プロフィール
HN:
赤澤 舞
性別:
女性
職業:
飲食店店員
趣味:
お菓子作ったりピアノ弾いたり本読んだり絵描いたり
自己紹介:
東京・神奈川・埼玉あたりでちょこまか歌 を歌っております。
一応声種はソプラノらしいですが、自分は あんまりこだわってません(笑) 要望があればメッツォもアルトもやりま すヽ(^。^)丿
音楽とお酒と猫を愛してます(*´▽`*) 美味しいものには目がありません。
レトロゲームや特撮も好物です。
ヴァイオリンは好きだけど弾けませんorz
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2016/01/18 (Mon)
さて、年の始めにその干支の動物についてなんとなく調べて、妄想を膨らませるというシリーズですが今回で3回目です。
地味に続いてます。
ちなみに過去↓
巳年(2013)
今年は巳年 http://katzeundgeige.blog.shinobi.jp/Entry/1/
未年(2015)
未年なので羊についてのあれやこれや http://katzeundgeige.blog.shinobi.jp/Entry/25/
今年、2016年は申年です。
申は本来「しん」と読み、稲妻を描いたもので「電」の原字でした。
更に「臼(両手)」と「|印(まっすぐ)」の形となり、手でまっすぐ伸ばすことで、「伸(のばす)」の原字となりました。
『漢書 律暦志』では「申堅」とし、草木が伸びきり、果実が成熟して堅くなっていく状態を表すと解釈しています。
これを「サル」としたのは、無学の庶民に十二支を浸透させるため、動物の名前を当てたと言われています。
順番や選ばれた理由は定かではありません。
…理由が定かでないのなら、妄想し放題ですよね!!!ですよね!!!??(爆)
さて、まずサルとはどんな生物なのか確認してみたいと思います。
日本語におけるサル(猿)とは、通俗的な意味ではサル目(霊長目)のうち、ヒト(古人類を含む)を除いたものの総称である。ただし、生物学的観点から見ればヒトもまた「サル」の一種に他ならない。 日本の歴史的文献においては、単に猿といえば日本固有種のニホンザルを指す場合が多い。
一方、英語のmonkey(モンキー)や、いくつかの言語での相当する語は、学術的な定義上はオナガザル科(旧世界猿、old world monkey)と広鼻猿(新世界猿、new world monkey)の総称である。つまり、サルのうち原猿(曲鼻猿とメガネザル)と類人猿を含まない(メガネザルは分類学上の地位が不安定だが、それとは関係なくmonkeyには含めない)。そのため日本語でも、特に翻訳文献で、サルにこれら(特にヒトに最も近いチンパンジー)を含めないことがある。
By、ウィキペディア。
つまりは、日本語でいう「猿」は人間以外のサル全部で、特に指定が無ければニホンザルのこと。
英語の「monkey」は、キツネザルだとかロリスだとかの古い時代のサルと、人間と、人間にちょっと近いゴリラだとかオランウータンだとかチンパンジーとかの類人以外のサルを指します。
サルといえば頭が良いというイメージの一方で、人間に似ているけど人間ほど知能が高くないということでしばしば差別表現に使われることもある、なんともかわいそうな扱いの動物です。
猿の生息しないヨーロッパ諸国やキリスト教国家では猿を見下す傾向にあり、韓国ではタブー視され忌み嫌われているそうです。
でも、インド・タイ・中国・日本といった猿が存在する多くのアジアの国では、比較的に猿自体は親しまれ(ハヌマーン・孫悟空など)、時には神仏の使いとして敬われています。
今回は日本の干支について考えるので、日本での「猿」たるニホンザルに的を絞ってみます。
ニホンザル(日本猿、学名:Macaca fuscata)は、哺乳綱サル目(霊長目)オナガザル科マカク属に分類されます。
体長47~60cm。尾長はオスが7~11cm、メスが6~11cm。体重はオス6~18kg、メス6~14kg。
顔や尻は裸出し、赤いのが特徴です。
属内ではアカゲザル、カニクイザル、タイワンザルに近縁と推定されていて、最も近縁なのはアカゲザルで50万年前に分化したとされております。
常緑広葉樹林や落葉広葉樹林に生息し、昼行性で、群れで行動します。
食性は植物食傾向の強い雑食で、主に果実を食べますが植物の葉、芽、草、花、種子、キノコ、昆虫なども食べます。
日本語の「猿(さる)」は、元来ニホンザルを指して使われた呼び名でした。 異称は「ましら」で、名前の説には諸説あります。
・知恵が勝っていることから「勝る(マサル)」の意とする説
・木にぶらさがることから「サガル」の略とする説
・「騒ぐ(サワグ)」の「サ」にルを添えたとする説
