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東京・神奈川・埼玉あたりでちょこまか歌 を歌っております。

一応声種はソプラノらしいですが、自分は あんまりこだわってません(笑) 要望があればメッツォもアルトもやりま すヽ(^。^)丿

音楽とお酒と猫を愛してます(*´▽`*) 美味しいものには目がありません。

レトロゲームや特撮も好物です。

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2016/03/05 (Sat)
えー、相変わらず続いています。

※キリスト教徒でもユダヤ教徒でもイスラム教徒でもプロの考古学者でもないただの一般日本人が、聖書を読んで楽しんでいるだけです。
気になったことは本を読んだりネットで情報を拾ったりしていますが、あくまで一般人が手に入れられる範囲です。
多大なる妄想を含んでいます。本気にしないでください。

前回の続きからです。
第十章の途中から。相も変わらず読みにくい部分ですが、聖書のこの章は最古の『擬人化ジャンル作品』だと信じて疑いません(爆)ヘタリアの古代版、みたいな。
萌えさえあれば、難関な文献も読むのは容易いものです。(笑)

(ちなみに前回↓↓)
聖書を楽しむ【6】 http://katzeundgeige.blog.shinobi.jp/Entry/31/


今回は3兄弟の真ん中、ハムの子孫の説明です。
前々回、第9章でノアの裸を見たために末っ子カナンの子孫が呪われてしまった、因縁の一族です。

「熱い、暑い」という名のハムには、4人の子孫が生まれました。

・クシュ(「黒い」の意。あるいは「人殺し」という意味?)

・ミツライム(単数形「ミスル(国、都市、土地、要塞)」の複数形で「2つの要塞」「2つの街」、別説では「鉄の溶鉱炉」の意。エジプトを指す)

・プテ(「弓」の意)

・カナン(「商人」あるいは「赤紫の染料」の意 /前々回の記事参照)



クシュは、旧約聖書の古代訳であるアレキサンドリヤ・ギリシャ語訳では「エチオピア」となります。

クシュ(またはクシテ)は現在の南エジプトと北スーダンに当たる北アフリカのヌビア地方を中心に繁栄した文明です。最初の発達した社会が現れたのは、エジプト第1王朝(紀元前3100年頃から紀元前2890年頃)の時代頃と言われています。
最も早い時代にナイル川流域で発達した文明の一つで、エジプトの領域内への進入の時期後に発展しました。並存していた期間は短かったですが、エジプト新王国と相互に影響を与え合っていたといいます。

クシュの国として知られている最初の国はケルマ王国で、紀元前2600年ごろに興り、ヌビアの全てとエジプトの一部を支配したといいます。文字資料が発見されていない上、エジプトの資料もめったに言及していないので、詳しくはわかっていません。

紀元前1500年ごろ、この地域はトトメス1世の支配下に置かれ、植民地化されます。トトメス1世の軍隊はたくさんの堅固な要塞を築き、クシュはエジプトに金や奴隷をはじめとする様々な資源を供給しました。
紀元前11世紀にエジプトで内部抗争が起こったことによって植民地支配が崩壊して王国の独立運動が起こると、王国は植民地の政権を転覆させた地元民によって支配されました。

エジプトの文化と技術の影響は、ピラミッドの建築(「ヌビアのピラミッド」)、土着の神と同じように崇拝されたエジプトの神の崇拝などにはっきりと見ることができます。

紀元前10世紀ごろからは、現在のスーダンのナパタ(ゲベル・バルカル)周辺でエジプトの影響を受けたクシュ王国が繁栄しました。
紀元前4世紀頃まではナパタを首都としたので、ナパタ王国とも呼ばれます。全盛期にはエジプトを支配し、ブラックファラオと言われる黒人の王を誕生させたといいます。
エジプト支配は100年ほどで終わりましたが、クシュ王国は紀元4世紀まで1300年にわたって続きました。

