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音楽とお酒と歴史探索が趣味です。色々書きなぐってます。
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赤澤 舞
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女性
職業:
飲食店店員
趣味:
お菓子作ったりピアノ弾いたり本読んだり絵描いたり
自己紹介:
東京・神奈川・埼玉あたりでちょこまか歌 を歌っております。

一応声種はソプラノらしいですが、自分は あんまりこだわってません(笑) 要望があればメッツォもアルトもやりま すヽ(^。^)丿

音楽とお酒と猫を愛してます(*´▽`*) 美味しいものには目がありません。

レトロゲームや特撮も好物です。

ヴァイオリンは好きだけど弾けませんorz
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2024/05/19 (Sun)
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2015/07/08 (Wed)
はいこんにちは。

聖書を楽しむ企画、2回目です。



※この記事の内容は、キリスト教徒でもユダヤ教徒でもイスラム教徒でもプロの考古学者でもないただの一般日本人が、聖書を読んで楽しんでいるだけです。
気になったことは本を読んだりネットで情報を拾ったりしていますが、あくまで一般人が手に入れられる範囲です。
多大なる妄想を含んでいます。本気にしないでください。


前回の続きから読んでいきたいと思います。
5ページ目、第四章から。(文章は相当崩して、解釈を加えています。悪しからず。)

○第四章
エバは人(アダム)の子カインを産みました。
それから、弟アベルを産みました。
成長したアベルは羊飼いに、カインは農夫になりました。

ある時、カインは主に作物の捧げ物を持ってきました。一方アベルは自分の羊の初子の中から最上のものを持ってきました。
主はアベルの持ってきた捧げ物に目を留めましたがカインの捧げ物には目を留めませんでした。

カインはひどく怒って、アベルを野原に連れていって、殺してしまいます。
主がカインに、アベルが何処に居るのか尋ねますと
「知りません。私は弟の番人なのですか。」
とカインはとぼけて答えました。
なんでもお見通しな主はカインに言いました。
「あなたはなんてことをしたんだ。あなたの弟の血が、その土地から私に叫んでいるぞ。
あなたは土地に呪われてしまったから、そこを耕してももう何にも生まないよ。これからあなたは地上をさすらわないといけない。」
カインは急に怖くなって
「私の咎は大きすぎて担いきれません。この土地から外に出てさすらい人になったら、きっと私は殺されてしまいます。」
と言いました。
そこで主は言いました。
「じゃ、カインを殺す者には7倍の復讐を受けるようにしよう。そしたら殺されることは無くなるよ。」
そしてカインにひとつのしるしを授けました。

カインは主の元を離れて、エデンの東にあるノデという土地に住みつきました。
そこで奥さんをもらって、授かった子供にエノクという名前をつけました。カインは自分の作った町にも、息子と同じエノクという名前をつけました。

エノクの子の名はイラデ
イラデの子の名はメフヤエル
メフヤエルの子の名はメトシャエル
メトシャエルの子の名はレメク

といいました。

レメクは奥さんをふたりもらいました。
ひとりはアダ
もうひとりはツィラ
という名前です。

アダはレメクとの間にヤバルとユバルという兄弟を生みました。
ヤバルは天幕に住んで、家畜を飼うものの先祖になりました。
ユバルは竪琴と笛を演奏するすべての音楽家の先祖になりました。

ツィラとレメクとの間には、トバル・カインという名前の男の子とナアマという名前の女の子が生まれました。
トバル・カインは鍛冶屋になりました。

レメクはあるときふたりの妻に言いました。
「私が傷つけられたら若者をひとり殺すからね。
カインに7倍の復讐があるなら、レメクには77倍あるからね。」

一方、アダムはもうひとり子供を作っておりました。
妻はその子にセツと名付け、「カインがアベルを殺したので、彼の代わりに神はもうひとり子を授けてくださいました」
と喜びました。

セツは大きくなって、エノシュという息子をもうけました。

この頃くらいから、人々は主の御名によって祈ることを始めましたとさ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、お話は楽園を追われた人間夫妻のその後に続きます。

アダムの子供は
長男カイン(「鍛冶屋、鋳造者、私は得た、形作る」の意)

次男アベル(「息、儚さ、虚しさ、無価値」の意)

そして兄たちが居なくなってから生まれた

三男セツ(「立てられた者」の意)