・「触(サハル)」や「戯(サルル)」の略とする説
・猿(サル)を意味する漢字「獣偏+孫」の字音「sar」
・サルを意味するアイヌ語「saro(サロ)」が転じた説
・インド中部のクリ語「sara」
・東南アジア方面の「sero」に由来する説
異名の「ましら」の方ですが、
南方熊楠氏曰く、これは梵語(古代インドのサンスクリット語)で猿を意味する「摩斯咤(マシタ)(markata)」の音が転訛したものだそうです。
ニホンザルは日本人にとって身近な動物でしたので、「桃太郎」とか「さるかに合戦」みたいな昔話とか、寓話や例え話、狂言とかによく登場します。
さて、ここで小話をひとつ。
日本人なら誰でも知ってる「桃太郎」や「カチカチ山」や「浦島太郎」ですが、このような昔話は、ずっとずっと昔は『神様へのささげもの』でした。
どういうことかっていいますと、古い民話というものは元々子供が夜寝る前に読んでもらったりするような軽いものではなく、正月や祭りなどの「ハレの日」に行われる「語り」だったのです。
恐らくですが各国の神話や、もっと言えば旧約聖書の元ネタたちも同じようなものだったのではないでしょうか。
人々が神と出会う神聖な日、村の語り手が正装して、神の代弁者として皆に話を語り、捧げ物とする…。古代社会において芸能は、神や支配者を楽しませるもの、奉納するものとしての要素があったのです。天岩戸に隠れた天照を、神楽で呼び起こしたように。
それを踏まえて、神話の中のサルという生き物を見てみましょう。
「日吉」
滋賀県大津市坂本の日吉大社で祀られている、比叡山に鎮まる神さまを指します。山王さまともいいます。
日吉大社に祀られているのは、
○大山咋神(おおやまくいのかみ、おほやまくひのかみ)
別名、山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)。名前の「くい(くひ)」は杭のことで、大山に杭を打つ神、つまり大きな山の所有者の神を意味します。山の地主神であり、また、農耕(治水)を司る神。
○大物主神(または大国主神)
・大物主神(おおものぬしのかみ)
日本神話に登場する神。大神神社の祭神、倭大物主櫛甕魂命(ヤマトオオモノヌシクシミカタマノミコト)。別名、三輪明神。
蛇神であり水神または雷神としての性格を持ち、稲作豊穣、疫病除け、酒造り(醸造)などの神として篤い信仰を集めています。また国の守護神である一方で、祟りなす強力な神ともされています。なお、大国主の分霊であるため大黒天として祀られることも多いです。
・大国主(おおくにぬし)
『古事記』『日本書紀』に登場する日本神話の神。国津神の代表的な神ですが、天孫降臨で天津神に国土を献上したことから「国譲りの神」とも呼ばれます。出雲大社の祭神で、スサノオの息子。
彼らは使いとして猿を使役します。
日吉の流れをくむ日枝神社(比叡山)でも、猿は使い番とされておりました。
また江戸の山王祭・神田祭では南伝馬町(現在の京橋一~三丁目)が、烏帽子狩衣姿で御幣を持つ猿の人形を飾った「幣猿の吹貫の山車」を祭礼に出していました。この御幣を持つ猿は山王・神田以外の祭礼の山車にも取り入れられています。
「庚申様」
庚申信仰(こうしんしんこう)とは、中国道教の説く「三尸説(さんしせつ)」をもとに、仏教(特に密教)・神道・修験道・呪術的な医学や、日本の民間のさまざまな信仰や習俗などが複雑に絡み合った複合信仰です。
庚申(かのえさる、こうしん)は、十干・十二支の60通りある組み合わせのうちの一つです。庚申の年・日は金気が天地に充満して、人の心が冷酷になりやすいとされております。
昔からこの庚申の日に禁忌(きんき)行事を中心とする信仰がありました。
おそらく8世紀末には「守庚申(しゅこうしん)」と呼ばれる、庚申の夜に謹慎して眠らずに過ごすという行事が始まっていたと思われます。
これは先程の小話で説明致しました「語り」にも深く関わってます。実は昼間に昔話を語ると不幸が起こるとされていて、禁忌とされていました。逆に、「話はお庚甲の晩」といって、庚申の日や正月などは夜通し語りを続けなくてはならない、という禁忌もあったのです。
日本独特の民間信仰である庚申信仰で祀られる主尊・青面金剛は、ラーマーヤナ説話の主人公・ラーマの本体であるヴィシュヌ神が日本で転化したものであると言われています。
青面金剛の足元にたびたび描かれる猿は、ラーマに仕えた猿神ハヌマーンの変形だそうです。
「厩神」
厩神(うまやがみ)は、かつての日本の厩(農民の家の中に設けられた馬の部屋)で信仰されていた守り神です。
日光東照宮の神厩舎(神馬をつなぐ厩)にある三猿の彫刻「見ざる・言わざる・聞かざる」が超有名ですね。(あれも神さまだったんだーーー!!)
