語を話しており、どちらかというとフランス語の人が過半数)
おかげでルクセンブルグはオランダとの決別に成功。更にルクセンブルグ語は「ドイツ語の方言」でなくて「ルクセンブルグの母国語」であるというアイデンティティーが生まれます。
話は戻りますが、ちょうどオペレッタの舞台になった時代がこのあたりです。
初演が1909年ですから、その5年後に第一次世界大戦が勃発することになります。なんか切ないね。
いろんな国に支配され、移民のとても多いルクセンブルグ人だからこそ、ルネは差別をしない人なのかなぁと思いますね。
そんなルクセンブルグ、現在はリヒテンシュタインに次いで経済的に豊かな国です。
世界トップレベルの経済水準に先進工業国家としての実績、豊かな自然を売りにした観光業など、どこを取っても素晴らしい!…らしいです。古代ローマからワイン作りが盛んで特に白ワインが美味しくて、ベルギーのお隣さんなのでチョコレートが超美味だそうな。
一度は行ってみたい!(*´∇`*)
今回私はココゾフ夫人という人物を演じさせていただくのですが、とても勉強になっています。少ない出番ですが、彼女の素晴らしさを目一杯出せたらと思っています。
そもそも、《ルクセンブルグ伯爵》自体があんまり有名なオペレッタじゃないのですが、お話も音楽も面白い作品です。
ここでちょこっとお話のあらすじをば。
舞台は20世紀初頭のパリ。
カーニバルで賑わう街に滞在中のルクセンブルグ伯爵ことルネは、オペラ観劇の帰り道、たった今観てきたオペラの出演者だった有名なオペラ歌手のアンジェールと偶然出逢いフォーリンラヴ!結局進展はしないまま別れてしまいましたが、ルネの心の中にはしっかりアンジェールが残ります。
祭りに恋に浮かれるルネですが、彼の放蕩ぶりに滞在費は底を尽きかけていました。
そんなとき、バジール公爵と名乗る人物が訪ねてきます。彼はパリでも名の知れた大富豪。いきなり
「とある婦人と結婚して欲しい、顔も名前も知らなくて良い、そしてすぐに離婚してくれれば大金をやろう」
と申し出ます。
そのわけは、ある歌姫と結婚するために歌姫の身分を『元・伯爵夫人』にしたいから。当時は身分違いの結婚などご法度でしたが、一度結婚してしまえばその身分は取り消されることはなかったそうです。つまり、爵位をお金で売って欲しい、というわけ。
一にも二にもなくOKしたルネ。ついたて越しに指輪交換をし、顔を見ることもなくスピード婚終了。
…実はバジール公爵が結婚したいと思っていた歌姫とはアンジェールのことだったのです!そうとは知らず大金を手にご満悦なルネ。(日本円に直すと億単位!)
さてふたりはどうなるのでしょうか!!?
………続きは会場でのお楽しみ(  ̄▽ ̄)
さて、この作品のタイトルにもなっている『ルクセンブルグ』ですが、
実は現在もちゃんと存在してる国です。どんな国なのか、ちょっと見てみましょう。
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF
ルクセンブルグはフランスとドイツの間に挟まれた、小さな小さな国です。民族的にはゲルマン系です。
一番最初にルクセンブルグの名前が付いたのは963年。ジークフロイト伯爵という人が、聖マクシミン修道院の持ってる土地と自分の土地を交換しますよー、っていう契約書を修道院と交わしたんだけど、そのときの契約書に登場しました。
現在の首都ルクセンブルクに砦を築いたのをリュシュリンブルク(Luchilinburhuc 『小さい城』)と名付けたんですが、この名前が変化してルクセンブルク(Luxemburg)となりました。
ちなみに実際にルクセンブルグ伯を名乗りはじめたのは彼の曾孫のコンラッド1世でした。
中世において、ルクセンブルグ家は神聖ローマ皇帝を4人、ボヘミア王を4人輩出した名門でした。でも1443年、ブルゴーニュ公国の一部となってから以降は、いろんな国の隷属に甘んじる時代が続きます。ハプスブルク家の支配下になったりフランス領になったりプロイセン領になったり。
1616年に始まった三十年戦争でも、とばっちりを受けました。
