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音楽とお酒と歴史探索が趣味です。色々書きなぐってます。
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  プロフィール
HN:
赤澤 舞
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女性
職業:
飲食店店員
趣味:
お菓子作ったりピアノ弾いたり本読んだり絵描いたり
自己紹介:
東京・神奈川・埼玉あたりでちょこまか歌 を歌っております。

一応声種はソプラノらしいですが、自分は あんまりこだわってません(笑) 要望があればメッツォもアルトもやりま すヽ(^。^)丿

音楽とお酒と猫を愛してます(*´▽`*) 美味しいものには目がありません。

レトロゲームや特撮も好物です。

ヴァイオリンは好きだけど弾けませんorz
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2024/05/19 (Sun)
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2015/11/26 (Thu)
このシリーズを始めてから、まぁ当然ですがしょっちゅう聖書や関連文書やサイトを読むようになりました。

でも私は信者ではないし、研究者でもない。
ただ趣味で聖書を読んでいます。それで知らなかったことがわかったり、日常の悩みが少し軽くなったり。
本来そんな使い方だったんじゃないのかなー、差別の材料とか戦争の原因とかにするもんじゃなかったんじゃないのかなー、とぼんやり思ったりする今日この頃です。


※キリスト教徒でもユダヤ教徒でもイスラム教徒でもプロの考古学者でもないただの一般日本人が、聖書を読んで楽しんでいるだけです。
気になったことは本を読んだりネットで情報を拾ったりしていますが、あくまで一般人が手に入れられる範囲です。
多大なる妄想を含んでいます。本気にしないでください。

前回の続きからです。


○第十章

これはノアの息子、セム、ハム、ヤペテの歴史です。
大洪水の後に、彼らに子どもが生まれました。

《ヤペテの子孫》
ゴメル ①
マゴグ
マダイ
ヤワン ②
トバル
メシェク
ティラス

ここから
↓↓↓↓↓
①ゴメルの子孫
アシュケナズ
リファテ
トガルマ

②ヤワンの子孫
エリシャ
タルシシュ
キティム人
ドダニム人

これらから海沿いの国々が分かれて、地方や氏族ごとにそれぞれの国語ができました。


《ハムの子孫》
クシュ③
ミツライム④
プテ
カナン⑤

ここから
↓↓↓↓↓
③クシュの子孫
セバ
ハビラ
サブタ
ラマ ①´
サブテカ

①´ラマの子孫
シェバ
デダン

ちなみにクシュの息子ニムロデは、地上で最初の権力者になりました。
彼は主のおかげで力のある猟師になったので、「主のおかげで、力ある猟師ニムロデのようだ」と言われるようになりました。

彼の王国は初めはバベル、エレク、アカデで、これらはみんなシヌアルの地にありました。
ここから彼はアシュルに進出し、ニネベ、
レホボテ・イル、ケラフ、そしてニネベとケラフの間にレセンを建てました。レセンはとても大きな街でした。


④ミツライムの子孫
ルデ人
アナミム人
レハビム人
ナフトヒム人
パテロス人
カスルヒム人(のちのペリシテ人)
カフトル人

⑤カナンの子孫
シドン(長子)
ヘテ
エブス人
エモリ人
ギルガシ人
ヒビ人
アルキ人
シニ人
アルワデ人
ツェマリ人
ハマテ人

そのあとカナン人の諸氏族が分かれました。
カナン人の領土は、シドンからゲラルに向かってガザに至り、ソドム、ゴモラ、アデマ、ツェボイムに向かってレシャにまで及びました。

《セムの子孫》
セムはエベルのすべての子孫の先祖であって、ヤペテの兄でした。


エラム
アシュル
アルパクシャデ ⑦
ルデ
アラム ⑥

ここから
↓↓↓↓↓↓↓
⑥アラムの子孫
ウツ
フル
ゲテル
マシュ

⑦アルパクシャデの子孫
シェラフ

エベル

ペレグ
ヨクタン②´
(ペレグの時代に地が分けられた)