昔の農家にとっては馬は牛と並んで重要な労働力であり、家族同然に大切に扱われておりました。人間を守る神と同様、馬を守る存在として生まれたものが厩神の信仰とされています。そして、厩神を祀る多くの地方では猿が馬の守り神とされていたのです。
日本には古来、猿は馬を守る守護者であるとする伝承がありました。
たとえば「猿は馬の病気を防ぐ」として、大名屋敷などでは厩において猿を舞わせる習慣があったのですが、こうした猿の舞を生業とする猿曳き(後の猿回し)は元来“馬医”も生業に兼ねていたそうです。
東北地方では「厩猿(まやざる)」と呼ばれる風習で、馬(や牛)の健康、安産、厩の火除けなどを願って厩の柱の上に厩神の祠を設け、猿の頭蓋骨や手足を御神体として納めていました。簡易な方法で済ます際には、猿の絵を描いた絵馬やお札を魔除けとして貼っていました。
これは非常に古い伝統で、元来は実物の猿を厩につないでいたものだったそうです。
守護仏として馬頭観音(馬頭明王)を祀ることもあり、馬が不慮の死を遂げた際には、その場所に馬頭観音の像を建てて供養をすることもあったそうです。
馬頭観音(ばとうかんのん / めづかんのん、梵名ハヤグリーヴァ)は、仏教における信仰対象である菩薩の一尊です。観音菩薩の変化身(へんげしん)の1つで、柔和相(ニコニコな仏さまの顔)と憤怒相(激おこな修羅の顔)の二つの相をもっています。
憤怒の顔の方のみ、馬頭明王とも呼ばれます。馬頭明王は梵名をそのまま訳して大持力明王ともよばれている、八大明王の一尊。憤怒の形相でさまざまな魔性を砕き、苦悩を断つ明王です。
神道の保食神(うけもちのかみ。とばっちりで殺されてしまった可哀想な女神。彼女の死体から馬や牛などあらゆる食べ物が生まれた。)、駒形神や蒼前神(馬の守護神)と習合し、民間信仰では馬の守護神とされ、さらに馬のみならずあらゆる畜生類を救うとされています。
本来はインド神話の梵天(ブラフマー)が倒した悪魔であり、転じてハヤグリーヴァはブラフマー神、またはヴィシュヌ神の化身とされております。 または、ヴィシュヌ神が魔を鎮めるために変身した馬の姿を起源にしているといわれ、ヴィシュヌ神の化身とされる説もあります。
梵名のハヤグリーヴァは「馬の首」「馬のたてがみを持つもの」の意です。これはヒンドゥー教では最高神ヴィシュヌの異名でもあります。つまりは青面金剛(ラーマ)=ヴィシュヌ神=馬頭観音ということですね。
サルがウマを守るといわれ、厩の守護とする伝承は古く広範囲に見られます。
例えば孫悟空が天界に召されたとき最初に任ぜられたのが天馬の厩の担当『官弼馬温』(ピーマーウェン、日本の発音では「ひつぱおん」)という役職でした。これは同音中国語の『避馬瘟』(サルはウマを守るもの)という伝承が元になっているそうです。
同じような伝承がインドにもあって、北インド地方の古いことわざに「ウマの病気がサルの頭上に集まる」というものがあります。恐らくこれが中国に渡り、そして日本に伝わったのでしょう。
「猿田彦」
サルタヒコ、またはサルタヒコノカミ
日本神話に登場する、天孫降臨の際に天照大神に遣わされた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を道案内した国津神。
伊勢国五十鈴川のほとりに鎮座したとされ、中世には庚申信仰や道祖神と結びつきました。
天の八衢(やちまた。道がいくつもに分かれている所)に立って高天原から葦原中国までを照らしている神。
鼻の長さは七咫(約1m26cm)、背長は七尺(約2m12cm)。目が八咫鏡やホオズキのように照り輝いているという姿です。
上記の風貌から、天狗の原形とする説があり、仏教(特に密教系)の烏天狗と混同されます。
また「天地を照らす神」ということから、天照大神以前に伊勢で信仰されていた太陽神だったとする説もあります。
天孫降臨の際に道案内をしたということから、道の神、旅人の神とされるようになり道祖神と同一視されました。そのため全国各地で塞の神・道祖神が「猿田彦神」として祀られています。
さらに江戸時代に入って「サル」の音から庚申講と結び付けられたほか、垂加神道では「導きの神」として神道の「教祖」とされるなど複雑な神格を持ちます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