更に年時代が下って紀元前591年、アスペルタ王という王さまがメロエに都を遷都し、以降クシュは「メロエ王国」と呼ばれるようになりました。
メロエ王国は鉱物資源や農産物に恵まれ、アビシニア(エチオピア)からインド洋へ通じる交易路の結節点として栄えました。
アッシリアから導入した製鉄技術が高度に発達し、アフリカ大陸全土に広まり、クシュ人自らも製鉄を行いアフリカ黒人の歴史上最初の鉄器製造の中心地となりました。
また小型のピラミッドが数多く建造され、ヒエログリフをもとにしたとみられるメロエ文字が発明されるなど、クシュ王国同様エジプトの影響を色濃く受けておりました。
エルガメネス(在前248~220)王の頃に最盛期を迎えたメロエ王国でしたが、350年頃、アビシニア高原(エチオピア高原)に興ったアクスム王国の侵攻を受けて滅亡しました。


個人的に、クシュはキシュ王国との関係もあるんじゃないのかなぁ、と思っているのですが、如何せん資料が全然ないのでただの妄想です。
キシュは古代メソポタミアの都市またはそこに起こった国家で、現代名はテル・アル・ウハイミル。イラク共和国バービル県内のバビロン遺跡の東12kmに位置します。
人が住み始めたのは紀元前6000年くらいで、紀元前3000年に入るとシュメール人やセム人達にとって特別な地位を持った都市として歴史に登場します。
シュメール王名表の説話によれば、伝説的な大洪水の後、最初に王権が降りたとされる都市で、この王朝をキシュ第1王朝と呼び、シュメール人達による繁栄と栄光の時代であるとされました。


クシュの名前についてですが、聖書関係のサイトなどで調べると「黒い」という意味が出てくることが多かったのですけれども、ペルシア語では「殺人」を意味するようで興味深く思っています。
アフガニスタンの北東からパキスタン北西に「ヒンドゥークシュ山脈」と呼ばれる1200kmもの山脈があるのですが、 ヒンドゥークシュとはペルシア語で「インド人殺し」という意味だそうです。インド人の奴隷がかつてペルシアに抜ける際にこの山中の険しさから何人も亡くなったことに由来していると言われています。

関係ないかもしれませんが、大麻合法化時代に突入したアメリカでは『KUSH (クッシュ)』はマリファナの代名詞となっています。
「人を殺すもの」という意味をもって付けられた名だとしたら、と考えるとゾッとしますね。麻薬ダメ、ゼッタイ。


そんな不穏な名をもつクシュの子孫は

・セバ(「誓い」「約束」の意?)

・ハビラ(「砂地」の意)

・サブタ(ハドラマウトの古代首都サボタ?)

・ラマ(「高い所」の意)

・サブテカ(ペルシャ湾東側の都サムダケを建設した民族?)

が紹介されています。


セバはエチオピア南方の地域で、エチエピアの町メロイの旧名だそうです。
このメロイは、どうやら先程クシュの説明のとき出てきたメロエのことみたいです。
最初に興ったケルマ王国をクシュ、紀元前591年に遷都されたメロエ王国をセバ、と分けているってことでしょうか。或いは国としてじゃなく、大きな都市としてのメロエを指したかもしれません。
まあ同じ地域から生まれた国ですから、親子に擬人化しても不自然ではないですかね。

アラビア半島南西部のマリブを都とする商業国の建設者、という説もあります。
こちらは、もっとあとに出てくる《シェバ》を指すとも言われていますが、この二国は同一視されたりもしています。



ハビラは、実は超序盤で一度登場済みの名前なのですけれども覚えておいででしょうか??
《エデン》から流れる一本の川から別れた《チグリス》《ユーフラテス》《ピション》《ギホン》が流れる土地の名前です。
アラビア半島の北部だとか、エジプトの近くだとか、色々言われてます。
いずれにしても、「砂地」で「良質な金や松脂や縞瑪瑙が採れる場所」だったのでしょう。全く記録は残ってませんが、とても古い土地だと思われます。


サブタはアラビア南部の、恐らく後日サブタに似たような名前が付いた場所の一つに住み着いた一族の祖と考えられています。
一説には、ハドラマウトの古代の首都サボタが挙げられていて、もう1つはペルシャ湾の近くのサプタという町が候補になってます。
これらの場所とサブタとの関係はいまだに定かではないそうですが。