の3人でした。


さて第4章は、3兄弟の中のカイン&アベル兄弟とカインの血筋の子供たちが主人公です。

長男は形作る者、次男は無価値な者、と名前をつけたアダム夫妻の心境やいかに。ちょっと酷くないですか、このネーミング。

キリスト教的な解釈では、

楽園を追われたアダムとイブが「蛇の頭を踏みつける者(第3章より)」を与えると主が言っていたのを自分たちの息子のことだと思っていたので、初めての息子が生まれたときに「私は得たり(カイン)」と名付けたけど、どうもそうではないらしいと気付いてガッカリして「空虚(アベル)」と次男坊に名付けた

…とありますが。(ちなみにキリスト教では、このとき主が言った「蛇の頭を踏みつける者」こそイエスだとしている。)

このお話が書かれたときにはもちろんイエスは居ませんので、もうちょい現実的に想像してみます。

勝手な妄想ですけれども、カインは夫妻の初めての子供ですし、生まれた時から相当可愛がられて甘やかされて育ったのではなかろうか。
夜泣きも少なくて物覚えも早く、小さい頃から器用な息子。両親ベタベタに可愛がります。
そしてその子の手が離れてきた辺りで、二番目の子が生まれるわけです。

性格の違いなのか、次男坊は勝ち気で手がかかる。根は真っ直ぐなんだけど、どうにもこうにも不器用で物覚えも悪い。更にちょっと大きくなったら、兄に反発してか不良になってしまった!(※妄想です)

「まったくカインお兄ちゃんはこんないい子なのに、弟は仕方ないねえ。これじゃあ穀潰しだよ。アベルって名前にしようかね。この子にはぴったりかもしれん。」

シンデレラ(灰かぶり姫)的なネーミングセンス。ちなみにディズニー映画のシンデレラの元ネタであるグリム童話のシンデレラは、苛められて育ったために性格も根暗だし、最後には自分を苛めた姉たちに復讐して彼女たちの眼球をえぐり出すという心まで灰色な女性。名は体を表すとはまさにこのこと。


大きくなったカインは、父アダムの仕事を継いだ形で農夫になります。
一方アベルは羊飼いになりました。兄への対抗心か、アベルは違う仕事を選んだのです。
(もっとも、この時代には牧畜or農耕しか職業はなかったでしょうけれども)

せっかく父親がいばらとかあざみとかトゲトゲの植物と戦って苦労して作り上げた畑があるんですから、アベルもお兄ちゃんを手伝って畑をやれば良かったのに、彼はそうしなかったんですよねえ。兄が優遇されているアダム家の傘下から出て、独立して対等になろうとしたのでしょうか。
あるいは、父の財産である畑を貰えたのは兄だけだったのでしょうか。

ともかく兄と弟は職業上ライバル関係にありました。古代メソポタミアでは、しばしば農耕と牧畜で土地の争いをしていたようです。



さて、神様に捧げ物をするときは、動物を捧げるものだ、ということをこの兄弟は知っておりました。お父さんに教えてもらったのかもしれないし、彼らもまだ神様と話が出来ていたので直接聞いたのかもしれません。

――自分たちは神様の信頼を裏切ってしまって、その罰を受けている最中であり、その罪をあがなうためには他の生き物の命でなくては相応しない。お父さんたちが楽園を出るときに、イチヂクの葉っぱで作った腰巻きじゃなくて毛皮の服を神様に頂いたのと同じことで、自分の身代わりには血と肉を捧げるものである。―――

それが分かってて、カインは自分の採れた畑で一番出来の良かったものを持ってきました。
(以下、想像)
「僕が誠心誠意込めて作った野菜は絶対に神様のお気に召すはず!父さんも母さんも誉めてくれたし、こんなに苦労して作ったんだから絶対喜んでくれるよね!!アベルのヤツは羊捧げるんだって?アイツはだめでしょー、あんな不良が僕なんかに勝てるわけないってwww何故なら僕はエリートだから!!」

…えー、なんというか、居ますわ。こういう人。誰かをおとしめることで、自分の威厳を保つ人。

とりあえずそんなわけで自信満々で捧げ物を持ってきたわけですが、まあ無視されました。だって「正しい捧げ物」は「動物の肉」って最初に決まってたんですから。
《肉牛コンテスト》に野菜持ってきたようなものですね。