猿は古来“山神”とされておりました。 猿は他の獣とは違って人の異形にして縮小態であり、それゆえに、山神の使者、あるいは神そのものとされたのです。
農業の神とも言われていますが、これは田畑を荒らされるのを防ぐために猿に餌をやったことが、かえって猿は田畑の守り神であると認知させることになったそうな。
また日吉大社の神々は猿を使いとしています。おそらくその字のとおり太陽崇拝に関係しており、日の出とともに騒ぎ出す猿は日神の使者と考えられたのではないかといいます。
妄想ですが、彼らが猿を使いとした経緯は、キリスト教が呑み込んだ他宗教の神を『天使』としたのに似ている気がします。
ミトラス教の太陽神ミトラを天使メタトロンとしたように、日本に昔からいた山神・太陽神・農工神としての猿神がまず神道に呑み込まれ、更に仏教とともに流入したインドの土俗神と混ざっていった。
今は格下の「神の使い」に甘んじてはいますが、かつては山一帯で信仰された、強力な力を持つ主神だったかもしれません。
「日吉」「庚申様」「猿田彦」…今も残る猿神の多さと、猿の登場する民話の数をを考えれば想像がつきます。
……えー、またもや話がとても長くなってしまったのですが、これで「猿神」がとても古くて、そこそこ力の強い神ってことがお分かり頂けたかと思います。
そこで一番最初のテーマ『なんで申に猿を当てはめた?』です。
干支は中国で生まれたものですから中国の偉い人が当てはめる動物を決めたと思うのですが。無学な人でも分かるように決めた動物ということは、一般人に身近な動物だったはずです。
でも、龍とか身近じゃないし。寧ろ想像上の生き物だし。
まだ深くは調べてないので何とも言えませんが、干支に選ばれた動物はみんな元々は神としての性質をかわれて選ばれたんじゃないでしょうか?
今回調べて、猿はそれなりに古い神だってことが分かりました。性質としては神の使い……旧約聖書の天使に近いですかね。
神の力は信仰です。新しい神が現れて人々の信仰心を奪えば、旧い神は呑まれて淘汰されるか吸収される。あるいは習合したり、下級神として据え置かれる。
そうしたことを繰り返して、人は宗教と共に土地と文化を奪い合って生きてきたのでしょう。今も昔も、やること変わりませんね。
そう思いながら見てみると、干支も深いものな気が致します。
私がそう考える、ひとつの例をご紹介しましょう。
誰もが知ってる「 桃太郎」ですが、このお話には起源となる伝説があります。
《温羅(うら)伝説》という、岡山の伝説です。
~~~~~~~~~~~~~~~~
昔々、吉備の国・阿曽の里に百済の国の王子《温羅》が渡来してきます。温羅は髭ぼうぼうに光る目をもち、身の丈は4mもある乱暴者で、居城を築き吉備の国を占拠しました。
里人は朝廷に助けを求め、朝廷は吉備津彦命(きびつひこのみこと)を派遣し、討伐の命を与えました。
激しい戦いの末、温羅は雉(きじ)や鯉に姿を変えて逃げますが、吉備津彦命は追いかけてその首をはねます。温羅の首は串に刺されても、何年経っても吠え続けました。吉備津彦命がその首を犬に喰わせて、吉備津神社のお釜殿の下に埋めても、静まりませんでした。
ある晩、吉備津彦命の夢に温羅が出てきて、「私の妻にお釜殿の火を炊かせて、吉凶を占え」とお告げをしました。そのとおりにすると、温羅の首は大人しくなりました。
それからお釜殿では毎年、吉凶を占う神事が行われるようになりましたとさ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
このお話をもとにして、室町時代に桃太郎が作られたそうです。
ちなみに百済が滅びたのが660年、室町幕府が興ったのが1336年です。
ほんとは、百済から渡来した温羅が阿曽の里に技術を伝え富をもたらしたために、地方が力を持つことを恐れた朝廷によって排除された…のではないかという説もあります。(個人的には、こっちが事実なんだろうなと思います)
ちなみに犬、猿、雉のモデルともいえる3人の家来もいて、
犬飼建命(いぬかいたけるのみこと)
楽々森彦命(ささもりひこのみこと)
留玉臣命(とよたまおみのみこと)
といいます。
参謀は猿、兵士は犬、密偵は雉というわけですが、この動物擬人化にもどうやら理由があるようです。
鬼を意味する『鬼門』は北東の方角です。十二支では丑寅で、それを封じ込めるために、真逆の方角である申・酉・戌を連れていった…というわけ。