②´ヨクタンの子孫
アルモダデ
シェレフ
ハツァルマベテ
エラフ
ハドラム
ウザル
ディクラ
オバル
アビマエル
シェバ
オフィル
ハビラ
ヨバブ

彼らの定住地はメシャからセファルに及ぶ東の高原地帯でした。

以上がノアの子孫の諸氏族の家系です。大洪水の後にこれらから、諸国の民が地上に分かれ出ました。

~~~~~~~~~~~~~~

数字がついてるのがノアの息子の代、数字にダッシュがついてるのがノアの孫の代です。

えー、この章は正直めちゃくちゃ読みにくいです。だってただひたすら子孫の紹介してるだけなんだもん(爆)
ですが、よくよく調べてみるとすっごく面白いし、ここを理解できないとこの先が良くわからんことになるので、細かく砕いて読んでみることにします。

今回、文がものっすごく長くなってしまったので、何回かに分けることにします。
そして、結論を先に説明してしまいましょう。ギルガメシュ叙事詩を元にしたノアの神話の次に、何故このような章を置いたのか。

あくまで想像ですけれど、ヤハウェという神を崇めるこの神話に現実味を持たせるために、(この章が書かれた)当時の人種全てがアダムの血族であると説いてるのでしょう。
ノアの子孫たちとして記されている人種の中には、メソポタミアと同じくらい、或いはもっと古い文明を持つと思われる民族もいるのです。
自分達よりも古く、強かった国を神話の中で『自分達の血族』とする。元ネタを他の神話から持ってくるよりも大胆な手です。
要は民族そのものを擬人化しているわけですから…。
読みながら『ヘタリア』(国擬人化漫画)を思い出しました。そう考えるとかなり先駆けてますね。


では、この章でアダムの血族に《された》人々はどんな民族なのでしょう。

まず、ノアの3人の息子のうち、末っ子ヤペテの子孫の紹介です。
「広い」という意味の名を持つヤペテには、7人の息子が生まれました。


・ゴメル(「完全」の意味)

・マゴグ(「ゴグの地」の意、「ゴグ」は山のこと、つまり「山地」?)

・マダイ( メディア人のこと )

・ヤワン(ヘブル語で「ギリシャ人」の意※ギリシャ人たちは自分たちのことを「イオニア人」と呼んでいた)

・トバル(「騒ぐ」「あなたは運ばれる」「鍛冶」の意)

・メシェク(「引き出される」の意。“モスクワ”という地名の元らしい。語源は諸説あり)

・ティラス(ギリシャ語の「テュルセノイ」と同じと考えられる。=エトルリア人のこと)


彼らの名前は個人名でもあり、また一族の名前そのものになったと思われます。
ちょっと大変ですけど、ひとりずつご紹介致しましょう。

長子ゴメルは小アジア地方(今のトルコ)や、ヨーロッパ地方に移り住んだ民族の元祖と言われております。ちなみにゴメルという名前は、女性と男性両方に用いられます。このゴメルは、族長に名を連ねているのですから男性でしょう。

彼らの一族は後のキンメリア人だったと言われております。
キンメリア人はアッシリアとウラルトゥの文書にガミル人として表れていて、この名前はゴメルが訛ったものと思われます。

紀元前15世紀頃(諸説あり)に現れ、紀元前9世紀頃に南ウクライナで勢力をふるった遊牧騎馬民族であるキンメリアは、スキタイ人に追われ、最終的にはリディア人との戦に敗れて紀元前7世紀の終わりに滅びました。
クリミア半島の名は、この部族名が元だそうです。


彼には3人の子供が生まれました。

・アシュケナズ(「火」「炎がパチパチはぜる音」の意味)

・リファテ(パフレゴニヤ人のこと)

・トガルマ(フルギヤ人のこと)


アシュケナズは小アジアに移り住みましたが、さらに進んでヨーロッパに渡り、ドイツにも移り住んだようです。今でも、ユダヤ系のディアスポラ(元の国家や民族の居住地を離れて暮らす国民や民族)のうちドイツ語圏や東欧諸国などに定住した人々、およびその子孫はアシュケナジムと呼ばれています。