「あなたが正しく行ったならば受け入れられる」と神様も言ってますよ。「ルールは守ってくださいよ。」ってわけです。

神が受け入れられる捧げ物とは、すなわち罪を贖うべきものであり、それには動物の血が流される必要があったのです。なぜなら、「罪の支払うべき報酬は死であり、命は血の中にある」からです。

自己流ルールで神様に拒まれてしまったお兄ちゃんは、ルールを守って認められた弟に嫉妬します。

「真面目にやってきて、父さん母さんの言うことをよく聞いて、こんなに我慢してきたこの僕が!あんなヤツに負ける…だと!?ありえない!」

現代、小学校や中学校まで成績優秀だった子が、高校や大学でつまづいて引きこもりになり、挙げ句大量殺人など犯罪に走ってしまうケースがとても多いです。
これと全く同じ心理状況ですよ。


アベルはアベルで家族から離れてから真面目に働いてきたのでしょう。
父母や兄から離れることができてようやく自分の価値を見出だし、神様にも真面目に向き合えるようになった。
その矢先のあの事件………そう考えるとアベルが可哀想すぎて涙を禁じ得ません。
カインはカインで、今までの人生を考えますとこりゃアダム夫妻の育て方の問題だったんじゃないかと。人類最初の子育ては、あまり良い例ではなかったようです。

というか、現代の社会問題である犯罪や引きこもりの原因例が聖書のこんな序盤に書いてあるとか。どんだけ人間進歩ないんだ。

カインは、弟が神様に誉められるのをすごく面白くなく思いました。そして「なんで僕のことも見てくれないんだ!」と神様にも怒ります。顔をまともに見れません。
神様は言いました。「どうして顔を伏せるのか?」
カインは何故自分の捧げ物が弟に負けたのか、本当は分かってました。

だって捧げ物の相場は肉だもん。僕野菜持ってきちゃったもん。

でもでも、僕は神様が一番可愛がってた人間アダムの一番の息子なんだから!弟より劣るなんて納得できない!!

不条理な怒りだと心の底では分かってたから、それを悟られたくなくてカインはじっと下を向いていたんですね。
でも神様にはバレてます。

「罪は戸口であなたを恋慕っている。あなたはそれを治めるべきである。」

犯罪の誘惑はあちこちにありますよ、怒りの感情に任せて行動すると大変なことになるよ。まるで学校の先生のようだ。

それでもカインは結局弟を殴り殺してしまうのです。その場でやったんでなくて、後から殺したのがミソです。
その場では表面上、神様の言ったことを受け入れて納得したフリをしてたってことですから。いじめっ子もよくやりますね。


心理学者カール・グスタフ・ユングは、彼にちなんで「カイン・コンプレックス」という概念を提唱しました。
兄弟間の心の葛藤、兄弟・姉妹間で抱く競争心や嫉妬心のことを言います。

人間は誰しも自分が「親の」一番になりたいのです。
自分たち人間を作った神様に対しても同じで、カインは一番に特別に扱って欲しかったわけです。
それに対して神様は、「頑張ったらそれだけ特別になれるとか人生そんなにうまくいかないよ。言っとくけど君らお仕置き中なんだからね。自分の心をコントロールして、頑張って日々生きるのが大事なんよ。」
と言って諭します。もしもカインが表面上でなく、本当にそれを受け入れて、アベルと仲直りしてたら。神様は人間たちを、再び楽園に戻してくれたかもしれません。

さて、神様に自分の罪状と罰を説明されたカインは報復に怯えます。
一体誰に殺されると思ったのか。
一応お話の設定上は、この地上にはアダム夫妻とカイン兄弟しかまだ人間は居ないんですけども…
これに関してはキリスト教の解釈はもちろんあるんですけど、私キリスト教徒じゃないんで勝手に妄想します。(爆)

実際にはアダム一家が住んでいた以外にも、集落はたくさんあったと予想します。
紀元前5000~4000年代といえば、もうあちこちで文明が発達しつつあった頃です。

のちにエラム王国の首都になるエラム人の町・スーサは紀元前4000年代くらいにはあったようで、その頃の神殿跡も見つかっているそうです。

そしてこの頃一番発達した文明を持っていたのはシュメールでしたが、ウバイド期(紀元前5500~3500年)からウルク期(紀元前4000年)にかけて、「よそ者」の侵入によって引き起こされる地域間における緊張感が高まっていたらしいのです。一説では、「よそ者」はシュメール人側で、ここに元々住んでいたウバイド人を追い出したと言われていますが…