かつての蛇神アラハバキたるヤマタノオロチを封じたスサノオのように、神を封じるのは同じく神です。
てことで、十二支はそれぞれが強い力を持つ神さまなんじゃないかなー。というお話でした。
地味に続いてます。
ちなみに過去↓
巳年(2013)
今年は巳年 http://katzeundgeige.blog.shinobi.jp/Entry/1/
未年(2015)
未年なので羊についてのあれやこれや http://katzeundgeige.blog.shinobi.jp/Entry/25/
今年、2016年は申年です。
申は本来「しん」と読み、稲妻を描いたもので「電」の原字でした。
更に「臼(両手)」と「|印(まっすぐ)」の形となり、手でまっすぐ伸ばすことで、「伸(のばす)」の原字となりました。
『漢書 律暦志』では「申堅」とし、草木が伸びきり、果実が成熟して堅くなっていく状態を表すと解釈しています。
これを「サル」としたのは、無学の庶民に十二支を浸透させるため、動物の名前を当てたと言われています。
順番や選ばれた理由は定かではありません。
…理由が定かでないのなら、妄想し放題ですよね!!!ですよね!!!??(爆)
さて、まずサルとはどんな生物なのか確認してみたいと思います。
日本語におけるサル(猿)とは、通俗的な意味ではサル目(霊長目)のうち、ヒト(古人類を含む)を除いたものの総称である。ただし、生物学的観点から見ればヒトもまた「サル」の一種に他ならない。 日本の歴史的文献においては、単に猿といえば日本固有種のニホンザルを指す場合が多い。
一方、英語のmonkey(モンキー)や、いくつかの言語での相当する語は、学術的な定義上はオナガザル科(旧世界猿、old world monkey)と広鼻猿(新世界猿、new world monkey)の総称である。つまり、サルのうち原猿(曲鼻猿とメガネザル)と類人猿を含まない(メガネザルは分類学上の地位が不安定だが、それとは関係なくmonkeyには含めない)。そのため日本語でも、特に翻訳文献で、サルにこれら(特にヒトに最も近いチンパンジー)を含めないことがある。
By、ウィキペディア。
つまりは、日本語でいう「猿」は人間以外のサル全部で、特に指定が無ければニホンザルのこと。
英語の「monkey」は、キツネザルだとかロリスだとかの古い時代のサルと、人間と、人間にちょっと近いゴリラだとかオランウータンだとかチンパンジーとかの類人以外のサルを指します。
サルといえば頭が良いというイメージの一方で、人間に似ているけど人間ほど知能が高くないということでしばしば差別表現に使われることもある、なんともかわいそうな扱いの動物です。
猿の生息しないヨーロッパ諸国やキリスト教国家では猿を見下す傾向にあり、韓国ではタブー視され忌み嫌われているそうです。
でも、インド・タイ・中国・日本といった猿が存在する多くのアジアの国では、比較的に猿自体は親しまれ(ハヌマーン・孫悟空など)、時には神仏の使いとして敬われています。
今回は日本の干支について考えるので、日本での「猿」たるニホンザルに的を絞ってみます。
ニホンザル(日本猿、学名:Macaca fuscata)は、哺乳綱サル目(霊長目)オナガザル科マカク属に分類されます。
体長47~60cm。尾長はオスが7~11cm、メスが6~11cm。体重はオス6~18kg、メス6~14kg。
顔や尻は裸出し、赤いのが特徴です。
属内ではアカゲザル、カニクイザル、タイワンザルに近縁と推定されていて、最も近縁なのはアカゲザルで50万年前に分化したとされております。
常緑広葉樹林や落葉広葉樹林に生息し、昼行性で、群れで行動します。
食性は植物食傾向の強い雑食で、主に果実を食べますが植物の葉、芽、草、花、種子、キノコ、昆虫なども食べます。
日本語の「猿(さる)」は、元来ニホンザルを指して使われた呼び名でした。 異称は「ましら」で、名前の説には諸説あります。
・知恵が勝っていることから「勝る(マサル)」の意とする説
・木にぶらさがることから「サガル」の略とする説
・「騒ぐ(サワグ)」の「サ」にルを添えたとする説
・「触(サハル)」や「戯(サルル)」の略とする説
・猿(サル)を意味する漢字「獣偏+孫」の字音「sar」
・サルを意味するアイヌ語「saro(サロ)」が転じた説
・インド中部のクリ語「sara」
・東南アジア方面の「sero」に由来する説
異名の「ましら」の方ですが、