ハドラマウト(Hadramawt、Hadhramaut)は、南アラビアの一地域です。現在のイエメン共和国領の東部にあたります。
アラビア海に面したアラビア半島の南端部の一角を占めており、深いワジ(砂漠気候地帯や乾燥地帯の各地にある、流水のない「涸れ川」 (かれがわ)。雨季の一時的な豪雨のときのみに水が流れる)が広がる地形です。
紀元前8~3世紀にハドラマウト王国が栄えましたが、それ以前にも交易の中心地、および物資集散地として繁栄しました。古代ギリシャや古代ローマの時代には「幸福のアラビア (Arabia a Felix)」として知られていたそうです。

ペルシャ湾のサプタは、いくら探してもネットでは出てきませんでした。
この説を唱えたプトレマイオスとは、恐らく古代ローマの学者クラウディオス・プトレマイオス(90~168)じゃないかなーと思うのですが。
ネパールにもサプタリ郡という場所がありましたが、関係があるのか無いのか。
知ってる方いたら教えてください m(__)m

ちなみにサブタの名前の意味は分かりませんでしたが、《サプタ》はサンスクリット語で数字の《7》でした。これまた全然関係ないかもしれませんけども(^_^;)


ラマは、ハドラマウト北方に住んだランマニテ人のことだそうです。ランマニテ人についても、ネットでさっぱり出てこなかったんでよく分かりませんでした。
ハドラマウトは、ハドラミ人の王国ができる前からアラブ人の部族の国がいくつああったようですので、そのうちのひとつなのかもしれません。
(イスラム教の開祖・ムハンマドが現れる以前のアラブ人は統一された社会共同体もなく、部族社会を形成していました。)
「高いところ」という名前なので、ワジの高いところに集落を築いていたのでしょうか。

そんなラマの子孫として挙げられているのが

・シェバ(※セバの欄参照)

・デダン(「低い国」の意)

シェバは、シバ王国、あるいはサバ王国とされています。名前だけなら「シバの女王」で有名かと思います。アラビア半島南部に存在していたと思われる国家です。

紀元前1000年頃の鉄器時代からアラビア半島南部では諸王国ができていたのですが、史料に初めてアラビア半島の国家の名が現れたのは紀元前8世紀頃です。その国はサバアと呼ばれ、ダムを利用した灌漑農業や香料の生産、エジプトからメソポタミア、インドに渡る海上貿易などによって経済的に豊かな国であったとされています。
サバ王国がいつ頃まであったのかはよくわかりませんでしたが、紀元前2世紀頃、気候変動による乾燥化やエジプトによる海洋交易網の整備に伴う陸上交易の縮小などにより、南アラビアの諸国が衰退しましたので、その頃に消滅したのかもしれません。

一般的に、シェバはクシュの子孫として出てきた「セバ」と同一視されているようです。
アラビア半島とエチオピアは紅海を挟んでお隣さんなので、もしかしたら元はひとつの国として数えられていたのかもしれません。(現在は、ヨーロッパ植民地から独立した国々が間にあります。)


デダンはのちにアラビアの一部に定住した人々のようです。北方アラビア人の祖であるという説もありました。


サブテカはアラビア南部か、恐らくエチオピアに住み着いた人種の祖と言われています
が,その正確な位置は謎です。
ペルシャ湾東側の都サムダケを建設した民族を指すという説もありますが、サムダケについてはネットでは何も分かりませんでした。

さて、これまでクシュの子孫の話をしてましたが、次に紹介されているのはクシュの《息子》です。原文にわざわざ「クシュが生んだ」とつけられているので、血の繋がった息子(個人名)なのでしょう。他の子孫たちと違って、民族名というわけでも無さそうです。


読んでてちょっとわかりにくかったのが、原文の

『彼は主のおかげで、力ある猟師になったので、「主のおかげで、力ある猟師ニムロデのようだ。」と言われるようになった。』
(原文ママ)

というところでした。

ニムロデという名前は「反逆する」という意味がありまして、一般的に彼は神さまに反逆した人物として解釈されているようです。
『地上で最初の権力者になった』と書かれてますし。
アダムの息子カインが建てた『エノクの町』もそうでしたけども、神さまは人間が定住するのをそもそも好んでませんでした。人間同士で支配したりされたりするのも好きじゃなかったですね。
(聖書を楽しむ【2】参照)
↓↓↓↓
http://katzeundgeige.blog.shinobi.jp/mouso/%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%82%92%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%82%80%E3%80%902%E3%80%91