ウバイド期は平和な時代が長く続いていたのですが、終末期になると「よそ者」との争いが絶えなかったようです。
北メソポタミアの遺跡・ガウラでは、ウバイド終末期の地層からウルク前期併行の地層にかけて、集落入り口を防御する軍事施設や土製投弾などの武器が出てきたそうです。
「よそ者」の進出により、集落内の人間関係にも変化が起きて社会的な緊張が高まっていたようで、ウルク前期頃までにはウルなどで武器としての銅製の槍先がつくられるようになったといいます。

本格的な軍事施設や武器はもう少し後のウルク期後半にそろってくるらしいので(ウルク中期後半の地層から塁壁の内側に石の基礎で建てられた堅牢な施設から銅製の槍先や短剣が出土している。)まだ本格的な戦争は起こってなかったようなのですが、集落同士の争いはこの頃から始まったと言って良いでしょう。

つまり、ただ食べ物を得るために動物を殺すんじゃなくて、自分の住むエリアを確保するために同族の人間を殺すわけです。そして同じ人間でも、言葉が違ったり生まれたエリアが違うものを「よそ者」として排除するのに武器を発達させるのです。

…7000~6000年前から、人間の思考は変わっていないことに驚きます。


ということは。

もしもカインという人物が本当に土の呪いを受けてさすらい人になったとして、彼が放り出されるのはウバイド人とシュメール人が睨み合ってる真っ只中というわけです。
ただでさえ緊張状態の村々、どこに行ってもよそ者な自分が一人でうろうろしていたら絶対に殺される!!

そこで神様は言いました。
「それじゃあ、お前を殺したものには7倍の罰が下るようにしよう」
そしてそれが一目で分かるという「しるし」をくれました。

それがどんな印なのか、この時点ではなにも分かりません。
とりあえず、他の人が見たら「こいつを殺すと7倍の報復があるよ!だから見かけても殺さないでね!」と一目で分かるようになったという事実だけがわかります。
(これにもキリスト教の説が複数ありますが割愛)

そうして父母と神様の元を離れて一人さ迷うという罰を与えられたカインですが、なんと大してさ迷い歩かないうちに定住して、あろうことか町まで作ってしまいます。またも神様の言いつけを破ってしまいました。

彼が住み着いたノデという地は、「流浪の地」という意味があります。
そして生まれた子供と自分の作った町に付けたエノクという名は、「従う者、捧げる」または「始め、始まり」という意味です。

彼は定住していながら「流浪」の地に住み、息子に「捧げる、始まる」と名付けた。どういう事でしょう。
もしかしたらカインはまた自分ルールを発動して、
「《流浪の地》に住んで、何より大事な息子を神様に《捧げる》んだから、自分はちゃんと神様の言いつけを守ってる!」
と思ってたのでしょうか。多少なりとも罪悪感があったのでしょうか。
しかしその後の行動を見てると、神様の赦しを得ようと奮闘したりとか神様の元に戻りたいと思うとかそういった行動が一切無いので、どっちかというと
「ここからが僕の人生の再スタートだ!」
といった感じでしょうか。

考えてみれば、裏切った神のことも殺した弟のことも置いてきぼりにした両親のことも省みずに、殺される心配が無くなったらとっとと出てって自分の町を作ってしまうような男です。
利己的だなぁと思う一方、かなり人間くさい。


その後
イラデ(「町の人」の意)…完全に定住してます

メフヤエル(「神は私を生かす」の意)…神には祈ってるかもしれないけどやっぱり自分ルールっぽい。神とのコンタクトもなさそう

メトシャエル(「神の人」の意)…高慢な名前だなぁ

レメク(「征服者、強い者、王」の意)…言わずもがな

とエノクの町の長は代替わりしていくのですが、時代が下るほどカインの利己的な部分が濃く受け継がれていったようで、6代目の子はついに「王」と名付けられます。
この頃にはエノクの町はかなり大きく、強くなっていたと想像できます。
「征服者」というからには、他の集落を攻め落とすとかもしたのでしょう。

自他共に認める権力者となったレメクは、2人の妻をめとります。一夫一妻の伝統が、ここで崩れました。

アダ(飾り立てる者)
ツィラ(賑やかな音を立てる、陰険で凶悪な者、輝く)

どちらも、名前の印象からしてあまり貞淑な女じゃなさそうです。

アダとレメクの息子、ヤバルとユバルは、どちらも「作り出す」という意味の名前です。
専業農家のヤバルと音楽家のユバル。さしずめ大企業社長と国民的アーティストの兄弟、ってところでしょうか。(牧畜は当時の一大産業だった)