南方熊楠氏曰く、これは梵語(古代インドのサンスクリット語)で猿を意味する「摩斯咤(マシタ)(markata)」の音が転訛したものだそうです。
ニホンザルは日本人にとって身近な動物でしたので、「桃太郎」とか「さるかに合戦」みたいな昔話とか、寓話や例え話、狂言とかによく登場します。
さて、ここで小話をひとつ。
日本人なら誰でも知ってる「桃太郎」や「カチカチ山」や「浦島太郎」ですが、このような昔話は、ずっとずっと昔は『神様へのささげもの』でした。
どういうことかっていいますと、古い民話というものは元々子供が夜寝る前に読んでもらったりするような軽いものではなく、正月や祭りなどの「ハレの日」に行われる「語り」だったのです。
恐らくですが各国の神話や、もっと言えば旧約聖書の元ネタたちも同じようなものだったのではないでしょうか。
人々が神と出会う神聖な日、村の語り手が正装して、神の代弁者として皆に話を語り、捧げ物とする…。古代社会において芸能は、神や支配者を楽しませるもの、奉納するものとしての要素があったのです。天岩戸に隠れた天照を、神楽で呼び起こしたように。
それを踏まえて、神話の中のサルという生き物を見てみましょう。
「日吉」
滋賀県大津市坂本の日吉大社で祀られている、比叡山に鎮まる神さまを指します。山王さまともいいます。
日吉大社に祀られているのは、
○大山咋神(おおやまくいのかみ、おほやまくひのかみ)
別名、山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)。名前の「くい(くひ)」は杭のことで、大山に杭を打つ神、つまり大きな山の所有者の神を意味します。山の地主神であり、また、農耕(治水)を司る神。
○大物主神(または大国主神)
・大物主神(おおものぬしのかみ)
日本神話に登場する神。大神神社の祭神、倭大物主櫛甕魂命(ヤマトオオモノヌシクシミカタマノミコト)。別名、三輪明神。
蛇神であり水神または雷神としての性格を持ち、稲作豊穣、疫病除け、酒造り(醸造)などの神として篤い信仰を集めています。また国の守護神である一方で、祟りなす強力な神ともされています。なお、大国主の分霊であるため大黒天として祀られることも多いです。
・大国主(おおくにぬし)
『古事記』『日本書紀』に登場する日本神話の神。国津神の代表的な神ですが、天孫降臨で天津神に国土を献上したことから「国譲りの神」とも呼ばれます。出雲大社の祭神で、スサノオの息子。
彼らは使いとして猿を使役します。
日吉の流れをくむ日枝神社(比叡山)でも、猿は使い番とされておりました。
また江戸の山王祭・神田祭では南伝馬町(現在の京橋一~三丁目)が、烏帽子狩衣姿で御幣を持つ猿の人形を飾った「幣猿の吹貫の山車」を祭礼に出していました。この御幣を持つ猿は山王・神田以外の祭礼の山車にも取り入れられています。
「庚申様」
庚申信仰(こうしんしんこう)とは、中国道教の説く「三尸説(さんしせつ)」をもとに、仏教(特に密教)・神道・修験道・呪術的な医学や、日本の民間のさまざまな信仰や習俗などが複雑に絡み合った複合信仰です。
庚申(かのえさる、こうしん)は、十干・十二支の60通りある組み合わせのうちの一つです。庚申の年・日は金気が天地に充満して、人の心が冷酷になりやすいとされております。
昔からこの庚申の日に禁忌(きんき)行事を中心とする信仰がありました。
おそらく8世紀末には「守庚申(しゅこうしん)」と呼ばれる、庚申の夜に謹慎して眠らずに過ごすという行事が始まっていたと思われます。
これは先程の小話で説明致しました「語り」にも深く関わってます。実は昼間に昔話を語ると不幸が起こるとされていて、禁忌とされていました。逆に、「話はお庚甲の晩」といって、庚申の日や正月などは夜通し語りを続けなくてはならない、という禁忌もあったのです。
日本独特の民間信仰である庚申信仰で祀られる主尊・青面金剛は、ラーマーヤナ説話の主人公・ラーマの本体であるヴィシュヌ神が日本で転化したものであると言われています。
青面金剛の足元にたびたび描かれる猿は、ラーマに仕えた猿神ハヌマーンの変形だそうです。
「厩神」
厩神(うまやがみ)は、かつての日本の厩(農民の家の中に設けられた馬の部屋)で信仰されていた守り神です。
日光東照宮の神厩舎(神馬をつなぐ厩)にある三猿の彫刻「見ざる・言わざる・聞かざる」が超有名ですね。(あれも神さまだったんだーーー!!)