ユダヤ系の姓としてもよくある名前で、ロシアのピアニスト  ウラディーミル・アシュケナージなんかは有名ですね。彼は父方がユダヤ系だそうです。

次男のリファテ(名前の意味はわかりませんでした)は、後にパフレゴニア人となる一族の元祖になったようです。
パフレゴニアとはアナトリア(現在のトルコ)の黒海沿岸の古代地方名です。西はビチュニア,東はポントス,南はガラテアに囲まれていました。小アジアのなかでも最も古い国で,ホメロスの『イリアス』のなかにも登場します。
元々はカシュカ人という民族が住んでいたようで、ヒッタイト人の支配下に置かれたあとギリシアの植民地になり、トロイ戦争(紀元前1200年)においてトロイ人の同盟国に加盟し、トロイア陥落と共に王国が滅びたそうな。

三男のトガルマ(名前の意味不明)の一族は、のちのフルギア人だそうです。

フルギア、またはフリギアも古代アナトリアの王国の名前で、場所はトルコの中西部に位置します。
フルギア人はインド・ヨーロッパ語族のフリギア語を話す人々で、おそらくヨーロッパから紀元前12世紀頃移住してこの地域を支配し、紀元前8世紀に王国を建てたといいます。しかし紀元前7世紀末頃キンメリア人の支配に屈し、その後隣接するリディア、さらにペルシャ、アレクサンドロス3世(大王)とその後継者たち、そしてペルガモン王国に支配されたのち、ローマ帝国領内の地域名として名を残します。フリギア語は6世紀頃まで残ったらしいです。
その血脈は現在のアルメニア人に受け継がれていきます。

ということで、ゴメルの一族は今のトルコらへんに栄えましたとさ。



次男マゴグの一族はどうでしょうか?

ユダヤ人の歴史家ヨセフスの時代から,「マゴグの地」はヨーロッパの北東部と中央アジアにいるスキタイ人の諸部族と関係があるのではないかと言われてきました。

フラウィウス・ヨセフス(37~100年頃)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A8%E3%82%BB%E3%83%95%E3%82%B9


ただしスキタイ人に関しては、先程登場したマゴグの兄ゴメルの息子(つまりマゴグにとっての甥)・アシュケナズを祖とする説もあります。
アッシリア語でスキタイ人を指すアシュグザイという言葉に相当すると考える人もいるからです。

スキタイ人は、ウクライナを中心とする南ロシアに栄えたイラン系の騎馬民族です。
ギリシャやローマの時代の古典文学の著者たちはスキタイ人を「強欲かつ好戦的で大騎兵部隊を備え、しっかりと武装し弓に熟達した北方の野蛮人」として描写しています。
紀元前1000年頃には中央ユーラシアにいたらしく、彼らの文化はユーラシアに広く影響を与えたようです。

『アッシリア碑文』においてスキタイは、アシュグザあるいはイシュクザーヤと記されています。(紀元前7世紀)
古代ギリシア人によってこの地域の諸部族をまとめて指す際に使われた呼称でもあり、スキタイが滅んだ後も遊牧騎馬民族の代名詞として「スキタイ」の名は使われ続けたそうです。

スキタイ人の発生についてはいくつか伝説があります。

【スキタイ人の伝説】
ゼウスとボリュステネス神(現:ドニエプル川)の娘の間に生まれた息子・タルギタオスには3人の息子がおりました。
あるとき黄金のすき、くびき、器が空から落てきました。人がこれを取ろうとするといきなり火がついて燃え始めるので、誰も黄金の道具に触れませんでした。唯一、3兄弟の末弟コラクサイスだけは、近づくと火が消えて持ち帰ることができたので、これによって長兄と次兄はコラクサイスを王とすることにしました。彼らの民族は王の名にちなんでストロコイと呼ばれるようになりました。これがスキュティアの王国の始まりです。