『猟師』という表現は、昔の王さまの表現だと思われます。
古代のエジプトの壁画にも王がライオンを仕留めている絵があることから分かるように、『王』=『強力な武器をもって敵を殺し、人を従える力を持つ英雄』というのが当時の一般的なイメージだったようです。
ニムロデが力あるハンターであったというのは、彼が武器をもって人々を黙らせ、従わせる力ある英雄だったことを意味していると考えられます。

また、これはもっと後で出てくるので検証はまだしていないのですが、エゼキエル書の中では「偽りの預言者」を「猟師」と表現しているそうです。人の魂…すなわち信仰心を奪い、人の命そのものも手中に入れてしまうことからの表現です。

聖書の神様側からすると「反逆者」に他ならないかもしれないニムロデですが、人間側からすると当時はどうだったんでしょう。
人々の支持を得るカリスマ性を持った支配者です。もしかすると名君だったかも。
ニムロデという名前も後から付けられたのでは、という説もありました。

まあとにかく、これで上記の一文の意味が少し分かりましたね。

『彼は神さまのおかげで強力な王さま(あるいは予言者)になったので、「反逆者のようだ。」と言われるようになった。』
ということです。

そうなると「神さまのおかげ」というのがちと気になります。これにはいくつか説がありました。

・ノアの洪水後の人々は後に来る厄災を恐れていたが、ニムロデの治世のときにはそれが起こらなかった為、みんなが勝手にそう思った

・「おかげ」と訳されている単語は「~の前で」とも訳すことができ、つまり「神さまの前では反逆者です」という意味

・ニムロデも最初は神さまの加護を得た「正しき王」だったが、その後の治世で神さまの信頼を失って「反逆者」となった

・元々神に反抗するために、「力ある猟師」になった

あとは

・ニムロデは神さまがアダムに与えた「皮の服」を盗んだために強力な王になった

なんて説もありました。

楽園を追放されたアダムに神様が与えた「皮の服」は神の権威の象徴として代々受け継がれていましたが、ハムが全裸で泥酔したノアを見つけたときにこの「神の着物」を盗み、以後ハムの一族が受け継ぐようになり、そのおかげでニムロデは強力な王になった…という説です。だからノアはハムの末っ子のカナンを呪ったんだ、ということにこの説ではなっています。
ニムロデは神の力の篭った着物のお陰で権力を手に入れ、それゆえ神の反逆者である、ということですね。

こんなかんじに色んな解釈がありましたが、「主のおかげで」じゃなくて「主の前で」と訳した方が良いという説を(たまたまかもしれませんが)よく見かけたので、ここではひとまず

《彼は神さまの前で強力な王さまになったので、「反逆者のようだ。」と言われるようになった。》

としておきましょう。

ともかく、『地上で最初の権力者』と記されるからには、これまでの登場人物たちとは段違いの力を持っていたのでしょう。
実際ほんとにニムロデという、バベル、エレク、アカデ、ニネベ、レホボテ・イル、ケラフ、レセンという計7つの国を治めた王さまはいたのでしょうか?

伝説上では、ニネヴェ(古代メソポタミア北部にあったアッシリアの都市。現在は、イラクのモースル市域に含まれる)を建設したとされるニムスと、ニムロデを同一視する説があるそうです。

他にも、
アッカドの狩猟農耕の神と讃えられたニヌルタ(古代バビロニアの豊穣・戦闘の神。エンリルの子とされる。元来シュメール起源の神でニンギルスとしばしば同一視される)
王名にその名を冠したトゥクルティ・ニヌルタ1世(在位:紀元前1244年~紀元前1208年。中アッシリア王国時代のアッシリア王)
「ハンムラビの法典」で有名なハンムラビ(バビロニア王国の初代王。在位 紀元前1792年頃~紀元前1750年 その名は「偉大なるハム」とも解釈可能)
あるいは、『シュメール王名表』にウルクの王として記録されているエンメルカルなどがニムロデと見られています。