昔の農家にとっては馬は牛と並んで重要な労働力であり、家族同然に大切に扱われておりました。人間を守る神と同様、馬を守る存在として生まれたものが厩神の信仰とされています。そして、厩神を祀る多くの地方では猿が馬の守り神とされていたのです。
日本には古来、猿は馬を守る守護者であるとする伝承がありました。
たとえば「猿は馬の病気を防ぐ」として、大名屋敷などでは厩において猿を舞わせる習慣があったのですが、こうした猿の舞を生業とする猿曳き(後の猿回し)は元来“馬医”も生業に兼ねていたそうです。
東北地方では「厩猿(まやざる)」と呼ばれる風習で、馬(や牛)の健康、安産、厩の火除けなどを願って厩の柱の上に厩神の祠を設け、猿の頭蓋骨や手足を御神体として納めていました。簡易な方法で済ます際には、猿の絵を描いた絵馬やお札を魔除けとして貼っていました。
これは非常に古い伝統で、元来は実物の猿を厩につないでいたものだったそうです。
守護仏として馬頭観音(馬頭明王)を祀ることもあり、馬が不慮の死を遂げた際には、その場所に馬頭観音の像を建てて供養をすることもあったそうです。
馬頭観音(ばとうかんのん / めづかんのん、梵名ハヤグリーヴァ)は、仏教における信仰対象である菩薩の一尊です。観音菩薩の変化身(へんげしん)の1つで、柔和相(ニコニコな仏さまの顔)と憤怒相(激おこな修羅の顔)の二つの相をもっています。
憤怒の顔の方のみ、馬頭明王とも呼ばれます。馬頭明王は梵名をそのまま訳して大持力明王ともよばれている、八大明王の一尊。憤怒の形相でさまざまな魔性を砕き、苦悩を断つ明王です。
神道の保食神(うけもちのかみ。とばっちりで殺されてしまった可哀想な女神。彼女の死体から馬や牛などあらゆる食べ物が生まれた。)、駒形神や蒼前神(馬の守護神)と習合し、民間信仰では馬の守護神とされ、さらに馬のみならずあらゆる畜生類を救うとされています。
本来はインド神話の梵天(ブラフマー)が倒した悪魔であり、転じてハヤグリーヴァはブラフマー神、またはヴィシュヌ神の化身とされております。 または、ヴィシュヌ神が魔を鎮めるために変身した馬の姿を起源にしているといわれ、ヴィシュヌ神の化身とされる説もあります。
梵名のハヤグリーヴァは「馬の首」「馬のたてがみを持つもの」の意です。これはヒンドゥー教では最高神ヴィシュヌの異名でもあります。つまりは青面金剛(ラーマ)=ヴィシュヌ神=馬頭観音ということですね。
サルがウマを守るといわれ、厩の守護とする伝承は古く広範囲に見られます。
例えば孫悟空が天界に召されたとき最初に任ぜられたのが天馬の厩の担当『官弼馬温』(ピーマーウェン、日本の発音では「ひつぱおん」)という役職でした。これは同音中国語の『避馬瘟』(サルはウマを守るもの)という伝承が元になっているそうです。
同じような伝承がインドにもあって、北インド地方の古いことわざに「ウマの病気がサルの頭上に集まる」というものがあります。恐らくこれが中国に渡り、そして日本に伝わったのでしょう。
「猿田彦」
サルタヒコ、またはサルタヒコノカミ
日本神話に登場する、天孫降臨の際に天照大神に遣わされた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を道案内した国津神。
伊勢国五十鈴川のほとりに鎮座したとされ、中世には庚申信仰や道祖神と結びつきました。
天の八衢(やちまた。道がいくつもに分かれている所)に立って高天原から葦原中国までを照らしている神。
鼻の長さは七咫(約1m26cm)、背長は七尺(約2m12cm)。目が八咫鏡やホオズキのように照り輝いているという姿です。
上記の風貌から、天狗の原形とする説があり、仏教(特に密教系)の烏天狗と混同されます。
また「天地を照らす神」ということから、天照大神以前に伊勢で信仰されていた太陽神だったとする説もあります。
天孫降臨の際に道案内をしたということから、道の神、旅人の神とされるようになり道祖神と同一視されました。そのため全国各地で塞の神・道祖神が「猿田彦神」として祀られています。
さらに江戸時代に入って「サル」の音から庚申講と結び付けられたほか、垂加神道では「導きの神」として神道の「教祖」とされるなど複雑な神格を持ちます。
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猿は古来“山神”とされておりました。 猿は他の獣とは違って人の異形にして縮小態であり、それゆえに、山神の使者、あるいは神そのものとされたのです。