ツィラとレメクの息子トバル・カインは、
ひいひいひいひいおじいちゃんの名前を一部もらって、「製作力を得た人」。
その名前のとおり、鍛冶屋になって色々なものを作ります。技術を発達させるということは、神様に頼らなくても自分達の力で楽に暮らせるようにしようと試みる、というニュアンスを含んでいます。

ちなみに一説では、先住民ウバイド人を追い払ってメソポタミア南部を占拠したシュメール人が金属製の武器を開発したといいます。
ウルク後期までには金属鋳造技術が発展し銅製の槍先や剣などが生産されたようで、アナトリア(現・トルコ)のハジネビではウルク文化が波及する前から在地の銅器生産が専業化されて、主に鑿(のみ)などの日用品やピンなどの装飾品を鋳造していたようです。

つまり、もとはよそ者だったシュメール人が周囲の町を征服して国をつくり、鋳物産業を開花させた…というわけ。

シュメール人は、地理的な起源がどこなのか、どの民族系統なのか謎に包まれています。いつ、どこから来たのかわからない民族です。
神に作られた土の子アダムの子孫の血筋も今でも謎のままなので、シュメール人との関係がとても気になります。



…話が脇道に逸れました。

トバル・カインの妹ナアマは、「見目麗しい」「楽しい」「喜ばしい」「性的魅力のある」という意味の名前です。 相当な美人で、尚且つ悦楽主義だったのでしょう。

ウルク中期ころには冶金技術ももっぱら装飾品の製造に向けられていたのを考えると、例えるならアクセサリーデザイン会社社長の兄とセレブ美人ビッチの妹。

腹違いの兄弟も合わせると、とんでもないロイヤルファミリーです。(身を飾る術を人に伝えたのは悪魔だとするキリスト教的な考えでいくと)

父王レメクも相変わらずで、

「ねー聞いてよマイハニーズ、今日いきなり若造がワシにぶっかってきてさー!ワシ怪我したの!ムカついたから殺しちゃった!
ほら、ワシのひいひいひいひいひいじいさん神様に《人からダメージ受けたら7倍返し》って印をもらったじゃん。じいさんで7倍なんだから、こんなでっかい町を治めてて人も金も物も思い通りに出来るワシなら77倍にしてもいいよね!」

こんな調子です。

エノクの町は経済的にも豊かな町だったのでしょう。音楽など芸術も盛んで貴金属に溢れ、巨大畜産業で食糧供給も安定。
けれども神様が一番最初に人間を作ったときに望んだ姿とは、大きくかけ離れていました。

子孫たちのきらびやかな繁栄を影からそっと見ていたアダム夫妻はがっかりします。
自分達のすべては神様からもらったものだ、と感謝する姿勢も、信仰も、息子たちにはひとつも引き継がれなかったのです。

次の章に書いてありますが、アダムは930歳まで生きたと書いてありますので、かなり後世まで子孫たちを見守ったことになります。

カインの血筋にもはや希望を持てなくなったアダムは、妻にもう一人子供を生ませます。
このときアダム130歳。すげー。

妻はその子に「カインとアベルの代わりに神が授けてくださったので」、セツ(立てる、固定する、基礎、土台)と名付けました。
この子はカインの血筋の者たちに代わって立てられた、神に忠誠を誓いアダムの志を継ぐ血族の基礎になるべく生まれた子なわけです。

セツは大きくなって、エノシュという息子をもうけました。エノシュは「壊れやすい、なおらない、癒えない」といった宿命的な弱さを表わすことばで、人間は神の助けが無ければこんなにも弱い存在ですよ、といった意味だと言われております。

エノシュの代から、やっと人間は神に祈ることをはじめる、とあります。
つまりアダム夫妻が作り主を裏切ってしまって少なくとも100年以上経ってから、ようやっと「裏切ってすみませんでした、許してください」と言える人々が現れだした、ということです。

人間ってめんどくさいですねえ(爆)

さて、人の『信仰』の歴史がやっとここからスタートします。
まだまだ序盤です。
ここからどうなることやら?次回に続く!


ちなみに今回の作品はアレッサンドロ・スカルラッティ作曲のオラトリオ『最初の殺人』
https://youtu.be/3hA7gIM1VCo

拍手[1回]

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