【黒海地方在住のギリシア人による伝説】
ヘラクレスは牛を追いの途中で逃げてしまった馬を探しまわっていた最中、ヒュライアという土地の洞窟で、上半身は娘の姿で下半身が蛇の姿である怪物と遭遇します。ヘラクレスの馬は蛇女が保護していましたが、彼女が「返して欲しければ私と寝ろ」(←!!)と言うので、ヘラクレスは渋々了承し、しばらく同棲したあと馬を返してもらいました。
蛇女は3つ子を身ごもり、ヘラクレスに子供の処遇をたずねました。ヘラクレスは自分の持っていた弓、帯、杯をへび女に渡し「弓にうまく弦を張り、杯を提げた帯をうまく腰に巻く子以外は追い出してしまえ」と言いました。この試練に合格したのは末子のスキュテスだけで、彼は蛇女の土地に留まり王となりました。ここからスキュティア王国が始まったのです。

【ヘロドトス説】
スキタイはもともとアジアの遊牧民でしたが、当時のキンメリア地方に移りました。当時のキンメリアは現在(ヘロドトス当時)のスキュティア(スキタイの地)とされているので、この時キンメリアはスキタイによって奪われ、スキュティアと呼ばれることとなったのです。

【アリステアスの説】
アリマスポイ人(古代ギリシャ人の伝承でヨーロッパ北方の地に棲むと言われた一つ目の巨人族)がイッセドネス人(紀元前6世紀の古代ギリシャ時代にもっとも東に住む民族とされた遊牧民。その居住地は中央アジアのカザフステップだと思われる)を追い払ったせいでスキタイがイッセドネス人によって追われ、そのせいでスキタイがキンメリオイを追い払ってその地に居座りました。


【ギリシア史家ディオドロス(紀元前1世紀)の説】
初めはアラクセス(ヴォルガ)河畔にわずかな部族が住みついただけでしたが、あるとき戦好きで統帥力のある王が現れ、南はカウカソス(コーカサス)山脈、東は大洋オケアノス沿岸、西はタナイス(ドン)川に至る範囲を治めました。
この土地でひとりの処女が大地から生まれましたが、彼女の上半身は人間、下半身は蛇の姿でした。ある時、ゼウスが彼女と交わって男児をもうけ、スキュテスという名前をつけました。スキュテスはやがて名を挙げたため、彼の部族はスキュタイと呼ばれるようになりました。

***

えー、こんな感じに色々説はありますが、共通点も多いですね。
キーワードは「蛇女」「3人兄弟」「3つの神器」
族長がゼウスの血筋だとする神話が多いのは、早くからギリシャに植民地化されたからでしょうか?

紀元前7世紀頃から永らく栄華を誇ったスキタイ人でしたが、3世紀にゲルマン民族の東ゴート人に滅ぼされました。

とりあえずゴメル、あるいはアシュケナズから出たとされるスキタイ人たちは南ロシアに栄えましたとさ。


三男のマダイの名は、まんま『メディア人』を意味するらしいです。


メディア (media) とはメディウム(medium)の複数形で、「媒介するもの」 という意味です。現在は一般的に、情報伝達を媒介する 「情報メディア」 の意味に用いられてますね。


メディア人はもともとは南ロシアのステップ地帯で半農半牧の共同生活を営んでいましが、 次第に南下してオリエント世界に進出してきたイラン系民族の一部族です。

インド・ヨーロッパ語族のインド・イラン語派に属する古典語のメディア語を話していたメディア人がいつ頃イラン高原に定着したのかは明らかではありませんが、ギリシア語へ入ったメディア語人名の研究などから紀元前2千年紀末から紀元前1千年紀の初頭に、ガーサー語(古代アヴェスター語ともいう。サンスクリット語に近い 。ゾロアスター教の開祖ザラスシュトラも使っていた)やヴェーダ語(サンスクリット語の古語)を話す人々と接触を持っていたであろうと推定されているメディア人が定着したらしいです。