農業の神とも言われていますが、これは田畑を荒らされるのを防ぐために猿に餌をやったことが、かえって猿は田畑の守り神であると認知させることになったそうな。
また日吉大社の神々は猿を使いとしています。おそらくその字のとおり太陽崇拝に関係しており、日の出とともに騒ぎ出す猿は日神の使者と考えられたのではないかといいます。
妄想ですが、彼らが猿を使いとした経緯は、キリスト教が呑み込んだ他宗教の神を『天使』としたのに似ている気がします。
ミトラス教の太陽神ミトラを天使メタトロンとしたように、日本に昔からいた山神・太陽神・農工神としての猿神がまず神道に呑み込まれ、更に仏教とともに流入したインドの土俗神と混ざっていった。
今は格下の「神の使い」に甘んじてはいますが、かつては山一帯で信仰された、強力な力を持つ主神だったかもしれません。
「日吉」「庚申様」「猿田彦」…今も残る猿神の多さと、猿の登場する民話の数をを考えれば想像がつきます。
……えー、またもや話がとても長くなってしまったのですが、これで「猿神」がとても古くて、そこそこ力の強い神ってことがお分かり頂けたかと思います。
そこで一番最初のテーマ『なんで申に猿を当てはめた?』です。
干支は中国で生まれたものですから中国の偉い人が当てはめる動物を決めたと思うのですが。無学な人でも分かるように決めた動物ということは、一般人に身近な動物だったはずです。
でも、龍とか身近じゃないし。寧ろ想像上の生き物だし。
まだ深くは調べてないので何とも言えませんが、干支に選ばれた動物はみんな元々は神としての性質をかわれて選ばれたんじゃないでしょうか?
今回調べて、猿はそれなりに古い神だってことが分かりました。性質としては神の使い……旧約聖書の天使に近いですかね。
神の力は信仰です。新しい神が現れて人々の信仰心を奪えば、旧い神は呑まれて淘汰されるか吸収される。あるいは習合したり、下級神として据え置かれる。
そうしたことを繰り返して、人は宗教と共に土地と文化を奪い合って生きてきたのでしょう。今も昔も、やること変わりませんね。
そう思いながら見てみると、干支も深いものな気が致します。
私がそう考える、ひとつの例をご紹介しましょう。
誰もが知ってる「 桃太郎」ですが、このお話には起源となる伝説があります。
《温羅(うら)伝説》という、岡山の伝説です。
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昔々、吉備の国・阿曽の里に百済の国の王子《温羅》が渡来してきます。温羅は髭ぼうぼうに光る目をもち、身の丈は4mもある乱暴者で、居城を築き吉備の国を占拠しました。
里人は朝廷に助けを求め、朝廷は吉備津彦命(きびつひこのみこと)を派遣し、討伐の命を与えました。
激しい戦いの末、温羅は雉(きじ)や鯉に姿を変えて逃げますが、吉備津彦命は追いかけてその首をはねます。温羅の首は串に刺されても、何年経っても吠え続けました。吉備津彦命がその首を犬に喰わせて、吉備津神社のお釜殿の下に埋めても、静まりませんでした。
ある晩、吉備津彦命の夢に温羅が出てきて、「私の妻にお釜殿の火を炊かせて、吉凶を占え」とお告げをしました。そのとおりにすると、温羅の首は大人しくなりました。
それからお釜殿では毎年、吉凶を占う神事が行われるようになりましたとさ。
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このお話をもとにして、室町時代に桃太郎が作られたそうです。
ちなみに百済が滅びたのが660年、室町幕府が興ったのが1336年です。
ほんとは、百済から渡来した温羅が阿曽の里に技術を伝え富をもたらしたために、地方が力を持つことを恐れた朝廷によって排除された…のではないかという説もあります。(個人的には、こっちが事実なんだろうなと思います)
ちなみに犬、猿、雉のモデルともいえる3人の家来もいて、
犬飼建命(いぬかいたけるのみこと)
楽々森彦命(ささもりひこのみこと)
留玉臣命(とよたまおみのみこと)
といいます。
参謀は猿、兵士は犬、密偵は雉というわけですが、この動物擬人化にもどうやら理由があるようです。
鬼を意味する『鬼門』は北東の方角です。十二支では丑寅で、それを封じ込めるために、真逆の方角である申・酉・戌を連れていった…というわけ。
かつての蛇神アラハバキたるヤマタノオロチを封じたスサノオのように、神を封じるのは同じく神です。
てことで、十二支はそれぞれが強い力を持つ神さまなんじゃないかなー。というお話でした。
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