彼はシヌアル(今のイラクあたり)にあったという、

・バベル…アッカド語で「神の門(バブ・イル)」を意味した。のちに「混乱(バーラル)」を意味するとの神話的解釈が与えられた。

・エレク…メソポタミアの古代都市ウルクのこと。

・アカデ…アッカドのこと。メソポタミア南部を占めるバビロニアの北半分の地域、またはそこに興った最古の帝国。南側にシュメールが隣接し、北西側にアッシリアが隣接している。シュメール文明を征服して、チグリス川とユーフラテス川の間を中心に栄えた。


という国の王さまでした。
私の持ってる《日本聖書刊行会出版 新改訳 中型聖書 第3版》には載ってなかったのですが、カルネという国もシヌアルにあったニムロデの国で、メソポタミア南部にあったと思われますがその位置は定かではありません。
タルムードの伝承などから古代メソポタミアの都市ニップールがその場所ではないかとされてきましたが、他にもバビロンの近くにあった重要都市クルウヌだとか、キシュ(古代メソポタミアの都市)の双子都市フルサグカラマなんじゃないかとか、色々言われてます。

一部の翻訳(改標、エルサレム、新英)はカルネを地名としてではなく「それらすべて」という意味の句として訳しているそうで、恐らく私の持ってる聖書はそっちの訳を取ったのでしょう。


ここから彼はアシュル(アッシリア)に進出し、

・ニネベ…古代メソポタミア北部にあったアッシリアの都市。アッシリア帝国の後期には首都が置かれた。

・レホボテ・イル…「レホボテ」は「広い場所」、「イル」は「神(?)」場所は不明

・ケラフ…現在のイラク北部ニーナワー県あたり。現代に残っている街の遺跡は41平方キロメートル。
アッシリアの時代にはカルフと呼ばれた都市で、一時はアッシリア帝国の首都となる。現在この都市の遺跡はニムロドにちなんでニムルドと呼ばれている。

・レセン…場所不明

を建てました。
ニムロデはチグリス川を遡行して次々に領土拡張していったわけですね。

アッシリアという土地はそもそもどんな土地だったかというと、紀元前6000年紀頃には既に文明が生まれていた、とても古い土地です。(ハッスーナ文化)

ハッスーナ文化の人々は、農業のために雨の多かった最北端のメソポタミアの山のふもとの山麓に移住した人々で、全体の人口約6000人、2エーカーから8エーカー(8093~32374平方メートル)の小さい村に住んでいたそうです。

彼らはハッスーナ文化独特の「ハッスーナ土器」(乳白色の化粧土の上に赤色・黒褐色の彩文・刻線文・あるいは両者を併用して平行斜線・斜格子・ジグザグ文などにより種々の幾何学文を施した土器)を造り、古来からの女神信仰を崇拝して暮らしていました。

シュメール人の「ハラフ文化」が、大体同じ時期に栄えていました。

紀元前5000年半ば以降になると、南部メソポタミアで発生したウバイド文化が北部メソポタミアにおいてもその全域に広がってきます。この頃に、ニネヴェなどに大規模集落が形成されました。

ウバイド文化、以前にカインの話のときに少し語りましたね。

南部メソポタミアの人々がシュメール人で、北部のウバイド人を追い出したという説もありました。
一般的には、南部メソポタミアでの灌漑農業の拡大とそれによる人口増加、経済の発展に伴って、いろいろな資源の需要が高まり、金属資源や木材や家畜類などの交易規模が増大した結果、交易中の継地として人々の移動が激しくなった影響で、南部メソポタミアの文化が北部メソポタミア全域にまで拡大したものと考えられています。

その後のウルク期を経て、アッシリアは
南部メソポタミアとは一線を画す独自の地方文化を形成していきます。

紀元前3000年紀半ば頃(初期王朝時代)に、後に神格化される都市、アッシュルへの最初の居住が始まります。同じ時期までにカルフ(ニムルド)やアルベラ(チグリス川上流のアッシリアの古代都市。現イラクのエルビル)など、アッシリアの中心的役割を果たす都市の基礎も形成されました。

つまりこの情報を信じるとすると、ニムロデは少なくとも、紀元前5000~紀元前3000年半ばの人物、ということになります。範囲広すぎですね(爆)