紀元前14~15世紀頃にはザクロス山中に住んでいて、 紀元前8世紀にエクバタナ (現在のハマダン)を都とするメディア王国の基礎ができました。 その頃のオリエントはアッシリアの支配下にありまして、メディア王国もアッシリアの一つの属国だったようです。

紀元前612年、大帝国アッシリアの都ニネヴェをカルデア王国 (新バビロニア) と共同で襲撃して陥落させてアッシリアを滅ぼしたメディア王国は、カルデア (新バビロニア)・リュディア・エジプトと並び、アッシリア亡きあとのオリエントを構成する4つの王国の柱のひとつになりました。
メディア王国の領土は、 現在のイラン・アフガニスタン・パキスタン西部・トルコ東部にまたがる広大なものでした。

しばらくの間強勢を誇ったメディアでしたが、紀元前550年頃に属国だったアケメネス朝ペルシャによって滅ぼされてしまいます。彼らの栄華は60年余りしか続かなかったわけです。


ギリシアの歴史家ヘロドトスによると、メディア人は6つの部族に分かれていますがそのうちのいくつかはスキタイ人のものと一致しているそうです。
また広い領土を有していたため、イラン系とは思われない集団もメディア人に含まれています。

・ブサイ族 (busae)
この部族の名はペルシア語で「土着」を意味するブザ (buza) から来たと考えられる。

パルタケノイ族 (Paraetaceni)
パルタケネ山周辺に拠点を置いた遊牧民を指す。

・ストルカテス族 (Strukhat)
詳細不明

・アリザントイ族 (Arizanti)
アリザントイの名は「高貴な人」を意味するアーリア (Arya) と氏族を意味するザントゥ (Zantu) からなると考えられる。

・ブディオイ族 (Budii)
黒海周辺のスキタイ人の部族ブディニと関係があると考えられる。

・マゴイ族(マギ族) (Magi)
この部族は祭司階級であったと考えられ、血統によって地位を継承していた。当時はまだゾロアスター教は一般化していなかったが、彼らはインド・イラン系の神々を祀っていたと考えられる。この部族の名は、後のアケメネス朝ペルシア時代に祭司を意味する語(マグ)として残存しており、メディア人の宗教観が長くイラン高原に残ったことを示唆する。

近代ではクルド人をメディア人の子孫とする説も浮上しているそうです。
表向きはアケメネス朝の半ば頃にはメディア人はペルシャ人と同化しており、現在メディア人という民族は存在しません。
(ペルシャ人は、のちのアーリア人です)

四男のヤワンは、これまたそのまんまヘブル語で「ギリシャ人」の意味です。
イオニア人は、紀元前2000年ころにバルカン半島を南下し、ギリシャ中部や小アジア北西部に定住したとされるアカイア人の一部。アイオリス人やドーリア人と並び、古代ギリシアを構成した集団のひとつです。

上でも書きましたが、ギリシャ人たちは自分たちのことを「イオニア人」と呼んでいました。
ギリシア神話では、イオニア人たちの祖はエレクテウス(アテナイ王)の娘クレウーサとアポロンの間に生まれた息子イオンとされています。民族名もイオンから取られたんですね。

ペルシア人たちは最初に接触を持ったのが小アジア西岸のギリシア人だったのでギリシア人全体をイオニア人と呼んだそうで、その呼び方がインドなど東方に広まったようです。
ちなみにギリシア人のことを、パーリ語ではYona、サンスクリット語ではYavana、アルメニア語ではHuyn、トルコ語ではYunan、さらに現代ペルシア語ではYnnと呼びます。いずれも、「イオニア(の) Ionian」から派生した言葉です。
ヘブル語の「ヤワン」も同じと思われます。


…で、そのヤワンの子孫は

・エリシャ(「神は救い」の意)

・タルシシュ(「粉砕する・精錬所」の意)