オーストリア継承戦争やら七年戦争には巻き込まれませんでしたが、これは1754年にフランスとオーストリアが和解してくれたからです。
分かりやすいオーストリア継承戦争
#sm2369938 http://nico.ms/sm2369938
マリア・テレジアさんの時代にルクセンブルグはオーストリア領になりますが、フランス革命の余波を恐れてプロイセンと同盟を結んだオーストリアに対してフランスが宣戦布告、結局ルクセンブルグはまたフランス領になりました。
その後ウィーン会議の結果ルクセンブルグは『ルクセンブルグ大公国』として独立します。ただし、その立場はとても微妙でした。
1866年、普墺戦争が勃発すると、ルクセンブルグは中立の立場をとります。
分かりやすい普墺戦争
#sm3073397 http://nico.ms/sm3073397
この件で、ルクセンブルグは非武装永世中立国と認定されました。
ところが1870年に普仏戦争が始まると状況が変わります。プロイセンがまたルクセンブルグ併合を論じ始めたのに対してルクセンブルグ国民が反抗、署名を集めて中立と独立を訴えたのです。(ルクセンブルグ国民はフランス寄りだった)
プロイセンの宰相ビスマルクは、ルクセンブルグを走る鉄道である東フランス鉄道会社に「プロイセンは軍事作戦するときルクセンブルグの中立を考慮しないよ~」と警告。ルクセンブルグの鉄道網はプロイセンの管理下に置かれ、普仏戦争が終わったあとも経済面はドイツに支配されることとなります。
1871年にドイツ帝国が成立し、プロイセンが普仏戦争に勝利してロレーヌ地方をゲットすると、ザクセン・ロレーヌ・ルクセンブルグは一大工業地帯になります。
1879年、ドイツ帝国が自由通商政策を取り入れるとルクセンブルグの製鉄のほとんどはドイツに輸出されました。それまでルクセンブルグの産業の中心だった農業は近代化が遅れ、ルクセンブルグは海外移民が増加。逆に製鉄業の海外労働者が急増して、60%が外国人になってしまいました。(その大半がドイツ人)
そんな中で、ルクセンブルグ人たちはナショナリズムが高まり「我々はプロイセンにはならない!」とドイツ化の懸念をしていました。
1890年、ルクセンブルグ大公のギョーム3世さんが亡くなります。この人はルクセンブルグの王様でしたが同時にオランダの王様もやっていました。しかも男の子の跡継ぎがいませんでした。
オランダの王様は娘さんのウィルヘルミナが継ぎましたが、ルクセンブルグは女性が王様になってもいいという決まりが無かったので困ったことになりました。
そこで政府は、普墺戦争で取り潰されたナッサウの元・領主であるアドルフさんを王様にします。
アドルフさんはドイツ人でしたがとっても
寛容で、ルクセンブルグの独立を大切にしフランス語の習得もしました。(ルクセンブルグは、東部ではドイツ語方言のルクセンブルグ語、西部ではフランス語系のワロン語を話しており、どちらかというとフランス語の人が過半数)
おかげでルクセンブルグはオランダとの決別に成功。更にルクセンブルグ語は「ドイツ語の方言」でなくて「ルクセンブルグの母国語」であるというアイデンティティーが生まれます。
話は戻りますが、ちょうどオペレッタの舞台になった時代がこのあたりです。
初演が1909年ですから、その5年後に第一次世界大戦が勃発することになります。なんか切ないね。
いろんな国に支配され、移民のとても多いルクセンブルグ人だからこそ、ルネは差別をしない人なのかなぁと思いますね。
そんなルクセンブルグ、現在はリヒテンシュタインに次いで経済的に豊かな国です。
世界トップレベルの経済水準に先進工業国家としての実績、豊かな自然を売りにした観光業など、どこを取っても素晴らしい!…らしいです。古代ローマからワイン作りが盛んで特に白ワインが美味しくて、ベルギーのお隣さんなのでチョコレートが超美味だそうな。
一度は行ってみたい!(*´∇`*)
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