これまた想像ですが、旧約聖書の逸話はノアの洪水にしろニムロデ王にしろ、“当時の人々”が『誰でも知ってる』神話を盛り込んだ話なのかな、と思います。

「今でこそ偉そうにしてるあの民族も、あの伝説のあの方も、私たちが信じる神が造ったアダムの子孫なんだよ」
って言いたかったのかなあ。


実はバビロニアの古い文献によると、ニムロデは自分を神として崇拝させていたようです。
更に彼の妻・セミラミスは大祭司で、“奇跡的に”妊娠して「タンムズ」という息子を生み「彼こそ神の救い主」と唱えたそうです。

えー、具体的にどんなことが起きたかっていうと、まず、ニムロドはまだ少年のとき、彼の母親であるセミラミスに望まれて彼女と結婚しました。彼は在位中、自らを太陽神として人々に崇めさせました。
ニムロドが亡くなったあと、セミラミスはタンムズを産んで「タンムズは、夫でもあり息子でもあるニムロドの生まれ変わりである」と主張します。

このタンムズは初期王朝時代Ⅰ(大洪水以前)の5代目の王さまとシュメール王名表に記載されています。
ということはニムロデは《ノアの洪水》伝説の元ネタとなった《ギルガメッシュ叙事詩》よりもずっと古い人物ということになります。
ちなみにギルガメシュは初期王朝期第Ⅱ期末期(紀元前2600年頃)の人物と言われていますが、《ギルガメッシュ叙事詩》の一番最初の成立は紀元前3000年紀に遡るとされていまして、のちに伝説化して主人公にされたとみられています。
つまり叙事詩を構成する個々の題材が、シュメール時代には既に流布していたということです。


古代の人々はこの二人を象った母子像を礼拝し、聖水を注ぎ、宗教儀式を行いました。
セミラミスは「天の女王」「月の女神」として知られるようになり、やがて、それはその後の「女神」のプロトタイプになっていった、というわけ。

救世主として生まれたタンムズはシュメール神話、アッカド神話の神として記録されています。
元々はシュメールの牧羊の神ドゥムジを源としていて、本人よりも『イナンナの夫』としての方が有名です。アッカド神話ではイナンナに対応するイシュタルの夫となります。

イナンナ(イシュタール)といえば後のアフロディーテやヴェヌス(ヴィーナス)の元ネタで、『イナンナの冥界下り』などネタにも事欠かない、愛と肉欲の奔放な女神です。

そしてこのバビロニアの信仰は、様々な国に渡って、今日まで残る神話となっていきます。

〇カナン
・バアル…カナン地域を中心に各所で崇められた嵐と慈雨の神。その名はセム語で「主」を意味する

・アシェラ…名は「海を行く貴婦人」の略称。シュメールでは天界の王アンの子マルトゥ(アムル)の配偶者、ウガリットにおいては最高神イルの妻であり、神々の母


〇ギリシャ
・アフロディーテ…生殖と豊穣、春、金星の女神。元来は、古代オリエントや小アジアの豊穣の植物神・植物を司る精霊・地母神であったと考えられる

・アドニス…アフロディテの愛人としてギリシア神話に取入れられた。名は「主」を意味するセム語アドナイと関係があるとされる。
元々はビュブロスとパポスにおいて信仰されていたフェニキア神話の植物の神。
シュメールのドゥムジ、メソポタミアのタンムズにあたる。大地女神の愛人として毎年死んでまた春に復活する、植物神的青年神と思われる


〇エジプト
・オシリス…生産の神。民に小麦の栽培法やパン及びワインの作り方を教え、法律を作って広めた

・イシス…元々はナイル川デルタ地帯のブシリス北方のペル・ヘベットの女神で、豊饒を司る。
玉座(現世の王権)を神格化した女神で、女性神でありながら王権の守護神が持つとされる「権力と支配」を意味するウアス杖(普通は男性神や王が持つ)と、「生命」を意味するアンクを持った姿で表されることもある。
エジプトでムト女神やハトホル女神に代わって信仰を集め、紀元前1千年紀に地中海沿岸全域に広がった。ギリシャではデメテル、後にアプロディーテと同一視された。
セトに殺されバラバラにされたオシリスの遺体を集めて(ただし男根は見つからなかった)繋ぎ合わせて復活させるなど、生と死を操る強大な魔力を持つ。
永遠の処女であり、オシリスの死後、処女のまま神(ホルス)を身ごもったとされ、「天上の聖母」「星の母」「海の母」などさまざまな二つ名を持った