・キティム人(「拳闘家」の意。キプロス島のこと。「キプロス」は古代ギリシャ語で「銅」)

・ドダニム人(「ロダニム」と読む説もある。ロードス島に住む人々と考えられている)

の4人が紹介されています。


エリシャはギリシャや地中海のキプロス島に渡った人々の元祖らしいです。彼に関してはあんまり説明が見つかりませんでした。

次男タルシシュは、スペインに移り住んだ説と、トルコに移り住んだ説があります。
彼の名を冠した国を、トルコ地中海岸のタルススとする説とスペイン南部のタルテッソスとする説があるからです。

《トルコのタルスス》
トルコ中南部メルスィン県の都市。アダナから西へ約40km離れた地中海沿岸に位置します。
タルススは新石器時代から人が住んでいた、とても古い文化を持つ土地です。銅器時代、青銅器時代の居住地が続き、ヒッタイト、アッシリア、ペルシャ、マケドニア王国、ローマ帝国、アルメニア、東ローマ帝国、セルジューク朝、キリキア・アルメニア王国、オスマン帝国と何度も侵略を受け、破壊され、支配されてきました。
古代の都市名は「タルソス」で、タルク神(トルコの地母神)に由来していると考えられています。
紀元前400年前期ごろからペルシアの総督の所在地になり、その後セレウコス朝シリアの一部となり、ローマの征服後の紀元前66年にキリキア州の首都となり、全ての住民はローマの市民権を授与されます。
タルソスは、いくつかの重要な通商路が交差する位置にあり、南アナトリアをシリア、ポントスへと連絡していました。
1198年の建国されたキルキア・アルメニア王国はこの街を首都とし、1375年にマムルーク朝により喪失するまで維持していました。

《スペインのタルテッソス》
現在のスペイン南部アンダルシア地方のグアダルキビール川河口近くに存在したとされる古代王国のこと。
タルテッソス人は“錫の島”(ヘロドトス曰く、イギリスのこと)との交易を独占し、紀元前8世紀フェニキア人と組み、盛んに交易をしていたそうです。ヘロドトスなどギリシアの古代史家は、タルテッソスの伝説上の王・アルガントニオスが常人を遥かに超える長命を誇っていたとしています。
また、6000年以上前から法律があったそうです。


三番目に、キティム人が挙げられています。これまで人名扱いされていた子孫たちですが、ここは人種として扱われています。
「キティム」はキプロス島のことだそうです。前述のエリシャもキプロス島に移り住んだ説がありますので、なにか関連があるのかもしれません。

キプロス島は中東、トルコの南にある地中海の島。地中海ではシチリア島、サルデーニャ島に次いで3番目に大きな島です。
地中海貿易の中継点として栄え、ペルシャ、ギリシア、ローマなど、時代ごとの強大な国家の支配下に置かれました。

キプロス島には紀元前7000年の新石器時代から人が住んでいたそうです。紀元前1500年頃にヒッタイトがこの島にやってきて、紀元前1450年頃には古代エジプトの支配下に入り、紀元前1400年頃には、アカイア人(ギリシャ系)が入植してきました。その後、アカイア人はキプロス人のルーツの一つになりました。 ……もしかして、この「アカイア人」がキティムで、ヒッタイトが前述のエリシャとか…?


もうひとつ、ヤワンから出た人種としてドダニム人が紹介されています。
彼らはロードス島に住む人々と考えられています。

ロードス島、またはロドス島は、エーゲ海南部のアナトリア半島沿岸部に位置するギリシャ領の島です。ドデカネス諸島に属し、ギリシャ共和国で4番目に大きな面積を持っています。紀元前16世紀にはミノア文明の人々が、そして紀元前15世紀にアカイア人が到来し、さらに紀元前11世紀にはドーリア人がこの島へとやってきたようです。


ヤワンの子孫はこんなかんじです。




さて、ヤペテの五男トバルは、これまたいくつかの説を持っています。

①旧ソ連の中にある、グルジヤ共和国あたりに住んだ説。グルジヤ共和国の首都トビリシの名は、「トバル」に由来しているとされています。

②小アジア東部のキリキアの北東に住んだ説。トバルの名を、アッシリアの碑文に出て来るタバリと同じ民族を指すものとみなしています。それらの碑文の中ではタバリとムスク(後述するメシェクと思われる)が一緒に言及されています。ヘロドトスも、それらの名称をティバレニ人とモスキ人として列挙しています。

ティバレニ(タバレニとも)人はトラキア-プリュギア語派の部族としてモッシュノイコイ人と一緒にバルカン半島から来ました。
ちなみにモッシュノイコイ人とはプリュギアメンデレス川中流の谷に住んだと言われる民族です。敵の首を切り落としてそれを持って奇妙な節回しで 歌うとか、イルカの膏をオリーブ油みたいに使うとか、人前で性行為が普通に行われるとか、独特の文化を持っていた為にギリシア人からは蛮族と呼ばれていました。肌の色は白かったそうです。

ティバレニ人はのんきで陽気な民族であったといわれております。その一部はポントスの平原に住んでいましたが、一部はキンメリア人がアッシリア王の代々の敵としての力をそぐために強制移住させられたあと  彼らと親族関係にあるムシュキ人と同様、キリキアにとどまったといいます。

ちなみに彼の名前、どっかで聞いたことありましたね。
人類初の殺人を犯して追放されたカインの血を引く、高慢な王レメクの息子。彼の名前が聖書における人類初の鍛冶士《トバル・カイン》でした。
トバルの名には「騒ぐ」「あなたは運ばれる」「鍛冶」の意味があります。
ティバレニ人を支配していたと言われるカリュベス人は鉄の技術に優れた民族で、ヒッタイトの武器を作っていたといいます。カリュベス人の支配を受けていたティバレニにも、その技術が残っていても不思議はありませんね。


六男のメシェクは、モスコイ人というロシア共和国付近に移り住んだ民族と言われております。その説ですと、モスクワという名は「メシェク」に由来しているといいます。

また、先程トバルの紹介のとき出てきたアッシリアの碑文に記されている《ムスク》をメシェクとした場合ですが、彼らはフリギア人と合致するとも言われているようです。
長兄ゴメルの3番目の息子トガルマも、のちのフリギア(フルギア)人と言われていました。またまた何やら関係がありそうですねえ。

ちなみにモスクワはモスクワ川に由来します。モスクワ川の名前の由来として一般に言われているのは、

①古代のフィン・ウゴル語派の言語で「暗い」「濁った」を意味する説

②コミ語の「牛」が語源とする説

③モルドヴィン諸語で「熊」を意味するという説

など諸説あります。

ヘブル語のメシェク(引き出される)と、何か関係はあるのか。気になるところです。


さて、最後に兄弟の末っ子ティラスです。
彼の一族はエトルリア人、或いはエーゲ海周辺に移り住んだエトラシヤ人のことだと言われております。

エトルリア人はイタリア半島中部の先住民族です。インド・ヨーロッパ語族に属さないエトルリア語を使用しており、エトルリア文化を築きましたが徐々に古代ローマ人と同化し消滅したそうです。

近年の研究では、エトルリア人は「海の民」とも関係がありまして、エジプトに侵入した際にその文化をイタリア半島に持ち帰ったと言われています。後のローマやイタリアの貴族の間でエジプト文化が大流行したのも、どうやらここから来ているようです。

初期のローマ人はエトルリアの高度な文化を模倣したとされ、ローマ建築に特徴的なアーチは元々エトルリア文化の特徴であったといわれております。また、初期の王制ローマの王はエトルリア人であったとも言われ、異民族の王を追放することによってローマは初期の共和制に移行したということです。