・ホルス…オシリスとイシスの息子。
エジプト神話の天空と太陽の神。エジプトの神々の中で最も古く、最も偉大で、最も多様化した神の一つ。ラーの息子で天空神・隼の神であるホルスと、ゲブとヌトの息子あるいはオシリスとイシスの息子のホルスという同名の神が二柱存在し、やがて習合されたものだとされている 。これ以外にも様々な神との習合が見られる。
有名なシンボルである「ウジャトの目」とは、ホルスの目のことである。初期のホルスは原住民の神と習合されてハロエリス(「大ホルス」の意)またはハルウェルという名の光の神となり、太陽の右目と月の左目を持っているとされた。
プロビデンスの目もホルスの目とされていて、フリーメーソンのシンボルにもよく登場する。


などなど。

「処女懐妊」「死後復活」「母子像崇拝」………

どこかで聞いた単語が並びますね。

そう、聖母マリアと救世主イエスも、これらの神話の影響をとても受けています。

グレゴリオ聖歌でも歌われる中世の聖歌『アヴェ・マリス・ステラ』の「マリス・ステラ(Maris stella)」は、「海の星」の意味ですが、この星は金星であるとする説があります。聖母マリアがオリエントの豊穣の女神…イシュタルとかアフロディーテとか、ローマ神話のウェヌス、エジプトのイシスの後継であることを示しているとされます。
タンムズが元々シュメールの牧神…羊飼いの神だったことも興味深いです。イエスが生まれて最初に礼拝しにきたのは羊飼いたちでしたしね。

ちなみに以前、キリストの誕生日であるクリスマスとデュオニュソス祭の関係について少し書きましたが
↓↓↓
未年なので羊についてのあれやこれや http://katzeundgeige.blog.shinobi.jp/Entry/25/

実は12月25日はバビロニアの安息日です。
そして、ニムロデ王の誕生日と言われてます。ですので、フリーメイソンやらイルミナティやらの関連記事で色々語られておりますね。
(ちなみにイエスの誕生日は紀元前7年9月15日だとか、紀元前2年6月17日だとか色々言われてます。クリスマス関係ねーな!!)


とりあえず、クシュ(北アフリカのヌビア地方/紀元前3100年頃から紀元前2890年頃)、あるいはキシュ(イラク共和国バービル/紀元前3000年くらい)の擬人化キャラの息子として描かれた人物は、このように色々な神格と王としての実績を持った人物だということがわかりました。

様々な人物がモデルにいたり、既存の神話で盛りたてられたりするあたり、彼も新興宗教を広めるための広告塔だったのではないかなぁ…と考えます。

………ニムロデの話がだいぶ長くなってしまいました(汗)
まだハムの血筋の中の、クシュの子孫の話しかしていませんが、残りの子孫は次回にご紹介しようと思います。

さて、今回の楽曲はエドワード・エルガー作曲『エニグマ変奏曲』または『謎の変奏曲』作品36  の中から、第9変奏Adagio“Nimrod”変ホ長調です。

https://youtu.be/VXc9ezCbNdk

「エニグマ」とはギリシア語で「なぞなぞ」「謎かけ」「謎解き」といった意味で、の変奏曲には2つのエニグマが込められています。
第1のエニグマは「この変奏曲には
主題とは別の、作品中に現われない謎の主題も使われている」
第2のエニグマは「各変奏に付けられたイニシャルや略称などの該当人物」です。この変奏曲は「作品中に描かれた友人たち」に献呈されています。
ちなみに『エニグマ変奏曲』というタイトルは通称で、正式名を『独創主題による変奏曲』といいます。
管弦楽曲として知られていますが、エルガー自身によるピアノ独奏版もあります。

「ニムロッド」は楽譜出版社ノヴェロに勤めるドイツ生まれのアウグスト・イェーガーに、ドイツ語の “イェーガー” (Jger「狩人」「狙撃手」の意)にちなんでエルガーが付けた愛称です。
エルガーはイェーガーの気高い人柄を自分が感じたままに描き出そうとしただけでなく、2人で散策しながらベートーヴェンについて論じ合った一夜の雰囲気をも描き出そうとしたそうです。
この曲単体で、アンコール・ピースとして演奏されることもあります。

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