エトラシヤ人に関しては、あまり記述がありませんでした。
エーゲ文明といえば古代ギリシアにおける最古の文明で、有名なトロイア、ミケーネ、ミノアの三文明のほか、さらに古い段階のキクラデス文明やヘラディック期ギリシア本土の文化などがあります。

発掘された王の宮殿から基本的に戦争もなく比較的平和な時代だったと推測されております。
城壁もなく開放的な城の姿は海洋民族の特徴です。高度な文明を残し、古代エジプト文明の影響を受けたとされ、また青銅器文化も栄えました。しかし紀元前12世紀頃に突然滅亡します。原因は未だ解明されていません。
「前1200年のカタストロフ(破局)」と呼ばれるこの災厄は古代エジプト、西アジア、アナトリア半島、クレタ島、ギリシャ本土を襲ったそうです。この災厄は諸説存在しており、

・気候の変動により西アジア一帯で経済システムが崩壊、農産物が確保できなくなったとする説

・エジプト、メソポタミア、ヒッタイトらが密接に関連していたが、ヒッタイトが崩壊したことでドミノ倒し的に諸国が衰退したとする説

などがあります。
このカタストロフを切っ掛けに、ヒッタイトだけが持っていた鉄生産の技術が流出。青銅器の時代が終わりを告げ、東地中海に鉄が広がりました。

……………

えー、非常に長くなってしまいましたが、これでヤペテの子供たち全員紹介しましたね。
ちょっとあまりに長かったので、改めてまとめてみましょ。

《ヤペテの子孫》
○ゴメル =キンメリア人(南ウクライナ/紀元前15~7世紀)
↓↓↓
・アシュケナズ=小アジア~ヨーロッパ人※マゴグの欄参照

・リファテ=パフレゴニア人(現トルコ黒海沿岸/?~紀元前12)

・トガルマ=フルギア人(現トルコ中西部/紀元前12~7世紀頃)=※メシェク(?)→アルメニア人

○マゴグ=スキタイ人(南ロシア、ウクライナ/?~紀元後3世紀)=※アシュケナズ(?)

○マダイ=メディア人(現在イラン・アフガニスタン・パキスタン西部・トルコ東部/紀元前20~5世紀)→ペルシャ人→アーリア人

○ヤワン =イオニア人(ギリシャ中部、小アジア北西部/紀元前20世紀~)
↓↓↓
・エリシャ=キプロス島民※キティム人の欄参照

・タルシシュ=(トルコorスペイン/?)

・キティム人=キプロス島民(アカイア人?)(キプロス島/紀元前70世紀~)=エリシャ(ヒッタイト人?)

・ドダニム人=ロードス島民(ロドス島/紀元前16世紀~)

○トバル=グルジア人(グルジア共和国付近/?)orティバレニ人(小アジア東部のキリキア/?)

メシェク=モスコイ人(現ロシア共和国付近/?)orフルギア人※トガルマの欄参照

ティラス=エトルリア人(イタリア半島中部・ローマ/?)orエトラシヤ人(エーゲ海周辺/?~紀元前12世紀)


えー、こうして並べてみますと、民族の古い順とかにまとめられてるわけではなさそうですね。歴史の影に隠れて滅びてしまったマイナーな民族の名前もちらほら。

つまり、少なくともこの話のこの章が書かれたときには、ここに記されている民族がみんな存在していたわけですね。
これらの民族の存在していた時代が被るのは、紀元前12世紀のみ。
そしてこの紀元前12世紀というのは、先程ティラスの紹介のときに出てきた『紀元前1200のカタストロフ』の時代です。

何やら恐ろしい予感がしますねー。

さて、とても長くなってしまったので、続きは次回ということで。

今回の楽曲はストラヴィンスキーの『エディプス王』。三大ギリシア悲劇作家のひとりソフォクレスの『オイディプス王』を元にしたオペラ=オラトリオです。
https://youtu.be/YIdimmUtYOI

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